スウィート・シトラス
彩人の父は金融専門の弁護士、母は敏腕都議会議員、どちらも一人息子にはあまり関心がない。一方、慶太郎の父は運送業者、母は美容師、五人の子持ちで共に子煩悩。
実際のところ、これだけ違ってどうして彩人が自分の友人を続けられるのか不思議ではある。慶太郎にしてみれば、自宅ではどこにいても逃れられない騒々しさから、ときどきでも隔絶されるのはありがたい話ではあるけれど。
「ごめん。今日、ソースちょっと焦がした」
彩人が慶太郎の前に白い皿を置く。彩人お手製のハンバーグにかかった褐色のソースは、慶太郎の見る限りいつもと変わらない光沢だった。
違うのはつけ合わせだ。慶太郎の嫌いなニンジンのグラッセも、大嫌いなピーマンの炒めものもない。マッシュポテトに、ほうれん草とコーンのソテー、さらに目玉焼きは慶太郎好みの半熟。
彩人は黙って、慶太郎には何型だかも分からない大きなテレビを点けた。無音だった室内に、お笑い芸人のがなりたてる声が響く。慶太郎はリモコンの電源ボタンを押す。静寂の戻った部屋で、彩人が訝しげな顔をする。
「何で消すの」
「だって君、民放キライじゃん。僕、NHKとか放送大学とか見ながらご飯食べる趣味ないよ」
「だから、慶ちゃんの好きなの見ていいって」
「あっちゃんさぁ。たまにはちゃんと口で言いなよ」
慶太郎は、正面に座る彩人の目を見据えた。
彩人は右手のひらに口許を埋めて頬杖をついた。自然、慶太郎から顔を背けるかたちになり、しゃべると上顎が持ち上がる。
「デザート、ティラミスだから」
「あっちゃん。人の話聞いてた?」
彩人は否定しなかったが肯定もしない。
慶太郎は小さく息を吐く。
「僕は別に、何も怒ってないよ」
彩人はいよいよ難しい顔をして黙り込んだ。
テレビが点く。アイドルが叫ぶ。慶太郎が消す。無言の圧をかける。
彩人は恨めしそうに慶太郎を見つめた後、テーブルに両手をついて頭を下げた。
「浮気してすみませんでした」
慶太郎はただ彩人を見ている。許すとも許さないとも答えない。元々謝る筋でないことを、勝手に謝られただけのことだ。
「いいから食べようよ。僕お腹空いちゃった」
「どうぞ」
彩人の恭しい声を受け、慶太郎はいただきますと箸をつかむ。彩人はテーブルナイフを取りかけて、食器と関係ない方に手を伸ばす。慶太郎は左手で彩人の手の甲を叩き、リモコンを自分の手許に引き寄せた。
「怒ってないって言ってんのに、どうしてそーいうことするの? ホントに怒るよ」
「はい、すみませんでした」
彩人は空の手を握り締めてうなだれた。慶太郎はため息をついて、箸先でハンバーグに切れ目を入れる。
「いつもそれぐらい聞き分けよければいいのにね」
「もうその辺で勘弁してくれ、ホントに」
彩人は首を振り、肉の塊をご丁寧にナイフで切った。
兄弟でもない男子高校生、二人の夕餉。
食器の音だけが細かに響いている。