9話 Short-ender - 4/6

勝って、ではなく

「あー、大方予想はついてるだろうが呼んだら取りに来い。ゼッケンを」
 学校の駐車場。相変わらず監督の前口上がひどい。
 期末考査も無事終わり、七月も中旬になった。二十二日の塩川戦はもう目前だ。
「1番。一年、永田慶太郎」
「はい!」
 永田が裏返った声で叫んだ。内定していても、やはり呼ばれる感動は別格らしい。朔夜から受け取ったゼッケンを大事そうに抱きしめている。
 以下、
 2番・捕手 三年 森貞竜光(りゅうこう)(主将)
 3番・一塁手 二年 八名川(やながわ)為一(たいち)
 4番・二塁手 三年 相模(さがみ)雅伸(まさのぶ)
 5番・三塁手 二年 坂野(さかの)輝旭(てるあき)
 6番・遊撃手 一年 桜原皓汰
 7番・左翼手 二年 早瀬怜二(れいじ)
 8番・中堅手 二年 三石潔充(きよみつ)
 9番・右翼手 二年 岡本堂弘
 10番・投手 一年 新田侑志
 11番・内野手 一年 井沢徹平(てっぺい)
 12番・捕手 一年 富島彩人(あやと)
 記録員・二年 桜原朔夜
 ベンチ入りメンバーは以上。琉千花は客席からの応援となる。
 監督は、一仕事終えた顔つきでファイルを肩に載せた。
「忘れずに縫い付けとけ。今日はこれで――」
「ちょっと待ってください!」
 三石が大きく右手を挙げ、監督の言葉を遮った。八名川が笑顔で前に出る。
「ちょっとだけお時間いただいても、いいですか?」
 監督は気圧された様子で頷いた。
 坂野が荷物の方へすっ飛んでいく。二年生たちが、監督の隣にいる朔夜を取り囲む。桜原親子はそっくりな表情で目をしばたかせている。坂野が戻ってくると、八名川は咳払いして、しかつめらしい口調で告げた。
「13番。二年、桜原朔夜」
 坂野が緊張した面持ちで差し出しているのは、侑志たちが持っているのと同じサイズの布だ。ゼッケンと似た書体で『13』と記されている。
「いらないのか?」
 監督は固まっている娘を小突いた。朔夜は弾かれたように、いる、と叫んで13番をつかんだ。二年生がどっと笑い、我も我もと口を出す。
「岡本が布買ってきてくれたんだぜ」
「で、このキッレーな縫い目がレイジね」
「数字のレタリングは、にゃーがやってくれたんだよー」
「オレ1塗った!」
「オレ、オレは3を塗って三石のはみ出したところを直したんだよ、朔夜さん!」
「まったく、何をコソコソやってんのかと思えばさぁ」
 朔夜が笑いながら軽口で返す。侑志の口許も綻んだが、同時に胸が焼かれるように痛い。
 自分は朔夜を囲う側にはきっと一生なれない。
「あの、私も少しいいですか!」
 いつの間にか琉千花も袋を持っていた。キルトの巾着を開いて、ある少年のところへつかつかと歩み寄る。
「はい、永田君」
 永田の無言の歓喜で空気が震えた。一年男子がエースに群がる。
「なになになに何もらったの?」
「見せて見せて」
「ナマコ? ナマコか?」
「どこの世界にエースにナマコ渡すマネージャーがいるんだよ」
 永田は美しい蝶を捕まえた人のように、閉じていた両手をそっと開く。侑志たちは横から覗き込み、おおと感嘆の声を上げる。
 ユニフォーム型の、手縫いのお守りだった。フェルト製で綿が詰めてある。裏側には1とNAGATAの文字。
 永田はまだ感動に打ち震えている、が。
「どうぞ、相模さん」
「ありがとう」
 一年男子は沈黙して琉千花を見た。
 永田、相模、三石、森貞、坂野。こちらへ来て井沢。規則性のない配布に、侑志たちは覚る。
 琉千花は、袋に手を入れて指が触れた順に渡しているだけだ。
「まぁ、でも……一番だったじゃん?」
「二番以降がむしろフェイクかもしれないし」
「偶然だったとしても、最初に引き当てられたんだし」
「そういうかたちの運命もあるかもしれないだろ、慶ちゃん」
 永田の落ち込みようといったら、富島まで動員しなければならないほどだった。
「はい。新田君」
 侑志の番が来て、小さな手からフェルトを受け取った。
 10、NITTA。
「ありがとう」
 侑志の声と重ねるように、琉千花ははにかんで礼を言った。侑志は笑って首を傾げる。何のことだか分からない、ということにしておこう。
 お守りは選手全員に行き渡った。だが琉千花はまた巾着に手を突っ込んでいる。
「監督さんも、これ、よかったら」
 差し出された両手に、桜原監督は目を丸くして自分を指差した。四十も近いはずなのに、驚いた顔は存外幼い。
「……どうも」
 監督は俯きがちに受け取った。
「カントク照れてるー!」
「初めてラブレターもらった中学生みたいですよ」
 はやし立てていた二年生は、やかましいと睨まれて口を閉ざした。
「ちょっとお兄ちゃんもたぁ君も、どいてっ」
 怒られた二人と、岡本が自主的に退いたおかげで、侑志の位置からも朔夜の姿がはっきりと見えた。
 琉千花は朔夜の正面に立ち、他の部員と向き合ったときよりも重い声で言う。
「もらって、くれますか」
 朔夜は何故か、不安げな目で琉千花を見ていた。
「なんで。私は選手じゃないよ? ただのマネージャーだよ」
「だって朔夜さんが一番頑張ってたの、みんな知ってます」
 答える琉千花も震えていた。手の上にあるのはきっと、13、S.OUHARAだ。
「ただの、なんて私は絶対思わない。朔夜さんがいるから、みんな戦えるんです。私はベンチには入れないけど、朔夜さんがいるから気持ちだけはみんなといられます」
 だから、預かってください。
 琉千花は腕を突き出したまま深く頭を下げる。朔夜は恐る恐る受け取った後、下を向いた。
「えっ、なに、どうしたの?」
 傍にいた三石が、だいじょぶ? だいじょぶ? と顔を覗き込んでいる。朔夜は首を振り、だって、と鼻声で言う。
「だって私こんなにしてもらっても、何も返せないよ」
 みんな優しくてどしたらいいかわかんないよ、と朔夜はしゃくりあげた。
 抱きしめたい、と思う。小学生の頃から憧れ続けた野球部。入部四年目にして、ようやく公式戦でのベンチ入りを許された。幻の背番号を与えられた。感極まって取り乱している彼女を、できることなら抱きしめて安心させてあげたい。
「行け! 行け!」
 坂野が二年生たちに背を押され、たたらを踏みつつ朔夜に近づく。
「いいんだよ」
 日に焼けた腕が朔夜を抱き寄せ、頭をぽんぽんと叩いた。
「そうしてもらえる人間になったんだ。だから、いいんだ」
「うん……」
 朔夜はうっとりとした表情で、彼の胸に顔をうずめる。
「ありがとう、父さん」
 坂野も侑志もすっかり出遅れたというわけだ。
「よっし、円陣組むぞ! 朔夜、音頭とれっ」
 森貞の呼びかけで皆が輪になる。朔夜も涙を拭って加わる。夜空まで届く声で雄々しく宣言する。
「勝つぞ、てめぇら!」
 朔夜は勝つぞと言った。勝てよではなく、勝つぞと。
 応という猛々しい返答が、コンクリートの谷間の学校に音高く響き渡った。