第四章 侵攻 - 4/4

SIDE:Ike

 

死都

 

 デイン王都ネヴァサ。アイクたちはここに到るまでいくつもの戦場で血を流してきた。故に、王都に着いた途端、またしても抗争の勃発するものと身構えていた。しかし目の前の街は、まるで廃墟のように静まり返っている。
 セネリオが揺れる黒髪を厭わしそうに押さえた。
「どうやら、戦える者は全て兵力として駆り出されたようですね。女子供は疎開したというところでしょう」
「俺たちは侵略者じゃない。民間の者には手出しは……」
「そんなことは、相手には分かりません」
 アイクの台詞は、セネリオにはねつけられた。それでも彼は未だ怒らず、きちんと説明しようとしてくれる。
「皆、自分の国の軍がクリミアの民に何をしたか知っている。その仕返しをされると思えば、動作も機敏になるというものです」
「クリミアの民が……どうなったというのです? 牢獄に捕らえられているのは、兵士だけでは?」
 アイクもエリンシアの意見に賛成だった。戦う術を持たぬ者など、反乱の因子にもならないはずだ。
「……貴女は、本当に国を統べる者としての教育を受けていないのですね」
 セネリオはあからさまな蔑視をエリンシアに送りながら、淡々と述べた。
 戦に負けた国がどうなるか。家が、土地が、畑が、民の生活が、どんな風に荒らされていくか。
「クリミアだって他人事ではないんですよ。現在、デインの支配力が強い王都近郊の民は、ラグズ以下の扱いを受けているでしょうから」
「そんな……どうしてそんな……ひどい……」
 エリンシアは両手で口許を覆った。そんな動作でさえ癇に障るのか、セネリオの声はどんどん鋭くなっていく。
「それが解っているから、自分たちを守ってくれる代償として、民は国に税を納めているんです。その王族や貴族が戦に敗れるというのは、それだけ罪深いことなのですよ。民に対する裏切りに他ならない」
「セネリオ、もうよせ!」
 セネリオの顔すら見られずに、アイクはその正論を遮った。
 事実なのかもしれない。知らなかったエリンシアにも責はあるのかもしれない。だとしても、それはこの場で糾すべきではない。
 ティアマトがエリンシアの右肩にそっと手を添え、遠慮がちに顔を覗き込んだ。
「姫……それでも、国民の多くは王家の復活を願っています。もう一度、自分たちの平和な生活を取り戻してくれることを信じて」
「俺たちに出来るのは、一刻も早くデイン国王を討ち、クリミアからデイン軍を追い出すことだ。それができるのは、あんただけなんだ。わかるだろう?」
 アイクもいつ倒れてしまうかもしれない細い身体を支えようとしたが、その手はティアマトの手ともどもやんわりと拒まれた。
「私……私が……クリミアの民を、救います。必ず……」
 エリンシアは誰の助けも借りずに立っていた。震えながら。その言い分を受け入れると告げるように、セネリオを見つめていた。セネリオは興味がなさそうに顔を背けた。
「とにかくだ。俺たちはここで立ち止まっている訳にはいかない。狂王がどんな罠を仕掛けていたとしても、それごと打ち破ってやる。この戦はここで終わらせる」
 アイクが宣言すると、エリンシアはすっと背筋を伸ばし、アイクの目を真っ直ぐに捉えた。
「これはグレイル傭兵団への依頼であり、我が国の将アイクへの命令でもあります。……生きて帰ってください。必ず」
 腹部で両手を重ねて凛と立っている。しかしその肩が震えているのを、アイクは見逃さなかった。
 その勇気に応えるならば、帰ってくるしかあるまい。父が発したのと同じ命令を、必ず推敲しなければ。
 アイクは一つ頷き、前に向き直った。
 死都のような城下町を抜け、デイン王城へと辿り着く。城門は開いていた。
 セネリオが珍しく、敵の策が読めないと匙を投げた。
 アイクはいつも通り答える。どうせ読めないのなら、どう攻めても同じことだと。
「クリミア軍、出撃ッ!!」
 そうして王城への進行を開始したものの、術中にはまったとアイクが認識するまでには、さほど時間がかからなかった。急に城門が閉まったことで、部隊が分断されてしまったのだ。
「目的はなんだと思う?」
 自慢の軍師に問う。戦力を削ぐことが目的でないのなら、と前置きし、セネリオは顎に手をやった。
「相手は……どんな策を弄してでも、ここで我々を一網打尽にしようという目論見だと思われます」
「とすれば、デイン側は相当な切り札を用意しているということだろう。デイン王国の陥落を賭けても惜しくない、相当な一品がな」
 隣のレテが腕組みをしながら継いだ。切り札、と聞いてアイクの脳裏には漆黒の騎士が浮かんだが、違う、とすぐに第六感が告げた。
 あの男はこんな所で決死の留守番をしているような相手ではない。根拠はないが、そう思うのだ。
「後のないデイン兵に抵抗しうる人材……」
 ここでやみくもに数ばかり揃えても、犠牲を増やすだけだ。精鋭が要る。
 アイクはまず、セネリオとレテを選んだ。他にも今回の戦いに適していると思う人物を何人か挙げていき、最後にアイクは直感のみで、一人決めた。
 いくつもの屍を越えて、玉座の間に辿り着く。そこでアイクたちを待っていたのは、年端もいかぬ少女だった。
 薄紅色の髪。褐色の肌。目を閉じて、無人の玉座に跪いている。
「……お待ちしていました。あなたがアイク将軍ですね?」
 少女は立ち上がり、振り返った。その場所を動く気はないらしい。
「イナ、と申します。まずはあなた方にとって、当然の疑問に答えねばなりません」
 イナは、形のよい小さな口唇を、はっきりと動かした。少女の姿には似つかわしくない大人びた口調。
「残念ながら、ここに王はいません。王とデイン軍は、クリミア王都を陥落させた後、そのまま、そこに留まられています」
「なんだと……!? 王都を放棄してか?」
 アイクは部屋の入り口から一歩進んだ。イナはやはり動かず、場違いに穏やかな笑みを浮かべた。
「戦いの終結を望む気持ちは、こちらも同じこと……ならば、あなたが王を討つためクリミアへ向かうよりも、私がここであなたを討ち、クリミア軍を撃破する方がずっと早いと思いますが?」
 アイクは眉間のしわを深くした。
 最近セネリオが展開してくる論理に似ている。正しいかもしれないが、許容できない。
「クリミアを、お前たちの好きにさせてはおけん」
 イナは物分りの悪い子を諭すように、殊更ゆっくりと首を振った。
「両方を立てることはできません。互いの利を主張すればこそ戦いが起きる……。どちらも退けないのであれば、強者が生き残るまで。私は私の利を持って、あなたを倒します」
 アイクは更に進んで仲間を玉座の間に招き入れた。イナの周りにもデイン兵がまだいるのだ。
 しかし、イナ自身は見たところ何の武器も持っていないし、何の武器も扱えるように見えなかった。訝しんでいると、イナはアイクたちを指すように右腕を上げる。
「その短い命を少しでも永らえたいのであれば……あなた方は私に、近づくべきではありませんでした」
 手首には、アイクも見覚えのある装飾品がはまっていた。ムワリムの持っていたものと同じ、半化身の腕輪。
 ラグズ? だが目の前の少女には何の特徴も――。
「ゴルドアの、竜鱗族……」
 レテが呟いたことを、事実だと認めるのに時間は要らなかった。見る間に、イナの身体は元の二倍はあろうかという竜の姿に変化していたのだから。
「これが、デインの切り札……」
 流石のセネリオもこれ相手では、とっさに策は浮かばないらしかった。だが怯んではいられない。アイクは剣の柄を握り直す。
「俺があれの相手をする。みんなは他の……」
「馬鹿! 死ぬ気か? 竜相手では、はぐれ者でもラグズ数人がかりでやっとだ。ベオク一人で何とかできると思うな!」
 レテに怒鳴られて、アイクは飛び出しかけた身体を引っ込めた。だがレテにもこれといって策がある訳でもなさそうだった。
 奇妙な沈黙のまま、両軍は対峙する。
『来ないのであれば、こちらから仕掛けますよ……?』
 少女の声のまま、イナは一同に告げた。内容が分からなければ、聖女の囁きにでも聞こえただろうという調子で。
「あの……」
 皆の緊張が極限まで高まる中、イレースが声を上げた。精鋭部隊を選出するとき、何となくで最後に呼んだ魔術師。相変わらず倒れそうな足取りで、ふらふらと後列から前に歩いてくる。
 危ないから下がっていろと、アイクが苛つき混じりに言おうとしたとき、イレースは、お腹が空きましたと言う時と同じトーンでこう申し出た。
「私、竜倒せますよ……?」
 一瞬意味が分からなかった。セネリオの確認の方が早かった。
「本当ですか? 以前にも?」
「はい……野良の竜がいて、危ないからって、頼まれて……」
 ようやくアイクの理解が追いついた頃、セネリオが追加情報をくれた。
「竜鱗族は雷の魔法に弱いんです。僕は風使いなので程度の低い雷魔法しか使えませんが、彼女はそちらの専門ですから」
 突破口が出来た。アイクはぐっと筋肉に力を入れる。
「竜はイレースとセネリオに任せた! 俺たちは竜の攻撃に注意しながら、二人を援護するぞ!」
 応、と威勢のいい声が返ってきた。セネリオがいつもと違う魔導書を取り出す。
「それでは攻撃を開始します。各自巻き込まれないよう留意を!」
 セネリオの放った雷撃を、イナは翼の一振りで退けた。アイクはその間にデイン兵を一人屠る。周囲で二人目、三人目。一人一人減っていく。
「私の番ですね……」
 イレースは先程のイナと同じく、だがもっと大儀そうに右手を上げた。その間にもデイン兵は減っていく。
 つ、とイレースの光る指先が印を結ぶ。金色の六茫星。小さな光の模様が集まって陣を成す。すぐ傍で魔術を何度も見てきたアイクですら、神々しいと思った。
 藤色の髪が揺れる。雷は右手に収束し、目も眩むほど激しく弾ける。深く息を吸い込んで、イレースは厳かにその名を呼んだ。
雷の神(トロン)
 眩しい刃は迷うことなくイナへと到達し、音を奪いつくすかのような閃光の後に炸裂した。竜の身体中に雷の蛇が絡みつく。悲痛な咆哮が玉座の間に反響する。
『こんな――この程度の魔術、なんて、こと、ない』
 人の声で発せられた言葉も、強がりにしか聞こえなかった。
 のたうつ竜の姿にアイクは唖然としていたが、イレースの様子がおかしいことに気付く。倒れかけた身体を慌てて抱きとめる。
「もう一撃……やりましょうか?」
 これ、ほんとうは、すごくおなかがすくんですけど。イレースの虚ろな声に、アイクは黙って首を横に振った。
 悶え苦しむイナの他、デイン兵は一人もいなくなっていた。

 

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