8話 Left-field - 3/6

俺が欲しいのは

 高葉ヶ丘高校から駅へと向かう道の途中、何の変哲もないファミリーレストランがある。
 平日のまだ明るい時間、高葉生は既に下校したかまだ学校に残っているかどちらかだ。金曜の夕方ならともかく、火曜日に茶をしばいているほどこの辺の高校生は暇でも豊かでもない。
 侑志は店のドアを開ける。案の定、近所の大学生や、貫禄のある奥様方、仕事中らしい背広の男性ばかりだ。居心地の悪さを感じながら、寄ってきたウェイトレスに連れが来ていることを告げる。
 侑志は禁煙席にぽつりと座る少女に歩み寄った。
「わり。待たせた」
「全然。キョヨーハンイよ」
 辻本(つじもと)柚葉(ゆずは)は携帯電話をいじるのをやめ視線を上げた。
 一般的な美人かどうかはともかく、やっぱり好きな顔立ちだとしみじみ思う。
「もしもーし? 部活で電池切れちゃった?」
 柚葉――辻本と言う度に訂正されるので、そう呼ぶようになった――が目の前で手を振る。侑志ははっとして、向かいの席に腰を下ろした。
「だから今日は練習ねぇって。そっち遠いからまだ来てねぇと思って、余裕ぶっこいて着替えてたら遅れた。ごめん」
 一番壁際の席。仮に誰かが店の前を通ってもこの位置なら見えないだろう。噂になるほど侑志は話題性のある人物ではないが。
 柚葉はテーブルに両肘をつき、組んだ指に顎を載せた。
「その服カッコいいじゃん。どこの?」
「別に大したとこのじゃねぇよ」
 侑志は口を尖らせて、パーカーのファスナーを上まで閉めた。
「家政科だっけ。ラジアリ好きって言ってたし、服詳しいのか?」
「侑志こそ。普通科の男の子でラジウル好きなんて聞いたことない。てゆーかそれどこのって訊いてるでしょ、斜めファスナーの異素材切り替えパーカーなんて初めて見た。タグ見るから脱いで」
「やだよ。こんなとこで」
「ケチ!」
 柚葉は執拗にすねを蹴ってくる。無視しようかと思ったのだが地味に痛い。侑志は観念して上着を脱いだ。
「見たって絶対知らねぇ名前だからな」
「やった! あたし、メンズも結構詳しいんだから。どっかしら見覚えある――」
 受け取った柚葉は、途中で変な顔をした。ためつすがめつパーカーを観察して、しらない、と不本意そうに呟く。
「ウソでしょ。こんなにセンスよくて、手間かかってて、素材もよくて、縫製もしっかりしてて、高校生が私服で着るレベルの服じゃない」
「伝えとくよ。多分喜ぶ」
 侑志はウェイターをつかまえてクラブハウスサンドとミモザサラダを頼んだ。
 柚葉はアイスティーを前にして、大きく息を吐く。
「わかんない。降参。どういうこと?」
「俺の母親が趣味で作った一点モノ。いっちょまえにタグまで自作しやがってさ、恥ずかしいからあんま知られたくねぇんだ」
 侑志は腕を伸ばして指先を少し曲げる。柚葉は素直に上着を返してくれた。
「ホントにすごいよ、この服。侑志のお母さんって何者なの?」
「昔デザイナーになりたかったんだと。結局それは諦めて、バイヤー? みたいな仕事してる」
「充分すごいって! いいなぁ、うらやましい」
 ストローをいじる指の先で、透明なマニキュアが光を反射させている。グロスを塗った瑞々しい口唇がすぼまって紅茶を吸い上げるのを、侑志も吸い込まれるようにして見ていて――やっと本来の目的を思い出した。
「柚葉、これ」
 侑志はポケットからリップクリームを取り出す。柚葉が新田家の洗面所に忘れていったものだ。
「母親に妙な勘繰りされてマジ困った」
「ごめんごめん、ありがとー持ってきてくれて。気に入ってんのよ、このリップ」
「そ」
 侑志はできるだけ素っ気なく答えた。さすがに化粧品までは詳しくない。
 ウェイターがやってきて、クラブハウスサンドのお客様、と言った。侑志が手を挙げると、侑志の前にサンドウィッチ、柚葉の前にミモザサラダを置いていく。柚葉は笑ってサラダボウルを侑志の方に押しやった。
「ご飯の前にこんなに食べて平気?」
「こんなん、おやつにもなんねーし」
 侑志はぬるいおしぼりで手を拭く。
「食うの待ってなくていいよ。暗くなるし。伝票だけそこ置いてって」
「っていうか、あたしが忘れてったのが悪いんじゃん。せっかく来たんだし、もう少し服の話とかしようよ」
 柚葉はストローをくわえ、口唇を尖らせた。
「侑志がファッション詳しいのって、お母さんの影響なのね。サラブレッドっていうか、エーサイキョーイク? みたいな。ちょっとズルいな」
「ズルいもんかよ。男が服なんか詳しくても気持ち悪がられるだけだぜ」
 香ばしいサンドウィッチをかじって答える。柚葉がまたローファーの先ですねを蹴ってきた。
「失礼ね。あたしは一回も気持ち悪いって言ってないでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「だけど何? 他に言うことは?」
「ごめん」
「お母さんに会わせてくれたら許す」
「お前、そう言いたかっただけだろ」
 いたずらっぽく笑う柚葉に、侑志も苦笑する。
 気持ち悪いと言わなかったのは朔夜も同じだ。卑屈になるのが二人に失礼なら、自分の評価も少しは見直せる。
 そういえば、と柚葉はストローを変な方向に折り曲げた。
「野球部なんだよね。あたし詳しくないけど、強いチームなの?」
 大して熱のない口調だ。侑志は何度もサラダにフォークを突き立てる。雪を踏み鳴らすような音が鳴り、煮え切らない語尾を隠す。
「あんまり、強いとは……。なんというか、こう、いろいろ」
「弱いんだ。もったいない、彩人がいるのに」
「う、その、まぁ、なんだ」
「あんたさぁ。野球上手いんだってね」
 不意に、金属と硝子がぶつかって冷えた声を上げた。侑志の左手から滑り落ちたフォークが、ボウルの中で倒れている。
木元(きもと)に訊いたら、知ってたよ。あんたのこと。馬淵学院(マブガク)に勝てば岩茂学園(ウチ)と当たるはずだったんでしょ? 野手としてなら今からでも欲しい、って言ってた」
 柚葉はまた組んだ両手に顎を載せ、侑志を見上げていた。
「もしかして、先輩たちあんたより下手なんでしょ」
「そんな」
 そんなことない、と言おうとしたのに、最後まで声にならなかった。
 そんなことはない。高校生離れした体格の森貞、冷静なセカンドの相模、オールラウンダーの八名川、外野には俊足の三石、岡本は野手だけでなく投手としても頼れるし、投打ともに侑志の目標である朔夜もいる。他にも……他?
 柚葉は両手を崩して妖しく口角を上げた。
「おっかしい。全部顔に出てる。そのとおりです、って」
 違うと、思っているはずなのに言えなかった。
「とっちゃいなよ」
 柚葉は侑志の皿から、サンドウィッチに刺さっていたピックを取った。柚葉の手の中で回る赤いプラスチック。目がちかちかして視線を上げる。柚葉が笑う。
「勘違いしないでよ。あんただから言ってるんじゃない。上手いやつがグランドに立つの、それ正当な権利じゃん。そんなの誰だってどこの学校だって一緒だよ。侑志だけ遠慮する必要ない」
 口調から意地の悪さが抜けていた。侑志はかえって薄ら寒くなり、何も言えずにレタスをひたすら裏返す。まずくなりそう、と柚葉が片手でその無意味を止めた。
「ねぇ、ホントに。侑志は届くんでしょ? 三年間あがき続けたって全然届かない人だっているんだよ。そういう人の方が多いんだよ。触れるとこにいるくせに逃げるなんて、そっちの方がズルくない?」
 柚葉は侑志の左手にある小さな水かきをつついている。ピックの先は針ほど尖ってはおらず、何も感じないわけではないが怒るほどの痛みでもない。
「永田のことだって知ってるでしょ。侑志だっていつそうなるか分かんないんだよ? チャンスが三回とも来るなんて、誰も保証してくれないじゃん。見えてるときにちゃんと追いかけてつかまなきゃ、ダメだよ」
 柚葉が静かに赤いプラスチックを横たえる。よく見ると爪にうっすらとラメがかかっている。暖色の明かりに細かく反射する。侑志は目を眇めた。
 よく見なければ気付かないものなんて、きっとたくさんあるのだろう。
「一つ食う?」
 サンドウィッチを指差す。いらなーい、と柚葉が間の抜けた声で答える。
「余計なエサ与えないでよ。太っちゃう」
「痩せてんじゃん」
「太ってからじゃ遅いでしょ」
 食うもん食わねぇと出るとこ出ねぇぞ、と言う代わりに、侑志はミモザサラダをかき込んだ。

 柚葉と別れた後、帰る道でロードワーク中の朔夜と遭遇した。
「せっかくだしキャッチボールしようぜ。グラブ貸してやる」
 そう言って強引に家まで連れて来られたのだが、その一軒家の庭がまぁ異様だった。
 フェンス、防球ネット、ケージ、ボールネット……バッティングセンターを一区画切り取ってきたかのようだ。朔夜が見せびらかしたくなるのも分かる。逆に、弟が自宅の場所を頑なに教えない理由も覚った。
「ちょっと待ってな。荷物取ってくる」
 朔夜は庭の割には飾り気のない玄関をくぐっていくと、真っ赤なスポーツバッグを手に戻ってきた。やはりスラィリーのキーホルダーがついている。
「新田走る元気ある? 父さん帰ってきてるし、うちの庭じゃやりづらいだろ」
「走れます。バリバリ元気っス」
「そっか。マネジと併走とか、いかにもって感じだけどな。皓汰寝ちゃっててチャリ借りれないから、まー頑張れ」
 朔夜はからから笑って、銀色の自転車のチェーンロックを外す。どういう『いかにも』なのか確かめられず、侑志は口ごもって俯いた。
「つか新田、ンな上までチャック閉めて暑くないの?」
 朔夜に指差され首元に手をやる。脱いではみたもののどうしたものか。
「貸しな」
 朔夜がパーカーを引ったくり、慣れた手つきで畳んで、鞄と一緒に自転車のかごに入れてくれた。
「んじゃ、行くべ」
 侑志は走る前から赤くなり、朔夜の後について駆け出した。
 近所ではあるが、この辺りは侑志の行動範囲外だ。朔夜だけを頼りに未知の風景を進んで行く。
「あそこに見える工場な、父さんの職場。神崎金属、別名ヤンキー再生工場」
「何すかそれ」
「社長が元ヤンの人情家で、ブラブラしてる兄ちゃん見ると拾ってくんの。父さんもそん中の一人」
「監督、元ヤンなんですか」
 意外と言えば意外だが、しっくりくるようでもある。いつも煙草の匂いがするし……というのは偏見か。
「地元は死んでも離れないっつって、そのくせ野球と煙草しか知らなかったらしくて。社長は父さんの監督になるっていう夢知ってたし、無職じゃ学校から許可下りねぇぞって仕事くれてさ。今も部活のために融通利かせてもらってるしな、父さんも頭上がんないんだよ」
「へぇ」
 この町に散らばる、桜原家の記憶の欠片が一つずつ手渡される。
 朔夜が友達とよく遊んだ広場。弟と通った小学校。監督の同級生の家だという個人医院。数年前まで駄菓子屋があったという空き地。
 過去の朔夜たちの輪郭がおぼろげに見え始める。透明なパステルで描かれたように不確かで、目を凝らしても捉えきれない。けれど気配は確かに感じる。侑志は見えない後ろ姿に、今の彼らの面影を求める。間隙を埋めようと試みる。
「この一本向こうの道んとこ坂野んち。デケー犬がいんだけどさぁ、いつも寝てんの。アレじゃ番犬になんねーよな」
「……そすか」
 幻想的な実験は、ものすごくくどうでもいい情報によって強制終了となった。
 さっきまで散らかっていた時間も、何事もなかったかのように整然としている。どこの都道府県にもありそうな、平凡な住宅街だ。細い路地とイチョウ並木を抜け、知らない団地が目に留まった頃、ここだよと朔夜が車輪を止めた。
 いつもの『グラウンド』も大概だと思っていたが、こちらはもっとひどい。あの場所はまだ『公園の一部』として、『遊び場』としての意図を感じるが、今ここにあるのは用途不明の更地だ。
 ただフェンスで囲ってあるだけで、空き地なのか、公園なのか、私有地なのか、フェンスは危険防止と進入禁止どちらの目的で設置されたのかも分からない。大通りに面した道には街灯があるが裏側は暗い。夜になれば奥はほとんど見えないだろう。
『犯罪の温床』、というフレーズが浮かんできた。
「大丈夫、なんですか?」
「何が?」
 朔夜はさらりと返して自転車を押していく。後を追うとフェンスと一体化した扉が見えた。南京錠などはなく、粗末な鎖でくくってあるだけだ。朔夜は侑志に自転車を押し付けると難なく鎖を解いた。
 促されて中に入る。外から見た印象より広い。自転車を持ったまま立ち尽くしていたら、朔夜がフェンスから三メートル以上離れた所に置けと指図してきた。侑志は首を捻りながら、言われた位置に自転車を停める。普通こういうときは、フェンスの近くにと言うのではないのか?
 朔夜は後輪にU字ロックをかけ、鞄の紐とハンドルをナンバーつきのチェーンでロックした。
「厳重ですね」
「この辺、タチ悪ィのいっからな。自衛だよ」
 朔夜は平然と答えているが、実のところ高葉ヶ丘は恐ろしい町なのではなかろうか。城羽地域の治安だってそうよくはないけれど、こんなに警戒しながら暮らしたことはない。
 軽く柔軟をしてからキャッチボールを始める。山なりの球がゆっくりと行き来する。他人の癖がついたグラブは扱いづらい。
「そんでお前さぁ、どうしたいの!」
 朔夜のボールが胸元に来る。相変わらず精確なコントロールだ。
 この間の話の続きだと気付いて、侑志のボールは少し外れる。
「ちゃんと投げろよー」
 文句を言いながらも、朔夜はどこか面白がっているように見えた。
 太陽が赤らんでいる。足元の砂はオレンジ味の粉ジュースをぶち撒けたようだ。ボールもまるで橙。握ると手の平にいくつものくぼみが吸いつく。
「俺は」
 車の走り去る音。道を行く中学生のお喋り。
 マジでーお前もうマジメにやれよー。ふざけんなよ超やる気なくすわー。
 ボールが往復する間にゲタゲタ笑う声が遠ざかっていく。
「俺が、欲しいのは」
 大して動いていないのに喉がひりついた。
 勝ちたいって、それは嘘じゃない。このチームで上に行きたいって、だけど『俺が』どこに行きたいかなんて、全然考えてなかった。一人ひとりが存在しなければ、チームなんて存在できないのに。俺はそのうちの『一人』なのに。
 だから。
「俺は!」
 いつまでも間抜けに一人称を繰り返しているわけにいかなかった。
 侑志はもう、己の言葉で、己の願望を叫ばなければならない。マウンドと同じ。『新田侑志』は、誰も肩代わりしてくれないから。
 痛いほどの西陽の中で、背筋を伸ばして。
「俺は、1も7も欲しくありません」
 侑志の指を離れたボールは、朔夜から大きく逸れて地面で跳ねた。転がっていって自転車の前で止まる。
「一桁の背番号は、いらないんです。俺よりそれを背負うのに相応しい人がいるのは知ってるから、奪おうなんて思わないです。俺にとって、それは卑屈でも遠慮でもないんだ」
 朔夜が歩いていってボールを拾い、片膝をついたまま侑志を見上げた。侑志は黒すぎるほど黒い朔夜の瞳を見つめ返した。
「こないだ、どうしたいのって訊かれて、ずっと考えてました。自分のできること。したいこと。先輩たちのこととか」
「うん。言ってみな」
 朔夜の声はやわらかい。余計に胸を詰まらせながら、侑志は言葉を継ぐ。
「俺は永田みたいにも、早瀬さんみたいにもなれません。でも、二人のなれないものにはなれる。だから、二人が安心して後を任せられるような、誰より頼れる控えになりたい。俺じゃなきゃ背負えない番号をもらえるやつになること。これが俺の目指す『一番』です」
 ダメですか、と侑志が居直り気味に問うと、朔夜は黙って立ち上がりボールを見せた。侑志が構えると、グラブに重い衝撃がくる。落とさないようにしっかりとつかむ。怒っているのかと思ったが、違うとすぐに分かった。
 朔夜は粛然とした佇まいでそこにいた。マウンドへの道を閉ざされ、別の一番へ向かう覚悟を決めた彼女だ。同じ選択をした者を批難しはない。
「ボールバック!」
 いくらかの無言のやり取りの後、朔夜がおどけた調子で終わりを告げた。侑志は丁重に返礼のスローをする。
 朔夜は綺麗に受け止めて、短い髪を揺らし微笑んだ。
「帰ろっか」
 帰りは侑志が自転車を押し、二人で並んで歩いた。紺色に染まった空の下方では、茜色が名残を惜しむように淀んでいる。
「朔夜さんは、どうして変化球いっぱい覚えようと思ったんですか?」
 侑志が問うと、んー、と朔夜は左手を顎に当てる。
「他にすることなかったからかな。身体できるの早かったし」
 女だからさ、と朔夜は笑った。からっとした声が色づいた雲間に吸い込まれ、侑志は目を伏せる。朔夜が肘で突いてくる。
「な、な、新田。変化球いくつ言える?」
「えっと」
 侑志は片手をハンドルから離し、下唇に触れる。
「……スライダー?」
「スクリュー!」
「カーブ」
「ナックル!」
「フォーク」
「ジャイロ!」
「シュート」
「パーム!」
「何でさっきから微妙にマニアックなんすか。シンカー」
「スプリットフィンガーファストボール」
「えー」
 侑志は少し逡巡してから、ぽつりと言う。
「チェンジアップ」
「はっは、地味!」
 朔夜は腹を抱えて笑った。侑志がむくれると、朔夜は小首を傾げる。
「いいじゃん。主役のストレートを最高に活かす球。新田らしいよ」
 似合ってる。
 しっかりと目を合わせて言った後、朔夜は大きく伸びをした。侑志は黙って目を逸らす。正式な番号を決してもらえない背中が視界の隅で動いている。
「朔夜さんは、悔しくないんですか?」
 朔夜は、なにが、と穏やかに尋ねた。
「だって俺、すっげえヘタクソで、しかも一年坊で。どうしてずっと尽くしてきた自分じゃなくてこいつがって、思ったりしないんですか」
「ま、思っただろうな。四月のお前なら」
 侑志の背中を軽く叩き、朔夜は屈託なく笑った。
「今は思わない。岡本も永田も新田も、番号以上のもの背負ってあの山に立ってんだ。私は、お前らが転がり落ちないように支えてやりたい。それが私のマウンドの立ち方だって信じてる」
 お前の受け売りだけどな、とにやつく朔夜に、パクんないでくださいよ、と形だけの抗議をする。
 いつの間にか、二人とも空を見上げていた。
「まだ、こんなに明るいね」
 時計を見ると結構な時刻だった。いつの間に、こんなに日が伸びたのだろう。
「夏だね」
 車輪は次の季節へ、滑らかに密やかに廻っている。