14話 Faker’s Foolish Fest. - 5/10

嘘つきたちのお祭り 1

「じゃあ試合出られなかったの?」
 柚葉の問いに、侑志は片手で目をこすりながら頷く。
 八月三十一日。リビングのテーブルには数学の問題集が放り出してある。
「あの日、特別熱高くてさ。困るよな。医者行ってもどこも悪くないって言われるし」
 侑志の微熱はもう三週間近く下がらない。解熱剤を飲んでも効果がなかった。朦朧とするというほどではないが、寝起きのようなだるさがずっと続いている。
 部活も勉強も捗らない、病院を梯子する羽目になる、もうスケジュールがめちゃくちゃだ。
 柚葉が眉を寄せて頬杖をつく。
「なんで原因わかんないのかな。現に熱出てるのに」
「まぁ。そのうち治んじゃね」
 侑志は視線を逸らして答えた。
 本当は少しだけ心当たりがある。最後に連れていかれた長北医院で、院長――皓汰の主治医の父親が言っていた。
『心因性発熱かもしれないね。大きなストレスに心当たりは?』
 毎夜うなされる夢の内容など誰にも話せるはずがない。
「それよりごめんな。宿題手伝ってもらって」
 侑志は出しっぱなしだったジュースのボトルを手にして、柚葉のコップに注いだ。父好みの一〇〇パーセントオレンジ。暑くて紅茶を淹れる気にもならず失敬した。
 柚葉は笑ってグラスを口に運ぶ。
「いいよそんなこと。あたしにも侑志にしてあげられることあって嬉しい」
 岩茂学園八王子は高葉ヶ丘より偏差値が高い。あたしはエスカレーターだからそんなに、と柚葉は謙遜していたが、少なくとも数学の理解度は侑志より上だった。申し訳ないけれど正直意外だ。
「おじさまたち、今日は何時に帰ってくるの?」
「知らね。お袋はまた十時ぐらいじゃねぇの。親父はそのうち帰ってくると思う。土曜だし」
 柚葉と恋人同士になったことは両親に伝えていない。それでも父は、二人きりで部屋にこもらないようにと真面目な顔で釘を刺してきた。友人同士の頃なら下衆な勘繰りだと反発したであろう言葉にも、懸念が現実に近づいた今は素直に従った。両親がいようといまいと、柚葉と話すのは変わらずリビングだ。
「せっかく夏休みなんだし、本当はデートとか連れて行ってやれたらよかったんだけど。いつも来てもらってばっかだもんな」
 侑志は勉強道具をかき集めて端にそろえた。解けたからといって、叱られない以外にメリットも見えない問題集を。
 実際デートに行くとして、どこに誘えばいいだろう。映画? 遊園地? 水族館? 柚葉は、一緒ならどこでも楽しいよと言ってくれそうな気がする。想像はつくけれど気乗りする場所がない。
「柚葉。どっか行きたいとこあるか? 治ったら出かけよう」
 額に左手の甲を当て、侑志は芸もなく問いかけた。肌は水を弾きそうに乾いている。
 柚葉は胸の下で腕を組んで考え込んだ。つり目がちな彼女が黙り込むと怒っているようにも見える。侑志はむしろその鋭利さを気に入っていた。
 高校生の身空だ。行ける距離も、時間も限られている。選択肢はそんなに多くないはずなのに、柚葉は真剣に悩んでいた。決めるのを放棄した恋人の代わりに。侑志は頬を緩ませながら同時に泣きたくなる。
 今決めなくてもいいよと言おうとしたら、柚葉が急に身を乗り出してきた。
「ね、タカコーって文化祭いつ?」
「え、明けてすぐ。九月の二週目」
 答えたとき皓汰と琉千花の顔が浮かんだ。夏休み中もクラスメイトは出し物の準備をしているはずだ。この状態ではかえって迷惑になりそうで、侑志は一度も顔を見せていない。
「じゃあそこで決まり。案内してよ、侑志がいつも過ごしてるとこ」
 晴れやかな笑顔に、侑志は口の端を上げて頷く。
 柚葉の好きなところはいくつでも挙げられる。今の笑顔も、気の遣い方も、拗ねたときの口調も、手持無沙汰で髪を指に巻き付ける癖も、必ず切りそろえられている綺麗な爪も。
 それなのに、柚葉が『恋人』になってから、二人きりでいると胸に重い霧が立ち込める。叫びながら振り払いたくなる。
「十五日と十六日。日曜と振替の日は外部公開してるから、好きな時間に来ていいよ。正門着いたら電話くれ。迎えに行く」
 優しげな声で優しげなことを言った。柚葉はにこにこと侑志を見つめている。
 微熱が気になる。横になりたい。本音を口にする代わりに、柚葉の学校の文化祭について尋ねた。嬉しそうに語り出す彼女の顔を見つめるのが精一杯で、内容は頭に入ってこなかった。
 胸の霧は不快な温度で留まり続ける。
 ぼんやりと、眠るように、嘘のように夏が終わっていく。