エピローグに代えて 永田慶太郎編
長々と言い訳を添える気はない、とか言っちゃうと、先に原稿を提出した人たちに袋叩きにされそうだから、適当に略歴とか書いておけばいいのかな。
永田慶太郎、一九八六年十二月九日、永田家長男として生まれる。のちに次男の俊太郎、長女の聡子、末に双子のつつじ・すみれが生まれ、五人兄弟の長子となる。
書き出しとしては多分そんな感じ。
二歳のときかな? 保育園に入って彩人と会う。この辺のことは小さすぎてよく覚えてないけど、彩人が上手いこと書いてくれてるんじゃないの。
小学校も大体彩人と過ごしただけだね。そう考えると、僕の人生って寂しいものに思える。
中学。やっぱり半分ぐらいは彩人といたんじゃないかな。あまり思い出したくないから詳しくは書かないけど。
小秋楓さん。楓さんか。あの人の話はもっとしたくないかも。
変な人だった。憧れてた分際で言うのもなんだけど。
妙な人だったよ。
こんなこと言っちゃは本当に嫌いみたいだけど、あの人は割と早くに壊れてよかったんじゃないかって本音では思うんだ。
悪い人ではなかったし、悪い人じゃない。
それは確かだ。たぶん。きっと。
ていうか試合の後、みんなあの人のことなんかどうでもよくなってたでしょ? あんなに深刻ぶってたのに終わってみりゃそんなもんだよね。
あの人も今頃、同じように忘れて笑ってくれてればいいけど。どうだろう。連絡先、消したままだから。
まだほとんど埋まらないな。話すことが本当にないよ。
僕は作文とか苦手だったから。
高葉ヶ丘で野球ができて、本当によかったです。
ほら。我ながらひどいな。
小学生だってもっと上手く書くよ。
だからこの辺でおしまいにしとく。
本当によかった。みんな、ありがとう。
永田 慶太郎