チューベローズ - 4/6

杜若(かきつばた)?」
 ようやく自宅の最寄り駅に着いたとき、ホームには見知った少年の姿があった。
 中学までのクラスメイト、杜若颯太(そうた)だ。
「小春野」
 杜若は黄色い線ぎりぎりに、生気のない顔で立ち尽くしていた。襟のよれたTシャツにだぼついたジーンズ。学校では糊の利いたワイシャツに身を包んでいる分、だらしない服装が痛々しい。
 上りも下りも電車は発ったばかりで、周囲には誰一人いない。薫は自動販売機でミルクティーと緑茶を買い、杜若にベンチを勧めた。杜若は言われるまま腰を下ろす。
五条(ごじょう)が……」
 杜若が呟く。生来の涼やかな声とは程遠い、潰れたしゃがれ声だった。薫はペットボトルの結露を拭きながら待ったが続きはない。
 薫は杜若の正面に立ち、そっと緑茶を差し出す。
「やっぱり来てない。杜若も今日は休んでた?」
 杜若は顔を歪めてボトルを取り落とした。薫は紅茶を杜若の膝に置き、転がった緑茶を拾いに行く。
 今年度、薫の出身中から壮花高校に進学した生徒は四人。小春野薫、馬剛月子、杜若颯太、そして五条あやめ。月子以外は三年間同じクラスで、出席番号が近かったため同じ班でもあった。
 五条は名前が似ていること、誕生日が一緒であることを気に入ってか、たびたび杜若に声をかけていた。薫の見る限り、杜若も五条を好ましく感じていたのだと思う。レベルを下げて志望校をそろえる程度には。
 入学式の日に五条は、また杜若や薫と過ごせるのが嬉しいと言っていた。この春に引っ越して近所に友人もいないから、慣れた相手に会えるのは心強いと笑っていた。
 そして十日ほど前、五条の両親が突然亡くなった。車での買い物中、飲酒運転の車に正面から突っ込まれたのだ。部活で留守にしていた娘は難を免れたものの、翌日から学校に来なくなった。
「小春野、おまえ、おれに言ったよな。五条が来ないのは、みんなが言ってるような理由じゃないかもって」
 戻ってきた薫の顔を杜若は見ない。睨みつける線路には闇だけが広がっている。
 陽を失ったホームに鋭い風が吹き、薫の伸びた黒髪とセーラー服を殴りつける。止めることも抗うこともできない力の最中で、薫は決然と自身の考えを述べる。
「言った。あの子の意思じゃないかもって」
 杜若が勢いよく顔を上げる。その目は薫につかみかかりたいようにも、すがりつきたいようにも見えた。
「これ」
 杜若は震える手をジーンズのポケットに突っ込み、くしゃくしゃの封筒を薫に手渡した。五条から杜若に宛てた手紙だ。今日届くように指定してあったようだ――確か、五条と杜若の誕生日。
 視線で許可を求め中身を取り出す。一枚きりの便箋にQRコードが貼りつけてある。薫がスマートフォンでコードを読み取ると、動画再生ボタンが表示された。
『杜若くん、おったんじょうびおめでとー! あやめでーす。見ればわかるか。あはは』
 見慣れたポニーテール姿。五条だ。後ろにぬいぐるみやベッドが映り込んでいる。カメラを固定した位置が低いのか、五条はあおり気味の画角でぎこちなく笑っていた。
『誰にも言わずに行こうと思ったんだけど……杜若くんはね! 誕生日、祝ってくれようとしてたのかなって、思ったから』
 薫は杜若に視線をやったが、左巻きのつむじしか見えない。
 どうせ直接欲しいものでも訊いたのだろう。杜若の不器用に言及するのは避け、薫はまたスマホに目を落とした。
 五条はしばらく視線をさまよわせ、ええと、だとか、あのー、だとかうなっていたが、やがてカメラをまっすぐに見つめた。
『この家、買ったばっかだけど叔父さんたちのものになっちゃいそうでね。あたし、それはちょっと、ていうか、すごくやだなぁって思ってさ。でもどうしようもないから、あたしが出ていくことにしたのでした』
 じゃーん、と五条は小さなリュックサックを顔の高さに掲げる。人間一人が旅立つにはあまりにも心許ない荷物だ。
『実はこないだ、あたしの家出計画を手伝ってくれるっていう人と知り合ったんだ。いったんその人のところに行って、それからあらためてあたしの楽園を探すつもり! だから心配しないでね。あでぃおーす!』
 五条はカメラに両手を伸ばす。動画の長さを示すバーも残り少ない。大写しになった映像は、彼女が意図したものではなかったはずだ。
 五条あやめは、口唇を噛んでか細く震えていた。
『ごめんね、杜若くん……』
 すきだよ、とノイズと聞き紛うような囁きとともに、動画は終わった。
「杜若は、どうしたいの」
 薫は手紙を杜若に返した。杜若は俯くのをやめ、まっすぐ薫の目を見つめる。動画の五条と同じ。
「五条を見つけたい。おれにこんなものを送ってきたってことは、たぶん」
「うん」
 薫は頷いた。杜若がその先を言わなくていいように。
 五条はきっと消えるつもりで、絶望のままそいつの元へ行った。杜若にだけ言葉を遺して。
 けれど本当に、本当に全てを諦めていたのなら、彼女はこの手紙を投函する必要さえなかったのだ。
 だから。
「杜若の気持ちはわかった。そいつを許せないのはこっちも同じ」
 薫は右と左、計四輪のチューベローズを外した。留めてあった髪がばらばらと落ちてくる。この姿は好きではないけれど、これから向かう場所を考えたらそれぐらいでいい。
 薫は花のヘアピンをハンカチに包み、杜若の冷たい手に押し付けた。
「ちょっと行って見つけてくる。そいつも、五条も」
 連れて帰ると言えない弱さを見抜かれたくなくて、微笑みながら二歩下がった。
「戻らなかったら、悪いけど月子に渡しておいて」
 背後に電車が滑り込む。薫は壮花に引き返す電車に後ろ向きのまま乗った。
 杜若は今になって弾かれたように立ち上がる。ドアが閉まる。杜若が電車を追いかけながら怒鳴っているが聞こえない。
 薫はまたスマホを取り出し、最初の日、線路に投げ捨てたIDにメッセージを送った。
『花です すみません
 親とケンカしちゃって
 少しの間 置いてくれませんか?』