仮想彼岸のフローラルトリビュート - 3/5

R区画

 明渠を越えて次の区画へ。
 明るい色の髪をした、中学生ぐらいの少年が、白いカーネーションを一輪持って、呆然と立ち尽くしていた。
 母親を偲んでいるのかと思いきや、その墓石はどうやらおかしかった。卒塔婆の一本も立っていないし、何より不自然に美しすぎる。
「ねぇ」
 少年が急にこちらを向いた。
 まだあどけない面貌。緩く端の持ち上がった口許。それでも。
「頭おかしいと思われるの、承知で聞きますけど。――これ、誰の墓に見えます?」
 丸みを帯びた瞳の奥には、はっきりとした警戒心が。軽い調子で放たれた言葉の裏には、くすぶるような憤りが窺えた。
 だから神成は足を止めて、出来る限り真摯に、誠実に答える。
「まだ、誰の墓にも見えないな。強いて言うなら、『誰かがあらかじめ用意した墓』に見える」
「ですよね。あは」
 笑ったような息の吐き方をするくせに、少年の眼差しは一層厳しく、何も刻まれていない墓石を見据えるのだった。
 カーネーションを包んでいた薄そうなビニールがぐしゃりとひしゃげて。少女のものとは違うけれど、まだ男のものにはなりきれない拳が、小さく震えている。
「別にお兄さんには関係のない話なんで、もう行っちゃっていいんですけど」
「ああ」
「俺の身内、思い出せる限りでは誰も死んでなくて」
「それは、幸せなことだね」
「なのにさ、何でかな――」
 少年は、初めてちゃんと口唇を笑みのかたちにして。それなのに、華奢な右腕を両目に強く押し付ける。
 白いカーネーションをぎゅっと、握りしめたまま。
「知ってるんだよ。誰だかなんて、これっぽっちも分からないのにね。俺、ここに入るひとのこと、多分すごくよく――知ってる」
 神成は、何とも言えないもどかしさのようなものを抱えて、彼を見ていた。
 きっと、ひどい心模様のはずなのに。腕を下ろした彼の姿に、もう儚げな色はなく。
 冷淡にも見える幼い横顔は、至極丁寧に、墓になる前の石に、白い花を横たえた。
「置いて、いくのか?」
 だってそこにはまだ誰も入っていないのだろうと言外に問えば。
 少年はすっと立ち上がって、薄ら笑う。本音を揺らめいて隠す巧妙な笑みで、鞄から取り出した機械をふらふらと振る。
「だって片手塞がってちゃ、やりづらいじゃないの。ゲーム」
「はぁ」
 機械を起動させながら、少年は歩み去っていく。視線はポケコンの中。
 最近の子は分からんなと思いながら、神成も歩みを再開する。

 その少女は十字路に座り込んでいた。先程の少年と同じか少し下ぐらいの、やはり中学生らしく見える子。
 墓地の通路は碁盤状だから十字路ばかりだけれど、ちょうど神成の進行方向に。癖の強そうな髪を二つに括って、黒いリボンで飾っている。
「大丈夫か?」
 熱中症かと思って屈んで問うが、少女の目は神成の姿を映しはしない。
 右の親指の爪を噛んで、呪詛のような言葉を、聞き取れないような音量で繰り返している。
 左手に握り込んでいたのは整った花束ではなく、引き千切ったような植物の残骸。ヒトリシズカと、花に詳しくない神成の頭に、ふとその名が浮かぶ。
「いない」
 ようやく聞き取れたのは、吐き捨てるようなその三文字だけ。
 くまの濃い、青白い肌の、やせ細った少女。瞳だけが、刑事にとっては見慣れた――執念と呼ばれる炎にちらちらと揺らめいていて。きちんと慈しまれることが出来ていたなら、きっととてもかわいらしい少女だったろうに。今の彼女が喉の奥から絞り出すのは、からからに乾いた痛みだけ。
「いるはずない。こんな、ところに」
 少女は急に立ち上がると、花の死骸を撒き散らしながら、ふらふらとどこかへ歩み去っていった。
 どうすることも出来なかった神成は、とりあえず携帯でヒトリシズカの花言葉を調べる。
『隠された美』 『愛にこたえて』
 だからといって、何が変わるわけでもない。
 ポケットに携帯を戻して、神成は地に散ったヒトリシズカを見るでもなく目で追いつつ、本来の目的の場所に向かう。