第一章 開戦 - 5/6

SIDE:Ike

 

【半獣】

 

 ガリア領へと続く樹海に入った。森と何が違うんだ、と訊いたら、広大な森林地帯のことを樹海というんだよ、とオスカーが教えてくれた。成程これは、広大としか表現のしようがない。
「くそ~っ、なんで、こんなに蒸し暑いんだよぉ!」
 ガトリーが叫んでいるように、暑い。バンダナをしているにもかかわらず、こめかみ辺りから汗が伝ってくる。
 軽装のアイクですらこれなのだ、重装備のガトリーは……ご愁傷様という他ない。
「樹海なんてところは、オレたちデリケートな人間が来るところじゃねぇんだよ」
 シノンは高く結い上げた髪の裏にあるうなじを、片手で拭った。長くて紅い髪が揺れている。
「ま、オレたちと違って半獣共は平気らしいけどなぁ?」
 そこでようやくアイクは、『デリケートな』という言葉は、『オレたち』ではなく『人間』に係っていたのだと気がついた。
「半獣は、そんなに俺たちと違うものなのか?」
 無視される覚悟でその背に声をかけると、意外にもシノンは肩越しに視線を向けてきた。
「なんだ。おめぇ、半獣を見たことないのか?」
「まだ、ない」
 今なら話を聞かせてくれそうだ。アイクは早足で隣に並ぶ。シノンは眉をひそめた。並んで歩くのはそんなに嫌かと思ったが、どうやらそのことではないらしい。
「オレはあるぜ。毛むくじゃらの奴をよぉ。そりゃあ醜い姿で、鋭い爪と牙が……ぐいっと、こう、なんてーか、すごくてな」
 右手を左手の先や口の側でしきりに動かす。やがて伝える努力を放棄したようで、シノンは小さく肩をすくめた。
「オレたちと同じ言葉を話すっつっても、ありゃあ獣だよ。本物のな」
 アイクは『半獣』を想像してみた。全身を毛で覆われた獣が、二足歩行で話しかけてくる様を。それはそれで会ってみたい気もする。面白そうだ
 ふと上を見た。大きな鳥が視界を横切っていく。
「半獣っていうのは、そういうのだけか? 他にも種類はいるのか?」
 一口に獣と言っても、牙や爪の発達したものだけではあるまい。
 問いかけると、シノンとは反対側から返事が来た。セネリオだ。
「『半獣』と呼ばれるものは、その特徴に応じて『獣牙族』、『鳥翼族』、『竜鱗族』の三つに分類されます。ガリアにいるのは、獣牙族……今シノンが言ったものですね」
「ここから東南の島々にゃ鳥の化け物、南のゴルドアにゃ竜の化け物。ま、傭兵やる上で知ってて当然の知識だ。もっとも、アイク坊やは知らなかったみたいだがなぁ?」
 シノンがいやらしく笑いながら補足してくる。そうだな、としかアイクは答えなかった。手首でこめかみの汗を拭う。
 腹は立たないと言えば嘘だが、暑いのでもう突っかかるのも面倒くさい。言い方の是非はともかく、発言内容自体は事実であるのだし。
 セネリオも、じとりとシノンを見ていたが、特に何も言わなかった。
「もう少しで樹海を抜けそうですよ。アイク」
 わざわざアイクだけを名指しする辺り、抵抗の様子が見られるが。シノンは気にした様子もなく口許を緩ませた。
「本当か? そうすりゃガリア領だ! ここを出られるんなら、半獣の国だろうが天国に思えるぜ」
 現金なと思ったが黙っておく。こんな所で殺されるのは御免だ。
 先頭を歩いていたグレイルが、不意に足を止めた。身体ごと向き直り、声を張り上げる。
「全員、止まれ! そろそろ樹海を抜ける。隊形を組み直すぞ!」
 団員はみな汗だくだったが、動きは素早かった。王女や子供たちも、顔は真っ赤ながら問題なく動けそうだ。
 全員の調子を確認してから、グレイルはセネリオを見た。
「どう動くのが最善か――何か策はあるか?」
 セネリオは後方に視線を動かしかけてから、やめた。顔は上げず足元の蔦を見つめている。
「全く戦えない者がいる以上、追いつかれれば苦しくなります。戦える者で別働隊を作り、敵を攪乱している隙に本隊が全速力で国境を……」
「戦力を割る? 本隊はともかく、別働隊にかかる危険が高すぎないか?」
 オスカーが眉をひそめた。セネリオは首を動かさず、横目でオスカーを見た。
「任務の完遂を考え、犠牲を最小限に抑えるのであればこれしかありません。恐らく樹海の出口でも待ち伏せがあるでしょう。このまま何もせず森を抜け、追っ手と待ち伏せ部隊から挟み撃ちに遭えば……我々は全滅します」
「やってみるしかなさそうだ」
 グレイルはひとつ息をついてから、部隊を二つに分けた。
 別働隊はグレイル・シノン・ガトリー。本隊はまたアイクが指揮することになった。
「そっちは、それだけでいいのか?」
 アイクは問う。確かに、実力的には傭兵団でも最上位――アイクの補佐に入ったティアマトは除くとして――を占める者達だ。とはいえあまりに人数が少なすぎる。シノンは思い切りアイクを見下ろし、吐き捨てた。
「バカが! こういう作戦は少ねぇ方が身動き取りやすいんだよ。ヒトのことより、テメェらの心配をしてろ!」
 アイクは眉間にしわを寄せた。ここは怒るところだろうか、ご心配ありがとうと感動するところだろうか。
 グレイルは乱雑に並び変わった仲間たちを集め直した。全員を見渡し、ゆっくりと口を開く。
「いいか。多分これが、俺たち傭兵団にとってこれまでで最大の戦いとなるだろう。命令はひとつだけだ。……誰も死ぬな!」
 じっとりと暑い。目尻の脇を汗が流れ落ちていく。
 グレイルの額にも滴が滲み、頬を伝って顎からしたたっていくのが、木漏れ陽の中でもよく見えた。
「血の繋がりがあるとかないとかそんなことは、どうでもいい。俺たちはひとつの家族だと思え。家族を悲しませたくなければ……生き延びろ!!」
 言い終えた後は沈黙だった。誰も何も言わなかった。グレイルの顔から目を離さない者。一人一人の顔を順々に見つめる者。俯く者、目を閉じる者。誰も何も言わなかった。
 そして、グレイルは再び口を開く。右腕を真っ直ぐに伸ばし、出口を指差して。
「では、行け。ガリアで会おう!!」
 アイクは頷いた。頷いて、歩き出した。目も眩むような光の先へ。

 

 国境線には、予想を上回るデイン兵が配備されていた。
 ここを越えればデインは相当不利になるからと、セネリオが説明してくれた。コクサイモンダイというやつが大きくなるらしい。だからこそ、グレイルたち陽動隊の方には、比較にならないほどの兵が投入されているだろうとも。
 いずれにせよ、アイクは目標地点を突破するだけだ。セネリオの策で、何とか全員事なきを得た。
「ここが……ガリアなんだ? わたしたち、助かったんだよね?」
 なんか実感ないかも、と呟きながらミストは辺りを見回した。
 確かに、多少見通しがいい所に出たというだけで、鬱蒼とした樹々は相変わらずどこを向いても視界に入ってくる。
「本当に、皆様のおかげです。ありがとうございます……」
 瑞々しい葉に似た髪が乱れるのも厭わずに、エリンシアは頭を下げた。深く。そんなのはいいから顔を上げてくれ、とアイクは言おうとしたが、先にセネリオが遮った。
「安心するのはまだ早いですよ」
 セネリオは腕を組んで彼方を見遣っている。表情は平静を装っているが、口唇の端に苦々しいものが滲んでいるのが分かった。
「気付きませんか。別働隊が追いついてきません」
「あ……!!」
 エリンシアは上体を跳ね上げた。肌の色が気の毒なほど蒼褪めている。ティアマトは彼女の様子をちらりと見て、取り繕うように呟いた。
「団長たちのことだから、心配ないとは思うんだけど……」
 けど。そう、『けど』、だ。許された時間はそう多くはない――わずかな沈黙の後、アイクは小さく嘆息した。
「エリンシア姫。一度ここで別れよう」
「ど、どういう意味ですか?」
 エリンシアの表情が険しくなった。ちがう、とアイクは首を横に振る。毎度毎度、言葉が足りないために動揺させてばかりだ。反省はしているつもりなのに直らない。
「見捨てていこうってわけじゃない。俺たちは仲間を助けに戻る、だからあんたにはミストたちと一緒にガリア王宮に向かってほしいんだ」
「あ……分かり、ました」
 エリンシアは俯いて後ろに下がった。祈るように握り締めた両手は震えていた。
 可哀想だと思う気持ちは、これでもある。だがアイクは、家族の危機を捨て置けなかった。それが杞憂であったとしても、安心する為の無駄足ならばいくらでも踏もう。後悔だけは、絶対にしたくないから。
「わたしは残る」
 唐突に言い放ったのは、ミストだった。その瞳はあまりに切迫していて、まるでアイクを睨んでいるようだった。
「わたしも残る! これ以上バラバラになるなんていや、一緒にいる!!」
「聞け、ミスト! みんなが生き残る為なんだ!!」
 アイクは妹の両肩を掴む。ミストの目が見開かれた拍子に、湛えられていた滴がこぼれ落ちた。その輝きに、はっとする。すぐに口調を和らげ、妹の顔を覗き込んだ。
「親父たちと一緒にすぐ追いかける、心配するな。俺も親父も、約束を破ったことはないだろう?」
「うん……」
 ミストは弱々しく頷いて、緩められたアイクの手から離れた。
「じゃあ、先に行ってる……」
「いい子ね、ミスト。すぐにまた会えるわ」
 ティアマトがミストの髪を撫でた。父親譲りの色をした髪を。ミストは微笑んで、先程よりもはっきりと首を縦に振った。
「ティアマトさん。お兄ちゃんたちのこと、お願い」
「まかせて」
 ティアマトは殊更大袈裟に拳を握ってみせる。
 ヨファはそのやり取りを黙って見ていたが、ふと思い立ったように兄たちのところに寄っていった。
「オスカーお兄ちゃん、ボーレ……。死んじゃ……やだよ?」
「ヨファ……」
 オスカーは弟の名を呟いて、左の肩に手を置いた。ボーレは二人の背中を乱暴に叩いた。
「二人共、辛気臭ぇ面すんなよ! だーいじょうぶだって、おれがいるんだからよぉ!」
 どことなく乾いた次兄の笑いに、どことなく湿った笑みを返して、ヨファはミストとエリンシアの方へ駆け戻った。
「じゃあ、お兄ちゃん。わたしたち、もう行くね」
「傭兵団の皆様、後でまた必ず。ご無事を信じています……!」
 アイクたちは三人の背中が見えなくなるまで見送った。
 そして、揃ってきびすを返す。来た道を戻り東へ。増援が来る前に、別働隊と合流しなくては。

 

「ここにもいないか」
 クリミア領に引き返したはいいものの、当たりをつけた場所にグレイルたちはいなかった。
 セネリオが難しい顔で歩み寄ってくr。
「これ以上の捜索は危険です、一度ガリア領に戻りましょう。別働隊も、違うルートからガリア入りを果たしている可能性も……全くない訳では、ありませんし」
「そうだな」
 合流できないままやられては本末転倒だ。無事を信じて、ここは一度退くしかあるまい。団員を集めてガリア領に向かおう。アイクが嘆息したとき、ちょうどティアマトが帰ってきた。
「ティアマト。一旦――」
「ちょっと待って。あそこに砦があるの。いま一瞬、人影が見えたような気がするんだけど……行ってみる?」
 ティアマトはアイクの台詞を遮った。その割に、自身はあまり期待していないような口振りだったが。しかしアイクとしては、わずかでも可能性があるのなら確かめておきたい。
 セネリオを振り返る。意思は十二分に伝わっているらしく、即座に頷いてきた。アイクは頷き返し、あらためて集合をかけると砦へ向かった。
「長く使われていないようですね」
 セネリオが指摘した通り、砦の内部は荒れていた。石壁には所々苔が生えているし、隅の方には蜘蛛の巣が張っている。埃とカビの混じった臭いが、鼻の粘膜を絶えず刺激していた。
 ティアマトが独り言のように呟く。
「誰もいない……。見間違いだったのかしら?」
「ここを捜しても見つからなければ、今度こそ一度ガリア領に戻ろう。俺たちが全滅したんじゃ意味がない」
 アイクはティアマトの方を向いた。ティアマトも返事をしようと口を開けたのだろう。だが更に大きく開かれた口唇は、既に意味を変えてしまっていた。
 異変に気付き、アイクは背後を見る。同時に不快な濁声が鼓膜を震わせた。
「いたぞ! クリミアの傭兵共だ、囲めッ!!」
 デイン軍。外れも外れか――いや、当たりの可能性が跳ね上がったとも言えるのか。ともかくも見つかってしまった以上、戦うしかあるまい。
 アイクは剣を抜いた。それが双方の合図になる。金属の叫び。断末魔。荒城の局所戦は短時間で収束した。
「この辺の連中はあらかた倒したか?」
 アイクは刃を拭う。新たに生臭い鉄の臭いまで立ち込めて、空気はなおさら悪化した。時間が経つと更に耐え難くなるだろう。早く脱出しなければ、胸の弱いキルロイなど本当に洒落にならない。
 ティアマトとオスカーにしんがりを任せ、アイクはボーレと共に、警戒しつつ先頭を歩き出した。
「おい! アイク、また誰か来るぜ」
 ボーレが片手でアイクを制した。アイクも全身で気配を探る。音はしない……いや、たった今聴こえ始めた。
 向こうの角から、爪先で走るような、軽やかな足音。そして――。
(――抜刀したッ!!)
 黒い影が飛び出す。アイクのものと見知らぬもの、二振りの剣が衝突する。真っ先に目に飛び込んできたのは、殺気に彩られた緑の瞳。
 削ぐ。細い身体は簡単に吹き飛んだ。否、退いたのだ。ほとんど音もさせず着地する。床と平行になびいていた紫の髪が、重力に従って背中に落ちた。
「あんたたち、デイン兵……じゃ、なさそうだね」
 高い声で言いながら、目の前の剣士は首を傾げた。
 一瞬少年かと思ったが、女だ。年齢はアイクと同じか、少し下ぐらいだろうか。
 その口振りでは少女もデイン兵ではないらしい。アイクは剣を構えたまま、答えた。
「逆だな。連中に追われてる側だ」
「あ、ごっめん。間違えた!」
 少女は、やっちゃったぁ~とぼやきながら頭をかいた。
「ところでさぁ。あんたたちの中にアイクって人、いない?」
 斬りかかってきた時とはまるで雰囲気が違う。あまりにもあっけらかんと言われたので、アイクは思わず剣を下げてボーレの顔を見てしまった。ボーレは面白がるように肩をすくめただけだ。
 アイクは眉をひそめて、前に出る。
「俺だ。だが、お前は誰だ?」
 アイクの問いに、少女は待ってましたとばかりに抜き身を肩に載せ、不敵に笑った。
「あたしはワユ。クリミア軍に雇われてた傭兵」
「軍の傭兵が、どうしてここにいる」
「それがドジって捕まっちゃったんだよねぇ、あたしとしたことが!」
 少女――ワユは、アイクの警戒など意にも介さぬように、けらけらと明るい声を上げた。アイクの態度どころか自分の状況すらも、あまり気にしていないらしい。
「もうちょっとで、捕虜囚虜所に送られそうなところだったんだけどね。グレイルさんに助けてもらったんだ」
「親父たちに会ったのか? どこで!?」
 アイクはワユに駆け寄ろうとした。だが途中で気付いて剣を納める。ワユは軽い調子で、抜いたままでいいよと言った。
「ここより北の方かな。すぐ近く」
「そうか。無事なんだな……」
 アイクは胸を撫で下ろした。今度はこっちの番、とでも言うようにワユが再び問うてくる。
「ね、あんたたちって一体、何者?」
「グレイル傭兵団。あんたと同じようなもんだ、クリミア側で戦ってる」
「これで全員?」
「あんたが会った分を除けばな」
「へぇ、この人数でデインの一部隊と渡り合ってんだ!」
 ワユはぱちんと指を鳴らした。まるで、最高のいたずらを思いついた子供のような顔。
「この戦い、あたしも加勢させてもらうよ。いいでしょ?」
「それは構わないが」
 アイクは眉を寄せた。
 彼は傭兵、彼女も傭兵。傭兵だからこその心配事というものが、ある。
「俺の一存では、手当てが出せないかもしれないぞ」
「なーにそんな! 細かいコトは気にしないっ!」
 思い切り背中を叩かれた。アイクが咳きこみそうになっている間に、ワユは通路の奥を指差す。
「あーほらほら新しいの来た来た! 敵さん、じゃんじゃん追加だよ」
「いやだって、あんたが騒ぐから……」
「男がごちゃごちゃ言わなーい。ほら行っくよー、大将っ!!」
「たいしょ……」
 アイクはげんなりして呟いた。
 ワユが先に駆け出していく。現れたデイン兵の首に刃をかけ、真っ直ぐに引き戻す。無駄のない動き、洗練された直線――それは、アイクが昔大きな街で見かけた、弦楽奏者さながら。
 自分も負けてはいられない。アイクも走り出した。別の兵の右胴に剣身を叩き込む。身体が折れ曲がった拍子に、下がってきた首へ容赦なく斬撃を見舞う。
 程なく喧騒が止み、アイクは振り返った。ちょうどワユが最後の一人を片付けて、血を振るい落としているところだった。視線に気付いたのか、ワユは身体をこちらに向ける。
「じゃ、そういうことで皆さん。よろしく」
 一公演終えた演奏家のように一礼。傭兵団の面々も顔を見合わせつつ、礼を返した。

 

「出口は分かるか?」
「ごめん、そこまではー」
「いや、いい。進めば見つかるだろう」
 デイン兵を蹴散らしつつ、通路を北へ。廊下の角を西に曲がる。
 そこでアイクは足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
「見つけたよ。思ったよりは楽しめたねぇ」
 視界の先には、廊下を封鎖するように整列している数多の黒い鎧。
 その先頭に背の高い女が、不吉なほど艶やかな黒髪を揺らし、妖しく立っていた。金で装飾を施された荘重な鎧、派手な赤い外套、毒々しい口紅の色。
「自分たちの不運を嘆くがいい、傭兵共! このプラハ将軍が来たことで、お前たちは万に一つも生き延びるチャンスがなくなっちまったんだからねぇ」
「プラハ……まさか、【四駿】の?」
 セネリオが背後で呟いた。アイクは振り返り、彼の険しい顔を見る。
「知っているのか?」
「恐らく、デイン王の腹心たる四将軍の一人です。あの女の武器・フレイムランスは高位の炎魔法を繰り出すとか」
 女――プラハは、セネリオの言葉ににやりと笑った。蛇を思わせる粘ついた笑み。
「あたしを知ってるなら話は早い。さ、大人しく王女を差し出しな。お前達ごと王女を焼いちまったら、陛下に首級を捧げられないからねぇ」
 黒い手袋に覆われた指が、獲物に飢えた舌のように蠢く。アイクは女に、鉱物のように硬く冷たい視線を返した。
「残念だが、王女はここにはいない。とっくにガリア領に入った」
「なん、だってぇ……ッ!?」
 女は急に狼狽すると、頭を左右に振った。手袋越しに親指の爪を噛んでいる。
「そんなことが信じられるもんか! たかが傭兵風情が、このプラハ様を出し抜ける訳が……!!」
「その過ぎた自信が、しくじりを誘発するということだ」
 誰かがアイクに似た口調で言い切った。――いや、違う。アイクの口調が彼に似ているのだ。
 デイン軍の向こう側から、悠然と近づいてくる男。その顔を確認する前に、アイクは叫んだ。
「親父っ!!」
「何故戻ってきた、この馬鹿者め!!」
 グレイルは息子の声を聞くなり一喝する。
 まぁもっともだと思いつつアイクは、手短に事情を説明した。グレイルは低い声で、その実どうやら嬉しそうに、答えた。
「仕方のない奴だ。だがよくやった、褒めてやろう」
「くっ……! あたしを無視するとは、いい度胸じゃないか」
 それまで黙って聞いていた女がグレイルの方へ進み出た。だが怒りに震えていた声が、不意に上機嫌に変わる。
「待ちな。察するに、お前が団長だね? へぇ……どんな偉丈夫かと思えば、その辺の傭兵と変わりないじゃないか」
 品定めをするようにグレイルを眺めている。グレイルは訝しげに女を睨んだ。女は高笑いで、グレイルを指差し宣言する。
「お前の身柄、このプラハが貰い受けるよ! 陛下は、それはそれは強い男がお好きだからねぇ。大人しくしなよ? 生け捕りじゃなきゃ価値がないんだから」
「『狂王』アシュナードの悪趣味は、噂どおりということか」
 グレイルは吐き棄てるように言った。アイクは解説を求めてセネリオを振り向く。セネリオは腕を組み、アイクの向こうに視線をやっていた。
「デイン王は大陸中から猛者を集めて互いに潰し合わせ、生き残った者は素性がどうであれ側近に取り立てる……という噂です。果たして何処までが真実なのかは、判りませんが」
「アイク! お前たちはシノンたちと一緒にここを抜け出せ!」
 グレイルが視線を女から外さずに怒鳴る。有無を言わさぬ声音だった。
「急げ! ガリアで落ち合おう!!」
「逃がさないよ。あんたも、あんたの部下たちもね」
 黒い一団があらためてアイクたちの行く手をふさぎ直す。グレイルの姿ももう見えない。面白がるような会話が聞こえるだけだ。
「プラハ、といったか? 騎馬のお前はここでは全力を出せまい。お互い、滅多に巡り逢えんような実力の持ち主なんだ。邪魔の入らぬところで存分にやり合いたいのだが?」
「意外に女の扱いを心得てるじゃないか。いいだろう、乗ってやるよ。……お前たち! いいかい、あたしが戻るまでにクリミアのネズミ共を全部潰しておくんだ。一匹たりとも逃がすんじゃないよ!!」
 足音と声が遠ざかる。残されたのはアイクたちと、目前の黒い塊だけだ。
 アイクは抜き放ったままの剣を構え、叫んだ。
「シノンたちと合流し、ここを突破する! 全員、遅れるな!!」
 声と同時に駆け出す。突き出された槍をかいくぐりながら斬り上げる。そのまま左脚を軸に身体を半回転させながら、隣の兵の肩口から斜めに剣を走らせる。
 最初に斬りつけた兵は、烈風に喉を切り裂かれて絶命している。
 彼が倒れて空いた場所にボーレが踏み込み、雄叫びと共に奥にいた兵の兜を叩き割っていた。
 数の論理など端から頭にない。怯懦とは無縁のグレイル傭兵団に挟撃されたデイン兵の方こそ、追い立てられた鼠だった。間もなく黒団子は瓦解し、敗走していった。
「シノン、ガトリー! 無事だったか」
 アイクは、今までデイン兵の向こう側にいたシノンたちに駆け寄っていった。シノンはアイクを見もせずに、デイン兵の装備から矢を補充している。
「生憎、こうしてぴんぴんしてるぜ。くたばってなくて残念だったなぁ?」
 アイクは黙って首を横に振った。憎まれ口が叩けるならそれでいい。
 ガトリーの姿を捜す。目が合うと、彼は大きく手を振りながら走ってきた。
「おおっ、アイク! ちゃんと王女をガリア入りさせたんだって? よくやった、大したもんだ!」
 激しく左肩を叩かれる。肩当てが骨に当たって痛い。アイクが抗議しようとしたとき、ガトリーはふと手を止めて首を傾げた。
「あれ? でもさ、だったらどうしてお前がここにいんだ?」
「余計なことだと思ったがあんたたちが心配だった」
 早口で答えながら、離れようと試みる。ところが逆に、がっしと捕らえられてしまった。
「くぅ~! 泣かせるじゃねぇかこんちくしょうっ!! よーしよし、今夜は特別にこのおれが一杯おごってやっからな!」
「ガトリー俺は酒は……ッ」
 言いながら押し返すがびくともしない。シノンの怒号が飛んできた。
「おいバカ共いつまでやってやがる! 行くぞッ!!」
「あ、はいッ!!」
 ガトリーはアイクを放してシノンを追った。アイクも咳き込みながら、先行したティアマトたちに追いつくべく走り出す。ワユが追いつきざま、背中を叩いてきた。
「楽しそうでいいねぇ、この団!」
「……退屈はせんがな」
 苦々しい思いで呟いて、アイクは足を速めた。
 やがて、訓練場だろうか、城内ではあるがかなり大きな部屋に出た。先行したティアマトが、グレイルとデインの女将軍の戦いの行方を見守っている。
「ティアマト! 親父は……」
「大丈夫。グレイル団長が優勢よ」
 グレイルは女に、真っ直ぐ斧を向けている。
「どうした、もう終わりか?」
「負ける……? このあたしが……そんなバカな……」
 女は顔面を蒼白にして、槍を握り締めていた。
 グレイルが一歩前に出る。女が一歩退がる。グレイルがもう一歩進み出ようとした瞬間、大量の足音が響いてきた。
「増援……!!」
 アイクは歯噛みする。先程蹴散らしたのとは比べものにならない数のデイン兵が、北の通路から入り込んできている。クリミアの残兵がここにいることは、とうに伝わっていたのかもしれない。ここに長居したのは失態だった。
「親父! 退こう、すごい数だ……!!」
 アイクは小走りでグレイルに並ぶ。グレイルはかぶりを振り、人差し指をぐるりと旋回させた。指の動きにつられてアイクは周囲を見回す。そして目を見開いた。残りの三方からも黒い塊が吐き出されてきたのだ。
 囲まれた。遮蔽物の全くないこんな場所で……!
「形勢逆転だねぇ」
 女が急に強気になって、口唇を歪めた。グレイルは否定しなかった。
「万事休す、か」
「親父ッ!!」
 何を弱気な、と言おうとして、アイクは言葉を呑み込んだ。
 こちらを向いたグレイルはいつものように、不敵に笑っていたから。
「なにがなんでも生き残るぞ、アイク。こんな所でくたばる訳にはいかん」
「ああ!」
 アイクが頷いたのを見て、グレイルは他の団員に目を向けた。言葉は短い。
「覚悟はいいな?」
 だが、充分だった。アイクが剣を抜く。背後で、正面で、武器を構える音がする。
 女が低い声で命を下した。
「お前たちを見放した神を呪うがいいさ。……全軍、突撃! あいつらを殺せッ!!」
 息も出来ぬほど張り詰める空気。肌を刺す緊張。両陣営が今にも衝突するかと思われた――瞬間。
 足元を揺るがすような震動が、アイクたちを襲った。一瞬、そんなに大勢のデイン兵の足踏みかと思ったが、違う。黒鎧の連中も一緒に浮き足立っている。
 状況が判らない。とにかく神経を尖らせて周囲を窺う。何かの咆哮のようなものが、遠く耳に届いた。
「けも、の?」
「け、獣だっ……! ガリアの獣兵だっ!!」
 アイクの声に答えたという訳ではないのであろうが、デイン兵の一人が絶叫した。その言葉が投石のように黒い海を波立たせていく。
「逃げろ! 化物が来るッ!!」
「殺され……喰い殺されるッ!!」
 最早、傭兵団を相手にしようなどという兵はいなかった。我先に出口へと殺到する。
「ま、待ちな! お前たち、うろたえるな! 敵に背中を向けた者は、この場であたしが黒焦げにするよ!!」
 女の命に従ったのは、彼女の背後の兵たちだけだ。他の兵たちには何の効力もなかった。一体どちらが敵か知れたものではない。
「くっ、どいつもこいつも腰抜けばかりだ」
 毒づいた女自身も、傭兵団や近づいてくる謎の一団に対して、何か行動を起こそうとはしなかった。その場から動かずに周囲を探っている。
 数秒後、西側出口からデイン兵たちが戻ってきた。しかしどう見ても、自らの職務を思い出したという風ではない。何事かを伝えようとしているのか、それともただの喘ぎなのか、しきりに口を開閉している。
「け、け、獣……」
 その言葉が聞き取れる距離まで来て、アイクはデイン兵の背後にいくつもの光る何かを見た。目だ、と気付いた頃にはそれらはもうこの広間まで入り込んできて、全体の姿を松明の光にさらす。
 口の両端から飛び出した鋭い牙。床を踏みしめる四本の足、そこから生えている長い爪。全身を毛で覆われたイキモノ。シノンの証言を、デイン兵の言葉を、頭の中で繰り返す。
(ガリアの……獣、兵……)
 先頭にいた一頭の輪郭が、突然淡く光り出した。細身で牙の無い、空色の毛を持つ獣だ。四本指だった前足に五本目が現れ親指となり、剃り落としていくように毛が失われて肌色が現れる。あれはもう脚ではなくて、手と呼ぶべきなのではないか? そう思ったとき、獣は二本の後ろ足だけで立ち上がった。
 ――いや、もう獣と呼ぶのはよそう。何故ならそれは既に、アイクと同じような……人の形を取っていたのだから。
 彼、は、真っ直ぐに前を見据えていた。鋭く吼える。
「デイン兵に告ぐ! 直ちにこの場から去れ。さもなくば、我らガリア王国軍が相手となるぞ!!」
 頭の上に張り出した耳と、長い尻尾を持つ青年――その姿は猫を思わせた――の、凛とした声が響き渡る。
 反応出来た者はいなかった。……槍を握り締めた女将軍を除いては。
「そう言われて『はい』と返事ができるもんか。どのみち陛下の許に戻れば殺されるんだ。だったら戦って死ぬ方がマシってもんさ」
 青年は答えなかった。ただ耳を小さく動かしただけだ。右斜め後ろにいる、藍色の大柄な獣が動こうとするのを手で制し、黙っている。女もああは言ったものの、仕掛けるタイミングを計り損ねているようだ。
 と、突然ガリア軍が一斉にこちらを向いた。いや、違う。確かにこの方向を見てはいるが、傭兵団を見たのではない。アイクは東の出入り口を振り返る。
「退け。プラハ将軍」
 いつの間にか男が一人立っていた。
 男、というのは体格から判断したに過ぎないのだが――というのも、その人物は頭から爪先まで、全身を隙間無く漆黒の鎧で覆っていたからだ。声の高さからは若そうな印象を受けるが、口調はひどく厳かだった。
「王には私がとりなしてやろう。ここは兵を退くがいい」
 女は一つ舌打ちをしただけで何も反論せず、兵をまとめて引き上げていった。
 ただ一人、漆黒鎧の男だけが残っている。どうやらグレイルを見ているように見えた。アイクが見上げると、グレイルは色のない、それでいて内では感情が渦巻いているような不可思議な表情をしていた。
「おいっ! 一人でやるつもりか、デイン兵!?」
 ガリアの青年が叫ぶ。煩がるように、男はゆっくりときびすを返して立ち去った。
 青年が一人で歩み寄ってくる。アイクは前に出て、彼と向かい合った。そろそろと口を開く。
「お前は、ガリアの……半獣、か?」
「『半獣』?」
 この距離で差し向かいに立って、アイクは彼の双眸が左右で違う色をしているのに気が付いた。
 左の翠には侮蔑、右の紫には嫌悪が浮かんでいる。
「ハッ、思い上がった呼び名だよなぁ? お前たちから見れば、オレたち『ラグズ』は半端者の『半獣』だってのかい?」
「……他に呼び方を知らなかった。気に障ったのなら、すまん」
 我ながら何と言い訳がましい謝罪かと思った。はんぶん、などと呼ばれて気分のいい筈がないではないか。少し考えれば分かることなのに。
 アイクは青年の目を真っ直ぐに見つめて、言い直した。
「あんたたちのことは、『ラグズ』……そう呼べばいいんだな?」
「へぇ、礼は通すってのか?」
 青年は瞳から激しい光を消した。その代わり、値踏みするような無遠慮さでアイクを眺めている。アイクはその間、結構若いな、キルロイぐらいだろうかと考えながら青年を見つめ返していた。
 一通り見て納得したらしく、青年はアイクの右肩を軽く叩く。
「気に入ったよ。オレはガリアの戦士ライ、で、お前さんは……ええっと?」
「アイクだ。グレイル傭兵団のアイク」
「アイク、ね。よし覚えた。んじゃ、ま、おしゃべりはこれくらいにして」
 青年――ライは、立てた親指で背後を示し、にっと笑った。
「外に出ようぜ。あんたらの無事を確かめたい人たちが待ってる」

 

「お父さん! お兄ちゃん!」
 外に出るなり、ミストが走ってきてグレイルに抱きついた。ということは、とアイクは辺りを見回す。
「グレイル様、アイク様! ご無事でよかった」
「エリンシア姫。どうして戻って来たんだ?」
 アイクは答えずに腕組みをした。知らず口調が棘々しくなっていたらしい。微かに身を震わせたエリンシアの傍にライがやって来て、肩をすくめた。
「恐い顔しなさんな。オレたちが傭兵団の救助に来たのも、王女の要請があったからなんだぜ?」
「そうなのか」
「そうなのさ」
 ライが歌うように繰り返す。アイクはエリンシアを向いた。エリンシアがおずおずと見返してくる。意識して、アイクは声と表情を和らげた。
「ありがとう、エリンシア姫。おかげで助かった」
 エリンシアはいえ、と呟いて俯いた。
「しかし、そんなに早く駆けつけてくれたってことは、ライたちはこの近くにいたのか?」
 アイクの問いに、ライはまぁなと言って眉をひそめた。
「二日前に、デインがクリミア王宮で勝利宣言を出したからな。我が王は、それで国境警備を強化されていたんだ」
「勝利宣言? じゃあクリミアは……」
 アイクは言いさして、エリンシアを見た。顔を上げない。両手を胸の前で強く握り締めている。
「私も、先程ライ様から伺いました。私が、逃げ出した直後に、レニング叔父様は、もう……。私は、本当にたった、一人に……」
 何と声をかけていいか分からずに、アイクは口をつぐんだ。
 ライもしばらくは何も言わなかった。沈黙が底にまで届いた頃、ようやく口を開く。
「とりあえず、エリンシア姫を王の御許へご案内する。アイク、あんた達については上の指示を仰いでみるから、ガリア領の古城で待機しててくれ。悪いが、こんなに大勢のヨソモノをいきなり王宮に連れていく訳には行かなくてね」
 アイクは頷き、グレイルを振り返った。
「それで問題ないよな、親父?」
 グレイルは答えない。無視しているのではないようだった。ただ視線の焦点が合っていない。お父さん、お兄ちゃんが呼んでるよ、とミストに裾を引っ張られ、やっと気が付いたようにアイクを見た。
「何だ?」
「どうしたんだ、ぼぅっとして。らしくないな」
「何でもない。ちょっとした考え事だ」
 グレイルは疎ましそうに額を押さえた。
「それより、どうなったって?」
「エリンシア姫だけ先に王宮へ向かってもらう。俺たちはガリアの古城を借りて待機で……場所は、どっちの方だ? ライ」
 アイクは言い終え、ライを向いた。ライは一つ頷いて首を巡らせる。
「キサ! 案内を」
「無用だ。ここから遠くないなら、国境の河を越えて西の……ゲバル城だろう? 場所は分かる。あんたたちは、一刻も早く王女をカイネギス殿と対面させてやってくれ」
 グレイルがライの言葉を遮ってそう言った。ライは初めてグレイルの方を向いた。意識してのことなのか、単にアイクしか口を開かなかったせいなのか、彼はずっと傭兵団の長を見ようとしなかったのだ。目を細める。声音には、あからさまな警戒が込められていた。
「――随分、気の利くお客さんだ」
 だがそれも一瞬のことで、すぐに語調を和らげて首を傾げる。
「迷惑でなければ、後で食料なんかを届けるように手配しておくけど?」
「そうしてもらえるなら、助かる」
 グレイルの返事に承諾の意を示すと、ライはエリンシアに向けて一礼した。
「では、参りましょうか。エリンシア姫」
「それでは、皆さん……また後程。すぐにお会いできますね?」
「ああ」
「気をつけてな」
 不安げに問うたエリンシアに、グレイルとアイクは答えた。
 ライが仲間を集めている。その背に向かって小さな影が走り出てきた。ずっとグレイルに張り付いていたミストも、それを見てはっとしたように駆け出した。ヨファとミストは手を繋いで、ガリア軍に馳せ寄っていく。
「あ、あのっ」
 ミストが緊張した面持ちで言った。オレ? と自身を指差しながら、ライが振り返る。
「どうした?」
「え、えと、お兄ちゃんたちを助けてくれて、ありがとうございましたっ!!」
 ヨファが大きく上体を曲げた。ミストも叫びながら頭を下げる。
「ありがとうございましたっ! エリンシアさまをよろしくお願いしますっ!!」
 ライは何も言わなかった。言わなかったが――微かに首を縦に振って、二人の頭を撫でてやっていた。
 今までで一番やわらかいその表情が、戦士としてではない、彼本来の顔なのかもしれない。
 やがて夕闇に獣牙と王女の姿が溶けた。