第三章 貴族とラグズ - 1/3

SIDE:Ike

 

帝国

 

 一行は無事船旅を終え、ベグニオン帝国王都シエネに到着した。
 アイクは虚ろな目で彼女を捜し求める。神使サナキとの対面の後、無性に彼女と話したくなったのだ。
 硬い足音が神殿風の建物に響く。白い柱はどこまでいっても同じに見える。しばらくして橙色を見つけたとき、時間にしてはいくらも離れていなかったのにその色がやけに美しく見えた。
「レテ」
 声をかけなくとも彼女は気付いてはいただろう。だがアイクは、この二音で呼びかけることを好んだ。
「少し話したいんだが、いいか?」
 そう問うと、レテはようやく振り向いて、何だ、と尋ねた。
 回廊ではどうも落ち着かないので、中庭に彼女を連れ出す。自然豊かなガリア王宮と違って、整然と切り揃えられた木々や花々に、アイクは無理解を通り越して哀れすら感じる。
 石段に並んで腰かけ、先程あった出来事をレテに話した。
 神使がその真贋を知りながら、本物の王女である証明をエリンシアに求めたこと。あまつさえ笑ったこと。
 自分がそれに怒り、思ったままを口にしてしまったこと。
 不敬罪にあたるところを、神使の寛大さで救われたこと。
 自分の行いは全てエリンシアの責任にもなること。
 クリミア再興は、神使の不興を買った時点で泡と消えること。
 ――などを、レテの顔を見ずに洗いざらい話した。
 レテは興味深そうに、ふむと頷く。
「お前でも愚痴を言うことがあるんだな」
「愚痴? 俺はただ、事実を並べただけで……」
 アイクが顔を上げると、レテは呆れたような顔をしていた。
「世間一般では、自分にとって好ましくない事柄を他人に語り聞かせることを、『愚痴を言う』と呼ぶんだ。これは万国共通だぞ」
「そんなもんか」
 今度はアイクが、ふむ、と言う番だった。
「あんたは、どう思った?」
「どう、と言われても。それは軍師殿やティアマトが正しいだろうさ」
 レテは大きく伸びをした。それ程までに退屈な話だったろうか。そうか、とアイクはまた芝生に視線を転じた。
「無知というのはこんなにも、無力だな」
「何も知っていることだけが優れているのでもあるまい」
 レテは立ち上がって、キュロットのごみを払った。
「お前の啖呵、なかなかに爽快だったぞ」
 私は嫌いじゃない。そう小さく笑って、レテはアイクに背中を向けた。
 アイクは首だけで彼女を見つめた。
『私のために怒ってくださって、とても、嬉しかった』
 エリンシアの言葉を反芻する。
 自分は確かに愚かで軽率だった。しかしレテとエリンシアのおかげで、あれは完全な間違いではなかったのだと、そう思える。
 ただひとつ、故郷クリミアと変わらない大空を見上げて、アイクは一人頷いた。
 

 

 
 一刻後。アイクは再びレテを捜して徘徊していた。先程と違うのは、その目が期待に満ち溢れていることだ。
 白い柱の林を抜けて、アイクは彼女の橙より薄い金色が光るのを認めた。
 傭兵団を辞めたはずのガトリーだった。新しい雇い主がベグニオンの令嬢だとかで、彼女はアイクに力を貸してくれる言った。それでガトリーもなりゆきで戻ってきたのだ。
「あんた、こんな所で何してるんだ」 「おれは花を愛でてたんだ」
 ガトリーは、うっとりと目を閉じて両手を胸に当てた。そんな趣味があったろうか? と思いながら、アイクは周辺を見渡す。
「確かに、そこらじゅうに咲いてるな」
「その花じゃなく、あっちの花だって」
 アイクは目を凝らしてみたが、廊下と侍女しか見えない。ガトリーは、くー、と拳を握り締める。
「いい! さすが違うよな~。宮仕えの子達は、キレイだよな~。なぁ、アイク。お前の好みの子はいるか? おれは、あの栗毛のカワイコちゃんが」
「そんなことよりレテ知らないか」
「そんなことより!?」
 ガトリーは、ばっと飛びずさった。いちいち反応が大袈裟な奴だ。
「お前、もしかしてレテちゃん狙い? うわー、ハードボイルドな初恋……」
「いや、まぁ狙ってるっちゃあ狙ってるんだが」
 アイクは口をへの字に曲げて、訓練用の剣を肩に載せた。
「鍛錬の相手をしてもらうんだ。船の上で約束したからな」
「……うわー、しょっぱい初恋」
 ガトリーは舌を出してみせる。万事が万事その調子だから、ガトリーと話すには彼の話を遮る技量がいる。アイクの場合は力業である。
「そんなことよりレテ知らないか」
「そんなことより!? いや、見てないなぁ」
「そうか。ありがとう」
 時に流す勇気も必要である。
 

 

「ああ――スッキリした」
 アイクは、約束していたレテとの鍛錬を終えるなり、そう言って大の字になった。
 レテはとても強かった。デイン兵のように動きが規則的な訳でもなし、傭兵のように短絡な思考でもなし、しなやかでいて強靭な肉体を使って変幻自在に攻撃してくる。同じラグズでも、この間のカラスのような直線的な動きは少なかった。
 流麗とも呼べる疾走と跳躍に、アイクは魅せられていった。だから敗けても爽快感があった。新たなる目標の出現に、アイクの胸は躍っている。
「悔しくないのか?」
 レテが顔を覗き込んできた。不思議そうな表情をしている。
「悔しい。でも、頭がハッキリしてきた」
 アイクはきっぱり答えると、上体を起こした。レテはますます訝しげに見てくる。胡坐をかいて、夕暮れを見上げる。
「今日は柄にもなく色々と考えすぎた。身体を思いっきり動かしたら、やっとそのモヤみたいのが取れた」
 今まで、国が動くということについて、アイクは深く考えなかった。エリンシアは慎み深い王女であったし、カイネギス王も親切だった。アイクは、個人としてしか王と接してこなかった。『サナキ』と『神使』の間にある隔たりなど、想像だにしていなかったのだ。
 クリミアという国を救うこと。それはアイクのなけなしの誇りや、誰かの名誉を傷つけることになっても、最優先に考えなければならない。許容できる範囲内のことならば。
「俺たちはエリンシア姫を守る。それでいいんだよな」
 王女のために耐え忍ぶこともまた、戦いだろうと。 
 レテはどう思うだろう。アイクよりもっと前に、国のために耐えることを選んだ彼女は。
 レテは回り込んできて、アイクの正面で屈んだ。
「では、私たちはお前たちを守る。それでいいんだな」
 力強い微笑みだった。ようやく自分を、共に戦う戦士と認めてくれたような気がして、面映い。
「よろしく頼む」
 右手を差し出す。初めて会ったときならきっと無視されたろうに、今のレテはその手を握ってくれた。そのままひょいと引き上げられたのは、男として少し面白くなかったけれど。
 アイクの手を離したレテは、乱れたリボンを直していた。一種の毛づくろいなのだろうか? アイクはその首許をじっと見つめる。
「それって、あんたが買ったのか?」
 レテは目を丸くしてアイクを向いた。あまりに唐突に、あまりに不釣合いな質問をされたせいで、意味が分からなかったらしい。ようやく、ああ、と納得した様子で答える。
「妹にもらった。戦場のお守りみたいなものだ」
 全長は身の丈を軽く越す、深緑のリボン。先に鈴がついているが、舌を抜いてあるので鳴らないのだという。
 それ以上のことは教えてくれなかった。ので、切り口を変える。
「妹がいるのか。仲いいんだな」
「そうでもないさ」
 アイクの言葉を遮るように、レテは自嘲した。何か事情があるようなので、アイクは、そうか、とだけ答えて、深くは追究しなかった。他人に聞かせたくないことの一つや二つ、誰にでもある。
「ミストがな」
 無言になってしまったので、妹つながりでミストを出してみた。
 ついでに、レテが不審がっているであろう事の説明もしておく。
「あんたが自分から装飾品を買うようには見えないから、髪飾りもリボンも贈り物じゃないか、と言ってた。本当だったんだな」
 レテは相槌らしい相槌も打たなかった。どこか遠くを見るような目つきで、自身の中に沈んでいる。
 そしてふと。
「アイク。妹は好きか」
 と、静かな声で問われた。ここで、大好きだ、などと叫ぶほど偏執的な愛情を抱いている訳ではないが、さりとてミストが大切でない訳がない。なにせ、唯一の肉親だ。
「そりゃあ、人並みにはな」
 基準は傭兵団の三兄弟ぐらいしかなかったが、とりあえず、人並みと言っておいた。
 レテは小さく笑って、出てきたばかりの一番星を見つめた。
「そうか。では、私は人並みの基準を見誤ったらしい」
 その横顔はひどく寂しそうだった。
 同胞想いのレテが、その情を自らの妹に注がない訳がない。そこに踏み込む権利がないことを、アイクは弁えている。
 しかし際限のない思考に落ちていこうとするレテを、放っておくことも出来なかった。
「レテ」
 二の腕を掴んで引き寄せる。レテは思索と現実との境界で、目を白黒させていた。構わずに、アイクは彼女のリボンを指差して、はっきりと告げた。
「あんた達に何があったのかは知らない。訊かない。だが、憎んでいる相手の無事を祈るやつはいない」
 こんなとき、上手い言葉が見つからない自分を歯痒く感じる。探して、探して、出てきたのは結局彼女からの借り物の言葉だった。
「万国共通だ」
 そんなものか、とどこか投げやりな返事と共に、会話は終わった。
 二人並んで、ベグニオンの狭い星空をただ見上げていた。
 

 

 数日が過ぎ、ミストが暇だとぼやき始めた頃、神使から傭兵団に依頼が来た。
 アイクとしては甚だ不本意な依頼主ではあるが、いたしかたない。エリンシア姫は、王侯貴族のご機嫌うかがいのため、毎日行きたくもない会合に参加している。ならば自分たちも、神使のために働いてやって、点数を稼ぐ手伝いぐらいしてやるしかない。
 肝心の依頼内容も、『旧街道を通りかかる商人に身をやつした一団の撃退。あわせて、その積荷の押収』と不可解だった。だが噛み付ける立場にないことは、初日に嫌というほど思い知っている。
 とにかく、請け負った以上は上々の首尾で事を終える。その一点だけだ。
「来たようだな」
 傍らのレテが呟いた。五感に秀でた獣牙族なら、この濃霧の中を進んでくる一団に気付きやすいだろうと、前にいてもらったのだ。
「数は20近く、武装している。それに……いや、大型の、積み荷……を、引いている」
 レテは何故か、『積み荷』の部分だけ、ぎこちなく発音した。どういうことかとセネリオを振り返ると、吐き気をこらえるように口許を片手で覆っている。
 不穏な予感がした。一団はベオクの視力でも目視出来る距離まで近づいた。ティアマトが言う。
「霧で見えにくいけど……人相、風体、どれも教えられたとおりだわ。間違いなさそうね」
「相手もこちらに気づいたようですね」
 セネリオは、潜めたような――それでいて精一杯のような小声で囁いた。気に掛かったが、今ここで問うたところで答えてくれる少年ではない。アイクはとにかく、全員に戦闘配備につくよう命を下した。
 この辺りは二本の川の合流地点で、敵の一団とは中州を挟んで向き合う形になっている。アイクたちが一団を捕らえる為には、二度、橋を渡らなければならない。
 ヨファの放った矢を合図に、交戦開始。相手側が血気盛んで僥倖だった。逃げられたり、橋を落とされては困ってしまう。マーシャと、(何故かついてきた)ジルならば追走は可能だが、20対2では分が悪すぎる。
 一本目の橋を難なく渡りきり、アイク達は敵が砦としている二本目の橋に足をかけた。幅はあまり広くない。敵の二人が横に並ぶだけで、もう通れなくなってしまうような狭い橋だ。自然、2対2の戦いになる。
 アイクの横にガトリー。ガトリーの後ろに、援護役としてイレース。同じくアイクの後ろにセネリオ。ボーレやワユも交代要員として控えている。
 ガトリーは、平素こそ浮薄だが、傭兵としてはかなりの腕利きだった。こと防衛戦において、彼の背後まで進むことの出来る敵などいない。だからこそアイクは、彼を信頼して壁役を頼んだのだ。
「次ィ来い! あ、大丈夫だからねイレースちゃん、君は絶対おれが守るから!」
 これで戦闘中にへらへらと笑ってお喋りをする癖がなければ、とアイクは内心で嘆息した。
 とにかく、グレイル傭兵団は敵の前線をじりじりと後退させ、もうすぐ対岸に辿り着こうとしている。その奥、一番派手な格好をしている首領らしい男が、追い詰められた者特有の暗い笑みを浮かべてこう言った。
「俺たちの積荷を奪おうってんだ……てめえらもカタギじゃねえな! こっちの客には貴族もいるんだ。後でてめえらもタダじゃすまねえぞ!」
 積み荷の内、一際大きな2つの箱の布を勢いよく取り払う。
 箱ではなかった。あれは、檻だ。どちらも、中に黒色の虎が化身状態で入っている。様子が尋常でなかった。囚われの身の上を嘆くでもない。自分を捕らえた者たちを憎むでもない。生気をなくした、それでいて奇妙なぎらつきを放つその目には――本能的な攻撃性しか、宿っていない。
 錠が開く。虎がアイク達を見据えながら、あるいは焦点の合わない目をこちらに向けながら、外へ踏み出す。
 レテが何事かを叫んだ。しかし黒い虎達は無反応だった。目覚めてすぐ水を求める人のように、ぼんやりと獲物を捜している。
 橙の猫が、味方の頭上を飛び越えて片方の虎に襲い掛かった。残された方の虎が、先頭にいたアイクに狙いを定める。
「アイク!」
 モゥディが味方をかき分け、悲痛な声を上げた。
「レテがコう言ってる! 『モう助からナい、セめてラくに――』」
 最後まで聞くことは出来なかった。虎の攻撃をいなす。緋色の外套が舞う。姿勢を立て直そうと頭を下げた虎の首に、刃をつき立てる。虎が痙攣する。第二撃は永遠に来ない。
「くそっ」
 アイクは一人で毒づいた。獣牙族の殺し方なんて、出来れば一生実践したくなかった。
 レテはもう虎の相手はしていなかった。綺麗な遺骸が彼女の側に横たわっている。
 彼女は、殺していた。敵の首領を。見るも無残に。殺している最中だった。意識のあるうちに、あらゆる責め苦を味わわせるように。残酷に。執拗に。殺していた。
「もうやめろ……」
 同胞を何より想う彼女が、同胞を手にかけた。本当に、『もう助からない』からと、手ずから死を下した。その痛みは、とてもアイクには推し量れない。
 けれど、この方法は間違っていると思った。彼女自らが、『ニンゲン』の血に塗れた『バケモノ』に成り下がるような方法だけは。
「もうやめろ」
 アイクは橙の猫を抱きしめた。彼女は化身を解き、少女の細い身体だけが腕の中に残った。
「では、どうすればよかった?」
 アイクには答えられない。答えられぬまま、生ける肉塊を現世から解放した。
 レテはアイクの胸元を両手で掴み、俯いたままで叫んだ。
「どうすればよかった!? 答えろ!!」
 霧が更に濃くなってきた。まるで血煙だな、とアイクは思う。
 果てしない血煙。その先に、自分たちは何を見るべきなのだろう?