王でなかったもの

 ナンナがあからさまに不機嫌になった理由には、フィンも心当たりがある。
 リーフも、ものの道理の分かる年齢になった。両親の死の真実を知りたがるのも無理もないことだ。
 早朝、話をせがむリーフの目は真っ赤だった。きっと寝台の中で、一晩中寝ずに考えていたのだろう。
 フィンは特定の感情を煽らぬよう、努めて客観的に事実を説明したつもりだ。
 それでもリーフがトラバントに怒りを覚えるのは、もう仕方がない。若き主の青い感情を、フィンは強いて否定も肯定もせず、やんわりとなだめるに留めた。
 同席していたナンナは険しい顔でずっと黙りこくっていた。無言で部屋を出てからもうしばらくになる。
 この隠れ家は一応安全であろうけれど、いつまでも放置しているのは親としていかがなものだろう。
 信頼できる者にリーフを預けて、フィンは扉を開けた。
 ナンナは扉の脇で膝を抱え震えている。泣いているのかと顔を覗き込むと、娘は仇敵に挑むような目つきで虚空を睨みつけていたのだった。
 フィンは静かな目で、小さく丸まった娘を見下ろす。
「お前は、リーフ様とは全く別の感想を抱いたのだな」
「――ええ。そうです」
 フィンの問いに、ナンナは短く答えた。普通の少女らしく振る舞っているときもあるかと思えば、時に大人さえ怖気づかせるような押し殺した声を出す。
 フィンはナンナの父が長いのと、その母親がそうであったので慣れていた。細い腕を取って立ち上がらせる。
「分別のある娘で助かっている」
「当たり前でしょう。リーフ様の御耳に入れるほど、私軽率じゃありません」
 憎まれ口を叩く割には振りほどかれなかった。
 フィンには、ナンナが誰に腹を立てているのか痛いほど解っていた。砂漠に向かい帰って来なかった別の者のことで、フィンをしきりに責めてくるナンナだ。当時のレンスター王太子夫妻が、リーフを置いて勝手に散ったと――そう感じるだけの理由があった。
 その怒りを外に出せば、傷つくのはフィンでも亡くなったキュアンたちでもない。自分にとっての君主であるリーフの為に、ナンナはここで口唇を噛んでいたのだ。
 激しい気性のくせにひどく理性的な娘だった。
「ナンナ。久しぶりに剣を見てやろう」
「あら、剣ならお父様よりリーフ様の方が才能がおありみたいよ。私にもヘズルの血が流れているのだし。負けても泣かないなら、お相手してさしあげますけど」
 おまけに口も減らない。つんと口唇を尖らせる娘に肩をすくめて、フィンは先に立って外へ出た。
 ナンナも遅れずついてくる。
 フィンは閉所でよく振るっている長剣を手にした。逃げ回る身ゆえ訓練用の予備などない。諸刃の真剣だ。鞘に入れたままナンナと向き合う。
 ナンナは二振りの剣を所持しているが、伯父の形見の大地の剣は返しが扱いづらいらしく、母から譲り受けた祈りの剣を持っていることの方が多かった。それが手に馴染む以外の理由で選ばれているのかどうかまでは、フィンも尋ねたことがない。今日も構えたのは、細い直刃の方だった。
「私がお父様を見るのでないのだから、こちらから仕掛けて構いませんね?」
「ああ」
 言い終わるや否やの鋭い突き。フィンは半身を開いて避けた。相変わらず本当に殺そうとしているかのような動きである。杖も持ってきたところからするに、致命傷でなければどうとでもなる気でいるのかもしれない……傷が塞がっても失血は戻らないのだが。
 続く二撃を鞘で弾く。ナンナが怒鳴る。
「大口を叩いて何ですか、情けない! やはりレンスターの男は槍を振り回すしか能がないの!?」
「耳が痛いな」
 すっと長剣を抜き放つ。足元に鞘を落とす。出来れば抜かずに済ませたかったなどと、甘い思惑はとっくに看破されているのだろう。
 ナンナが再度踏み込んでくる。膂力がないなりに体重の全てをかけてくるのだった。フィンはその勢いを利用して、長剣の柄でナンナの手元を強く押す。バランスを崩しかけながらナンナが腕を薙ぐ。フィンは祈りの剣の切っ先を刃で滑らせ下に向ける。
「癪な技ばかり!」
「ああ、生憎これはレンスターの流儀ではない。キュアン様が雇われた傭兵に習った小手先の技だ」
 フィンはわずかに微笑んだ。
 あの頃フィンは、傭兵という職業そのものを嫌悪していた。だがキュアンは、動機が金でも争わずに済むならそれでもいいだろう、幸いにしてこいつぐらいは『まとも』な目をしている、と言ってある男を雇ってしまった。
 流石にそれがナンナの母の縁者だということまで、見抜いていた訳ではないだろうけれど。彼女の心の一部が、その男によって救われたことは事実だ。フィンだけでは、彼女を立ち直らせることなど出来なかったかもしれない。
「そういう方だ。キュアン様とは」
 フィンの台詞を聞いているのかいないのか、ナンナが外套の隙間目掛けて刃を突き上げる。フィンは足で後ろに落ちた長剣の鞘を跳ね上げる。ナンナがはっと目を見開く。フィンは宙に浮いた鞘を器用に掴み、手の中で半回転させてナンナの脇腹に丸みを帯びた先端を突きつけた。
 なるべく涼しい声で問う。
「私の勝ちか?」
「……負けよ。そんな体捌き、もう剣技とは呼べないじゃない」
 ナンナは歯噛みしながら剣を引いた。
「それは槍術だわ。同じことをしようとして、失敗している兵士を見たことがあるもの」
「そうだな、私の負けだ。お前の指摘どおりこれは剣術ではない。稽古中に、私とグレイドのどちらかが槍を飛ばすと、決まってキュアン様がこうして拾われ、まだ持っている方に挑みかかってこられてな。あのときはお戯れだと思ったが、案外と実戦で役に立つ。――気付いたときには、もう感謝を申し上げることもできなくなっていたが」
 フィンの思い出話が終わる頃には、ナンナの瞳から燃えるような光は消えていた。
 早朝の太陽を浴びる刃を、目を伏せて納める。
「……キュアン様は、大層優れたお方だったのかもしれないけれど。やり方が、きっと幼くって、甘かったのではないですか」
「そうかもしれないな」
 フィンは曖昧に答えた。臣の立場で明確な返事は出来なかった。
 その代わり、窓から心配そうにこちらを眺めているリーフに微笑みかける。
「私たちは、そのお優しさを信じた。不完全であられるからこそ、我々はその御手から零れ落ちるものを一つも増やすまいと槍を握った。まだお若く、道の途上におられるからこそ、共に目指す未来を夢見た」
 そうだ。お前にも解るはず。
 お前は私の娘で、私が強いるまでもなく、生まれながらにレンスターの騎士なのだから。
「リーフ様は、違います」
 父の願望に反して、ナンナはきっぱりと断言した。決然とした足取りで、主の下へ歩いていく。
「あの方は未熟で甘くていらっしゃるけれど、私はいつまでもそれを許すほど寛大でも悠長でもありません。違うと思ったことはその場でお叱り申し上げます。だってどんな理想も生きてこそなんですから。そうでしょう?」
「――そうだな」
 本当に彼女の娘はたくましくて、参ってしまう。ときおり自分の娘でもあることを忘れてしまうぐらい、眩しい。
 私も今のナンナほどの歳の頃に、あれほどしっかりしていればよかったのだが。
 微苦笑を浮かべて、フィンは木漏れ日の中、娘の後についていった。