13話 My Buddy,My Blood - 4/7

遠足気分

「新田さん、ご無沙汰してます」
「久しぶり。こちら息子の侑志です」
 似たようなやりとりも三回目だ。学校の駐車場はまるで同窓会の会場だった。
 父が後輩とやらと話している間に、一歩ずつ距離を取っていく。五歩離れたところで皓汰にぶつかった。
「侑志も挨拶疲れ?」
 皓汰はくたびれた声で言った。朔夜は小さい頃から父親の職場に顔を出したり、商店街で買い物をしたりと大人たちと交流があったらしい。一方の皓汰は、監督の周囲とはあまり面識がないのだそうだ。
 そろってため息をつく。
 監督たちの輪から一人外れて、知らない大人がこちらに近づいてきた。身構える侑志と反対に、皓汰は彼に駆け寄っていく。
邦克(くにかつ)センセー、おはようございます」
「はいおはよう、皓汰」
 先生と呼ばれた男性は、手のひらを上にして両腕を曲げる。何をしているのだろうか。皓汰が右手を出すと手首の周りに触れ始めた。
「こっち曲げるとどう?」
「全然平気です」
「今日から試合に出てもいいよ。ただし違和感があったらすぐやめること」
「んー、せっかくなんでもう少し休みたいです。今日は朔夜もいるし」
「ちゃっかりしてるんだよなぁ」
 はい終了、と男性は皓汰の手を放した。
 侑志の視線に気付いたか、男性がこちらに顔を向ける。父のものより華奢な眼鏡の奥で、やわらかく目を細める。
「君は新田くん? お父さんと同級の長北です」
「あ、ど、どうも。息子の侑志です。父がいつもお世話になってます」
 経緯からして『いつも』は世話になっていない気もしたが、一応定型句を言っておいた。長北は小さく二度頷いた。
「今日はよろしく」
 それだけだった。拍子抜けする侑志に、深入りしない人だからと皓汰が苦笑する。
「それより侑志、今のうちにるっちと話してきなよ。バス乗って向こう着いたらすぐ試合だよ」
 監督を中心に盛り上がる保護者と、森貞を中心に笑い合う現役生、どちらからも離れたところに琉千花が立っていた。侑志は意を決して歩み寄っていく。琉千花は逃げも惑いもせずに、侑志を見上げて痛々しく笑った。
「おはよう、新田君」
 作ってくれた『日常』に黙って乗っかるのはあまりに卑怯だと思ったから、侑志は悪目立ちしない程度に頭を下げた。
「ごめん。動転してたとか何の言い訳にもなんねぇの解ってるけど」
「ううん。いっぱい謝ってくれてありがとう」
 侑志に触れそうだった琉千花の手は、腕の二センチ横の空気を撫でてゆっくりと下がった。そのまま、人形のように小さな指は身体の前で組まれる。
「追い詰めちゃってごめんね。私、新田君がいつもどおり笑えない方がつらいから。もし、友達として仲直りしてくれるなら」
「うん」
 侑志は右手を差し出す。こんな勇気、彼女が振り絞ってくれたものに比べたらどうということはない。爪の先までかわいらしい指が解かれて、侑志の右手をそっと握って、ようやく胸のつかえが取れた気がした。
 自分一人が楽になっただけかもしれないけれど、感謝の証にどうにか笑う。琉千花の表情もすうと和らいだ。
「新田君、集合だって。行こう?」
「そうだね」
 言いながら自然と離れた。並んで歩かず、それぞれ仲のいい相手の元へ向かった。
 定刻になり、学校近くの公道にバスが停まる。
 座席は前もって決めてあった。くじ運の悪いことに、侑志の行きの位置は父の真後ろ。皓汰は侑志の隣で監督の真後ろ、さらに皓汰の後ろに朔夜、なんと桜原一家が縦並び。
 父が座ったまま後ろを覗き込んでくる。
「家族旅行みたいで楽しいねぇ侑志」
「黙って」
 ここでおじさんたちがどっと笑う。バラエティ番組みたいに。着くまで一時間近くこの調子かと思うとぞっとする。
 だがバスが動き出してすぐ、大人たちは大人同士で世間話を始めた。後ろは後ろで騒がしい。岡本の兄が月村雪枝を連れてきたことについて、森貞がねちねち文句を言っているのだ。
 聞いていて身になる話でもない。せっかくの空き時間をもう少し有効に活用することにする。
「なぁ、皓汰って本好きじゃん」
「藪から棒に何?」
 皓汰はいちごミルクのペットボトルを開けながら答えた。そんなのどこに売ってるんだ、というのは大いに疑問だが今は置いておく。
「櫻井朔って知ってる?」
 皓汰が容器の口に向かって思いきり咳き込んだので妙な音が響いた。それに驚いたのか前の席の監督もむせた。
「ど、どこで知ったの?」
 皓汰は舌に届かなかった飲み物を脇にしまった。こんなに動揺するということは、やはりマイナーな作家なのだろうか。
「漱石読んだ話したら、ミハル先輩が教えてくれた。図書室の奥の寄贈棚にあったんだよ。タカコーのOBらしくてさ」
「ふうん」
 皓汰は興味がなさそうな声で自分のあごに触れる。
「読んだの? 櫻井朔」
「まだ途中。この人の他の本とかどんな感じなのかなって気になってんだけど、図書室にもさすがに全部は置いてねぇみたいだから。どこで探せばいいんだろと思って」
「ちなみに何読んでんの」
「『日輪』っていうやつ」
 監督がまたむせている。煙草の吸いすぎなのではなかろうか。皓汰が真っ赤な理由はちょっと分からない。
「図書室にあるの、よりによって『日輪』なんだ」
「その本も読んだの? すげぇなお前。あれすげぇレアものなんだろ」
「ていうか、うち櫻井朔の著作全部あるから……」
 皓汰は左手で横の髪を耳にかけようとする。朔夜の癖だ。伏し目になるとやはり雰囲気が似ている。
「読みに来なよ。気が向いたら」
「じゃあ、今のやつ読み終わったらお邪魔するわ」
 うん、と皓汰ははにかんだ。まだ友達を招くのは特別なことのようだ。母親がいなくなっていろいろ考えるところはあるのだろうが、これぐらいは大したことではないといずれ思ってほしい。
「どこが気に入ったの?」
 皓汰が話を続ける。侑志は心に残った櫻井朔の言葉をさらい、共通点を見つけて手を打った。
「あれかも。好きな相手にほど想像が後ろ向きなとこ」
 今度は父がけたたましく笑い出し、監督が頭を叩いて黙らせていた。侑志たちとどちらが高校生だか分からない。
 ゆっくり、ゆっくりと。緊張感のないバスは、緊張感のない試合へと進んでいく。