夜中にアイスを買う自由

「買って来ますよ」
 アイス食べたい、なんてほとんど意味のない未紅の独り言に、雅伸は大真面目な顔で振り返った。右手にはマウス、明日の特売品チェックの途中。未紅はスマホを操作し、毎日のように見ている動画――教育番組を模したホラーゲームの販促――を停止する。
「明日帰りに買うからいいですよ。自分で悩むのも醍醐味ですし」
「番犬ぐらいしますが」
 さらりと言われ、未紅は抱えていたクッションに顎をうずめる。比喩を好まない雅伸が自分を犬に例えたのが無性におかしかった。
「どうしますか」
 訊きながら、雅伸は腰を浮かせかけている。
 未紅は首を振り、ソファにだらりと身を投げ出す。
「いいんです。わたし、夜中にアイスを買いに行く自由は捨てたんです。たぶんそれはいいことだと思うので、だから、いいです」
 何を言っているのか解らないと思う。実際に雅伸はじっと眉をひそめていた。それでも何も尋ねることなく座り直すのが、申し訳なくもありすさまじく愛しい。
 未紅は成人する前から、深夜に一人で出歩くのに抵抗がなかった。理由は勇気でも油断でもない。夜中にアイスを食べる幸福のために、命や尊厳を賭けることに葛藤がなかったからだ。そういう人生だったからだ。
 今は怖い。一人で夜歩きなんて頼まれてもしたくない。
 未紅はソファを下りて、雅伸の手を慎重に握った。
 この手の届かないところで終わりたくない。この人を一人にしたくない。
 いや。この人が、未紅を独りにしないために、一人であることすら平気でやめてしまうのが怖い。
「せーの、で一緒にいけたらいいのになぁ」
 泣きたい気分で笑ったのに、雅伸は極めてドライな表情で返した。
「だから一緒にいきます。どうせ未紅さん、また寝言で『アイス……』って言うんだし」
「そんなこと言います?」
「三日に一度ぐらいは」
「ひ、頻繁~……」
 未紅は両頬を押さえる。全然自覚がなかった。最近急に暑くなったせいだろうか。
 観念して外に出る。五月の夜気に思わずくしゃみ。雅伸がジャージをかけてくれる。やけに着込んでいると思ったら未紅用だったらしい。
 未紅は朧月を背に負う彼を見上げた。
「ありがと、雅伸くん」
 わたしにアイスを買う自由を残してくれて。
 言わなかった言葉はどうも伝わらなかったけれど、未紅はそれでよかった。
 あまり笑わない雅伸がわずかに口許を緩める。
「一個までですよ」
 はーい、と元気に答えて未紅は右手を出した。雅伸は静かにその手を取ってくれる。
 彼の左手とジャージがあれば、未紅はアイスが食べたいぐらいにあたたかい。