The Catcher in the Crazy City - 2/3

ペンシーからのドロップアウト、もしくは彼の年齢に関する考察

 まだ宮代拓留が代々木の個室で密やかに過ごしていた頃、神成は幾度となく彼に会いに行った。それは刑事としての責任感かもしれなかったし、単純に一個人として少年の選択を支持してやりたかったのかもしれない。
 今となってはどのみち言い訳にしかならないことだ。
「神成さんは、どうして警察官になろうと思ったんですか?」
 どんな話の流れだったか、宮代がそう口にした。時刻は確か昼過ぎの一番気怠い時刻だったように思う。
神成は即答が出来なかった。同じ質問は飽きるほどぶつけられたし、回答のテンプレートも既に出来上がっている。その内容も確かに嘘ではなかったが、このあまりにも過酷な選択をした少年に、削ぎ落とされすぎて実感を失った言葉を返すのは、いかにも不誠実な気がして。順を追って説明したかったけれど、不意のことで思考が千々に乱れた。
 神成は嘆息して、ベッドサイドの、いつもはあまり座らない椅子を引き寄せる。
「あまり上手く説明出来る自信はないけど。散漫でいいなら、話すよ」
「ありがとうございます。いいですよ、僕は別に、何も……予定はないですから」
 微笑む宮代を直視出来ず、神成は腰を下ろして両手を組み、彼の背後の枕に視線を落とした。
「俺は二十一で警視庁刑事部の捜査一課に配属された。要するに高卒だってのはすぐに分かると思う」
「はい」
「けどその前に。高校を卒業して警察官採用試験を受ける前に、少しだけ―大学に在籍していたことがあるんだ」
「中退……ってことですか?」
 宮代の静かな問いに、そうなる、と神成はかすかに頷く。
「今だから言うけど。俺にとって大学っていうのは、ひたすら醜悪で無価値なところだった」
「はは。それは、確かに僕ら『高校生』の前では言えないですね」
 宮代が苦笑してくれたので、神成もようやく顔を上げることが出来た。何とか笑みらしいものをつくってみせる。
「他の子たちには言うなよ。志を高く持って、一生懸命勉強してる子もいる」
「解ってますよ。あくまで『神成さんにとっては』ってことでしょう」
 視線で先を促される。何だかむずがゆい気分で、神成は首の後ろをかく。
「おっしゃるとおり。俺は久野里さんみたいな、優秀で熱心な一握りの人間にもなれなかったし、入学出来さえすれば、あとは適当に単位だけ取って、適当に就活すれば四年間遊べるって思えるほど、モラトリアムを満喫出来るような人間でもなかったんだな。何かしなければならないという焦燥感はずっとあるのに、自分が選んで入学したはずの学部が、俺にはどうしてもカチッとはまらなくて。同じような迷子の連中とつるんでもみたけど、馬鹿話で笑っていても、何だかいつも水の中にいるみたいに息苦しかったよ」
「それで、辞めちゃったんですか? 意外です。神成さんってもっと、どこにでも馴染める人だと思ってました」
 宮代がどこか責めるような口調で呟いた。神成は力なく首を横に振る。
「俺がそんなに器用な人間なら、久野里さんや有村さんにもあんなに怒られてないし、百瀬さんにからかわれたりもしてないだろ。周りから言われるほど、集団の中で生きるのは得意じゃないんだ」
 向こうだって解っているはずだ。これは神成の『大学が苦手な理由』であって、『警察官を目指すことにした理由』ではない。だから少しずつ、重苦しい心で間隙を埋めていく。
「それだけだったら、そのまま違和感を抱きながらも四年やり過ごして、普通の会社員とかになってたのかもしれない。でも俺が学生時代を過ごした〇〇年代っていうのは、とにかく何というか、大学生による最低な事件が多かったんだよ。かつての学生運動ほどの規模じゃないけど、ある意味もっと凶悪なのがさ。大麻とか、未成年飲酒とか、集団で女の子に乱暴したりとか、リンチ殺人とか……そういうやつ。報道や立件はされなくても、一部の非公認サークルじゃ、黒い噂やスレスレの行為なんてのはザラだった。自分がそういうものに誘われた経験はないけど、潰れて消えた学部生なら何人も知ってる」
「それが許せなくて?」
 宮代の声音が少し和らいだ。神成は彼の顔に視線を向ける。どこか困惑したような顔。自分でも痛々しいと思える苦笑で返す。
「だったら、君らみたいに『新聞部』でもよかったわけだろ。真実を暴いて衆目に晒したいだけなら。でもごめんな、当時の俺は、そういう活動にもひどい嫌悪感を抱いてたんだよ」
「それは……」
 今度は宮代の方が目を逸らした。床を睨んで、ひとつ、ひとつ、言葉を紡いでいく。
「ちょっと前の僕なら、顔を真っ赤にして反論してた、でしょうね。でも、今は多分、こういう言い方をしていいか、分からないけど。解ると、思います」
「ああ。今の君にならきっと、解ってもらえると思う」
 無論、報道に関わる者の全てがそうだと言うつもりは、神成にもない。
 情報が伝達されるということは、社会的に生きようとする人間にとっては、とても重要で重大なことなのだ。神成と宮代の嫌悪する『ジャーナリズム』とは、踊り狂う口実に誰かを贄にすることや、死者の墓を暴くような真似をすることである、というだけ。
 水を飲んでもいいですかと宮代が問うので、どうぞと答えて一度話を止めた。
 神成もポケットから小さなケースを取り出して、ミントタブレットを一粒口に入れる。奥歯で噛み砕く。
「明確なきっかけがあったわけじゃないんだ。ただもう、こんなところに何年もいても無駄だと思った。俺はキャリア志向にもなれない。平凡な大学生の生ぬるい猶予にも耐えられない。だからって堕ちるところまで堕ちるなんて論外だ。ただ、本当に、親のこととか世間体とか、他者を理由にして自分が腐乱していくのを見ていたくなかった」
「それで、警察官?」
「ああ。別に警官じゃなくてもよかったんだろう。立ち止まらずに済むことなら、自分を追い込むことが出来て、誰かの役に立っていると思い込めることなら、きっと何でもよかったんだ。ただ、幸か不幸か俺には『刑事としての適性があった』。だからここまで来た。こうして生きていく。それだけだよ」
「嘘ですね」
 まるで有村のようなことを、冷ややかに、宮代は言い切った。
 目を丸くして動きを止めた神成を見据え、はっきりと告げる。
「久野里さんと同じですよ、神成さんは」
「あの、久野里さんと? どこが?」
「結局二人共、自分の気に入らない世界を叩き壊す力が欲しかったんじゃないですか。それが久野里さんは脳の仕組みを解明する科学っていう方に行って、神成さんは自分の手で合法に犯罪者を捕えられる権力の方に行った。『世の中に起こることの何もかもが嫌』なんでしょう? 同じことですよ」
「ちが、うだろう。それは」
 畳みかけられるように言われて、たどたどしい反論しか出来なかった。宮代の口調は依然厳しい。
「じゃあ、『うんと好きなものを一つでも言って』みてください」
「は?」
 彼の台詞はどんどん自分の問題から乖離しているように思えた。まるで台本を読んだこともない劇に放り込まれているような、そんな感覚。
 神成が言葉を失ったままでいると、ふと、宮代は息をついて、目許の力を抜いた。代わりに口許を軽く持ち上げる。
「すみません。少し、意地悪が過ぎました。『死んだからって、好きであってもいい』ですよね。気にしないでください」
「え? ああ……」
 神成が口を開きかけたとき、ちょうど電話が鳴った。露骨に舌打ちをして、携帯を取り出す。通話ボタンを押してみれば案の定、帰庁の催促。今の話をもっと詳しく聞きたかったのに。
 宮代は神成の内心を読んだように、穏やかに微笑んだまま小首を傾げる。
「聞きたければ、次の機会にでも一席ぶちますよ。久々なんで拙いかもしれませんけど。また来てください。『ミイラ』はまだ『博物館の墓地』にいますから」
 神成の方こそ首を捻りながら、とにかくも挨拶をして部屋を出る。
「気を付けて。『ホールデン』」
 去り際にかけられた言葉の意味を、深く考えもせずに。