第一章 そして太陽が目覚めるように - 5/6

 

幕間・彼女の上官と妹

「いよいよもって面倒なことになってきたな」
 国境付近の砦。ライは本塔の周囲をぐるりと囲む通路に出て、樹海を見下ろしていた。まだ視界内に黒鎧は見当たらないが、時間の問題だろう。
 ふとため息をつくと、頭上から能天気な声が降ってきた。
「ほぉんと、めんどくさーい」
「リィレ……」
 ライは先程とは別種のため息をつき、塔の窓に座る彼女を見上げた。
「お前、そんな短いズボンでそんなとこ座ってると、下着見えるぞ」
「やだ、隊長のスケベっ」
「見られたくなきゃ降りなさい」
 彼女――リィレは、口唇を尖らせ飛び降りた。そのままライの隣にやってくる。編んだ橙の髪が跳ねる。
 妹とはいえレテとは双子。歳は全く同じはずだけれど、リィレの方がいくつか幼く見えた。瞳の色も変わらないのに、ライを映す紫に宿る光は全く違う。
「ねぇー、ニンゲンと戦いになるんですか?」
 間延びした口調と、ふてくされたような態度。少しは姉を見習ってほしいといつも思う――ただし姉と比べられることを極端に嫌う彼女の為に、決して口にはしないのだが。
 ライは呆れを含んだ声で答えた。
「ベオク、な」
「同じものでしょ?」
 リィレは口調を鋭くした。こういうところが本当に子供なのだから、参ってしまう。ライは大袈裟に眉をひそめた。
「オマエだって、『半獣』って言われたら腹立つだろ? 自分がやられて嫌なことはヒトにもするなよ」
「そんなことどうだっていいじゃないですか! 質問に答えて下さいよっ」
 リィレは尾を逆立たせて叫ぶ。耳を刺すキンキン声に辟易しながら、ライは本塔の壁に身体を預けた。
「分からないってのが正直なところだな。全面戦争にはならないにしても、小競り合いぐらいにはなりそうだが」
「ええぇー!? やだぁ!!」
「やだじゃない。お前、戦士だろ。こういうときに働かないでどうする」
 険しい目つきでリィレを見る。リィレは拳を握り締めて、他所を向いた。
「……ニンゲンと戦う為に戦士になったんじゃないです!」
「オレたちの仮想敵国は最初からベオク国家だ。連中と戦うのが嫌なら辞めろ。半端な気持ちで軍隊にいると、死ぬぜ」
 ライは目を背けなかった。重い視線を注ぎ続ける。リィレは黙って俯いた。その間、ライも何も言わず見つめていた。
 しばし、経って。
「分かんない……ッ」
 リィレがきっと顔を上げた。紫の瞳がやけに光っていたのは、きっと濡れていたのだろう。
「分かんない! あいつらと仲良くしろって言うくせに、敵はあいつらだって言うんですか!? 隊長の言ってること、めちゃくちゃじゃないですかッ!!」
「対等の関係を築く為には、対等の力が必要だ。連中が実力行使に出たときにも、互角にやり合える軍事力がな。ガリア王国軍は元来そういう目的で組織されたものだ」
 それを乾いた瞳で刺した。片方だけ彼女と同じ、もう片方は別の色をした瞳で。
「オマエを無駄死にさせる気はない。だから先に言っておく。――覚悟が出来ないのなら今すぐ、家に帰れ」
 リィレは下を向いて、すん、と鼻を鳴らした。泣かしたな、と思った。分かってはいたが踵を返す。
 上に立つ者として言うべきことは言ったつもりだった。甘やかしては、いけないのだ。
 歩き出そうとしたら、くんと後ろから引っ張られて足が止まった。首だけで振り返ると、リィレに服の背を掴まれていた。
「キライなの」
 顔を上げずに、震える声で。
「あいつらの目、すごくキライなんです。倒しても全然勝った気しない。戦えば戦う程負けてくみたいで、嫌なんです」
 その身体の、あまりに小さいこと。ああ、レテと同じような体格なのに。甘やかしてはいけないのに。
 ライは正面から向き直り、リィレに手を伸ばした。髪をかき混ぜるように撫でてやる。
「正直言うとさ、オレも嫌だよ。でもオレたちが動かなきゃ、あいつらにもっと大きな顔をさせることになる。オレたちが生きるこのガリアの地で、だ。その方が嫌だろ?」
 リィレは小さく頷いた。橙色の耳が髪に張り付くぐらいに下がっていた。ライは彼女の両肩に手を置き、顔を覗き込む。
「じゃあ、できるな? ちゃんとガリアを守れるな?」
「……はい」
「いい子だ」
 額を一回だけ、軽くぶつけた。
「動きがあったらその時伝える。それまではゆっくり、休んどきな」
 こんな娘を戦いに駆り出さずに済む世界ならよかったのに、と詮無い愚痴を秘密でこぼした。