君を一生許さない

 見知らぬ場所を馬車が行く。白夜では天馬か人力が主流だと聞いていたが、『グラビティ・マスター』と称される割にレオンは飛行動物の浮遊感がさして好きではなかったし、人が引くより馬の引く方が圧倒的に効率のいい気がして、暗夜からずっと馬車で来た。
 サクラは落ち着かない様子で、窓掛けの向こうを見つめている。暗殺されるかもしれないから引っ込んでいろと言っているのに。
「もう白夜ですね」
 分かりきったことを何度も言う。その度レオンは、そうだねと返す。
「あなたの故郷だよ」
 その日、暗夜王弟レオンは、妻サクラを伴って白夜王国を訪れた。
 表面上は外交視察であったが、その実サクラの里帰りであった。
「サクラ、レオン卿!」
 指定された首都郊外では、白夜王弟タクミ――サクラの実兄が歓迎してくれた。もう一人いる茶髪の青年は、確かタクミの臣下でヒナタといったはずだと思う。
「タクミ兄様!」
 サクラは馬車を飛び出していった。暗夜のきょうだいならここでハグの一つもしていただろうに、サクラとタクミは、無事でなによりと見つめ合うばかりである。相変わらず遠慮した愛情表現だ――内心呆れながら、レオンも妻に続いて馬車を降りる。
「王弟タクミ卿、御自らお出迎えとはね。随分な栄誉もあったものだ」
「妹の主人とはいえ国賓だからね。それに、ちょうど暇していた」
 タクミは肩をすくめて、久しぶりと笑った。ああ、とレオンも苦笑する。
 ヒナタがにやにやしながら主を肘でつつく。
「リョウマ様に、『僕が行く!』って立候補して、さっきまで『二人はいつ着くのかな』ってずっと言ってたんですよ。そんなの俺が知るわけねーってのに……」
「ヒナタ!!」
 タクミは真っ赤になって怒鳴った。どうせそんなことだろうとは思ったが、タクミの名誉のためにレオンは黙っていたというのに……見上げた忠臣だ。タクミは耳を赤くしたまま咳払いをする。
「それで、どうするの? 兄さんに会うのは夜の宴の時だって聞いてるけど。それまでは?」
「特に決めていないよ。僕は白夜の民の、飾らない生活を見せてほしいだけだから。君の妹御に任せようと思ってる」
 レオンがそう答えると、タクミとサクラはちらちらと視線を交わし合いながら黙ってしまった。予想通りとはいえ、白夜人はどうしてこうも自己主張が苦手なのだろうか。
 空気を読まず、いやいっそ読んでいるのだろうか、ヒナタが能天気な声を出す。
「レオン卿を王立図書館に連れていきたいっておっしゃってたじゃないですか、持ち出し禁止の貴重な本もあるからって」
「おまっ、余計なこと言うなって!」
 焦るタクミと対照的に、サクラはその申し出に安堵したようだった。両手を胸の辺りで重ね、微笑む。
「それでしたら、別行動にしましょうか。私、白夜の反物が欲しいってフォレオに頼まれていたんです。生地を選んでいるのなんて、レオンさんには退屈でしょうし……私はお二人みたいに、難しいお話は分かりませんから」
「あ、そしたら俺、サクラ様の方についていきますね。人数的にもちょうどいいですよね?」
「勝手に話を進めるなよ」
 タクミは口で文句を言いつつも、顔は概ね同意している。レオンも特に異存はなかった。
 他国民であるレオンがずっと一緒にいたら、サクラも落ち着かないのではと考えていたところだ。
「そうしようか。よろしく頼むよ、タクミ卿」
「あ、ああ! じゃあヒナタ、サクラをしっかり守れよ。集合は昼にあの店」
「あーい。では参りましょうか、サクラ様」
「は、はい。ではタクミ兄様、レオンさん、また後で……」
 サクラを見送って、タクミに促され歩き出す。
「サクラはどうだい、いい子にしてるか?」
「いい子すぎて心配なぐらいだ。少しは我が侭も言ってくれたらいいんだけど。……君の細君はどうだい?」
「まぁ、概ね問題はないよ。オボロが家庭に入ってしまったから、ヒナタを叱ってくれる相棒がいないことの方が頭痛の種かな」
「そうか。僕もオーディンが辞めてしまったから、ゼロの言動を軽く流せる臣下が見つからなくて些か困ってる」
 タクミとレオンはそれきり黙った。
 ――大きな戦争が終わったのだ。元に戻ったようでいて、確かに何かは変わった。
 彼らはまだ若い一方で、人生を畳む準備は既に始まっている。見え隠れする終点。そこに至る道を、少しでも明るいものにするために、あがいている。
「ここだよ」
「立派な建物だね。読書するにもいい日和だ」
「そうだろう? 中庭は風景も空気もいい。旨い茶を出させるからゆっくり堪能してくれ」
 書蔵庫は、日光から紙を保護する目的で薄暗かった。だが廊下に出ると、午前中の美しい陽射しが燦々と降り注いでいる。中庭の縁台に二人して腰を下ろす。見計らったように緑茶が出された。タクミはレオンの持ってきた哲学書を読み、レオンはタクミに勧められた存在論を読む。
 館内と違い、中庭では口を開いてはいけない規則はなかった。けれど黙って頁をめくる。無視をするためでなく、ただ並んでそれぞれの思考に沈み込む時間が、心地いいから。結果的に沈黙になったというだけ。
 やがて太陽は中天へ。
「そろそろ昼だ。サクラと合流しようか」
 タクミは中途で何かを挟み、本を閉じた。木を薄く削った栞だそうだ。
 あげるよ、とレオンにも渡してくれた。桜の花の型抜きをした、別の色の木が貼ってある。地の木目は杉で、桜は本当に桜の木だそうだ。
「僕から贈る呪いみたいなものだよ」
 タクミは感情のない声で言った。よく分からないが、本も貸してくれるそうなので、栞もありがたくいただいた。
「おっ、タクミ様ー!」
 連れて行かれた店の前で、ヒナタが大きく手を振っていた。サクラのほくほく顔を見るに、収穫は上々らしい。
「ところで何を食べるんだい?」
 レオンが今更問うと、タクミは暖簾を払いながら無造作に答える。
「うどん」
「ウドン?」
「うどん」
「ウドン……とは」
 レオンは聞き返しながら後に続く。サクラとヒナタもついてきた。
 タクミは予め取っておいたらしい座敷の障子を開けつつ、短く言う。
「麺」
「パスタか」
「パスタではない」
「原料は?」
「小麦」
「それはパスタではないのか」
「パスタではない」
「小麦で出来た麺だがパスタではないのか」
 埒の明かない問答を見かねたのか、見て食えば分かりますよ、とヒナタが首を振った。サクラはその間、ずっとくすくす笑っていた。
 レオンは一番奥に座るように促される。隣にサクラ、タクミはレオンの向かい、ヒナタは一番出入り口に近い席にさっと座った。誰に指示されなくとも、カミザシモザの礼が行き届いているのが白夜らしい。
 タクミがメニュー表と思しきものを寄越したが、文字は読めても何を示しているのかレオンにはさっぱりだ。タクミにはあれやこれやと説明する気がないように見える。
「サクラはどうする」
「私はいつもので……」
「ヒナタは」
「俺は肉うどん大盛り一択です! タクミ様は?」
「釜玉」
「……わかった、君たち僕を担ぐ気だな?」
 勝手に進んでいく話にレオンが割り込むと、タクミは涼しい顔をしていたし、ヒナタは苦笑するだけなのだった。サクラだけが、あの、と何とかフォローしようとしてくれる。
「さっきヒナタさんも言ってた通り、口で説明するより、見ていただいた方が早いと思うんです。でも、おしながきを見て不安な点があったら、ご説明させていただきます」
「まぁ、百聞は一見にしかずと言うし……そういうことなら、あなたのお勧めをいただくよ。どれが一番僕の口に合いそうかな?」
 レオンが頬杖をつくと、サクラはぱっと顔を輝かせた。これ、と『天ぷらうどん』という文字を指差す。
「レオンさんは殿方ですしっ、やっぱりある程度量のある方がいいと思うんです! それに天ぷらも一緒に味わえてお得ですし……」
「テンプラ……」
 また知らない単語である。サクラと一緒になって少しは白夜に詳しくなった気でいたが、食文化はサクラが合わせてくれることが多いのでどうしても疎い。
「えっと、フライに似た揚げ物です」
「パスタにフライが!?」
 驚愕するレオンに、タクミは出された茶をすすりながら言う。
「エリーゼ王女だって、パスタの上にフライ乗っけてソースぶっかけて食べてただろ」
「あれは白夜の誰かがやってたのを真似して喜んでただけで、暗夜の民は本来あんな食べ方しないよ!!」
「あっ、あの、別皿で来ますので、お嫌でしたら別々に食べていただいても……!!」
「そこの綺麗なお姉さーん、いいですかー!? 全部うどんで、天ぷら、釜玉、梅ゆば、あと肉は大盛りね!!」
 ヒナタが調子よく注文してしまったので、これ以上問答しても仕方ない。ぐうと黙り込むレオンと、わたわた茶を勧めるサクラ。ソバ茶とかいう香ばしい飲み物で喉を潤し際、挑発するようなタクミの半笑いが目に入った。
「お待たせいたしました」
 届いたのは深いボウル(丼、と表現するのが正しいのだが)に入った、確かに小麦を原料とする麺だった。
 レオンの概念だとスープパスタに近い。ただえらく太い。そして白い。
「いただきます」
 タクミが手を合わせると、いただきまーす! とヒナタは器を抱えた。サクラも一礼して箸に手を伸ばす。
 レオンも目の前の麺を、見様見真似で口に運ぶ。
「ん」
 その歯ごたえに驚いた。アルデンテと呼ぶのとも違うコシ。太くて噛み甲斐があるのに、喉にはつるりと入っていく。薄味のスープが、味らしい味のしない麺の風味を、かえって映えさせている。白夜お得意の、『控えることで際立つ』趣だ。
「悪くないね」
「そうですか? よかったぁ」
 サクラの顔が華やいだ。慣れ親しんだ食物を、近しい人が認めてくれるというのはやはり嬉しいのだろう。暗夜で日々、レオンがそう感じているように。
 天ぷらもおつゆに軽くつけて、と勧められて口に運ぶ。軽やかな歯触りの後に、瑞々しい野菜の苦味。舌の上には程よい油の膜が残り、鼻腔から出汁の香りが抜ける。
「これは……!」
 一時、言葉を忘れる。――嗚呼、素晴らしきかな白夜文化。
 サクラが隣で、よかった、と微笑む。
「お口に合ったみたいで、嬉しいです」
「僕は今まで、フライは概ね全ての食材を画一化してしまう雑な調理法だと思っていた。こんな繊細な揚げ物が存在するなんて……それにこの麺、スープと調和する前提で作られているなんて、一体どんな計算式だい?」
 レオンが饒舌であったのは、本当に『テンプラウドン』(新種の竜のようだ)が美味しかったのもあるのだが。彼の好みそうなものを、きちんとサクラが見立ててくれた。それほどサクラは自分を見ていてくれた、その事実が一番彼をお喋りにしたのだった。
 ヒナタも母国の食べ物を褒められて気をよくしたようだ。肉を噛み切り、レオンを見ながらにっと笑う。
「そういえばレオン様、箸上手いですね! 練習されたんですか?」
「ああ、まぁね。これくらい造作もないよ」
 レオンは箸をぱくぱくと動かした。サクラに教えてもらって、その後一人で猛特訓したのだ。抜かりはない。
 タクミが、生卵をとき絡めた麺をすすり(鶏卵を生で食す神経は流石に理解できなかった)、咀嚼してから飲み込み、ぼそりと一言。
「でもさっきから、うどんのつゆ服にはね散らかしてんだよね」
「はぁっ!? ど、どこ!?」
「ご、ごめんなさい私も気付かなくて……! ええと布巾、布巾!」
「あ、あなたこそ僕が服を汚してしまっていないか!?」
「大丈夫。見たとこサクラまで飛んでないから黙ってた」
「ひどいですタクミ兄様、見えていたならおっしゃってください!」
 大騒ぎの昼食後、タクミは公務があるというので、レオンは精一杯の礼と嫌味を笑顔に込めて見送った。当然ヒナタもタクミについていった。
 レオンとサクラ、ようやく夫妻二人きり。だが今度は街中で、別の二人組と待ち合わせをしている。
「サ・ク・ラ~ッ!!」
 元王女を大声で呼ばわり、全力疾走してくる小さな影。
「カザハナさん!」
 サクラは今日一番に少女らしく高い声で、その抱擁を受け止めた。レオンは水を差さぬよう少し離れる。
 すると、もう一人の待ち人から親しげに声をかけられた。
「お久しぶりですー、レオン卿」
「ツバキか。久しいね」
 サクラの忠臣であったツバキだ。今も聖天馬武者として白夜王家に仕えているという。サクラ付きから外れた後、特定の主を決めたという話は聞かないが。
「カザハナは変わらないね。君も?」
「俺も変わりませんよー。今も以前も完璧ですからー」
 レオンの中身のない挨拶に、ツバキはさらりと言ってのける。
 彼が本当に完璧であるのかは、レオンの知ったことではないのだが。そう自称し、そう在るために影で血を吐く人間は嫌いではない。
「サクラ様は、お変わりありませんか」
 ツバキはぽつりと問うた。そう尋ねる資格があるのかと、躊躇うようなトーンで。
 どうだろうね、とカザハナと共にはしゃぐサクラを見ながらレオンは答える。
「彼女は暗夜に順応しようと日々努力している。それを変わったと言うなら変わったろうし、君が信じ身命を捧げた彼女のことを言っているのなら、そこは微塵も変わっていないよ」
「そう、ですか」
 ならよかったです、とツバキは口癖であるはずのだらしない語尾も忘れ、小さく呟いた。それ以上、レオンとの会話のためには口を開かなかった。
 カザハナに引っ張られるようにして色々な店に行った。
 小物屋。香屋。午前中行ったはずなのに呉服屋。更に菓子屋。
 茶屋では団子を幸せそうに頬張るサクラを、さっきランチしたばかりなのにあなたは意外と食いしん坊だね、とからかった。歳相応の少女らしく拗ねる姿は、普段あまり見せてくれないので新鮮だった。
 カザハナが、甘いものは別腹! とサクラを擁護する。なるほど、エリーゼたちが『デザートには専用のお腹があるの』と主張するのと同じことか。ツバキは茶だけをすすりながらにやにや笑っていた。
 やがて夕刻に差し掛かる。
 リョウマ王の御前にも行かねばなるまいが、レオンには今回の訪問でどうしても行っておきたい場所があった。
 カザハナたちと別れて今度こそ二人きり。
 昼間は作業のために出入りしていた人間たちも、もう家路に着いた。一般人立ち入り禁止のここに、立っているのはレオンとサクラだけ。あれだけにぎやかだった白夜城下で、この一角だけが死んだように――事実死んでしまっていて、静かだった。
 サクラは、急に強さを増した風になびく髪を押さえながら、感情の読めない声で小さく言った。
「――母の、最期の場所を見たいと言ってくれて、ありがとうございました。レオンさん」
 レオンのきょうだいが実母を、そしてサクラの継母を死なせてしまった広場。
 伝聞でしかないが、爆発はかなりの規模だったという。そして我が身を庇った母の亡骸を腕に、きょうだいは竜の血を御しきれず更にこの地を焦土同然に荒らした。
 本来ならば美しく明るい、活気に満ちた場所だったのだろう。復興の手は入ってきているものの、深い爪痕は未だ生々しく見る者の脳髄を刺す。
「……ありがたいものか」
 いつの間に噛んでいたのか、口の中は血の味がした。
 レオンには実母のぬくもりの記憶がない。サクラもそうだろう。
 だがサクラには、生母以上に慈しんでくれた母がいた。それをレオンの――彼女のきょうだいでもあるのだが、責任の所在をもっとはっきりさせるなら明らかに『暗夜の』きょうだいが――理不尽に、その人を奪った。
 サクラたちは、誰を傷つけることもなく生きていただけだったのに。
「僕はあの剣が、よくない魔道具の類だと感じていた。なのに、まさか父上が我が子を捨て石にして、白夜と開戦するなんてことはないはずだって……希望的に考えすぎてた。そうだ、僕はマークス兄さんたちみたいに知らずにあの人を送り出したんじゃない。知らないふりをして、あの人にミコト女王を殺させた。僕はあの暗殺に加担していたんだ」
 あのとき止めておけばよかった。そんな剣持っていくのやめなよと、いつものように父の目を盗んで当たり障りのない金属の剣を持たせていればよかった。もしそれがばれて、僕が殺されることになったって。
 せめてあなたぐらいは、笑ってくれていたかもしれないだろう。
「レオンさん、それは違います」
 サクラが眉を寄せて言った。彼女にしては珍しく、険のある声だった。
 ちがうものか、とレオンは奥歯を噛み締める。
「違うものか。僕はあなたの母君を殺した。そのうえで、のうのうとあなたを愛した。愛される幸せを享受した。何の大義もない殺人者の分際で」
「違います!」
「違わない」
 二人は、最初に会話を始めた位置から一歩も動いていなかった。それでも、サクラの声が遠ざかる気がする。
 彼女がレオンから離れていくのではない。レオンの心が、彼女の叫びを拒み始めている。
 レオンは両手を広げて、笑った。湿潤な白夜の空の下にあって、それでも乾いた笑いだった。
「――その証拠にほら。この極悪人は、決して償えない罪を犯した場所でさえ、涙一つ流さない」
 眼球の奥の奥で、からからと音がする。この世界は赤く朱いばかりで。あなたの姿も、もう見えない。
「僕は冷血だ。あなたの愛を受け取る資格すら、本当はなかった。出来ることなら地に伏して、慟哭と共に、あなたに縋りついて懺悔したかった」
 僕は本当に卑怯で自分本位で。あなたの悲しみに寄り添うことすら出来やしない。
 あなたの瞳から降る慈雨に濡れて、少しは人間の真似事が出来るかと期待していたのに。
「なにも、でないよ。ぼくからは」
 あなたに看破される、口先だけの『ごめんなさい』なら。口にしない方が、いくらかマシかと考える。
 こんなことさえ、あなたのためではないのだから。
「なにも、かんじない」
 ひどい男だろう。レオンは喉を引きつらせ、かすれた笑い声を上げる。
 だって、僕は、この期に及んで。
 ――ころしてくれとさえ、あなたに言えないのに。
 サクラは目を閉じてじっと黙っていた。風は最早凪いで、彼女の髪を揺らすことすらない。
 やがてゆっくりと瞼を上げ、サクラは厳かに言った。
「私は、あなたを愛しています」
 巫女の神託のように、聖なる響きすら感じさせる声で、はっきりと宣言する。
「あなたを愛していると、胸を張って母に言えます。そして母も、受け入れてくれると信じています」
 レオンはかっと顔が熱くなるのを感じた。
 無論肯定的な感情ではない。『サクラ』という女性の言っていることが、芯から解らなかったから。
「あなたはっ、あなたは何を聞いていたんだ! 僕は――!!」
「知りません!!」
 サクラは、レオンの混乱をぴしゃりと跳ね除けた。それまでに彼女が見せたことのない激しさで。
「あなたは私を愛さなくてもいい。それでも、私はあなたを愛しています」
 サクラもまた、レオン同様泣いてはいなかった。
 揺るぎのない目で、逸らしたがるレオンの瞳を繋ぎ留める。
「あなたがご自分を赦せなくても、私があなたを赦します。……いいえ、私は最初から、一度でも母様の死を誰かのせいと思ったことはありません。とてもとても悲しかったけれど、咎人捜しをしても過去を変えられはしないって……私なんかより聡明なあなたなら、解っているんでしょう?」
 サクラの足元で砂が鳴った。一歩踏み出してきたのだ。
 レオンも一歩後ずさった。サクラは二歩踏み出して、レオンとの距離を詰める。
「あなたが未来のために血を流し続けたのを、私はずっと見てきました。優しくて強い方だと思いました」
「そんな感情的で抽象的な理由なんて要らない!」
「聞いてください、レオンさん!」
 サクラはレオンの両腕を掴んだ。せめて物理的にだけでも振り払おうとするレオンを、サクラはどうしても逃がさなかった。
 筋力から言えば、レオンが本当にサクラを弾くことは簡単だったのだろう。レオンが心からサクラを拒みたいのなら、彼女も自らその手を離したのだろう。そうではないと知られていたから、レオンは自分を見上げる瞳を見つめ返さざるを得なかった。
「――聞いて。あなたが贖いたいと本気で願ってくれるのなら、私を業と思って背負ってください。私は赦し続けます。あなたがもう充分と思える日まで……ずっとお傍で赦し続けます」
 サクラの声は、文字通りの説教であった。
 赦しを説いている。レオンという罪人に、それでも生きろと命じている。
「泣けないのなら私が泣きましょう。地に伏したって構いません。私はあなたの業なのだから、救われるまで共に在ります」
 レオンの膝から力が抜ける。サクラはそれをそっと抱き留め、ゆっくりと共に腰を下ろした。
 荒れた地面に二人きり座り込んで。サクラはレオンの頬を両手で包み、ただ相手にだけ向けられた純粋な笑顔で、囁いた。
「忘れないで。サクラは、あなたを愛しています。『レオン』」
 彼女が伴侶を呼び捨てにしたのは、後にも先にもこれ一度きりだった。
 これは呪いだと、タクミに渡された桜の栞が脳裏に浮かぶ。なるほど途方もない呪いだった。ずっと呪われていたいと願うほどの、気の遠くなる呪いだった。
 このたった一度呼ばれた名は、凍っていたレオンの瞳を溶かし、透明なひとしずくを頬に伝わせる。
「サクラ」
「はい」
 サクラの声はどこまでも柔らかい。
「ごめん」
「はい」
 どこまでも深い。レオンは望んだとおりに、彼女に縋りつく。
「僕も、愛してる。僕はあなたを背負う。一生かけても、来世までかかっても、必ず償ってみせるから」
「はい」
 サクラは短く答えた。小さな手が、悩み疲れたレオンの頭を撫でる。
「とこしえに、お傍におります」
 それは、永遠に赦し続け、また永遠に赦しきることはないという、慈悲深く残酷な宣言。
 それでも、はなさないと言われたことが、レオンには救済にも勝る報いだった。
「かえろうか」
 どこへとも言わなかったけれど、サクラは微笑んで頷いた。
 血のように赤い、地獄のような夕焼けは、そうしてなにより優しかった。