第一章 開戦 - 3/6

SIDE:Ike

 

誇り

 

 今回は、タルマという港町に居座った海賊船をどうにかするのが仕事だった。
 面子はティアマト・シノン・ガトリー。シノンはグレイルを除けばティアマトに次ぐ古株で、ガトリーもここに来る前から傭兵をしていた。先の二戦と人数は変わらないが、戦力としては格段に違う。
「海賊退治なんざ、オレにかかりゃあ朝飯前だな」
 というシノンの言葉も同意するガトリーも、あながち自信過剰とは言えない。 アイクは足を速めて、先を歩く二人を追い抜いた。
「頼りにしてるからな」
 シノンはあからさまな嫌悪の表情で、アイクを抜き返した。
「今更ご機嫌とろうったって、無駄だぞ」
 違うんだけどなと言おうと思ったが、やめた。シノンを追いかけることはせず普通に歩く。
 しかし『今更』ときたか。何がかは分からないが、間に合ったタイミングがあったのだろうか。
「なぁアイクアイク、おれは?」
 ガトリーが後ろから、がっしと肩を組んできた。歩きづらいが、振り払うと捨てられた子犬の目をされそうなのでそのままにしておく。
「勿論、ガトリーのことも頼りにしてるさ。立派なセンパイだからな」
「よーしよーし、素直だな~!」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。あんたほどじゃない、とこっそり思った。
 ガトリーは人懐っこい。入団当初からそうだったし、今はもっと馴染んでいる。
 シノンは逆だ。団員が増えて時が経つほど、人を拒むようになってきた気がする。アイクにはその理由が分からない。自分だけ別格で嫌われる理由はより分からない。
 自分の中のシノンは、文句を言いつつ肩車してくれていた頃から変わっていないのに。
「ガトリー! いい加減放してあげなさい。もう着くわよ」
「あ、はいはい」
 ようやく解放されて、アイクは我に返った。バンダナの位置を直す。
「そろそろなのか?」
「ええ、あそこよ」
 白い石壁の綺麗な町だった。空を見る。これから起こる惨状に、不釣合いなほどよく晴れていた。

 件の海賊のほとんどは、港に横付けされた船の中にいた。
 ガトリーがはしごを塞いで進路を阻み、後ろからシノンが射る。数が減ったら全員で乗り込み制圧……という段取りだが、アイクはそれまでできることがない。
 手持ち無沙汰に街の方を見回す。浅黒い肌の、背の高い男が仏頂面で歩み寄ってくる。どうも海賊ではなさそうだ。アイクは男に向けて声を張り上げる。
「今、海賊退治をやってるんだ。危ないから近づかないでくれ!」
「君はまだ若いようだけど、傭兵かい?」
 男が首を傾げると、波打つ水色の髪が晴れた日の波間のように光った。
 口振りからして年はそれなりにいっているらしい。顔貌が整いすぎていて具体的な年齢までは推し量れない。
 町長に雇われた傭兵団の一員だと説明すると、男は渋面で革袋を取り出しアイクに握らせた。
「はした金だが貴重な薬も入っている。これをあげるから、あの海賊たちをできるだけ早く追い払ってくれないかな。宿が取れなくて困っているんだよ」
「いや、依頼外で勝手に金品を受け取るわけには――」
 アイクは袋を押し返す。男が何か言い募ろうとしたところに、ティアマトがアイクを呼ぶ声が被さる。突入の準備が整ったのだ。そちらに気を取られた隙に男は姿を消していた。
 仕方ない。この革袋の処遇は後でティアマトに決めてもらおう。
 アイクは駆け足で仲間たちと合流した。

 船上はすぐ混戦になった。アイクは旅人らしき男のことも忘れ必死で剣を振る。海賊たちは、どう見ても一番経験不足なアイクを執拗に狙ってくる。
 上等だ。怠惰な生活を送ってきた中年と、毎日鍛えている若者の差を見せてやる。
 何人か斬り伏せ視界が開ける。ティアマト、ガトリー、シノン、皆アイクが確認するまでもなく無事だ。誰に加勢すべきかと迷った一瞬の間、アイクは馬の嘶きを聞いた。
 海の上で、馬? 不審に思い首を巡らす。仲間が誰もいない筈の場所に海賊が固まっている。アイクは舌打ちして駆け出す。後ろを向いている男の背中を踏み台に跳び、包囲の中心に着地。立ち上がりざまその男を斬る。
「何だテメェっ!!」
 紋切型の叫びに剣で答え、返す刀で別の男の肩口に一閃叩き込む。剣を引き抜くのに身体を蹴り飛ばし、倒れた男に躓いた男も斬り捨てた。
 どうやらこの周辺の海賊はあらかた片付いたようだ。
 振り向いたアイクの視界いっぱいに純白の翼。蹄が甲板を叩く。首を伸ばし空に鳴く。
 初めて見る、けれど聞いたことがある。これは――。
「天、馬……?」
「う……」
 呻き声にアイクは我に返った。そうだ、天馬がいるということは乗り手もいるはず。天馬の首にぐったりと身体を預けている者に声をかける。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
「え……?」
 気を失っていたらしい騎士は、アイクの声に鈍い反応を返した。桃色の髪を短く切り揃えた、アイクと年も変わらないような少女だ。まだ目覚めきらぬ様子でゆっくり起き上がる。
「……あなたは?」
「傭兵だ。町の人間の依頼で海賊退治に来た。ここは俺たちが引き受けるから、その隙にあんたは逃げろ」
 情報を手短に告げる。少女はうわ言のように呟く。
「私を、助けて、くれるんですか?」
「当たり前だ」
 アイクは即答した。巻き込まれた民間人は最優先で助けるのが団の鉄の掟。そうでなくとも、アイクは人として人を助けるのに理由など要らないと信じている。
 少女はぱっと顔を華やがせ、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます! 私、なんてお礼を言ったらいいか……」
「いや、気にしなくていい。どうせ仕事のついでなんだし」
「でも、本当に助かったから。何かお礼、したいです」
「そう言われてもな……」
 喰い下がるなぁ、とアイクは頭をかいた。当然のことをして謝礼を要求するほど、あこぎな傭兵ではないつもりなのに。正直、もう話している場合でもないのだし。
「すぐには何も思いつかん。そうだ、これをやるからもう行ってくれ」
 先程の旅人にもらった袋を思い出し、少女に押し付ける。少女は目を潤ませて袋を握り締める。
「お薬までいただいてしまって……! 本当にありがとうございます、また今度、必ずお礼に伺います! だからお名前を教えて下さい。お願いします!!」
「……アイク。グレイル傭兵団の一員だ」
 別に隠し立てすることもないと思って、教えておいた。言わないときっとまた長引く。
 少女は確かめるように、アイクさん、と口の中で繰り返した。
「私は、べグニオン聖天馬騎士団のマーシャです。覚えていてくださいね! では、これで!!」
 天馬が飛び立つ。抜け落ちた羽が、雪のように頭上から降る。
 やっと行った、とアイクは嘆息した。早く仕事に戻らなくては。柄を握り締めて振り返る。ちょうど、ティアマトが斬り折った海賊旗を高々と掲げているところだった。
 ――出遅れた。せっかく来たのに、ほとんど仕事をしていない。
 アイクは剣を甲板に突き立て、がっくりと膝をついた。

 

「しかし、あんたらの戦い振りは見事なもんじゃったのぅ。予想以上の活躍振りじゃったわ」
 陸に引き上げた傭兵団を迎え、町長は何度も頷きながら言った。随分ご満悦だ。対して、ティアマトとガトリーは複雑そうな笑みを浮かべていた。シノンは不快な表情を隠そうともしていない。『予想』云々が引っかかるのだろう。アイクは実際あまり働けなかったので、肩身が狭いのだが。
 上機嫌の町長の話は止まらない。
「あんたらぐらいの腕があれば、王宮騎士に志願しても十分通用しそうなもんじゃ。特に団長のグレイル殿は、そこらの将校よりもよっぽど腕が立つ。何故このような地味な仕事をしておるんじゃろうな?」
「それは……」
 ティアマトの口調が、なおさら歯切れの悪いものになった。その表情に何かを感じたのか、町長は慌てて言葉を繕う。
「いや。お陰でわしらは助かっとるんじゃよ。じゃがな、団長殿も、あんたらも、真に活躍できる場所はクリミア王宮にこそあるのではと……そう思ったまでの話じゃ」
 ティアマトは首を横に振った。自然な、とはお世辞にも言いがたいが、何とか笑顔を浮かべる余裕だけは戻ってきたようだ。
「団長も、私たちも、今の生活で満足していますから」
「全く、欲のないことじゃな」
 何かあったらまた頼む、と言い残して町長は去っていった。
 立ち尽くすティアマトにその姿は見えていないようだった。どうかしたのかと問いかけたが、何でもないわとあしらわれて終わった。
「とにかく、任務完了よ。みんな、よくやってくれたわね」
 ティアマトはどこか白々しく微笑んだ。その手のごまかしに敏感なシノンは、いっそう不機嫌そうに口唇を歪める。
「この程度の仕事、暇潰しにもなりゃしねぇ。さっきのジジイの言い草じゃねぇが、もっとオレたちに相応しい仕事ってのがあると思うんだがねぇ」
「シノン!」
 ティアマトが鋭く叫ぶ。かなりの大声だったのだが、シノンは驚いた様子を見せなかった。
「……冗談だよ、じょーだん」
 冷めた表情で呟き、一人歩き出す。まるで言外に斬りつけ合っているような緊張感だった。
 ガトリーはちらとシノンを見る。追いかけるのかと思ったら、指先で頬をかきティアマトに向き直った。
「でもさ、ティアマトさん。真剣な話、おれたちの仕事ってさ、なんつーか、こう……ちょっとショボくないすか?」
「ガトリー! あなたまで、一体何を言い出すの!?」
 ティアマトはさらに声を荒げる。だって、とガトリーは大柄な身体を縮こまらせて、迫力のない反論をする。
「おれたち、本当に腕が立つし。ただの傭兵でくすぶってるのって、勿体ない逸材なんじゃないかな~……って、シノンさんともよく話してるんですよ」
 確かに彼らは、グレイルの庇護を必要としない。人助けがしたくてこの団にいるのでもない。今更どうこう言わずとも、彼らがそう考えるのは自明のことだろう。
 アイクは納得したのだが、ティアマトの答える声は低い。
「そう。あなたは、団長のやり方に不満があると……そう言いたい訳ね?」
「わわっ! いや、その! 別にそんな意味じゃ!!」
 殺気じみたオーラを放たれて、ガトリーはもう涙目になっていた。アイクは嘆息して、二人の間に割って入る。
「もういいだろう、そこまで言わなくても。どうしたんだティアマト?」
「何が?」
 その突っ掛かり方、まるでいつものシノンだ。アイクはなるべく普段通りに肩をすくめた。上手くいった自信はないが。
「そんなものの言い方……いつもの、あんたらしくない」
「そ、そうっすよ! アイクの言う通りっす!」
 ガトリーが後ろから賛同してきた。アイクの肩を掴んで隠れているつもりらしいが、当然隠れきれていない。
 ティアマトは顔を上げ、何か言いたげに口唇を開いた。発声はせずまた目を伏せる。ややあってからようやく、苦しそうに言葉を搾り出した。
「私はただ、人の役に立つ仕事をやっていることに、誇りを持って欲しかっただけ。地位や名声を得られない仕事には価値がないって、そう言われた気がして……悪かったわ」
 いつもの彼女からは想像もつかないほど、力ない声だった。ガトリーは慌ててアイクの後ろから飛び出して、ティアマトに何度も謝罪していた。
 一応収束は見られたようだ。アイクは小さく息を吐いた。
 ティアマトは怒らせると恐いけれど、自分の感情で他人に当たるということはほとんどなかった。あんな彼女を見たのはいつ以来だろうか。
「ごめんなさいね。私たちももう、帰りましょう」
「合点! おれ、もう腹ペコっすよ~」
 ティアマトの声を合図に、ガトリーが賑やかな音をさせて走っていく。シノンに向かって、飯何っすかねーっと叫び、うるせー知るかボケ、と返されているのが聞こえる。
 ティアマトは苦笑して、愛馬を手元に呼び寄せた。
「ティアマト!」
 アイクは出し抜けに呼びかける。馬に乗ろうとしていたティアマトが驚いて振り返る。その両目を真っ直ぐに見つめ、告げる。
「誇りなら、ある」
 ティアマトの瞳が揺らいだ。だからアイクは、絶対に揺らぐまいと決めた。
 この、自分をずっと守り、育ててきてくれた女性の前では。
「俺はこの傭兵団の……親父やティアマトが守ってきたグレイル傭兵団の一員になれたことを、誇りに思ってる。それだけだ」
 一方的に言い終え、歩き出す。
 誇りならある。俺はいつもあんたたちの背中を見てきた。その誇りをずっと見てきた。
 だから今度は俺も、それを背負っていこう。
「ガトリー!」
「おっ! アイク、おっそいぞー」
「悪い。オスカーたち、先に帰ってるといいな。疲れて帰った挙句ミストの料理じゃしんどいからな」
「おれは全然オッケーだけどな! だって最近は食えるだろ?」
「基準が底辺だぞ……」
「可愛い女のコが下手ながらも頑張って手料理を作ってくれる! いいよな~、食べてあげたくなるよな~」
「ガトリー、あんた漢だな……」
 日常の温度で笑い合いながら、心の奥で強く思った。
 ――俺は、あんたたちのその誇りを受け継いでいくと誓おう。
 俺自身に、そして、この海と大地と太陽に。