花衣を君に - 2/7

◆プロローグ◆

「マークス兄さん、いつから香水をつけるようになったの?」
 晴れすぎた星界の風は今日も乾いていた。すれ違い様、兄の動かした空気の中に知らぬ匂いを感じて、レオンは思わず問いかける。花の香りであればこんな無粋もしなかったろうが、今のは明らかに男性が好む香木の匂いだったから。
 マークスは振り返り、やはり似合わないかとばつが悪そうに呟いた。
「王子たるもの、平素から汗や血の匂いを振り撒いているのもいかがなものかと進言されてな。少し見繕ってもらったが、どうにも柄ではないようだ」
「いや、似合っているんじゃないかな。兄さんは元々清潔を好んでいるし、造形だって整ってる。いい見立てだよ」
 レオンは何とはなしに目を背けた。自分の信条を持ちつつも、下からの意見を頭ごなしに否定せず、一度は取り入れようとするのが兄の美点であると思う。
「レオンはつけないのか。私より余程似合うだろうに」
「僕は……いいよ。どうせいつも、薬草の匂いとかさせているから。あまり意味がない」
 事実、この日もレオンは先程まで、毒消しの調合をしていた。呪いと解呪は一対でなくてはならぬ。薬学も魔術には必須の知識であった。
 話題を自分のことから逸らしたくて、レオンは早口に別の名を出す。
「それより、ラズワルドが女性以外にもアドバイスをすることの方が意外だった」
「あれも傍で見えるより面倒見がいいのだ。性別を問わずな」
 マークスは小さく苦笑した。
「お前にもまだないか」
「何の話?」
「香りを選んでくれるような相手が。王子がいつまでも自分なぞに世話を焼かれていないで、早く身の回りのことに気を配ってくれる女性を見つけろと、ラズワルドに説教をもらってしまった」
 その言葉で、ひとつの姿がレオンの頭に浮かぶ。ぱっと鮮やかな色が咲く。イメージを追い出すように首を振った。
「だから僕の心配はいいって。兄さんは第一王子だろう、相手のひとは将来の暗夜王妃じゃないか。僕のことなんか構わなくていい」
「レオン」
 立ち去ろうとしたところで、呼び止められる。弟の名を呼んだマークスは、眉間にしわを寄せているくせに、口許はひどく優しい。
「その理屈で言うなら、お前はもっと自由でいいはずだ。立場に自覚的なのは結構だが、あまり意固地にはなるな」
「……あのさ」
 マークス兄さんには言われたくないよという台詞は結局喉まで来る前に消え失せ、お気遣いありがとうと無難に答えてレオンは兄から逃げた。
 胸の花色を振り払えないまま、星界を歩いていく。己の知らぬ空の下を、己を知らぬ風に向かって。