第三章 命の貴賤 - 2/3

SIDE Rethe

 

 

ラグズ奴隷解放軍

 

 積み荷押収の任を終え、レテたちには束の間の休息が与えられた。
 今日は考えることも多く、仮の自室の装飾が気になることもない。先程交戦したラグズのことが、一等気にかかる。あの虎たちは少し痩せていたようだし、毛並みに艶もなかった。捕らえられてひどい拷問を受け、精神が崩壊してしまったのだろうか? それとも――。
 風に聞いた噂話を思い出し、レテは全身をわななかせた。まさかアレが? 完成しつつあるというのか? 化身の草や石、腕輪などお話にならない、ラグズを『完全生物兵器』に仕立て上げるという、ふざけた薬物。 その実験に彼らは巻き込まれたというのか?  ベグニオンの盗賊崩れの商人、お得意様の貴族、神使からの不可解な任務……どこでどう繋がっていくのか。
 と、ここでレテの思考は中断された。誰かが歩いてきてドアの前に立ったからだ。戸を叩くことを躊躇しているようだった。
「入れ」
 横柄にレテが言うと、ようやく気配の主はドアノブに手をかけ、遠慮がちに部屋の中を覗き込んだ。
「れ……レテ?」
 覚えたての言葉を口にする子供のような、たどたどしい発音。高く結い上げた紅の髪を見てレテは、またお前かと投げやりに呟いた。
「私はジルだ。お前、じゃ……ない」
 レテは少々面喰った。が、確かに、名を覚えてきてくれた相手に対し、お前は些か以上に失礼だ。レテは姿勢を正し、問い直した。
「では、ジル。今日は何の用だ? またくだらない質問か?」
 手振りで、閉めろと促す。ジルは注意深く部屋に入り、扉を音のしないよう丁寧に閉じた。寝台に座っていたレテは、適当に座れと椅子やら何やらを示したのだが、ジルはドアの傍に立ったままだった。
「ずっと、分からなくて……でも今日の戦いで、余計分からなくなって……」
 突然切り出され、言いたいことが分からないのはこっちも同じだ。思考を妨げられた苛立ちも手伝って、レテは不機嫌に続きを待つ。この態度がジルを怯ませたらしく、顔を背けられてしまった。
「わ、私がデインで教えられてきたのは、ラグ、ズというのは、ベ、オクを、無差別に襲う敵だと……」
「我らがベオクを無差別に襲う?」
 レテは嘲笑した。寝台の上で脚を組む。
「たとえ頼まれたとしても、関わりたくもないというのにか?」
「だから分からないと言っている!」
 ジルは一度声を荒げたが、すぐに悄然として顔を伏せた。
「今日戦った虎は、私の信じてきたラグズそのものだった。しかしお前たちは……それを、倒した。アイクたちを助けるために、自ら手を下した。どちらが本当のラグズなのか、私には分からない。それに、今のように化身を解いているレテは、獣ではなく……」
 ジルは目を上げた。レテはそのとき、似ている、と思った。
 アイクの深い深い蒼色の瞳。ジルの瞳は彼の真摯さに似た、深い紅色をしていた。
「むしろ、私たちに近い」
 はっきりとした口調。真実を欲しがる瞳。
「そもそも、ベオクとラグズが争い始めたのはいつだったのだろう? 何かきっかけがあったのだろうか」
 歩むほどに傷ついていく道。それでも進むというのなら、レテは止めない。
 たとえ痛みに耐えかねて引き返したとしても、別に構わない。知りたいのなら、教えてやるだけだ。
「それは分からん。元々女神がそのように我々を創られたからなのか、根本的に相容れぬものなのか。ただ……ゴルドアを除くガリア、フェニキス、キルヴァス。これらに限って言えば、ベオクを憎む理由は明確にある」
 ジルはその理由を聞きたくて仕方がないようだった。つまり、それは今まで誰も彼女に、正しい歴史を教えなかったということだ。
 ひとつため息をついて、レテは少女に語り始めた。レテですら生まれていない、過去の話である。
 ベグニオンがまだ帝国ではなく、王国だった頃。テリウスにはベグニオンとゴルドアの2国だけが存在した。
 ゴルドアは今と変わらず、竜鱗族だけの閉鎖的な国で、他のラグズ……獣牙族、鳥翼族はベグニオンにおいてベオクと共に暮らしていた。
 国の王には、初代こそベオクが選ばれたらしいが、その後は力に優れるラグズが王位に就くことが多かったという。だが、それを不服とした元老院は『神使』の名の下に、ベオクこそがベグニオンの支配者たらんと内乱を起こした。所詮は烏合の衆と高をくくったラグズの王たちは、改良を加えられ進化を果たした武器と魔道の前に敗北を喫した。
「そして、長い長い……ラグズの奴隷時代が始まった」
 客観的であろうとしたレテだったが、この言葉を発するときは、どうにも感傷的になってしまった。
 ジルの表情は暗い。まぁこれを満面の笑みで聞くような奴があれば、レテはそいつを八つ裂きにしているだろうが。
 咳払いをして、続ける。
 200年に及ぶ時を経て、ベオクからの隷属を逃れるためベグニオン脱出に成功したラグズたちがいた。
 獣牙族は険しい山岳を命がけで踏破し未開の大森林地帯へ。鳥翼族は南の島々へそれぞれ逃れた。
「それが私たちラグズの王国の始まりだ。そこから、正式に国と認められるまでには80年の時を要し、多くの同胞の血が流されたのだ」
 レテが語り終えると、ジルはどこか切実な様子で、でも、と言った。
「国と認められたのなら、もう争う必要も――」
「馬鹿か、貴様は」
 レテは立ち上がり、今や風前の灯のように頼りない、紅の瞳を睨んだ。
「戦いの理由はある。ベオクたちは、一度は従えさせた奴隷が国を持ち自分たちと並ぶことを許さない。ラグズたちは、過去の屈辱を抱え今なお、自由を求め勝ち取ろうとしている。これがお前たちベオクが後世に伝えず、闇に葬ろうとしている歴史の真実だ」
 そう――真実。ライが『ラグズのつくった物語』と一笑に付そうと、レテはこれを真実と認める。恐らく、黙り込んだジルの方も。
 レテは小さく鼻を鳴らす。
「言葉もないか。よく、考えろ。自分のその目で見たものを……その耳で聞いたものを考えてみろ。それすらも出来ぬなら、二度と私の前にその姿を現すな」
 ライが聞いたら大笑いだろう。これはそのまま、レテへの皮肉でもあるのだから。
 ベオクは非力で、老獪で醜悪だと信じてきた。至高の存在は我らであると。アイクたちは、その偏見を木っ端微塵に打ち砕いた。強靱で、不器用で、呆れるほど真っ直ぐで。そんなアイクたちといることを、いつからか苦痛だと思わなくなっていた。
 無論、いけ好かないベオクもいる。いつかの看守長、昨日の無頼漢……。
 それでも、『ベオク』という種族そのものを憎むことは、今のレテには無理だった。王女が自分たちの無事を祈ってくれる限り。戦場で彼の姿が傍にある限り。
 ジルは何も言わず、小さな礼だけを残して部屋を去った。双方にとってこれは、試練だった。 
 

 

 試練といえば、これも試練のようなものだった。
 新しい任務は砂漠地帯の盗賊団退治。森林地帯を生活の場としていたレテにとっては、このような熱砂の中にいるのは耐え難い。温暖湿潤なクリミア育ちの面々も、この砂漠には辟易しているようだった。仕事でなければ、誰もこんな場所に観光気分で踏み入ろうとは思わないだろう。
「お前たちは何者だ?」
 急に現れた、外套の頭巾を目深に被った人影に誰何されても、皆驚く元気もないようだった。
 いち早く、砂漠の歩き方を会得したアイクが、きっぱりと答える。
「俺たちは傭兵だ。ここらあたりを根城にしている、盗賊団の討伐を依頼されてきた」
 というかその目の前の奴がそうじゃないのか、と指摘するのも、レテには億劫だった。
 謎の人物がまくしたてるのを黙って聞いている。
「……元老院のイヌめ! 我らを盗賊団として闇に葬り、自分達の罪を包み隠そうというはらか! だが、我らは負けん! いつの日か必ず……全ての奴隷を解放してみせる!!」
 立派なお題目だが、どこかぎこちなく聞こえるのは気のせいだろうか。まるで用意された台本を読み上げる、新米の役者のような。
「何の話だ?」
 胡乱げなアイクを遮り、人影は宣言した。
「これ以上は問答無用だ! みんな、かかれっ!!」
 無用も何もほとんどお前一人で喋っていただろう、と言う暇もなく、別の影がぞろぞろと現れる。匂いで分かっていた。ラグズだ。
「ラグズだと……!」
「盗賊団に変わりありません。油断しないでください」
 狼狽するアイクの横で、参謀殿が緊迫した声を出した。
「わかってる」
 短く答え、アイクは指示を飛ばし始めた。
「砂に足を取られるな。それから、出来るだけ殺すな!」
 ラグズたちが臨戦態勢に入る。マーシャが飛ぶ。
「アイクさん! さっきの人、北西の廃墟に戻っていきます! 追走しますか?」
「放っておけ! どうせ最終目的地はあそこだ。それより戦力の分析を頼む!」
「了解しました。視認できる範囲で鳥翼5、獣牙15! 総計20と判断します!」
「拠点近くの配備が厚い。建物内にも敵兵ありと推測!」
 いつの間にかジルも上空にいた。二人でアイクの指示を仰ぐ。
「北東の岩場に伏兵2! このまま進軍すれば挟撃の可能性あり!」
「撃破しますか?」
「頼んだ!」
 純白と新緑の騎兵が、絡み合うように互いの死角を補いながら滑空していく。自らの能力を誇りに思っているレテだが、ああも美しい飛び様を見せられると、飛べるものへの羨望の念も少しは沸いてくる。
 しかし、今はどうでもいい話だ。敵ラグズと同じタイミングで化身する。
『何故【ニンゲン】ニ加担スル、獣牙ノ戦士』
『盗賊ニマデ成リサガッタ貴様ニハ、到底解ルマイヨ』
 今度のラグズは言葉が通じる。溢れ出ているのは狂気ではなく、敵意と。
『コノ場所ダケハ、穢サセナイ――!!』
 悲哀を帯びた、決意だけだった。
 満身創痍で辿り着いた廃墟の入り口には、緑の毛色をした虎が化身せずに立っていた。濁りのない、だが悲壮な目でこちらを見つめている。
「なぁ。もし、お前たちが盗賊じゃないと言うんなら」
 アイクが口を開く。この問いは、彼が今日を通じてずっと言い続けていたものだった。
「抵抗をやめたらどうだ? 誤解があるんなら、話し合おう」
「……その手には乗らない」
 そして、その度に拒絶されてきた。
「お前たちは……そうやっていつも我らを騙し、陥れるのだから」
 何故、答えの分かっている問いを投げるのだろう。傷つくのを知っていて、どうして諦めずに尋ねるのだろう。
 アイクの横顔には、落胆も失望もなかった。むしろ、今からでも話し合えるという自信さえ見える程、眩しかった。
 しかし毎回、そう、彼が何を信じようが、相手は彼を信じない。
「いくぞ」
 虎の男が取り出した腕輪には、見覚えがあった。
 半化身の腕輪。何も半身だけが変わるのではない。装着したときの見た目は、通常の化身と同じだ。違うのは、出力。半化身の腕輪は、化身時に上乗せされる力の半分を、化身を保つことに回している。つまりあの虎は、『力を半分にしている代わり、決して解けない化身』を何時間でも、何日でも続けられる。
「アイク、待――」
 男が腕輪を装着した。レテの言葉は、半化身の光で遮られてしまった。
 緑の虎。アイクは戦いたくないようだったが、あの姿の獣牙族と交渉するのはもう不可能だ。
「獣牙の同胞よ、いいかげん目を覚ませ!」
 レテの声に虎は一瞬目を向けたが、結局黙殺した。アイクが呆れたような声で言う。
「もう、あれしかないか」
「だろうな」
 レテも相槌を打つ。
「――ふん縛ってでも話してもらう!」
 アイクは憤然と虎に踊りかかっていく。あの虎は半化身。化身時ほどの力はない。アイクと、それから自分が援護に出れば――。
 このとき、レテは自身の認識の甘さを呪った。
 アイクの刃が、三つに分解された。いや、虎の牙によって二箇所を破壊され、結果三つになったのだ。
 半化身だから弱い? 何を馬鹿な。強い者の半分なら、凡人の全力より強い! 虎は丸腰のアイクに跳びかかろうとしている。
「アイク!」
 誰よりも早く助太刀をしたのは、参謀殿だった。放った魔術は虎の脇腹に直撃する。それはいつもの戦場で操る風ではなく。獣牙にとって天敵となる、炎の魔術だった。
 虎が断末魔のような恐ろしい叫びを上げた。火は見る間に全身へ回っていく。脂を含んだ体毛を、嘗め尽くすように火は進む。虎はアイクから離れ、炎を消そうとでもするように砂に身体を擦り付けている。少しの効果もない。
 男は叫んでいた。しかし助けてくれとは一言も言わなかった。レテにもその義理はなかった。
 ただ、燃え盛る炎の中でもがき苦しむ男を見ていられなかった。それだけの理由で、レテは駆け出した。
 近くに駆け寄って膝をつく。まずは半化身の腕輪を外さなければ。毛玉のような化身状態より、肌の露出が多い人型の方が軽症で済む。
 しかし、どうやって外す? 熱せられて真っ赤になった腕輪の前で、レテは逡巡した。触ったらただでは済まない。いや、とかぶりを振る。そんな場合か。とにかく腕輪を外すのだ。手を伸ばす。それを横から邪魔する腕があった。
「待っ、アイ――」
「あ――ああああああああああああああああああああああッッッ!!」
 少年は凄まじい大声を上げた。雄叫びのような、悲鳴のような、救済のような大声を上げながら、男の手から腕輪をむしり取る。腕輪は放物線を描いて飛んでいき、重力に従って砂に刺さった。
 人型に戻った男の服にはいまだ火が燻ぶっており、アイクは外套で叩いてそれを消すと、ぐったりと座り込んだ。
「アイク!」
 両手はひどい有様だった。手の平は火ぶくれを起こし、指は熱のあまりくっつきかけている。
 レテはアイクの肩をぐっと抱くと、味方の一団に向かって怒鳴った。
「衛生兵!」
 ミストとキルロイが駆け寄ってくる。その間に、レテはアイクと短い会話をした。
「どうしてこんな無茶をした?」
「あんたが、やりたがっていたから」
 痛みには慣れっこというようなアイクだが、この火傷はこたえるらしい。話し方に覇気がない。
「それだけで?」
「ああ。あんただったら、こいつを助けてくれると、思っ」
 アイクは顔を歪ませて、言葉を切った。炎の中に手を突っ込み、赤く光るほど熱い金属の塊を掴んだのだ。無理もない。
 だが、アイクは耐えて続きを話そうとする。
「あんたに、怪我がなくて、よかっ――」
 二人が到着した。キルロイは虎の男、ミストはアイクの治療を始める。
 レテはその場を離れ、アイクの投げ捨てた半化身の腕輪を拾いに行った。もう赤くはない。触れると少し熱かったが、火傷をするほどでもない。
 盗賊団はラグズだけの一団だった。ということは獲物はベオクだろう。
 だとしたら腑に落ちない点がある。半化身の腕輪は確かに高価な代物だ。だがベオクに対しては何の効果もない。普通の(・・・)ベオクを襲って入手できる品ではないはずだが……。
 とりあえず盗人とはいえ他人の物だ。後で返してやらねばとレテは腕輪をポーチにしまった。
 アイクの方を見遣る。
 あんたが、やりたがっていたから。
 あんただったら、こいつを助けてくれる。
 あんたに、怪我がなくて、よかった。
 彼の言い分は、思い返してみたら全部、『あんた』だ。
「……ひとのせいにするな、馬鹿者」
 毒づきつつも、レテの口唇は場違いな微笑を浮かべていた。