やさしくしたい - 5/5

冬乃

祈りは遠く
終わりは近く
四つの季節を並べてみれば
まぶしいほどに
焦がれるほどに

 

 乾いた冬の昼下がり。座ったまま横様に倒れた身体。
 女は窓に向けて手を伸ばしている。窓辺には丸い瓶が三つ並んでいる。
 女の母はまだ戻らない。男は妹の名を繰り返し呟きながらうずくまる。腕に抱いた箱の中には、スノードームが冷たく眠っている。

 

 昨年、高校生活で初めての文化祭。帰宅部の冬乃たちは暇を持て余していた。
『せっかくだから、みんなで何かしようよ!』
 冬乃が手を挙げたとき、秋奈の目に浮かんでいたのは『冬乃が言うなら』という諦めで、千夏は春子の出方を窺っていた。
 春子は短く、
『やるっていうなら半端なことはしないわよ』
 と言い放って髪をかき上げた。なんだかんだ、やるときは一生懸命で面倒見がいいのだ。
 その春子の発案で、モーニング娘。の『サマーナイトタウン』のPV風動画を録ることになった。自分が生まれる前に世に出た曲は、かえって新鮮に冬乃たちを惹きつけた。
 器用な千夏は、同じ生地を使って四パターンの衣装を縫ってきた。秋奈はああ見えてパソコンに強くて、撮った映像を動画として様になるよう編集した。
 冬乃がしたのは機会の提供ぐらいだったけれど、慣れないことを楽しんでいたのは四人とも一緒だったと思う。
 冬乃は暗い部屋で、スマホに保存された映像を繰り返し見ている。子供ではないが大人でもない、このときにしか似合わない青い衣装で踊っている四人。
 もう誰もいない。冬乃以外。
 冬乃は血のにじんだ爪を噛み続ける。
 独りになって、冬乃には未来が見えなくなった。三人はあんなに呆気なく死んでしまったのに、自分一人が大人になれるなんてどうして無邪気に信じられる?
「冬乃。お兄ちゃん帰ってきたわよ」
 しばらくして、一人暮らしをしていた大学生の兄が家に戻ってきた。本人や母はシューカツのためだなんだと言っていたが、実際のところ冬乃のためなのは明らかだ。
 二人ともどうにか冬乃を部屋の外に出そうとしてくるが、冬乃は無視を決め込んでいる。だって出たってどうにもならない。
 春子が他の三人を見下しているのは知っていた。
 千夏が春子を憎んでいることも知っていた。
 秋奈が心を開いているのは自分だけなのも知っていた。
 知ったうえで、冬乃は三人が好きだった。四人でいるのが好きだったのだ。
 新しい友達をつくる気はしない。どうせその人もすぐに死ぬ。父も冬乃が中学校一年生のときに死んだ。母も兄もきっとそのうち死ぬのだろう。冬乃を置いて。

 

 室温は日に日に下がり、冬乃はいっそう毛布から出ない。
 兄は毎日のように冬乃に何かを買ってくる。花。お菓子。ぬいぐるみ。一声かけてドアを開け、包みを入口に置いて去る。冬乃は目障りなそれを部屋の隅に積み上げていく。不毛な繰り返しだ。
 今日も何も考えず箱を重ねようとして、冬乃はふと手を止めた。
 丸い瓶のハーバリウム。ガラスに閉じ込められたピンクの花は、春子の好きだったプリムラに似ている。
 冬乃はフィルムをほどき、シリコンオイル漬けの花をしげしげと眺めた。死んでいるはずなのにまるで生きているみたいだ。
 次に兄が顔を出したとき、冬乃は『またハーバリウムがいい』と呟いた。兄は目を丸くした後、冬乃のそばまで歩み寄ってきて頭を撫でた。
「今度はどんなのがいい?」
 冬乃はうなだれて、紫陽花みたいな紫、と兄の服をつかんだ。
 春子はプリムラ。あざといほどかわいいピンク色。
 千夏は紫陽花。土の成分によって色を変えるやわらかな毬。
 秋奈は金木犀。花はささやかだけれど香りがとても甘い。
 それぞれに似た色の小瓶を買ってもらって、冬乃は動画の代わりに花を見つめるようになった。
 春子。お気に入りの白いワンピースのまま向こうへ行けて、幸せかな?
 千夏。本当は、青鷺先生なんかにはもったいないぐらいいい女だったのにね。
 秋奈。門を乗り越えようなんて、思い切ったことしたよね。そんなにおてんばだったの、うち初めて知ったよ。
 冬乃の瞳から、枯れたと思っていた涙があふれ出る。
 春子の趣味をもっと認めてあげれば、ちゃんと安全な撮影場所を探してあげればよかった。千夏が自分自身を認められるように、馬鹿な恋愛をもっと本気で諭せばよかった。お金持ちの両親に何を言われても、秋奈とずっと一緒にいたいともっと全力で伝えればよかった。
 神様。もしも奇跡が起こって、また四人一緒になれたなら。
 もっと、ずっと、心からみんなに優しくしたい。
 冬乃は鼻をすすって、並んだ瓶をひとつ、ふたつ、みっつ、指差した。
「また、うちだけ仲間外れだな……」

 

 冬乃はもう一度兄にお願いをした。花は思い浮かばなかったのでスノードームを頼んだ。丸い形は三個のハーバリウムに似ているはずだ。
「うんといいやつ買ってくるからな、待ってろよ」
 普通のでいいのに、と苦笑しながら冬乃は兄を見送った。
 車の音を聞きながら、母が用意した朝ご飯を久しぶりに食べる。
 わがままもこれで終わりにしよう。
 元気になるんだ。少しずつでも。
 自室に戻り、秋奈がいなくなってから初めてカーテンを開けた。くらりとするほど強い陽射だ。膝を抱えてひとしきり浴びる。
 この光をあの瓶に当てたら綺麗だろうな、とベッドの横のハーバリウムを持ち上げた。ひとつずつ出窓に置いていく。色とりどりの光の破片が白い壁に散らばる。
 ほら、やっぱり綺麗だ。
 ――焦げ付くようなにおいがする。
 だんだんまぶたが重くなってきた。満腹のせいか、毎晩飲んでも効果のなかった睡眠薬がやっと効き始めたようだ。今なら悪い夢を見ずに眠れる気がする。冬乃はベッドに横になり、ゆっくりと目を閉じた。
 ――爆ぜるような音がする。
 よく休んで、力を取り戻して、まず母と兄を安心させよう。それから、あの三人の分までちゃんと大人になるんだ。たくさん生きて、生きて、この世がどんな風に楽しかったか天国で三人に教えてあげるんだ。
 ――あたたかい。暑いぐらいに。
 丸型の容器が一ヶ所に集めた光は、ほんの二分ほどで火を熾した。火は乾燥した空気の中で炎になった。レースカーテンが燃え盛るまでいくらもなかった。
 部屋を舐める熱気に包まれ、冬乃は夢を見ていた。
 三人と雪合戦をする夢。去年提案したけれど、三人ともに断られ叶わなかったこと。
 春子は汗をかくほど必死になっている。あたしは絶対負けないからね!
 千夏が鍋の前にいる。みんな運動した後は、豚汁であったかくしてねぇ。
 秋奈が隣で呆れている。冬乃ったら七味を振りすぎよ。火を吹いても知らないから。
 冬乃は心の底から笑っていた。
 楽しいね。楽しいねみんな。難しいこと何も気にしないで、ずーっとこうして四人で遊んでられたらいいのになぁ。
 じゃあそうすればいいよ、と三人が手を出す。
 冬乃は何度も瞬きした後、大きく両腕を広げた。
 そうだよね、何を悩んでたんだろ。おかしいな。
 冬乃は三人を抱きしめる。ぎゅっとぎゅっと抱きしめて離さなかった。
 ――これでずっと一緒だね。
 こんなに汗かいたら、そのうち冷えちゃいそう。せっかくそろったのにそれはやだな。
 あったかい火にあたりに行こうか? みんなで一緒に、向こうまで……。