13話 My Buddy,My Blood - 5/7

翳る太陽

『OBチーム、出場選手の紹介です。
 一番、セカンド、笹山(ささやま)君。第八一期、食品メーカーにお勤めです。
 二番、センター、岡本史宏(ふみひろ)君。第一〇〇期入学・岡本堂弘(たかひろ)君のお兄さんです。
 三番、ショート、平橋君。第八一期、世界史担当教諭をしておられます。
 四番、ピッチャー、桜原太陽君。第八〇期、製造業に従事しておられます。
 五番、キャッチャー、新田総志君。第八〇期、現在転職活動中です。
 六番、サード、福盛君。第八一期、修行を経てご実家の居酒屋に戻られました。
 七番、ライト、(しば)君。神崎(かんざき)金属工業株式会社より参戦です。
 八番、ファースト、国分(こくぶ)君。第八二期、運送業に従事しておられます。
 九番、レフト、長北君。第八〇期、長北医院の副院長を務めておられます。
 記録員と放送はわたくし月村雪枝が担当いたします』
 真夏に急に押さえたにしてはいい球場だ。
 月村の声も綺麗に響いている。
『続きまして、現役チームの紹介です。
 一番、センター、三石君。俊足が自慢の二年生。
 二番、キャッチャー、富島君。背番号2を受け継いだばかりの一年生。
 三番、サード、坂野君。副主将も務めます、強肩の二年生。
 四番、ライト、岡本堂弘君。投打においてチームの要、二年生。
 五番、レフト、新田侑志君。頼れる左腕、期待の一年生副主将。
 六番、ファースト、八名川君。主将として初めての大仕事、二年生。
 七番、セカンド、井沢君。のびやかなプレーが持ち味の一年生。
 八番、ショート、相模君。負傷中の桜原皓汰君の代役で参戦します、三年生。
 九番、ピッチャー、桜原朔夜君。弱気なサインに首を振るサウスポー、二年生。
 記録員は一年生、早瀬琉千花さん。
 主審は神崎金属工業株式会社取締役、神崎久吉(ひさよし)さん。
 塁審は各自スポーツマンシップに則ってお願いいたします。以上、両チーム整列してください』
 そこはかとなく言い回しが古い。あの原稿誰が書いたんだろう、と思いながら侑志は走ってグラウンドに出た。
 試合は五回まで、延長なし。向こうの体力の問題。
 本塁へのスライディング禁止、安全のためクロスプレー回避。
 タイムの回数制限なし。
 ベンチに下がった選手がもう一度出てもよし。
 ユニフォーム着用は現役のみ、OBは各自スポーツウェア着用のこと。
 などなど、独自ルールの多い非公式試合だ。
 とはいえ部員の心は一つ。
「よろしくお願いします!」
 あの舐め腐ったオッサンたちを叩き潰したい。今はそれだけだ。
 先行はOBチーム。
 朔夜の全球ストレートの前に三者凡退に終わった。
「笹山も平橋も使えねぇな。いやうちの朔夜が天才すぎるだけか?」
「はっはっは、フミくんざまぁ!」
 野次OKの試合とはいえ、桜原・森貞両監督は一回表からトップスピードだ。
 一回裏、現役チームの攻撃。
 投手の監督(響きに矛盾を感じる)はあっさり三石を出塁させた。大胆なリードに牽制を繰り返しているのは指導かもしれない。
 意図はどうあれ走者。こちらは富島、坂野、岡本と強力な打者が続く……はずが、全員過去に類を見ない醜態をさらして戻ってきた。
 三人はそれぞれ別の方を向いて黙り込んでいる。
「えっと、大丈夫か?」
 先輩には声をかけづらいので富島の肩を叩いた。振り返る富島は顔を真っ赤に染めていた。
「お前の親父、とんだ狸だな!」
「ハリーハリー。守備そろわないうちに打っちゃうよ」
 ネクストにいる父はにやにや笑っている。
 二回表。
 監督と父が出塁したが、三石曰く『はつはつのおっちゃん』以降、三人連続で打ち取ったため無失点だった。
 裏の打順は侑志からだ。バッターボックスに入りながら、父より先に口を開く。
「三人に何言った?」
 この試合は『しゃべっている間に投げなければ会話自由』。フィジカルで劣るOBたちは、メンタルでゆさぶりをかけても構わないということだ。
 マスクの下で父が笑うのが分かる。
「僕は君たちが思っているよりいろいろつかんでる、ってぐらいだよ」
「あんま性格悪いことばっかしてっと、母さんに嫌われんぞ」
「かわいいねぇ侑志は。美映子さんはね、僕の性格が悪いことなんて百も承知なんだよ」
 シンプルに、このオッサン殴りてぇなと思う。
 父の頭に振り下ろす代わりにバットを構える。監督には打撃投手をしてもらうこともあるが、本気で向かい合うのは初めてだ。
 印象としては、永田と朔夜を足したよう。スリークォーターの左腕は父の小細工抜きでも伸びやかな球で侑志を空振らせた。
 けれど全部ストレートだ。
「侑志もそうなのか」
 球種を報告すると、森貞臨時監督は太い眉を寄せた。他の面子も全員そうだったらしい。
「コーチのささやき戦術が露骨だから気になってたんだ。監督は変化球も持ってるし、五回までの模擬試合で温存も何もないと思ってな」
「監督、本調子じゃないってことですか?」
 侑志はマウンドの上の桜原監督に視線を向けた。ちょうど八名川がやられた直後だ。監督はときおり白い歯をのぞかせ、チームメイトからの野次に答えている。普段の練習中には見せたことのない顔だった。
「今日の父さんはすごく好調ですよ。多分、ここ数年なかったくらい」
 朔夜が通り抜けざまに言った。ネクストに向かってしまった彼女に問いを重ねることはできなかった。
 相模がファーストゴロでアウト。走者井沢を残しチェンジ。
「何にせよ、俺はお前らを勝たせたいよ」
 森貞は真剣な顔で呟いた。
「大事な場面でそばにいてやれなかった。だからどんなふざけた試合だろうと、最後に勝ちをやりたい」
 侑志にできることもただ、彼らに勝利を捧げることだけだ。

 三回表。
 医者先生と一番打者はどちらも振り遅れてアウトになった。朔夜は変化球を使い始めたらしい。レフトからでは見えないけれど。
 次いで岡本兄が果敢に出塁、平橋も続こうとしたが、相模・井沢の二遊間が好プレーで阻止。ハイタッチしていた。井沢はともかく、ノブさんのノリがいいのはめずらしいなと思う。随分リラックスしてくれているみたいだ。
 侑志はベンチに戻った。
 次の打順は朔夜から。礼も言わずに弟からメットを受け取る。バッティンググローブに手指を滑り込ませる。
「永田。そろそろお前投げるか」
「いいんですか?」
「監督とコーチだけ譲れ。打つのも私がやる」
 これだけのいいとこ取り宣言をして、不遜や我がままどころか当然のことに聞こえるのがずるい。
 朔夜が急に顔を上げる。とっさに目を逸らして、なんだよと笑われた。笑われたのに、それすら嬉しいと感じてしまった。
 朔夜は右手でバットを持ち、左手で侑志の右肘を叩く。
「もうすぐだよ。侑志。もう楽にしてやる」
 やわらかな声音に、あるフレーズが電撃のように走った。
『罪悪であるからには何れ糺されねばなるまい。』
 櫻井朔の。どうして、こんなときに。
 朔夜は侑志と初めて会った日のように、鮮やかに打球を外野へ引っ張った。小太りのサードがもたついている間に三塁まで到達。
 何故か打たれた監督が満足げで、長打の朔夜は暗い面持ちだった。
 続く三石は凡打。
「だみだー、スクリュー朔夜より曲がらんけど朔夜より落ちるー」
 ついに変化球を使ってきた。小手先のごまかしを捨てたということは、OBバッテリーも本気か。
 しかしこちらのバッテリーも意思疎通では負けていない。端からはノーサインに見える富島のスクイズで朔夜が生還。一回では無様だった坂野も朔夜の後とあっては奮闘し、二死一塁だ。
「監督、めちゃくちゃいい顔してんな」
 森貞臨時監督が呆れ顔で言ったのは、もちろん桜原太陽選手のことである。侑志はネクストバッターズサークルに向かいながら監督を見た。
 にやにや笑っていた。真顔に戻ろうとしているようだが、上手くいってはいない。走者を気にする気配も、打者と対する姿勢も、捕手である父との無言のやり取りも、内野も、外野も、両ベンチも、全てが監督の青さに飲み込まれて瑞々しさに満ちる。
 あの人は今このとき、俺たちと野球してるんだ。
 当たり前の事実に真摯に頷き、侑志は二死一・二塁のチャンスをつくった岡本に続いて打席に立つ。
 初球のスクリューはいったん浮いて落ちた。ワンボール。
 二球目もスクリュー。わずか振り遅れてワンストライク。
 三球目、ストレート。
 快音。白球はフェンスを越え枝葉を激しく揺らす。
 歓声はなかった。監督を呼んだ父の声はほとんど悲鳴で、侑志は一塁に向かう途中で立ち尽くしていた。
 監督はマウンドで左肩を押さえてうずくまっている。父も医者先生も守備位置を放り出しそばに膝をついていた。特に医者先生の剣幕は今にも監督に殴りかかりそうだった。
「る、せえ、黙れ!」
 監督は割れた声で父たちの手を振り払い、ふらふらと立ち上がった。俯いたまま右手のグラブを大きく振る。
「てめえら、ホームランだろうが、全員、全部、ベース踏め。さぼるんじゃねえ」
 常よりも乱暴な口調だった。侑志たちは粛々と塁を回る。その間も監督たちはずっと揉めていた。
「何でもねえって言ってんだろ! 邦克はいちいち大袈裟なんだよ」
「何が大袈裟だ。お前あの頃自分がどんなだったか分かってるのか!」
「長北、頼むからもうその辺で。桜原も落ち着いて」
 通り過ぎざまに聞こえた会話は不穏そのものだ。
 主審である取締役の判断で試合は続行されたが、監督の球は明らかに力がなくなっていた。にもかかわらず八名川は三球三振で戻ってきた。
「すみません」
 八名川が森貞の前で頭を下げる。メットを握りしめる手は震えていた。
「コーチが、バカな頼みなのは承知でアウトをくれないかって。泣きそうな声で。いくら模擬試合でもこんなの聞くのバカだって解ってたのに、断れませんでした。すみません」
「うん」
 森貞は静かに頷いて、八名川の爪を割ってしまいそうなメットを取り上げる。
「ここで平気で打つようなやつなら、俺はお前にこの部を頼んでないよ。為一」
「すみません」
「いいんだ。守備つけ」
 間の悪いことに打順は監督からだった。
 バットヘッドを引きずりながら――普段ならば道具が傷む扱いは許さないのに――打席に入った監督は、見当違いの軌道で思いきり三振した。
 次の父は、朔夜の初球を真上に打ちさっさとベンチに戻った。狙ったとしか見えない綺麗な上げ方だった。
 父親たちの異変を横目に、朔夜は約束どおりマウンドを永田に譲った。永田は難しい顔で簡単に次の打者を切った。
 攻守交替。監督は向こうのベンチでアイシングしている。出る出ないで言い争っているようだ。止めようとした平橋が右手で殴られていた。
「朔夜、皓汰。監督って家ではあんな荒れ方するのか?」
 相模の問いには二人とも首を横に振る。
「怒った顔自体久しぶりに見ます。あんまり感情が外に出ないんで」
「殴ったりとか、そこまでして通したい我もない人だと思ってました」
 朔夜は存外冷静だったが皓汰は落ち着かない様子だ。姉のそばはかえって居心地が悪いのか、侑志にくっついている。
 侑志は、岩茂八王子戦での監督の発言がずっと引っかかっていた。
『俺は投げたかった』
 あの人は、どこの後悔を今も引きずっているのだろう。
 周囲の制止を振り切り、桜原太陽は一人マウンドに立った。