神成さんと、そのあとで。 - 3/7

南沢泉理から見た彼

 神成岳志という刑事をどう思うか。
 泉理にとっては、『自分が』というよりも『家族が』世話になった、という感覚が強かった。
 主に上の弟がひどい迷惑をかけて、それから新しい妹を迎えるにあたっても随分面倒をかけてしまったし、そして――先にいた妹が亡くなってからも、彼は必要以上にその魂が辱められることのないよう、最大限留意してくれたと思う。
 事件が終わったその後も。泉理たちに出来ること、出来ないことを教えてくれたり、敢えて直接は教えすぎず、調べる手段を与えてくれたり。
 いつもすみません、というのが、気が付くと神成に対する定型句になっていた。
 うきには『姉さん、それすごく主婦って感じするね』とぽつり呟かれたのだが。
「最近どう? 困ったことはないかい」
 神成の定型句はこれだった。ふと電話がかかってきて、何でもない挨拶の後は大体こう来る。
 事情を知っている人だから、餌を求めた探りではないと確信出来て、泉理も素直に答えている。
「お徳用の野菜を買いすぎちゃって。よければうちにいらして、少し召し上がりませんか」
 この見え透いた誘いに、じゃあお邪魔させてもらおうかなと彼が苦笑で返すまでが、お決まりのパターンだった。

「つまらないものばかりですけど。和食ばかりで芸がなくて、男の人はもっとお肉とか、がっつりしたものの方がいいのかしら」
「とんでもない、肉なんかどこでだって食える。むしろそういうので胃が疲れているから、優しい食事はありがたいよ」
 僕はもっとお肉食べたいよー、とソファに座って本を読んでいた結人が言って、泉理と神成は顔を見合わせて苦笑した。
 不思議な距離感だ。互いに半分は無意味な社交辞令なのに、もう半分は偽りのない労り。
 結人も家族ほど気を許してはいない様子だが、神成が来ていると知るとわざわざ自室から出てきて、自分から話しかけるでもなくああして居間にいる。
 うきもだった。給仕は泉理がしているからうきの仕事はないのだけれど、何かやることを細々見つけては、ぼんやりと同じ部屋にいる。
 友人ではないが、他人ではない。客ではあるが、余所者ではない。
 保育士の小森ともまた違う、彼独特の位置で、神成岳志は青葉寮でよく食事を摂る。
「小森さんまた吠えてた?」
 神成は早食いだ。曰く、刑事の基本らしい。しかも食べながら平気で喋る。左手で口許を覆うのは、せめてもの気遣いのつもりなのか。
 泉理は斜向かいで肩をすくめる。
「私に挨拶しないのはどういう了見だ、って角を立ててましたけど。時間が合わないだけですよって、いつもと同じように返しておきました」
「情報流したこと、まだ根に持ってるのかな……」
 神成は右手をテーブルに置いて、空のまま箸をぱくぱく動かした。
 うきが、洗濯物(下着類は背中側に隠している)を畳む手を止め、控えめに笑う。
「小森さんはきっと、やきもちを焼いてるんだと思います。毎日一緒にいる私が知らなくて、たまにしか来ない神成さんだけ知ってるみんながいるのはずるいって、ぷりぷりしてましたから」
「そんなに深入りしてるつもりはないんだがな。それを聞くと、ますますもって会いづらい……」
 神成は左手で頭をかいている。食事時にと思ったが、泉理は彼を叱れる立場になかった。
 上下ではなく距離の話だ。代わりに話題を逸らす。
「せっかさい、お味はいかがですか」
 一般的でない呼び名で小鉢を示せば、案の定、セッカサイ? と神成が聞き返してくる。
 泉理の誘導に乗ったのがわざとでも、そうでなくても、どちらでもいい。
「おからのこと。雪花菜とも呼ぶそうです。刃物を使わずに作れるから、『きらず』とも言うらしいんですけど……私はお野菜と和えるのが好きだから、結局包丁を使うことが多くて」
「物知りだな」
「どうかしら、近所のおばあさんに聞いただけですよ。でも、『空から』って響きを嫌ったのかもっていう説は、支持したいかな。人も、縁も、無理に繋ぎ留めるものではないけれど……意地になって切ることでも、ないでしょう?」
 宙に浮いたままの神成の手。大きくて、節ばった、男性の手だ。今の青葉寮には存在しないもの。
 いずれ結人も、あの何でも掴めそうな手を得るのだろうか。
「……小森さん、来るのは昼間だけだったかな」
 神成は殻を口に運んだ。旨いよ、優しい味だと、先刻と同じ言葉を繰り返す。きっと褒めているつもりなのだ。
 泉理は苦笑して、自分の為に淹れた食後のお茶を口にする。
「朝七時頃から、大体夜の八時頃までいてくださってます」
「二食おしゃべりつきでその勤務時間か。ホワイトな職場だなぁ」
 眉を寄せながら笑う彼は、小森が『この職場』を退勤した後にどんな『本職』をしているか、理解しているはずだ。泉理たち以上に、ずっと。
 だから泉理も、茶化した言い方を咎め立てはしない。昼の家事労働については、恐らく神成より実情を把握しているから、彼の肩を持ちもしない。
 神成は米の一粒さえ残さず、また追加を要求もせず、泉理の供した食事をその値だけ綺麗に食べ切った。
「ごちそうさま、美味しかった。今度は陽の高いうちに伺うよ」
 両手を合わせてから、立ち上がる。休戦協定だ、と結人が口許を本で隠しながら言った。
 神成は答えず、ソファまで歩いていって、結人の頭を指先で軽く叩いた。
「デザート、好きなのを選ぶといい。末っ子の特権だぞ」
 そのまま軽く手を振り、階段を下りていく。
 土産は毎回甘味。泉理たちが大喜びで頬張る様を、彼が見て行ったことは一度もない。
「うき姉ちゃん、今日は何? 冷蔵庫にある?」
「ユウ、はしたないよ」
「いいじゃない、お姉ちゃんも食べたいな。うき、出しておいてくれる?」
「姉さんまで……」
 泉理も席を立ち、ゆっくりと階下に行った。一人で去っていく後ろ姿に、黙って一礼。静かに鍵をかける。
 泉理は、彼がデザートを食べて行かない理由を訊いたことがない。これからも、機会がなければ知ろうとはしないだろう。