予備校は高校から歩いて十五分、駅のすぐそばにあった。利用客が少ない改札側だから、中央口とはうってかわって静かだ。受付を済ますと、まず楢原と引き離された。颯太は私大向け三教科のコースだが、楢原は受験以前に学校の授業が苦しいそうで基礎五教科コースなのだ。
各コースはさらに実力別にクラス分けされているらしい。颯太たちが申し込んだ一週間体験コースでは、最初の二日にテスト、残りの日は結果をもとに割り振られたクラスで講義を体験し、気に入ればそのまま同じクラスに割引で入校できるとのことだった。
案内された教室には『テストB』と書いてあった。テスト専用の部屋が二つもあるとは、さすがはビル一棟まるごと自社の大手予備校だ。
ドアを開ける。中は狭く、机は横列三つに縦列三つの計九つしかなかった。一斉試験用ではなく、こういった個別のテストで使う部屋のようだ。
スタッフは、好きなところに座るように言い残して教室を出て行った。
颯太は見回すほどもない教室をざっと見る。真ん中の列の一番後ろに、セーラー服の生徒が座っている。
「横どーぞぉ」
彼女は両手をぱっと開いて、気の抜けた声で言った。真っ白にブリーチした髪は、根元が水色で毛先がピンク。テレビで見たレインボーわたあめを思い出す。両サイドを三つ編みにしていて、マスクは真っ黒なウレタン製。ファッションにはかなりこだわりがありそうだ。香りもかなり個性的。甘くまとわりつく脂性の香り(バニラか?)と、人工的で軽い薔薇の香り。安っぽくありふれた組み合わせの遠く、かすかに聞こえる白檀の居住まいだけが、確かに上質なものだった。
「座んないんスか? キミも体験入学のヒトでしょ?」
わたあめ女が小首を傾げる。どうも、とよくわからない返しをして、颯太は彼女の右隣に鞄を下ろした。ここらで見ない制服だが、颯太の方でも制服でもないのに黒い詰襟を着ているぐらいだ。案外同じ学校だったりするのかもしれない。
「ボク、
「杜若颯太。高二」
「あっは、同じだ。よろしく~」
わたあめ女――羽村は長い付け爪のついた右手をひらひらと振る。颯太は頭を下げて椅子に座った。
「この辺の学校ッスか?」
「壮花だ。きみは?」
「んつふふ、ナイショお。こじんじょーほー」
羽村はふにゃふにゃ笑って頬杖をついた。颯太はかえって安心する。
どこで何が起こるかわからないご時世だ。警戒心はあった方がいい。むしろ颯太が軽率に答えすぎた。
「おんなじだね。あやめと」
冷えた声が耳孔から脳に刺さる。息が止まった。喉が渇いた。瞬きの仕方を忘れた。
本当に、本当に軽率だった。自分の学校がどれだけ『有名』か、颯太は身に染みて解っていたはずなのに。
全国ニュースで流れたのだ。高校の名前も、被害者の名前も、まるでもう守られる権利を失ったように、日本中をセンセーショナルに駆け巡った。知っている人間がいても何もおかしくはない。
颯太が壮花高校を受けた理由になった人。
刑事になりたいと決意するきっかけの存在。
猟奇殺人鬼に嬲り殺された女の子。
五条あやめ。
もうこの世界のどこにもいない少女は、あまりにも有名になりすぎてしまった。
この後のテストをどう終えたのか、颯太は何ひとつ覚えていない。
「すみません。変なところで話切れちゃって、混乱しましたよね」
テストが終わったタイミングで、羽村が再び話しかけてきた。その表情からさっきの軽薄さは消えている。だとしても颯太にはどうでもよかった。五条のことを口にする他人とは距離を置きたかった。黙って鞄を持って教室を出る。楢原を待つ必要はない。それぞれのタイミングで帰ろうと事前に話していた。
そうだ、楢原。楢原には悪いが別の予備校を当たろう。だから一刻も早くここを、
「友達だったんです!」
――ここを去りたかったのに、校舎を出たところで足を止めてしまった。振り返ってしまった。マスク越しでもわかるほどに顔を歪めている羽村と、目を合わせてしまった。
「信じられないかもしれないけど……友達だったんです。あやめも、寧々も」
羽村は息を整えながら近づいてくる。淡い色の髪が夜の繁華街に白く白く浮かび上がっている。
「試すような言い方をしてごめんなさい。会える日が来るとは思わなかった。あやめと名前がそっくりの、同じ誕生日の男の子……キミ、でしょう? 杜若クン」
両肩から力が抜ける。スクールバッグがコンクリートに投げ出される。
別の被害者の名前を知っているぐらいなら動じなかったのに。
さすがのメディアも、五条あやめの誕生日や、ましてや『無関係』の颯太の誕生日など報じているはずがない。
颯太は合わない歯の根で問いかけた。
「知って、いるのか。五条を」
「はい」
「知って、いるのか。生きていたときの、五条を」
「はい」
羽村は二回とも即答した。一瞬も颯太から目を逸らさずに。
「ボクはまだ納得できてないです。あやめたちがいない世界のことを。自分の友達が二人もいっぺんに奪われたことも。キミは、キミも」
羽村の右手が颯太の左手をつかむ。まるで濡れた紐を幾重にも巻きつけられたように冷たく不快だった。颯太はその指を強く振り払い、落ちた鞄を持ち上げる。
「同調してほしいだけなら他を当たってくれ。おれは五条を『犠牲者』として語りたくない」
「『あやめの友達』としてなら、明日も会ってくれますか?」
震える声に答えず、颯太は今度こそ駅へと歩き出した。
壮花駅の看板を見上げながら、やはり楢原と待ち合わせればよかったと思った。
