本日の主役

「タク、お誕生日おめでとー!」
 バカみたいな円錐からバカみたいな紐が飛び出る。音は事前に耳を塞いでいたので平気だった。拓巳は眉をひそめて、自分の髪に引っかかった紙くずを払いのける。
「梨深はさ……クラッカーは至近距離で対人ぶっぱする武器じゃないって、毎年言ってるのに忘れるよね」
「えっ? 盛り上がるかなと思って」
「ふ、二人しかいないのに? どんなパリピだよ」
「ご、ごめん……」
 向かいに座った梨深はがっくりと肩を落とした。遮光カーテンを閉め切ったワンルーム、雨の日は夜のように暗い。
 2017年現在、西條拓巳は住所不定(正確には非常に転居の多い)無職である。いや、この表現ではまるで犯罪者なので仕切り直し。オンラインにあっては果敢に魔物を打ち倒す勇者、オフラインにあっては強大なる闇の組織に立ち向かうレジスタンス――。
「厨二すぎて虚しくなってきた。僕のジョブは現在ネオニート。極限まで外出の機会を削り、世界情勢に気を配りつつ連動した株の値動きにも目を光らせて生活費を稼ぎ、不自然な事態が起こっていないか人類を見守り続ける究極の自宅、いや世界警備員! その正体は童貞の引きこもりオタク、今日25になった」
「タク、また誰かにしゃべってる。ケーキぬるくなるよ」
 梨深が指差すテーブルの上には、どぎつい色をした塊。『  くん☆お誕生日おめでとう』とプリントされた金縁の紙が刺さっていて、空白部分に黒マジックで『たくみ』と書き殴られている。
「ど、どこで売ってるんだ、こんな雑なケーキ……パティシエやる気なさ杉」
「駅前のお店で予約したよ。一番人気だって」
「どこの層にだぁああ……大体何でホールサイズなんだよ、おかしいだろ常識的に考えて」
「だって後でナナちゃんたちも来るでしょ?」
「去年もそう言って全員ケーキ持ってきて地獄絵図になったわけだが!」
「だから今年は被らないように、アイスケーキにしたんだけど。タク、アイス結構好きだよね?」
「嫌いじゃない! でもアイスならなおさら何故に全員揃う前に出しちゃったか小一時間問い詰めたい!!」
 一通りツッコミを終えてから、拓巳は改めてその毒々しい物体を見た。紫と緑の混ざり合ったまだら模様の円形。汚染されきった地球はこんな見た目になる、と言われたら信じそうだ。
「ていうか、梨深こそ甘いもの苦手なのに。何で毎年懲りずに買ってくるの? Mなの? そういう僕には理解出来ないプレイの一種なの?」
「んー……」
 梨深は右のこめかみに人差し指を当てながら首を傾げた。問いの後半はものの見事にスルーである。
「タクミがね」
 梨深は何げなく呟いたのだが、拓巳の目許はぴくりと引きつる。何年経っても、彼女がその名を出すことには身構えてしまう。
 気付いた様子もなく、梨深は天井を見ながら独言のように呟いている。
「一度だけ言ったの。ホントに小さい頃、お誕生日に家族みんなでテーブルを囲んで、丸いケーキと、お母さんの手作りオムライスを食べたって……」
「知ってるよ」
 拓巳は目を伏せて、梨深が無計画に鳴らしたクラッカーの紙吹雪を、指先でつまんだ。
 その記憶なら拓巳にもある。七海と二人でグリーンピースだけきれいに避けても、その日だけは大目に見てもらえたことも。体験した事実などなくても、覚えている。
「そんな再現、僕は……全然、嬉しくない」
「そっか」
 ごめんね、と梨深は笑って謝る。どうせなら、じゃあどうすればいいの! と逆ギレしてくれればいいのに。梨深はいつも『西條拓巳』の幸福ばかり考えているから。
 拓巳はケーキの蓋を引っ掴んで、彼女にも自分にも不似合いな色を隠した。こんなのは祝い事に使うものではない。後でうるさいのが合流したらネタにする用だ。
「と、とにかく梨深はもう、金輪際僕の誕生日にケーキ買ってくるの禁止!」
「うん、わかった。それは来年も覚えとく」
「……その、かわり」
 拓巳はアイスケーキを持って立ち上がり、梨深に背を向けた。
「来年から、オムライス、作ってよ。メイド服で。それで、ケチャップで文字書いて。……2個作って。そしたら、梨深も、一緒に食べれる」
「あたしの、料理で、いいの?」
「ひ、火が通ってれば、おk。ただしグリーンピース、テメーはダメだ」
「うん。……うん」
 キッチンへ歩き出そうとして、止まる。腰を上げた梨深が、後ろから腕を回してきていたから。
「一年かけて、一生懸命練習するから」
「むしろ、これまで何やってたんだっていう」
「そうだね。ふふっ」
「あ、アイス。放してくれないと、と、溶ける」
「そうだね。溶けちゃうね」
 そのくせ、梨深は両手に力を込めてきて。背中に感じる吐息で、拓巳の方が先に溶けてしまいそうだった。
「ねえタク。来年も、再来年も、その来年も、あたしずっと、タクにお誕生日おめでとうって、言いたいな」
「ど、どうせこんなの、僕のホントの製造年月日じゃないんだろうけど」
「そんなこと言わないでよ。あたしは、生まれてきてくれてありがとうってタクに言える日、大事にしたいの」
「梨深……」
 鼓動が速まる。これは振り向いてもいい流れだろうか。あわよくば抱き合ってキスなど出来る流れだろうか。選択肢が出ないうえにオートセーブでロード不可なんて、現実は本当にクソゲーだ。この邪魔なケーキの箱も、クリック一つで差分に切り替わって消えてしまえばいいのに。
『じゃあ、そうしちゃえばいいんさ。梨深っちだって本音は期待してるって!』
 耳元でいつもの声が囁く。ああ、そうだよね星来。抱きついてきたのは梨深だし、離れないのだって梨深なんだし。何より、僕は――『本日の主役』。
「り、梨深ッ!!」
 声を裏返らせながら思いきり後ろを向く。勢いで梨深の手が外れて、驚きに見開かれた目がすぐそこにあって。射程圏内。このケーキさえどこかに置ければ……!!
「おーにーいー! おにーったらちょっと開ーけーてー!! 手がふさがってるのー!!」
「おぁああああああああああああああああああああああ!!」
 このインターホン+大声攻撃は間違いなく七海だった。拓巳は咆哮を上げながら両膝をつく。ピンポンしているのなら叫ばなくていいし、両手がふさがっているのなら妹はどこをどう使って音ゲーの難易度エクストリームよろしく呼び出しボタンを高速連打しているのだろう?
「ナナちゃん待ってー、今開けるー!!」
 梨深は走って玄関に向かってしまった。これはタイムオーバーでルート分岐出来なかったパターンだ、18歳未満お断りのゲームを合法に出来るようになって長い拓巳は床に転がりながら分析する。
「やっぱり誕生日なんて嫌いだ……」
 やがて部屋には六花繚乱。ただしどれ一輪、拓巳の手折った花はなく。
 こうして彼はまた一歩、魔法使いへ近づいた。