同人誌『チューベローズの夢死』サンプル

同人誌『チューベローズの夢死』のサンプルページです。


A5二段組/176P/1000円

待っているわ 踊っているわ あの亡骸と同じ夜に

風薫る五月、少女は死に、少年は生き残った。

青春サスペンス「壮花(わかきはな)シリーズ」総集編。
合同誌『The Flowers』収録「チューベローズ」、続編『ヘルマプロディートスの縊死』に加え、無料ペーパーやWebで公開した短編、未公開原稿などを一冊にまとめた決定版。
さぁ貴方も、美少女男子高校生や連続猟奇殺人鬼と、忘れられないダンスをともに――。
痛みを食らい、血を流す覚悟が、おありなら。

収録内容
  チューベローズ(『The Flowers』より)【同人誌再録】    
  香花【web再録】
  アヤメ【ペーパー再録】       
  君の恋を知ってる【ペーパー再録】
  ヘルマプロディートスの縊死【同人誌再録】        
  うちのクラスの小春野さん【新作】
  失せもの探し【寄稿作品】

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チューベローズ

 
「君、あそこの男にずっと見られてるよ」
 その青年に話しかけられたとき、小春野(こはるの)(かおる)はこいつだと確信した。
 朝の七時台、電車内は人でぎちぎち。薫の立つドア脇にも余裕はない。
「どの人ですか?」
 薫が振り向こうとすると、青年はドアに右手をついて視線を遮った。薫は小首を傾げて青年を見上げる。青年はもったいぶった速度で、左手の人差し指を自分の口の前に立てた。
「下手に気付いた素振りを見せたら刺激してしまう。俺と知り合いのフリをして、話を合わせて」
 薫は素直に頷き、毎朝ヘアアイロンでまっすぐに整えている黒髪を撫でた。
 清楚系JKと呼ばれ始めて一月半。好色な視線にも、工夫のないナンパにも慣れてきたところだが。
「それで、何の話をしましょう?」
「そうだな。自己紹介なんてどうだい」
 青年は上の歯を見せつけて笑った。薫は思わず笑み返す。バラエティの非モテ克服企画でやっていた『特訓! アイドル☆スマイル』の出来にそっくりだったから。
 べたついた重たい前髪も、無難すぎるVネックの白インナーとネイビーのロールアップジャケットも、ネット記事の『女ウケファッション』をまるっとコピーしたみたいだ。
「俺はこういう者だけど――」
 青年はジャケットの内ポケットに手を入れ、レザーの名刺入れを取り出した。渡された紙片には、飾りのうるさいイタリックフォントでこう書かれている。
 『現役大学生 兼 プライベートディテクティブ
  夜来優(Suguru YARAI)』
 もう無理。薫はリボンタイを直すふりをして笑いを噛み殺した。真面目に言っているのか? 身体は大人でも頭脳は子供なのだろうか。
 薫はどうにか顔面を繕い、片手を頬に添える。
「わたし、名前は簡単に教えないようにしているんです。呼びたいようにどうぞ、夜来(やらい)さん」
「じゃあ『お花ちゃん』。そのヘアピン、よく似合ってるよ」
 青年――夜来は自分のこめかみを叩こうとしたようだったが、電車が揺れてよろけたために腕がよじれていた。
 薫はドアのガラス窓に映った自分を見つめる。二輪並んだ白い花のヘアピン。他人に言われるまでもなく、これが似合うのは世界で薫だけだ。
 薫は不機嫌が表に出ないよう注意深く声を作った。
「ご親切にどうも。次で降りますね」
「ああ。何かあったら連絡して。何時でも構わない」
 電車が減速を始めた。薫はウサギ柄のトートバッグを持ち直し、人の流れに備える。
 降車のアナウンスに紛れて、夜来が熱っぽく囁いた。
「また、会えるかな」
「ええ。運命が重なれば」
ドアが開く。薫はスカートを揺らして軽やかにホームに降り立つ。指からするりと舞い落ちた名刺は、散々に踏みしだかれて線路へ飛び込んだ。

「あ、カオル姐さん。おはよー」
 隣のクラスの男子が挨拶してくる。薫は小さく片手を振って通りすぎる。
 小春野薫はこの学校の有名人だ。入学して間もないのに、廊下を行けば必ず声をかけられる。
 目立つのはまず見た目。制服のない壮花(わかきはな)高校に、セーラー襟のワンピースで通学。爽やかな水色で清楚さを演出、ハイウエストで脚を長見せ。黒いシアーソッ クスが悪目立ちしないよう、パンプスは光沢が控えめのマットな質感――まぁ、今は学校指定の上履き。
 さらに地爪と言い張るクリアピンクのネイル、地毛と言い張る目尻を強調した付けまつ毛、視力矯正と言い張る黒目拡張コンタクト、地肌と言い張る透明感ファンデーションと血色チーク、保湿と言い張るほんのり発色リップ、生え癖と言い張る緩く内巻きの前髪、正真正銘自前の長い黒髪。
 完璧だ。美少女だ。ここまで努力した自分をなお『ブス』呼ばわりするやつがいたら、薫はそいつの顔面を三十発ぶん殴った後、鏡に向かって同じ台詞を三百回言わせる。
「おはよう。月子(つきこ)
 スカートを持ち上げて会釈。一年二組に入る。

 

 

ヘルマプロディートスの縊死

 
田中勉(たなかつとむ)が死亡した」
 巻洲(まきす)刑事の報告を聞き、ふうんと小春野(こはるの)(かおる)はスカートから伸びた脚を組んだ。
 犯人が薫に名乗ったのはもっとキラキラの厨二ネームだった。警察はあいつを本名で呼ぶのでいまいちピンと来ない。
 壮花(わかきはな)警察署の少年補導室は、巻洲刑事曰く『安心して話してもらえるように』壁がパステル調のミントグリーンに塗られていた。今着ているワンピースと同じ色だ。気に食わない。
「それで? 被疑者死亡ってやつであのクソ野郎は不起訴になるから、オレはお役御免だって?」
「そう言えたら多少はよかったんだが……」
 巻洲刑事――三十にも届いていない青年刑事は、細い顎に手をやった。歌舞伎の女形のように整った顔立ちは当惑さえ様になる。
「田中は誘拐する相手を電車の中で見繕っていたそうだが、五条(ごじょう)あやめさんについては第三者の斡旋があったらしい。小春野さんのことも同様の理由で狙いをつけた可能性がある。心当たりはないだろうか」
「は?」
 薫の喉から地を這うような声が出た。
 壮花少女連続誘拐殺人事件。中学三年生の女子生徒・十代の女子大生・薫の友人である高校一年生の五条あやめが、相次いで誘拐・強姦・殺害された凶悪犯罪だ。薫もおかげさまで誘拐までは味わった。
 薫は背中まである黒髪をかき上げる。
「急に言われても、そんなこと考えたこともねぇよ」
「すまない。ゆっくりでいいから考えてみてほしい。どんな些細なことでも、思い出したら連絡を」
 両手で差し出されたのは、几帳面な明朝体で『巻洲啓司(けいじ)』と書かれた名刺。これ二枚目だぜ、と野暮なツッコミはせず薫も両手で受け取る。
 巻洲刑事はときどき配慮に欠けるが、犯罪被害に遭った男子高校生が何故女装しているのか根掘り葉掘り聞くことはない。
 署のロビーまで送ってもらった。薫の母親が立ち上がり、忙しなく頭を下げる。薫は黙ってその横を通り過ぎる。母は小走りで追いかけてきて、警察署を出るなり薫の腕をつかんだ。
「薫、あんた警察の方にご迷惑おかけしてないでしょうね」
「なんで迷惑かけてること前提の言い方なんだよ。被害者はオレだぞ」
「でも、そもそもあんたがそんな格好してなけりゃ」
「それオレが娘でも同じこと言えんのかよ!」
 薫は母の手を振り払い駅までの道を急ぐ。朝から降り続く雨をパンプスで跳ね上げ、人混みをすり抜けて母と距離を取る。同じ家に帰るとしても、せめて違う電車に乗りたかった。
 母の言い分はしょっちゅう変わる。高校に入るときは『もう大人なんだからやることに口は出さない』と言い、こうしてトラブルに巻き込まれれば『いい歳してみっともない真似をしてるから』と眉をひそめる。結局そのとき自分が一番気持ちいい言葉を発しているだけなのだ。理解ある母親、常識ある大人、よくあるファンタジーを自己投影して悦に入っているだけ。
 薫は片手の甲を自分の口唇に押し付ける。リップの移る感触も構わず奥歯を噛む。
 五条に会いたい。こんなときいつも薫を連れ出してくれた友人。彼女を殺した犯人が逮捕されて無念が晴らせたかと思ったのに、裏で手を引いていた奴がいる?
 まだ終わってない。守らなきゃ。月子(つきこ)を。
「まだ終わってない……!」
 薫は荒々しい動作で改札を抜ける。パンプスのかかとを鳴らし階段を駆け上がる。振り仰いだ空には厚い雲。薫の元まで光は届かない。
 息を切らせてホームに立った。
 どうして。オレは、多くは望んでないのに。
 ――友達と笑って、恋をして、どうしてそんな簡単な願いすら叶わないんだろう。

 五条あやめは、薫の中学の頃からの友人だった。五条、小春野、と五十音順で座席が近かったのが話すようになったきっかけ。額を出したポニーテールがトレードマークの、一見すると活発で内実とても聡い子だった。
 五条は、制服を着ない薫を奇異の目で見なかった。初めてのコスメを買うのに付き合ってくれた。メイクを一緒に練習した。互いに他の誰にも言えない秘密を共有した。
 薫にとってはかけがえのない戦友だった。
 その五条を、さらって殺したやつがいる。薫は自分を囮にしてまでそいつを捕まえたはずだったのに、本当の犯人は他にいるだと?
 許せない。許すことはできない。決して。
 月子のためにも、五条のためにも、杜若(かきつばた)のためにも。

 縁側に朝の光が射し込んでいる。杜若邸はお屋敷と呼んで差し支えない日本家屋だ。
 薫はスカートであぐらをかき、障子に向かって声をかける。
「中間、別室でもいいから受けないかってさ。お前、あの学校のテストならちょっとぐらい勉強してなくても余裕だろ」
 返事はない。毎度のことだ。薫はウサギ柄のトートバッグから紙片を取り出し、障子の隙間に差した。
「もし何か気になることあったら、この人に連絡してくれ。事件の担当してる刑事さん」
 やはり杜若からのリアクションはなかった。幼なじみの月子が杜若の母と一緒にやってきて、腕時計を示しながら首を振る。薫は嘆息して頷いた。
「いつもごめんなさいね、颯太(そうた)がご迷惑かけて……」
 杜若の母は今日も玄関まで見送ってくれた。数週間前に会ったときは歳以上にエネルギッシュだったのに、すっかりやつれて老け込んでいる。
 薫は愛想笑いで答えた。
「颯太くんのせいじゃないですから。また来ます」
 月子と一緒に杜若邸から遠ざかる。大人に深々と頭を下げられるのは落ち着かない。
「杜若くん、今日も出てきてくれなかったね」
 月子は不器用に作った玉ねぎヘアを揺らし、慣れないコンタクトをした目をこすった。一五〇センチの身長も手伝って、おしゃれのための努力が全部背伸びした小学生に見える。
「仕方ないのかな。わたしだって、もし薫ちゃんが……って考えると、学校行ってる場合じゃないもの」
 薫は聞かなかったことにして歩みを進めた。
 小春野薫、馬剛(まごう)月子、杜若颯太、そして五条あやめはみな同じ東仲篠(ひがしなかしの)中学校の出身だ。杜若は、想いを寄せていた五条あやめの死亡が報じられてから高校に来なくなった。薫からすれば理性的な選択だ。薫は月子のいない世界に留まりたくはない。
「五条さん、怖かっただろうな」
 月子はかすれた声で言い、自分の腕をさすった。
 誘拐・強姦・殺人の被害――月子も昔、二つめまでは経験したのだ。二度と月子にそんな思いはさせまいと誓ったはずが、薫はまた友人を同じ目に遭わせ、より悪いことに喪った。
 口唇を噛む薫に、月子が手を伸ばす。肌には届かず空中で止まる。
「薫ちゃんのせいじゃ、ないよ。五条さんのことも、杜若くんのことも、わたしのことも」
 説得力がないことは月子本人も分かっていただろう。事件から十年が経っても、月子は男に触れることができない。薫がどんなに美少女に擬態しても覆ることはなかった。
 薫は自分が一番かわいく見える角度に小首を傾げる。
「コンビニ寄ってから行こっか。紅茶、月子の好きそうな限定フレーバー出てるし」
 月子から頷きを引き出すためだけの中身のない台詞だ。
 ないよりましな程度の虚飾で今日もワンピースを風に揺らした。

 

 

うちのクラスの小春野さん

 
 朝の壮花(わかきはな)駅は榛斗(はると)と同い年ぐらいの少年少女でごった返していた。全員壮花高校を受けるのだろうか。レベルの低いすべり止めの都立なのに、なんだか不安になってマフラーで口許を隠す。
 女子トイレは長蛇の列で、香織(かおり)はまだ戻ってきそうにない。腕時計を見る。試験開始までには余裕があるが、会場に着いておきたかった時間は過ぎている。
 ため息をついたら、隣に立っていたやつに声をかけられた。
「壮花の受験?」
 女だ。年齢は多分タメぐらいで、身長は結構ある。榛斗より十センチほど下だから一六〇近いだろう。髪は長くて、こめかみのところに白い花飾りみたいのをつけている。顔立ちはすごくかわいい。が、ダッフルコートの下から覗くジャージでいろいろ台無しだ。
「そうだけど。あんたも?」
 榛斗はできるだけ素っ気なく尋ねる。少女は、そうだよ、と短く呟いた。ただの肯定にしては、何かを諦めるような寂しげな口調だった。榛斗は彼女との会話を途切れさせるのが惜しくなって、早口に続ける。
「もの好きだな。あんな底辺のヤンキー校に」
「大きなお世話じゃない? 自分も受けるくせに」
 台詞の割に、少女は機嫌を悪くした様子もなかった。ふっと笑って肩をすくめる。
「ま、受かったらよろしく」
 正統派な見た目からのやんちゃな笑顔。
 まるで映画かライトノベルの冒頭だった。榛斗は何か気の利いたことを言いたかった。まるで主人公のように!
 少女は榛斗の言葉を待ってはくれなかった。女子トイレから出てきた別の少女と合流して、風のように改札の向こうへ去ってしまった。榛斗は見えなくなるまで少女の背を見つめていた。

 

 

失せもの探し

「お願い、小春野(こはるの)くんにしか頼めなくて」
 女生徒がしゃくりあげるたび、触覚――顔の両サイドにある作為たっぷりの髪が揺れる。小春野(かおる)は呼び出された廊下の隅で、六月のバイト代で買うつもりの夏色新作アイシャドウのことを考えていた。
 ちょっと女装が上手いと(『できる』ではない。『上手い』と)、変わった友人がいる自分に酔いたい連中が寄ってくるから参る。例えば、小さな困り事で距離を詰めようとする女とか。
「二組の西峰(にしみね)さん、だっけ。初対面でいきなり探し物を手伝えって言われてもね。お友達とかに頼みなよ」
「ダメ! 女の子は信用できない、隠したり盗んだりするかもしれない」
 西峰は自分の強めた語気に耐えかねるように、いっそう激しく泣き始める。
「お姉ちゃんが『恋が叶うように』って誕生日にくれたものなの。今朝まであったから絶対学校で落としたはず。お願い、助けて」
「恋が、ねぇ……」
 薫は髪をかき上げようとして空振った。背中まであったロングヘアをばっさり切ったばかりで、まだ癖が抜けないのだ。気まずい手をうなじに置いて首を傾げる。
「グロスっつったっけ。どこの? 色は?」
「これ。無色」
 西峰がスマートフォンを見せてきた。金箔とドライフラワーが入った容器、何年か前に流行った海外ブランドのリッププランパーだ。
 全く気乗りはしないが、大切な人にもらったものが消えて不安な気持ちはよくわかる。画像を転送してもらい、発見したら報告する旨を約束した。
「私が探してるって他の人には言わないでね」
 と念を押して、西峰は駆け去っていった。バドミントン部に出るのだそうだ。
 薫は嘆息して、放課後の校舎を歩き始める。
 いろいろいけ好かないが、『くん』付けで呼ばれたのが一番気に食わない。完璧にメイクした薫は、思わず『小春野さん』と呼ばずにいられないほどの美少女であるはずなのに。

 

 

お気に召しましたらよろしくお願いいたします。

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