第一章 そして太陽が目覚めるように - 6/6

SIDE Rethe

 

 

雨を煩う

 

 レテはその日、カイネギス王から直々に話があると、玉座の間に呼び出されていた。
 恥じるようなことはしていない。平生であれば誇らしさで胸をいっぱいにして向かうところなのだが、事態が事態だけに、一体何を申し付けられることか……気が重い。
 レテは後ろで両手を重ねた姿勢のまま、居心地の悪さに耐えていた。
 王の他愛もない問いかけに二・三、答えているうちに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ライだ。
「エリンシア王女をお連れしました」
「入れ」
 王の答えに応じ、ライが姿を現した。見も知らぬ――もっともレテには『他のそれ』に知り合いもないが――ベオクの女を伴って。
 女が外套(くたびれ具合からしてライの貸した物だろうか)を取る。緩やかに流れる、鮮やかな緑色の髪。
 つと王に歩み寄って、女は優雅にスカートを持ち上げた。
「お初にお目にかかります、カイネギス様。ラモンの娘、エリンシア・リデル・クリミアと申します」
 レテは眉をひそめた。クリミアに王女など、そんなものがいるとは聞いたことがない。
 だが王は委細承知の様子で、クリミア王を懐かしみ、悼む言葉を口にする。そして女は王に促され、涙ながらに経緯を説明し始めた。
 デインの急襲を受け、護衛の騎士たちと共に王城を脱出したこと。
 王都近くで護衛の騎士とはぐれたところを、グレイル傭兵団なる者達に助けられたこと。
 その傭兵団とガリアへ落ち延びてきたこと。
 傭兵団は途中窮地に陥ったが、国境警備に就いていたライの部隊がそれを救ったこと。
 自分だけが先にガリア王宮に来ることになったが、その傭兵団をぜひここに呼び寄せたいこと……など。
 レテの心は特に動かなかった。頭の隅で、オキノドクだな、と思わないでもなかったが、それだけだ。
 どうして王は自分を呼び立てたのだろう。ベオクの匂いは嫌な感じがする。出来るだけ早くお暇を請いたい。
 そわそわしているのに気付いたのか、王がレテに声をかけてきた。
「レテ。お前に王女の身辺の世話を頼みたい」
「……は?」
 思わず不遜な声が出た。ライの顔色がさっと蒼褪めたが、構っている余裕などない。右手を胸に当てて叫ぶ。
「畏れながら、王! 私は戦士です。いくら女だとて、侍女や何かの真似事をすることなど……!!」
「解っている」
 レテの反応は予想済みだったのだろう。落ち着いた様子で、王は言う。
「戦士としての力を買っているからこそ、お前に頼みたいのだ。このガリアにも王女の命を狙う輩がいないとも限らん。有事の際、確実に王女を守りきれる者でなくては困る」
「オレは男だからやっぱり色々不都合がさっ! だから、な? 頼むよ~」
 ライも両手を合わせて拝んできた。レテは口唇の端に苦みを走らせる。
 正直、面倒くさい。もっと世話焼きの、相応しい女がいる筈ではないのか。どうせ自分に白羽の矢が立ったのも、ライの推薦によるものだろう。まったく余計なことばかりしてくれる。
 とは言え王が直々に……しかも一番に、声をかけてくれたのは事実だ。それに報いるのも、臣の務めなのではないか。
 レテは数秒間、きつく目を閉じた。それからやっと、低い声を絞り出す。
「分かりました。承ります」
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします、レテ様!!」
 ベオクの王女は深々と礼をした。レテはそれを冷ややかに見下ろしていた。王は見えているはずなのに咎め立てなかった。
「疲れているだろう。ゆっくり休むといい。……ライ、案内を」
「はい、王。ではエリンシア王女、こちらへどうぞ」
 王女は長々とした口上を述べてから、ライについて行く。
 置いてくぞ、と一応は上官の青年に呼び立てられて、レテも王に一礼し退出した。

 

「あ、あの……」
 一等の客室。ライはもういない。
 寝台に腰掛けている王女が、おどおどと声をかけてくる。
「お掛けになってはいかがですか? そちらの椅子でも、その……私の隣でも」
「いえ。結構です」
 レテは即答して直立を続けた。そうですか、と王女は俯いた。
「申し訳ありません……。ご面倒をお掛けしてしまって」
 そう思うなら来ないでくれたらよかったのに。
 口には出さなかったのだが、伝わったらしい。王女は、ごめんなさいともう一度謝った。あまり強くスカートを握るので、太腿の辺りの布にたくさんのしわが集まっている。
「本当は、誰にもご迷惑をお掛けしたくはないのです。でも、私を生かす為に大勢の者が死にました。私のせいで失われた命の為に、私はどうしても死ぬ訳にはいかないのです……!!」
 王女ははらはらと涙を零し始めた。白い拳の上に雫が落ちては流れた。レテは静かに背を向けた。
「お休みになっては? 不届きな輩は私が近づけさせませんので」
「え? は、はい。すみません」
 戸惑ったような声の他に、顔を上げる気配がした。だがレテは振り返らずに扉を開ける。
「あまり意味もなく謝らないでいただけますか。――不愉快です」
 外に出て、閉める。変に疲れた気がして扉に寄りかかった。
 ベオクのことだ、隠れて文句の一つも言うかもしれない。どうせ聴く気がなくても聴こえるのだから、堂々と毒づけばいいのに。
 案の定、王女の呟きが聴こえた。
「はい……ありがとうございます。レテ様」
 しかしそれは内容も声音も、レテの予想したものとは真逆だった。もしも聞こえよがしに言っているのだとしたら、大した女優だ。
 変な女、と頭の中で言ってみた。部屋の中からはもう声はしない。レテも黙っていた。

 

 控えめな音で扉が鳴る。当直明けの朝陽などレテには見慣れたものだが、今日はやけに目に刺さる。
「どうぞ」
 レテは無機質な声で答えた。扉が開く。王女が顔を出し、無防備に微笑んだ。
「おはようございます、レテ様」
「お早うございます。ベオクというのは内からでもノックをするのですか?」
 顔を見ずに問う。そうなのだ。部屋にいたのは王女の方で、レテは廊下側の扉の脇に立っていただけ。
 王女は、あの、と言いながら両手を組んだ。
「そうではないのですが、その、急に開けては驚かれるのではないかと、思って」
「気配で分かります。お気遣いは無用です」
「……はい」
 すみま、と聞こえた。だがはっと口をつぐむと、王女は不自然に話を逸らす。
「ちゃんとお休みになられましたか?」
「まぁ」
「よかった。一晩中ここにおられたのではないかと思って、心配していました」
 何が『よかった』のだか、ずっと口許が緩んでいる。レテも意識的に話題を変えた。
「お召し替えにならないのですか? 中にご用意申し上げたはずですが」
「あ! はい。あの……それが」
 煮え切らない態度だ。レテは口調を鋭くした。
「ラグズの服など着たくはないと?」
「い、いえ! とんでもないことです! とても素敵なお洋服です、でも」
 王女は服を持ってきて、おずおずと指し示した。
「ここが……」
 スカートの背面に穴が開いている。獣牙族が尾を通すのに使う穴だ。そういえば、ベオクには尾がないのだったか。
 レテは小さくため息をついた。
「腰巻を持って来させましょう。本来女はあまり着けないのですが、していたとしても、そうおかしいものでもありませんので」
「はい! ありがとうございます」
 王女はぱっと顔を輝かせた。女中の持ってきた布を抱え、嬉々とした様子で部屋に引っ込む。あまり長くはかからず再び姿を見せた。
「どうでしょうか? おかしくはありませんか」
「ええ」
 今のはどちらとも取れるな。言ってしまってから思ったが、どうやらいい方に解釈してご満悦らしいので、放っておくことにした。
「――ベオクの王族は、一人では服も着られぬと聞きました」
 その場でくるりと回るなどしている王女に、レテは呟いた。聞こえなければそれでもと思っていたのだが、動きを止めたところからして通じていたらしい。王女は両手を後ろで組み、微苦笑を浮かべる。
「そういう方もいらっしゃるかもしれませんね。でも私は、普通の王族とは少し事情が違うものですから、大抵のことは自分で出来るようになりました。……やはりおかしいでしょうか?」
「分かりません」
 レテはふいと身体の向きを変え、壁を見つめながら答えた。
「ただ、悪いことではないと思います」
 そうですか、と王女は安堵したように笑った。
「レテ様、お食事はお済みですか? よろしければご一緒に」
「いえ。お断りします」
 即答する。これくらいで打ち解けたとでも思ったのだろうか。つくづくベオクというのはおめでたい。
「朝食でしたらこちらへどうぞ。ご案内致しますので」
 レテは返事を聞かずに歩き出した。王女が小走りでついて来る。
 あれこれ訊かれたような気もするが、大したことではなかったので、全部忘れた。

 

 王女が朝食を終えてすぐのこと。レテは呼び出され、彼女の傍を離れた。
 言われた部屋に行ってみるとライとモゥディが待っていた。訝しんでいたら、座るように促される。
「で、本題なんだが」
 レテが席に着くなり、ライはせっかちに口を開いた。
「任務だ。ベオクの傭兵団を受け入れることになった。ゲバル城までそいつらを迎えに行ってく」
「断る!!」
 皆まで言わせず、レテは叫んだ。ライは静かにレテを一瞥した後、モゥディを向いた。
「エリンシア姫の命を救ってくれた連中なんだ、丁重にな。青い髪の、アイクって奴に話せば通じるはずだぜ。あいつは悪い奴じゃないから」
「ソうなのか」
「お前っ、まだ行くとは言ってないだろうが!」
 レテは机を叩いて立ち上がった。ライは、いかにも迷惑といった風に耳を塞ぐ。
「デカい声出すなよもー。姫の護衛なら、別のコの手が空いたから平気だって」
「そんな心配はしてない! 何で私たちが行かなきゃいけないんだ、そんなの!」
 怒鳴るレテに、ライは涼しい顔をして答えた。
「オレが選んだから」
「なん……ッ!?」
「――いいから座れ、レテ第三連隊長!!」
 ついにライの方も声を荒げた。滅多にないほど激しい叱責に、レテは内心の怒りを消せぬまま渋々腰を下ろす。
 その頃にはもう、ライは自然と落ち着いていたようだが。
「デイン王国を敵に回してまで、クリミアの王女を受け入れたんだ。もう後戻りは出来ない。何としてもクリミアを、王国として再興させる以外に道はなくなった。その為には、どんなわずかな希望も失う訳にはいかないんだ。何かあっちゃ困るんだよ」
「それで何故、私たちだ?」
 レテは睨むように、上目遣いでライを見た。ライは腕組みをし、首を少し傾ける。
「言ったろ。オレが一番信頼してるからさ。モゥディは、ベオクに対して理解がある。オマエだって、いくらベオクが嫌いでも、王に縁のある人たちを勝手に傷つけたりはしないからな」
「王に縁の?」
 レテは眉をひそめて繰り返した。ライは頷き、色違いの双眸を伏せる。
「傭兵団の団長殿は、王の御友人だったんだそうだ――不幸にして数日前に亡くなったがな。知っての通り、クリミア王ラモン殿も王の御友人だった。王は彼らの遺児たちの力になりたいとお考えなんだ。だからオレは、兵としてだけでなく個人的な感情としても、あいつらを助けてやりたいと思う」
 ライは不意に目を上げ、微苦笑した。
「やっぱり無理か?」
 この野郎、とレテは胸中で毒づいた。
「ライ! モゥディは行くぞ! ブじにミんなを連れてクる!!」
 口唇を噛み締める。こいつ、最初から断らせる気なんかなかったくせに。こうやって受けざるを得ない状況に追い込んで……!
「貸しは大きいからなッ!!」
 思い切り両手をついて立ち上がる。勝利を確信したライは、満面の笑みを浮かべていた。
「さっすがレテ、話が分かる~。メシ一回で、ど?」
「二回だ。モゥディ込みでな」
「はいはいはいはい! お二人様二食分フルコースで奢らせていただきますよ。オレの金で国一個救えるかもしれないってんなら、安いもんだ!!」
 ライは自棄っぱちの口調で両手を投げ出す。レテはにやりと笑ってみせた。
「言ったな? 忘れるなよ」
 ライは降参と言うように肩をすくめた。
「今すぐ出れるか? 食料とかは全部こっちで用意した。行く前に詰め所に寄ってくれ」
「分かった。ゲバル城だったな? ……行くぞ、モゥディ!」
「オぉ!!」
 廊下に出ると、まだ午前中だというのに随分薄暗くなっていた。雲行きが怪しい。
「雨の匂いがするな」
 眉をひそめて空を仰ぐ。仕方ない、早めに済ますか。
 レテはモゥディを促し、足を速めた。

 

 雨は嫌いだ。全身が濡れ、髪も服も肌に張り付いてしまう。何が悲しくてベオクの為に、こんな想いをしなくてはならないのか。
 雨に対する不快感も、ベオクに対する嫌悪感も一層強まってくる。
 ゲバル城に着いてみると、なんと城はデイン兵によって完全に包囲されていた。聞いた話では、傭兵団の人数はほんのわずかのはずだ。
 ――また面倒くさいことに。レテは舌打ちし、傍らのモゥディに言った。
「強行突破する。あの黒い鎧は全てデイン兵だ、攻撃して構わん。だが立ち止まるなよ。止まったが最後、囲まれてなます切りにされるからな。一気に駆け抜けるぞ」
 言い終え、鋭く息を吸い込む。身体が淡い光に縁取られ、姿が変わっていく。
 モゥディも化身したのを確かめて、レテは茂みから飛び出した。
『行クゾ!!』
 手近にいた兵の体を駆け抜けざまに傷つける。激痛が走る程度に。大声が上げられる程度に。
 期待通り上げられた悲鳴。安全な筈の後方から聞こえた叫びに、デイン兵達が振り返る。
 今度こそ加減をしなかった。事態が呑み込めずにいるうち、腹を切り裂き喉笛を噛み切っていく。
「が、ガリアの獣人ッ!?」
「ああ、うわッ、化物ッ!!」
「く、来るなぁ、ケダモノッ!!」
 騒ぐデイン兵に、レテは内心で吐き捨てた。
 たった二人のラグズにこの様か。我々をケダモノとはよく言えたものだな、虫ケラ共め。
「退けッ! 退けぇぇぇええ!!」
 誰かが叫んでいる。引いていく黒い波を泳ぐように、レテは助けなければならなかったベオクの元に辿り着く。
 高い場所を確保して化身を解き、彼らを見回す。怯えたような目がこちらを見ていた。目が合うと、反射のように視線を逸らす。忌避と恐怖。
 ――所詮ニンゲン、デインもクリミアも似たようなものだ――
 レテが鼻を鳴らして視線を外した瞬間、だった。彼女は別の色をした瞳に出逢った。
 大きく見開かれた、まだ幼さの残る、瞳。
 前しか見えぬような、真っ直ぐな視線。
 力強く輝く、光。
 海のように深い、蒼。
 同時に揺らめく、炎のような、熱。
 彼は目を逸らそうとしなかった。
 何故だか彼女も目を逸らすことが出来なかった。
 視線が交錯する。その空間だけ雨が止んでいるように見えた。

 

 

To SIDE Ike

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