第六章 こんな空の下でさえ - 3/6

SIDE Rethe

 

 

魔塔に歪む

 

 空が青い。陽射しはこんなにうららかなのに、どうして人は殺し合わなければならないのだろう。
 レテは周囲で一番高い木の枝に腰かけて、ため息をついた。
「レテ! こんなところにいた」
 ベオクには決して登れないはずの高さで声をかけてきたのは、ジルである。なるほど彼女の騎竜なら、この程度の高度は訳もないだろう。
「どうした。ジル」
「どうした、って。このところ一人になりたがるようだから、ミストたちが心配してた」
「……なに、瑣末なことさ」
 レテは耳を伏せて細かく動かす。ジルは首を傾げ、騎竜から降りてレテの隣に腰かけた。
「レテは、私がつらいとき、悩んでいるとき、いつも道を示してくれた。私にどれほどのことが出来るか分からないけれど、苦しいのならそれを打ち明けてほしい」
 そんな真剣な顔をされると色恋沙汰だとは言いにくくなる。
 お前を信用しないのじゃない、ただ個人的なことだから、とレテはお茶を濁した。
「お前が私を気にしてくれるのは嬉しいよ。ジル」
 それだけは素直な感想だった。ジルは苦笑して両手を組む。
「レテがそんな風に言ってくれるの、私も嬉しいよ」
 風が強い。リィレのくれたリボンが流れている。ジルはなびく髪を片手で押さえる。
「――アイク将軍は、別働隊を組むそうだ」
「もう王都は目前だろう。今更何のために?」
「レテは呼ばれないかもしれない。いや、『ラグズ』には任せないつもりなのかもしれない」
「どういうことだ」
 言い淀む様子のジルに、つい語気を強めた。ジルは目を伏せて首を横に振る。
「どういうことだろう。私も分からない。ただ……知ってしまったからには、レテに隠したまま行くのは嫌だった」
 はっきりしないが、そういう言い方をされるとレテも無理やり問い質すというわけにいかなかった。
 ジルはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げる。
「話しても、将軍を怒鳴りに行かないって、約束してくれる?」
「内容にもよるが。……最悪お前のことは怒鳴るかもしれない」
 レテが眉を寄せると、ジルは肩をすくめて笑う。自嘲の響きはどこにもなかった。
「ならいい。私には、いくらでも気持ちをぶつけていいから」
 そして前を見ながら、少しずつ語り始める。
 竜鱗族の少女が語った塔のこと。捕らえられているラグズたちのこと。彼らが非道な実験の被害者となっていること。その『被害者』こそ、今まで戦ってきた『狂気のラグズ』であったこと。
「アイク将軍は、傭兵団をはじめ個人的に交流のあるごく少数の兵で向かうつもりみたいだ。私は飛べるから選ばれたけど――ベオクも数をかなり絞るらしい。ラグズには衝撃が大きすぎるだろうから、案内人の竜鱗族と、国の代表クラスしか連れていかない方がいいんじゃないかって、今、話し合ってて」
 ジルは振り向き、レテの瞳を見た。
 レテは眩しさに目を細める。アイクと同じ、揺るぎない美しい色。
「レテは、どうしたい? つらいと言っても私は責めない。行きたくないと言っても弱いとは思わない。だけど」
「私は行くよ。お前の手ばかり汚せない」
 ジルの手を取り、硬く握る。いつもながら何て華奢な。
 武人としては細すぎるこの腕に、彼女は一体どこまでの重荷を引き受けようというのだろう。
「ジル、お前は安楽に逃げずに苦しみを見届けた。私の目から見ても尊い行いだった。今度は私の番だ。私も私の目で、同胞の痛みと真実を受け入れよう」
「――レテは強いね」
 ジルは儚く笑って、レテの手を握り返した。
「その強さに私は救われた。だから、くじけそうになったらいつでも頼ってほしい。私では心許ないかもしれないけれど、『今度は私の番』だもの」
「ありがとう。とても心強い」
 レテも微笑した。出逢ったばかりの頃ならば、お前に我らの痛みが解るはずもないと突っぱねただろう。
 だが、ジルが乗り越えてきた苦難をもう、他人事だとは呼べない。同じものでは決してなかったとしても、解り合えない材料にはもう出来ない。
「下に行こう。アイクにも、ライにもきちんと話さなければ」
「ミストにも」
「ああ、勿論だ」
 レテは確かにジルを信頼していた。だがそれ以上に自身を過信していた。己が流せる血の量に限りがあると知らずにいた。
 心が引き裂かれるまで数刻、束の間の平穏に身を浸していた。

 

 まずレテは、アイクに談判に行く前にライに相談した。レテの身柄がクリミア軍預かりとはいえ、今回の件はエリンシアの埒外である。直属の上司の許可が要る。
「気の済むまでオレを殴っても、心は変わらない?」
 ライは先に一発殴らせておいて(それは前回の悪ふざけの分であるのだが)、渋い顔で腕組みした。
 どうしてもラグズの実験場にレテを近づけたくないようだ。無理もない。自分が彼の立場だったら部下にそう言う。だからレテもむやみに食って掛かりはしなかった。
「私はお前が来る前から、件の被害者たちと直接対面してきた。そして、手を下してきた。何故同胞があのような目に遭わなければならなかったのか、それを見届ける権利も義務も、私にはあると思う」
 冷静に意見を述べる。ライの方こそ感情的にレテの右手を掴む。
「親を殺した仇がいるぞと言って、子供を処刑場に行かせるか?」
「私は子供ではない、戦士だ。師団長殿」
 レテは淡々と返した。ライの瞳の奥で揺れていたものが、すっと引いていく。ゆっくりと手が自由になる。
「オマエの意を汲む。だがこれ以上は無理だと思ったら、容赦なく後方へ引きずっていくぞ」
「どうしたんだ、ライ、過保護だな。ここのところずっと変だぞ。戦争で気が立ってるのか?」
「気が立ってるっていうか――」
 ライは空色の髪を揺らして、悲しそうに笑った。
「イカレてる」
 それ以上は何も言わない。もう一度レテの手を取り、爪の先にそっと自身の口唇をかすめてライは去っていった。道化じみた気楽さや戯れじみた気安さはなく、厳かな儀式めいた口付けだった。
 レテも怒ってみせたり、からかったり出来なかった。もしかしたら自分も『イカレている』のかもしれないと、触れられた手をぐっと抱きしめた。無性にアイクに会いたかった。

 

 アイクはレテが別働隊に加わることを許した。というよりも、端からそうと決めていた風である。
 他にはグレイル傭兵団。しかしミストとヨファはいなかった。
 魔道士。しかしトパックはいなかった。
 ラグズ。しかしムワリムはいなかった。
 飛行部隊。しかしエリンシアはいなかった。
 いる者よりも、いない者の意味の方が強い編成。行軍中、誰もが言葉少なであった。ラグズ嫌いのシノンでさえも軽口を叩かない。
 そして、戦闘が始まった途端、彼らは爆発したように前進した。
 特にレテたちラグズは先頭に立って『なりそこない』を屠り続けた。その咎を、友なるベオクに負わせまいと。ベオクも意を汲んで、化身前後の隙をよく助けてくれた。
 グリトネア塔は見る間に陥落したが、それを喜ぶ兵はいない。
 ベオク同士の『戦争』より凄惨な、単なる『殺し合い』。
 沈みいく陽の赤に、誰もがラグズの血を浴びて立っているように見えた。
「みんなに、見せたいものがある。地下まで来てくれないか?」
 いつの間にやら味方に戻っていた竜が言う。隠し通路を見つけたらしい。
 アイクはそれを罠と疑うこともせず先へ進み、レテたちも用心しながら後に続く。獣牙の目をもってしても先の見えない螺旋階段を下へ下へ行く。
 ほどなく鼻孔から進入してきた強烈な臭いに、レテは思わずよろめいた。脳を直接蹂躙するかのような攻撃的な悪臭。ライが眉をひそめて鼻を押さえながら、反対の手でレテを支えた。
 何も言わなかったし、こちらを見もしなかったが、確かに『大丈夫か』と問われた気がして、レテはやんわりその腕から逃れる。
「なんだ、この臭いは……?」
 アイクも呟く。ベオクにすら分かるほどひどい臭いらしい。ナーシルは絞り出すような声で、腐臭だ、とだけ言った。
 先頭のブーツの音が鳴り止む。後続のレテたちにも、最下層に行き当たったことが分かった。
 光そのものを吸収するような濃い闇の中。一つの蝋燭にセネリオが点火すると、連動して壁中の燭台に火が回り、地下室の様子が露わになる。
「……これは、なんだ?」
 ライの震える声。
「答えろ、ナーシル! これはいったい、なんなんだ!?」
 薄紅の竜が、拳を握り締めながら答えた。
「ラグズです……。かつては、ラグズであったものたち……です……」
 ライは彼女たちに対し、なおも何か言っていたように思う。
 レテにそれは聞こえなかった。足の進むままに『彼ら』へと近づいた。
 錆びた鉄格子を掴む。

 乾いた血、壁の爪痕、床に刻まれた呪詛、
 苦痛、悲嘆、呻き、叫び、懇願、慟哭、絶望、怨嗟、狂乱、
 千切れた四肢、剥き出しの骨、毛の抜けた皮、腐り果てた肉、
 引きずり込まれるような、深い、深い、
 虚ろな眼窩

「――――」

 レテは獣の声で吠えた。
 助けなければと思った。『彼ら』を永遠の地獄から救い出さねばと思った。
 格子を噛む顎から血が出た。構わないと思った。床石を掻く爪が剥がれた。痛くなどなかった。業火にくべられた彼らの苦しみを少しでも共に出来るなら壊れてもいいと思った。
 待っていろ今出してやる。故郷にきっと連れ帰ってやる。なあ聞こえているか? 届いているか? 返事をしてくれ。声を上げてくれ。目を開けてくれ。動いてくれ。もう大丈夫だから。私達が来たから。一緒に帰ろう。故郷に帰ろう。
 骨が軋んだ。熱い液体に塗れた。そんなことは全然気にならなかった。
 だって助けに来たんだ。今助けられるんだ。もう私は目の前にいるじゃないか。だから答えてくれ。応えてくれ兄弟。
 帰ろう。帰ろう。帰ろう?
 なぁ――――。
「レテッ!!」
 ライに呼ばれ、レテははっと身を震わせた。
 知らぬうちに化身は解けている。自分が何をしていたのだか分からない。
 ライは強くレテを抱きしめながら、泣いているような声で言った。
「もう、死んでる……」
 ああ――と、レテは自らの両手を見下ろした。真っ赤だった。
 こんなことをしても。私は、『彼ら』を助けられはしなかったんだ。最初からもう手遅れだったんだ。
 いつから? ベグニオンに協力したときから? クリミアに助力した頃から?
 ガリアで安穏と暮らしていたときから?
 そうか、私は。
 偉そうに軍人を名乗って、ラグズの平穏のために尽力していると信じきっていた頃から。
 ずっとずっと、思い上がって、いたんだ。『彼ら』のことなんて、考えもせずに。
 ベオクに殺されている同胞のことなど、知ろうともせずに。
「寒い……」
 零れた声は自分のものとは思えないほど、弱くかすれていた。
 身体が浮く。ライが抱き上げてくれていた。普段なら大騒ぎして止めただろうが、その気力も今はない。目を閉じて全てを委ねる。ただ寒かった。こんな場所に彼らを置き去りにしていくことが、胸の引き裂かれるように痛かった。
 それでも、階段を上がっていくライに指先一つも抗えない。涙も出ない。
 ――偽善者。
 その烙印が我が身に押されることだけが、残された唯一の熱だった。

 

 外はまだ赤かった。
 塔の内部へ踏み込まなかった者たちが、抱きかかえられているレテを何事かという顔で見る。レテには彼らの顔を見返す勇気がなかった。ライも人目を避けるように、大股で樹々の影まで歩いていく。
 
「いったん下ろすぞ」
 レテは無言で頷いた。ライは浅く嘆息しながら、両膝を曲げ、レテをそっと樹に寄りかからせた。
 いつの間に潜ませていたのか、ライは辺りの茂みからくたびれた外套を取り出す。
「まだ寒いか?」
 突き出された布を黙って眺めている。ライは強引に、その外套でレテの身体を包んだ。レテはずっとされるがままになっていた。どうでもよかった。死にたいのともまた違う。もう、何に心を動かしていいか分からなかった。
 空が赤くて、目に痛くて。ライの表情も見えなくて。
「水を取ってくるよ」
 血の滲むレテの口唇をすっと指でかすめると、ライは立ち上がり去っていった。
 アイクがやってきたのは、ほとんど入れ替わりだっただろう。嗅ぎ慣れた、どこか懐かしささえ感じていた匂いは、突然異臭となってレテの平衡感覚を揺さぶった。
「レテ」
 名を呼ばれて肩が震えた。初めて実戦に出たときより身体が冷たい。
 あんなに何度も聞いてきた、親しみすら感じた声なのに、今は。
 歯の根が合わない。逃げることすら出来ない。
 どうして。どうして。
 心の中で喚く自分を、別の自分が冷静に見下ろしている。
 酷薄な口唇が動く。
 分かりきったことだ。最初から知っていたことじゃないか。
 アイクだって、所詮ハべおくノ一人ニ過ギナイ
 信用ナンテ出来ル訳ガ ナイノダカラ
 べおく ハ 我々らぐず ノ 敵 ダ
 油断ヲサセテ 騙シテオイテ 気ヲ許シタラ
 アアヤッテ 簡単ニ 物ノヨウニ

 殺サレル 

「――俺が怖いか?」
 アイクは訊いた。今までのどんなときより優しい声音だった。
 やわらかく包み込むような……きっと笑っている。
 それでいて、アイクは確かに。
 怯えていた。
「俺は怖いよ。立場とか、状況次第で……どんなことでもしてしまうベオクってやつが、俺は、怖い」
 そうだ、とレテは口唇を噛む。
 傷つかないはずがない。あれが自分の同胞でないからなどという理由で、彼が傷つかないはずがない。
 ずっと一緒にいたのに。一緒に乗り越えてきたのに。私は、独りで勝手に潰されようとしていた。
「けど俺は、あんたを失うことの方が怖いんだ。そのためならベオクであることを捨てたっていい」
 その身勝手すら、お前は許そうというのか? それでもなお、寄り添うと言ってくれるのか?
「そんなことを」
 レテは血の味のする口を開いた。聞こえるような声を出すので精一杯だった。
「言うな。同胞を、軽んずるようなことは」
「俺はあんたの同胞にはなれないのか」
 アイクは少し語気を強めた。
 違う。そうじゃない。言ってやりたいのに、上手い説明が思いつかない。
 気持ちだけが溢れてしまいそうで、言葉が出ない。
 アイクが小さく頭を振るのが分かった。
「いや、なれなくてもいい。それでも俺は、レテの傍にいる」
 胸が激しく高鳴る。凍りそうだった身体の芯が熱を帯びる。目の縁が震える。
 それ以上言わないでほしいのに、その先を聞きたいと心が叫ぶ。
「ラグズになれなくとも、俺は絶対にレテを裏切らない。世界中のラグズが俺を否定しても――たとえ、世界中のベオクを敵に回しても」
 アイクが歩み寄ってくる。
 来ないでほしい。いや、来てほしい。
 近づきたくない。違う、近くにいたい。
 この否定の感情は、アイクの存在を拒絶しているのではなく。
 もう、離れたくないと、願っている。
「この手を取ってくれ、レテ!」
 ――見上げた瞳は。
 どこまでも高い空を映す、どこまでも深い海の色――。
「お前はベオクだ」
 レテはゆっくりと瞬きをした。まぶたを閉じる前と同じ色が変わらずそこにあった。
 私はラグズだ。それを捨て去ることなんて出来ない。
 けれど。
「それでいい。……お前がアイクであるというだけで、充分だ」
 右手を差し出す。この蒼に吸い込まれるのなら、構わないと思った。
 私はお前ほど強くない。全ての同胞を敵に回すなんて、恐ろしくて出来ない。
 けれど、そんな弱い私でも、お前の手を握ってもいいのなら。
「信じよう。たとえ他の全てのベオクが、私たちに剣を向けても」
 闇が訪れようとしている。それでも怖くない。この手の熱が教えてくれる。力強く引かれて立ち上がる。
 こんなに近くにいるのに、もう心乱されなかった。アイクが自分に触れているのは当然のことだと思えた。
 額を寄せて、目を閉じる。武骨な指がレテの両手を包む。
「爪、痛くないのか」
 アイクの困惑を含んだ声音。今更のように疼き出す血濡れの指先。そんなこと忘れていた。レテは苦笑する。
「昔は訓練でよく剥がした」
「慣れれば平気ってもんでもないだろう」
 拗ねたように言われたので、レテは本音をぽろりとこぼした。
「心の方が痛かった」
「……そうか」
 安っぽい同情も励ましも口にしないのがアイクらしい。
 レテはアイクの胸に頭を預けた。とくんとくんと鳴っていた。当たり前だが、生きている。あたたかい。
 アイクの服を少し掴む。
「だけど、乗り越えると約束したから。ジルにも、ライにも――お前にも」
「力になれたか?」
 自分がどれだけのことをしたか分かっていないのだろうか。自覚がない分、質が悪い。
 だからレテも少し意地の悪い調子で返す。
「引いた手をまだ握っているくせに、よく言う」
 アイクは何か言いたげに息を呑んだが、黙っていた。レテはふと真顔になって、上を向く。
 まだ控えめな星々。ガリアへと続く空。留守を預けてきた大切な人たちと、繋がっている。
「――妹と」
「うん?」
「喧嘩をしていたんだ、長いこと。くだらないことだよ。ずっと意地を張っていた」
 ミストを見ていて思った。守るというのは、ただ甘やかすことではないと。
 ヨファを見ていて思った。弱さというのは、克服していくためにあるのだと。
 ジルを見ていて思った。一番愚かなのは無知ではなく、そこに留まり続けることだと。
 自分はリィレから、たくさんの大事な機会を奪っていたのだと。
 アイクがリボンを手にする。ずっとレテの首元で揺れ、彼女を守ってきた緑の布を。
「けど、大切なんだろう?」
 静かな問いに、レテは素直に頷く。
 アイクを見ていて思った。長いこと、リィレの目を見て話をしていなかったと。
 そして。真っ直ぐな想いは、必ず――届くと。
「そう、ちゃんと伝えたいと思う」
「ああ」
 アイクは頷き返して、レテの身体を抱き寄せた。初めてのことではなかった。
 だがアイクはもう、今までのように衝動でレテを縛り付けることはないだろう。包むために、その両の腕を回してくれるだろう。
「だったら、なおさら俺の傍を離れるなよ。絶対に死なせない。レテ」
 だからレテも、ただ彼に寄りかかられるだけの壁であることをやめる。自らの意思で、アイクの背に腕を回す。
「言われずとも死なんよ。お前の方こそ、私から離れるなよ。アイク」
 そうさせてもらうさ、とアイクは小さく呟いた。レテは微笑んで、アイクの背をさする。
「帰ろう。みんなが待ってる場所まで」
「ああ。一緒に帰ろう」
 身体を離したけれど、レテの右手はアイクの左手の中にあった。
 いつかほどけかなければいけない手だとしても、今は。
 この戦いが終わるまでは。このままでいたいとそう、願った。