14話 Faker’s Foolish Fest. - 6/10

幕間・もうひとりのマネージャーと手負いのエース

『文化祭、一緒に回らない?』
 永田慶太郎(けいたろう)に尋ねられたとき、琉千花は新田侑志から受けた仕打ちをようやく理解できた。
 九月の昼休みでは永田の顔の赤さも運動や夕陽のせいではなかったし、落ち着きなく視線をさまよわせる仕種もこのうえなくわかりやすい。
 もはや思い上がりや勘違いの域ではない。永田はきっと、琉千花に仲間や友人以上の好意を持っている。琉千花は新田を見つめるのに手一杯で、自分に向けられた視線にずっと気付かなかった。新田が朔夜を見つめるのに夢中で、琉千花の祈りなど眼中になかったように。
 琉千花はカーディガンの左袖を右手でさすった。冷房対策に着ている上着も廊下ではただ暑いだけだ。
「みんなと都合が合うならいいよ。私から新田君たちと井沢君に声かけとくね」
 笑いかければ、永田の顔がわずかに歪んだ。これぐらいの逃げは打っておかねば琉千花がもたない。罪悪感を封じ、何気ない挨拶をして教室に戻る。
 次の休み時間に井沢を訪ねた。茗香(めいか)が一緒でもいいならと言われたので断った。そうそう会えないらしい二人を内輪揉めに巻き込みたくない。
 新田と桜原には声をかけなかった。
 当日、一年A組の前で待ち合わせた。このクラスは別の教室を使って出し物をやるので、空いたところを準備室として利用させてもらっている。
「るーちゃん、浴衣かわいいね」
「ありがと。どこ行こっか。私、特に希望ないんだけど」
「そしたら迷路行ってみない? てっちゃん午前当番なんだって」
 てっちゃん。井沢のことか。新田と桜原もいつの間にか名前で呼び合っているし、琉千花は男子たちの仲良くなるスピードについていけない。
 顔を見られないようあごを引いて、無理やり女子の名前を出す。
「茗香ちゃん来るんじゃなかったの?」
三住(みすみ)さん教会のミサに出てから来るらしいよ。てっちゃんはその間にクラスのお勤めするんだってさ」
 話しかけてくるのは永田ばかりで、富島は一歩下がってあくびを噛み殺していた。永田が手にしたパンフレットは、生徒用の紙が藁半紙だということ差し引いてもくたびれている。読み込むほどの内容もないだろうに。
 それからしばらくは井沢と茗香の話になった。夏休みの騒動の後、井沢はもう一つ部屋の多い物件に引っ越したのだそうだ。子供用の小さなキーボードを中古で買って、ヘッドホンをして狭い自室で弾いていると笑っていた。長らく遠ざかっていた茗香の家にも遊びに行くようになったらしい。
「お、いらっしゃい。野球部のお客さん一号だな」
 教室の入り口で受付をする井沢の声は弾んでいた。明るい子だと春から感じていたけれど、今の笑顔を見るにこれまではだいぶ無理をしていたのだろう。
 琉千花としては、あの綺麗で勇気ある女の子を幸せにしてくれるなら何も言うことはない。
「二人だけ? 他の連中は?」
「新田君たちは知らない。あっちゃんは展示見てくるって。興味ないからいったん別れた」
「えー、慶太郎もオレと桜原の絵見てってよ」
「そっか、選択授業のも飾られてるんだ。てことは新田君とあっちゃんのもあるよね。後で行こっかな。それで、ここってお金払うの?」
「タダ。入場者数は記録すっから半券だけ持ってって。はい、るっちも」
 楽しんでねー、と井沢に手を振られて中に入った。
 外で出店をしている二年C組とD組、二クラス分の教室を使った大規模な迷路だ。同じく二教室をまたぐお化け屋敷との差別化をはかるためか、内装はファンシーで子供の目の高さにも絵が描き込んであった。
「私、方向音痴でこういうのよく迷っちゃうんだよね」
 琉千花は段ボールの壁を見回した。二メートル近い仕切りでは、上からコースを見下ろすこともできない。もう少し低かったところで、琉千花の身長では土台無理だけれど。
 永田はやんわり笑って、左手を壁から数センチ離れたところに添わせた。
「こうやって壁を伝っていくと絶対出られるよ」
「そうなの? 絶対?」
「ゴールが真ん中にあるときは理論上無理らしいけど。あとは記憶力でなんとかすればいいんだよ。行こ」
 右手が差し出される。琉千花は首を振った。
 永田が嫌だというより、彼の手に触れることが怖い。日常生活には支障がないとはいえ、未だマウンドに戻らないエースの利き手。繋いだまま転んでしまった日にはどんな負担をかけてしまうか。
 永田は浮いた右手を引っ込めて、真っ赤な顔を覆った。
「ごめん。こういうとこ入るときいつも妹と一緒だから、癖になってるみたい」
「妹さんいるんだね」
「うん。三人いる」
「四人きょうだい? うちと一緒かぁ」
「ううん。弟もいるから、僕んちは五人」
「五人も?」
 琉千花は口を開けて永田を見た。今日び四人きょうだいでもめずらしがられるのに、もっと多いなんて生で見たのは初めてだ。
「下の子たち、いくつなの?」
「弟が中二。上の妹が小五で、下二人は双子で小一」
「結構離れてるんだね。私、末っ子だから年下のきょうだいうらやましいな」
「うるさいだけだよ」
 永田はまんざらでもなさそうだった。でも、ときどき無神経なことを言うのもそのせいかな、と思う。人数が多いと家庭内でのやり取りが雑になる気がする。あくまで琉千花の仮説だが。
 それから少しきょうだいの話をした。長子は長子で大変そうだと感じただけで、あまり共感はできなかった。わかるわかると頷いたのは、食べ物に名前を書くことぐらい。
 永田がしきりにさすっている首は、インナーウェアの高さできっぱり色が分かれていた。野球部焼け、とみんなが呼ぶ。朔夜は同じ焼け方をしているけれど、琉千花は厚塗りの日焼け止めをやめたところでおそろいにはなれない。
「そういえば永田君、背がすごく伸びたよね」
「そうかな?」
 振り向く視線の高さを琉千花は意識したことがなかった。そんなはずはないのに、今さっき伸びたような錯覚を覚える。
「そうだよ。次の衣替えには、学ランの袖もちょうどよくなってると思う」
 琉千花の言葉に永田ははにかんだ。心臓がぎゅうぎゅう小さくなる。
 ねえ、わかったよ、新田君。
 相手が好きな人じゃなくても、優しい顔をすることぐらいできるんだね。自分のことを好きでいてくれるってわかっても、迷う選択肢に入らないことだってあるんだね。
 全部全部、君にとって私がそうだったみたいに。