10話 Ace in the Hole

エース・イン・ザ・ホール

 全国高等学校軟式野球選手権地方大会、二日目。
 侑志(ゆうし)たちが塩川(しおかわ)高校に勝利した頃、別の球場で岩茂学園八王子(いわもがくえんはちおうじ)高校も三回戦に駒を進めていた。危惧したとおりの対戦相手だ。
 対策を話し合った後、朔夜(さくや)だけ家のことをするからと先に抜けた。残りのメニューをこなして帰る一九時頃、沈みかけの陽が侑志たちの影を長く照らし出している。
 岩茂組が同行しているので、話題も必然的に明後日の試合のことになる。そんな中、桜原(おうはら)が真顔で突然言い放った。
「岩茂学園と岩茂学園八王子って、違うの?」
 侑志はときどき思うのだ。
 こいつは本当に球児か?
 ニュースでも新聞でも、高校野球全然見ないのか?
「あのね。桜原君」
 永田(ながた)がゆっくりと、左右の手を順々に動かした。
「学園がバナナまるごとだとしたらね、八王子はまるごとバナナってぐらい違う」
「全然違うじゃん!」
 桜原は驚きに目をみはっていた。初めて言葉が通じたみたいなリアクションだ。侑志もそのうち甘党言語を習得しないと、会話に差し障りがあるかもしれない。
 硬式野球のレベルだけで言えば、岩茂学園高校は中の上、岩茂学園八王子高校は間違いなく最上ランクである。八王子は野球に限らずスポーツ全般が強い。土地・設備・部員の集め方、あらゆる面で力の入れようが違う。
 八王子が甲子園に出場し、全国レベルの同校チアリーディング部・そしてコンクール常連の学園吹奏楽部がアルプススタンドに乗り込む。これが岩茂野球部の黄金パターンだ。
 ただしこれは硬式の場合。メディア露出がほぼ皆無の軟式野球については、侑志も桜原と大差ない知識量だったりする。
「二人の知り合いとかいんのか? イワハチの軟式って」
 侑志の問いに富島(とみじま)は肩をすくめる。
「基本的にはいないな。中学野球部のエスカレーター組はほとんど硬式に行く。高校軟式は、硬式の入部テストで落とされた外部組の受け皿だ」
「内部生で硬式落ちたやつは?」
 今度は返事まで間があった。富島は眉を寄せ、指先でしきりに額を叩いている。
「受けないものは落ちない。中等部で内示から漏れた連中は学園の硬式に流れる。そうじゃなきゃ野球ごとやめていく。名門と呼ばれる場所に一度はいたんだ、堕ちるのはプライドが許さないさ」
 言いよどんだのはそのせいか。侑志は永田の顔を盗み見た。
 永田は何も言わないで夕陽を見遣っている。彼の立場を考えれば、こんな話が面白くないのは当然だろう。富島も解っているから、自分が前に出てしゃべっているのかもしれない。
「でも付属中から軟式行く人だっているんじゃないの、少しは。さっき『基本的には』って言ったんだし」
 桜原は鞄の紐をいじっていた。興味もないのに場つなぎで訊いているだけだろう。富島は俯いて律義に答えた。
「何にでも例外はある。気にしない人間もいるさ」
「僕らの知り合いがいるってこと?」
 永田が訝しげな顔で親友を見る。富島は短く息を吐いた。
小秋(こあき)さんだよ」
(かえで)さん? なんで」
 永田は険のある声で繰り返した。
 日々の大声のせいか、変声期に入ったのか、近頃永田の声はかすれ気味だ。子供でも大人でもない不完全な調律は、苛立ちを際立って響かせる。
「楓さんがまた投げてるなんて聞いてないよ」
「そりゃそうだろう。岩茂の関係者を全員、着信拒否にしてるのは君の方だ。小秋さんは伝えようとしてたかもしれない」
「そんなの、そっちだって同じじゃないか。自分だけ復縁したって言うのか?」
「あのな、(けい)ちゃん」
「待てって」
 侑志は、富島が何か言い返そうとするのを止めた。永田が今にもつかみかかりそうな勢いだったからだ。
「よく分かんねぇけど。選手の話なら部活のときにちゃんと聞くから、今はとりあえず揉めんな」
 富島は頷いて顔を背け、永田もふいと前に向き直る。
 茜色が染め上げるエースの横顔は、日に焼けて精悍に引き締まっている。春先の『エースになりたかった坊や』の面影は、もうほとんどない。
「帰る」
 四月より広くなった背中をこちらに向けて、永田は歩き出した。振り返る気配もなく、坂を下る後ろ姿はやがて見えなくなる。
 富島は追いかけるかと思ったら、何故か侑志の右腕をホールドしていた。
「あの、俺はどうして拘束されてるんですかね……?」
 侑志の疑問を無視して、携帯電話を取り出す富島。
「もしもし? 時間ないから簡潔に訊くけど、今日、三グラどうなってる? そうか、できたら小秋さん拾っといてくれ。分かった分かった、牛丼な。温玉? 好きにしろよ。じゃあ頼んだ」
「何の話?」
「アポ取り」
 富島は軽く言って携帯を閉じた。桜原がひらひらと手を振っている。
「面白そうだけど、朔夜が心配するから帰るね。おつかれ」
「ちょっ」
 薄情なクラスメイトは家の方に折れていくし、富島は駅に向かって歩き始める。右腕が引っ張られて気持ちが悪い。
「あのー、富島君的には認めたくなくても、俺一応ピッチャーなんでね。しかも大会中の。利き腕じゃなくても、筋肉に変な負担かけたくないんですが」
 侑志が訴えると、富島は停止した。
 毎日のように顔を見ている仲だ。いい加減、演技か本気かぐらいは侑志にも分かる。今のは本当に素の行動だった。
「悪い」
 富島はばつが悪そうに手を離す。どうやら永田だけでなく富島も重症のようだ。
 駅から地下鉄に乗り、乗り換えを経て一時間ちょっとで岩茂学園八王子の最寄り駅に着いた。敷地まで、さらに二十分ほど歩いた。
 柚葉(ゆずは)はいつもこんな遠くから高葉ヶ丘(たかばがおか)まで、と申し訳ない気持ちが芽生える。向こうが勝手に来ているだけなのに。
「せっかくだ。第一グラウンドの方を回っていくか」
 富島は慣れた足取りで侑志を先導する。
 第一グラウンドと銘打たれた設備は、高校野球の特番で見るような立派な野球場だった。頑強そうなフェンスの向こうには、大量の部員、適正な高さのマウンド、公式戦でも使えそうな客席、煌々と灯るライト。
「すっげ……」
 これが、甲子園クラスのグラウンドなのか。
「あそこに黒い建物があるだろう。あれが室内練習場。まぁ中の機械類を使っていいのは一軍だけだがな」
「何でも揃ってんのか。そりゃあ強くもなるよなぁ」
「強くなるんじゃない、させられるんだ。零れ落ちていく連中を振り向く暇もないほどに」
 富島はぞんざいに笑って歩みを再開する。侑志は慌ててついて行く。知らない学校で迷子になりたくない。
 さらに先、サッカー部とラグビー部の練習を横目に進んでいくと、奥の奥、茂みの中に隠れ潜むようにその場所があった。錆びて外れかけたプレートに『第三グラウンド』と書かれている。
「ここも、野球部の練習場なのか」
 練習着姿の少年たちがボール拾いをしている。フェンスに近づくと、転がっているのは見慣れた軟球だった。
 拾った球を入れるかごもバケツもないのか、少年たちは自分の腕に抱えられるだけボールを持って、マウンド付近の年季の入ったプラスチックの箱に流し込んでいる。
 侑志たちがいるライト側にも、少年がボールを取りに来た。
「お久しぶりです。小秋先輩」
 富島が遠慮がちに声をかけると、小秋と呼ばれた褐色の少年は、きょと、と目を丸くした。
 童顔だ。驚いた表情のせいで余計に幼く見える。やがて彼は、ああと頷いて破顔した。笑うと急に今までの印象が薄れ、やけに大人びて映る。
「なんだ、富島か。雰囲気変わったから誰かと思ったよ」
「小秋さん、この後お時間いただいても構いませんか」
「さっき中村(なかむら)が言いにきた件かな。いいよ。もう少しで終わるから待ってて」
 小秋が足下のボールを持ち上げようとした拍子に、彼の抱えていたボールが一つこぼれた。侑志はとっさに手を伸ばしたが、指先がネットとフェンスに当たっただけで、触れることはできなかった。
 小秋は微笑み、自分でボールを拾う。
「ありがとう。君は優しいんだね」
 それきり本塁付近に戻ってしまって、侑志は富島と共に部活動の終了を待つしかなかった。
「こんなに暗くなってるのに、こんな街灯みたいな照明で頑張ってんだな」
「最初に見たのが『野球部』、こっちは『墓場』。野球らしいことにしがみついていたい亡霊が巣食ってるだけさ」 
 富島は台詞の割に厳しい顔をしていた。侑志は部員たちの背中を見つめる。
 硬式ほどではないにしろ校内にグラウンドがあり、練習時間が長い時点で、高葉ヶ丘よりも恵まれていると思うのに。部員数も岩茂学園八王子の方がずっと多いのに。
 どうしてあんな、通夜のようなミーティングをしているのだろう。
慶太郎(けいたろう)が逃げ出したくなった意味、解るだろう」
 富島は、普段と違う風に永田を呼んだ。侑志は小さく頷く。
 栄光の光と影――そんなお綺麗な言い方では表しきれない。諦めることを強いられた輝きを、こんな間近で見せつけられるなんて。
「俺だったら、耐えきれねぇよ」
 このグラウンドで野球ができる時点で、彼らはきっと充分以上に手強い。

「約束もなしにこんな時間に、すみません」
「いいよ。軟式は硬式ほど殺気立ってない」
 案内されたのは、部活棟のラウンジだというドアのない部屋だった。一本伸びた通路から、丸底フラスコのように休憩スペースが広がっている。
 小秋は自動販売機でスポーツドリンクを買っていた。校内に自販機があるなんて私立だなと思う。付き合いで富島と侑志も飲み物を購入した。
 円形のソファーに、小秋・富島・侑志で三角に向かい合って腰掛ける。
「慶のことだろ?」
 小秋はペットボトルのふたを開ける。昨日も会っていたのように気軽な口調だった。ええ、まぁと返す富島はめずらしく引け腰だ。そうだろうねと小秋は快活に笑う。
「それ以外にお前がおれを訪ねてくる理由なんかないだろうからさ。それで?」
 富島は視線をさまよわせ、お愛想のように言う。
「それもありますが。肘、いかがですか」
「悪くはないね。みんなが期待してた甲子園のヒーローにはなれなかったけど、こっちでエースやれるぐらいには復活したよ。まぁおれの話は本題じゃない、問題は慶だ」
 からっと話していた小秋だが、永田の名を口にした辺りから急に顔を曇らせた。
「学園にも八王子にもいないんだろ。外部行ったってことは、やっぱり、野球は」
「いえ。僕と一緒に、高葉ヶ丘高校の野球部に所属しています。背番号は1です」
 小秋は一瞬目を丸くした後、満面に喜色を浮かべた。富島は指を組んで床を見つめている。
「ただ、投げ合いはできないと思います。ここにいる新田(にった)と、岡本(おかもと)さん……もう一人の投手で回す予定です。なるべく永田は使いません」
「それは、肩の都合で?」
「そうです。まだ完治していませんから。完投どころか中継ぎも危ういです」
 小秋は途方に暮れた表情をしたが、またすぐに笑みに戻っていく。
「お前もよくよくお人好しだね。遠路はるばる、自校の戦略を相手エースに伝えに来るなんて」
「まさか。こんなの戦略なんて呼べません。永田は1番を背負っていても、マウンドに登るかは分からない、と言いに来ただけです」
「充分お人好しだよ。お前はおれが嫌いなんだろうに」
「前ほどじゃありませんよ」
 富島は肘を曲げ、組んだ手に額を押し付けた。
「あのとき敵だったのは小秋さんだけじゃありませんし。いちいち思い出して怒っても仕方ないという話です」
「そうか」
 後輩の沈みように対して、小秋の返事は淡白なものだった。視線を巡らせ、侑志の顔で止まる。
「ずっと置き去りにしちゃって悪かったね。きみは?」
 笑いかけられているのに何となく気色悪い。侑志は表情を読まれないよう頭を下げた。
「挨拶遅れてすみません。高葉ヶ丘高校野球部一年の新田侑志です」
「一年生! 背が高いね」
 ああ、まぁ、と侑志は軽く流した。岩茂学園系列ならもっと高いのがいるだろうし、多分世辞だ。
「失礼かもしれないですけど、肘、どうかしたんですか」
「ん? ああ、前に剥離したんだ。少しばかり盛大にね」
 だから昔とはフォームが違うんだ、中学のおれを調べても意味ないよ、と小秋は笑った。それは永田も同じです、と富島が肩をすくめた。
「きみは故障したことあるかい?」
 小秋が侑志に水を向ける。敵意は感じないのに、どうしてこう薄ら寒い気がするのか。侑志は黙って首を振る。
「それじゃあ、おれたちの気持ちはよく解らないかもね」
 確かに侑志には小秋の気持ちが理解できなかった。
 理解できない。自分たちの故障の話を、にこやかに棘もなく、よいニュースかのように伝えようとする真意など。
「例えばだよ。ご近所に住んでる親友がいる。その親友と遊んでいるとき、きみは怪我をしてしまった。もう今までと同じ遊びはできないぐらいの重い怪我だ。そいつと一緒にいなければ、きみは怪我をすることもなかった。きみは親友を恨むかい?」
「いえ。そんなことで恨みません」
「それでも顔を見るのがつらくて、引っ越してしまいたくなったりはしないかい?」
「それは分かりません。でも」
 侑志は目を伏せて呟いた。
「言いたいことは、解ります」
 あくまで、語られた理屈に限定すればの話だが。
 小秋は声を立てて嬉しそうに笑った。
「結局ね、おれは慶や富島ほど潔くはなかったんだよ。甲子園という球場には興味がなかったけど、野球にも岩茂学園にも未練があった。だからここにいる。最後の夏を『岩茂八王子のエース』で飾れるんだから、おれは充分恵まれた」
 そろそろ見回りがくるから帰った方がいい、まだ話があるなら後日でも構わないから、と小秋に促され、侑志と富島は岩茂学園八王子を後にした。
「また明後日」
 小秋楓は最後にそう笑って手を振った。敵を見送るにはあまりにも晴れ晴れとした顔だった。
 帰りの電車は貸し切り同然に空いていた。
「お前、何で俺を連れてきた?」
 座席には誰かの体温が残っている。隣の富島は、金属の手すりにだらしなく身体を預けている。
「ちょうどそこにいたから」
「寝惚けんのは後にして、真面目に答えろ」
「新田には、いろんな投手を見せておきたいんだよ。慶ちゃんや朔夜さんにはブレがないだろ。岡本さんは……まぁある意味分かりやすいからいいんだが。新田は投手としての芯がガタガタだから」
「どういう意味だよ」
「そういう質問が飛び出す時点で既に、お前は投手になりきれてないんだ」
「なんだよそれ」
「そんなことより、ちょっと眠い」
「じゃあ寝るか? 俺が降りる手前でいいなら起こすけど」
 ドア上の路線図を見るに、まだ二十三区まで結構ありそうだ。
 富島は頭を横に振った。
「眠気覚ましに長話がしたい。実際に聞いてなくてもいいから、それっぽく頷いててくれ」
「だからお前さぁ。気の遣い方がどっかおかしいんだよ」
 富島は笑うようにひとつ息を吐いた後、小秋楓について語り出した。
 小秋は富島たちが岩茂学園中学に入学した頃、完璧に近いエースだったそうだ。投球技術は言うに及ばず、チームメイトからの信頼も厚く、彼以上に『岩茂学園中学』を背負うに相応しい人物はいなかった。
 特に一年生にとっては憧れの存在で、投手志望の選手たちはこぞって彼のフォームを観察した。永田もその一人だったという。
「今でも慶ちゃんの投球動作のベースは、小秋さんのままだよ。一番熱心なファン、というより信者だったからね、あいつは」
 小秋楓は上級生としても模範的だった。技術の高低に関わらず、下級生の面倒をよく見たが、特定の誰かに肩入れすることなく平等に接していた。
 ただ一人、永田慶太郎という例外を除いては。
「今でも明確な理由は知らんがね。やたら口を出すんだよ、自分の後継を見つけたとばかりに。中村が慶ちゃんを目の敵にするの、元々はそのせいなんだぞ」
「それでさっき嫌いとか」
「そう。それだけじゃないが」
 エースがかわいがっていると知れば、どんな逸材かと周囲も見にくる。その段階では富島から見ても、永田は大した投手ではなかったそうだ。
 巧くもないのに特別扱いされている選手。やっかみの材料としては充分すぎる。
「でも、表立って突っかかってたのは中村ぐらいだ。慶ちゃんは基本的に『いじめ』に対するリアクションが薄かったし、万一小秋さんにチクられたら危ないのはやってる方だからな。ハイリスクノーリターンだ。不満があったって理性的に考えれば手は出さないさ。むしろすり寄ってくるやつの方が多かった」
 そこで富島は目を閉じた。ついに意識を手放したか。侑志も話しかけることをやめ前を向く。
 暗い窓は自分たちを映すばかりで、外の景色を見ることはできない。この電車は本当に見慣れた街に帰してくれるのだろうかと、馬鹿げた不安が胸をよぎる。
「三年前の全中」
 次の駅での停車中、富島が静かに口を開いた。
「関東代表、覚えてるか」
「ちゃんとは覚えてない。馬淵か岩茂のどっちかはいたと思う」
「岩茂だ。その中心に小秋楓がいるはずだった」
 小秋は予選中からあった肘の違和感を無視して投げ続けた。そして遠征先の合宿所で、箸を落とした。その箸を拾うことすらできない自分の腕に、彼はもう身体を騙し続けることもできなくなったのだとようやく認めた。
「結局、全国大会で一球も投げることなく帰ってきた。でもあの人はああいう性格だからな。周りの方が動揺してた」
 富島は具体的なことは言わなかったが、チームの混乱はおおよそ察せられた。
 それよりも侑志が知りたいのは。
「永田は?」
「やっぱり、そうなるよな」
 富島は深く息を吐いた。これから吐き出す過去に、何とかして加速をかけるように。
「より一層、気の毒な奴になったよ」
 術後の姿も痛々しい、エースを完遂することすらできなかった選手が、背番号をもらえる見込みもない一年生を熱心に指導している。これほど哀れな画もなかったと、富島は感情のない声で続ける。
「風当たりが強いのは止まった。慶太郎本人も、投げられないこと以外は今までと変わらない小秋さんに困惑してたのかもしれない」
 富島はゆっくりと視線を上げた。
「さっき、小秋さんが野球を『親友』に例えて話をしたろ」
「うん」
「あんなの詭弁だよ。『エース・小秋楓』を壊したのは、『自己管理できない小秋楓』だ。野球じゃない」
 侑志は黙り込んだ。富島も黙っている。そのうちに規則正しい寝息が聞こえ始めた。富島のやつは、どうやら本当に眠ってしまったらしい。
 侑志は時計を確認する。まだ乗換駅まで時間がある。
 もしこのまま富島の寝顔なんて写メしたら、そこいら中が大騒ぎになるんだろうなぁとぼんやり思いながら、知らないシートに腰掛けてずっと揺られていた。