「リーン!」
他人が呼ばれているのに、最初の二音でリーフはつい振り向いてしまった。呼ばわったアレスが苦い顔をしている。リーフは苦笑いで謝意を示すと、その場からゆっくりと立ち去った。
生まれたはずのレンスターの景色はまだどこか余所余所しい。あまりに転々としすぎたろうか。ついた息すら、上手いこと空気に馴染んでくれた気がしない。
「リーフ様」
聞き慣れない、清らかな声に再び振り返る。新緑色の髪を揺らして、先程アレスが呼んでいた少女が苦笑していた。
「すみませんでした。紛らわしいことになってしまって」
「いや、気にしていないよ。大体私たちの名前が似ているのは親がつけたからであって、自身のせいじゃない」
リーフがわざとおどけて肩をすくめると、リーンは風に揺れる髪を押さえて小さく笑った。口許こそかすかに上がっていたが、あどけない目は伏せられて。
「そんな、畏れ多い――リーフ様のお名前は、光の御子という意味なのでしょう? ナンナが教えてくれました。踊り子なんかが、似ているだなんて」
「踊り子の何がいけないんだろうか? 私たちの仲間にもいたけれど、彼女は見ていると勇気が湧いてくるような、魅力ある踊り手だった。あまり職業で自分を貶めるのは感心しないな」
自分でも偉そうなことを言っていると思ったけれど、これくらい言わないとリーンには届いてくれないような気がした。でも、ありがとうございますと微笑まれた顔はやはりお愛想のようで。
「アレスもそう言ってくれて。一度見たらみんなも解ってくれるだろうから、自己紹介も兼ねて一度お披露目のような宴をしたらどうかって……別にあたし、構わないのに」
「ね、『リーン』って、いい名前だよね」
だからリーフは、無理やり話題を戻した。リーンは目を丸くしている。大人ぶった、解ったような顔よりずっと少女らしく、かわいらしくっていいと思った。仲間だった少女の真似事は流石に恥ずかしくてできないが、その場で両手を広げてくるりと回ってみせる。
「鈴の音だ。神や自然に捧げるときに鳴らす、小さな鐘の音。細く、高く、でも遠くまでずっと澄んで響く――美しい音の名だ。踊り子の君に、よく似合ってる」
鈴と。燐と。凛と。気高く弾けるように淡く光る音。身体一つで世界を表す少女に、これ以上ないほど似つかわしい名だ。
そう告げると、リーンは何だかつらそうに笑った。
「そんな風に言ってもらえたの、初めて。やだ、王子様ってみんなそうなのかしら……泣きそうに、なっちゃう」
「どうして」
リーフはリーンに一歩近づいた。後ずさらないでくれてよかった。
戦乱に明け暮れる故郷にも通るように、リーン、と彼女の名前を呼んでみる。
「逃げ回っている頃、ある村のおばあさんに教わったことがあってね。笑顔は、誰でも持つことの出来る武器なんだって。お金がなくても、力がなくても、心の尽きるまで誰もそれを奪うことは出来ない。そしてそれは、矛盾さえ乗り越える最強の防具でもある。笑顔はね、自分を守り、誰かを救いながら、幸せを周囲に振りまいていく、とてもすごい力なんだよ。うちのフィンたちはちょっと下手だけど――君はきっと、才能があるから。踊るときは、みんなに響くように笑っていてほしい。そのよく通る鈴の音みたいに」
リーンは少しの間、眉を寄せて黙っていた。そして噛み締めるように頷くと、はいときらめく笑顔を見せてくれて。リーフも自然と笑顔になる。
「よかった。やっぱり君は、その力がとっても似合ってる」
「リーフ様も」
リーンは微笑んだまま、リーフよりずっと優雅に一周してみせた。
「とても眩しい。音だけじゃない……全てをあたたかく照らし出す、光みたいに」
「……そうかな」
リーフは頬をかいた。普段から『レンスターの光』と呼ばれ慣れているはずなのに、外部の少女に言われたせいなのか、少し気恥ずかしい。リーンは、やわらかい口調で一礼した。
「あたし、やっぱりその『お披露目』、することにします。リーフ様もぜひ、ご覧になってね」
「あ、ああもちろん! 楽しみにしてるよ」
光と音と。目と耳と、温度さえ変える二つは。今、控えめに交差する。