ロスト・アクトレス - 9/11

8.状況終了

「ど、ど、どうして勝手にどっか行くんだよ、梨深!」
 あの後、一同は公園で合流したのだが。その頃には西條はまた、『情けないオタク』に戻っていた。神秘的に見えていた咲畑も、ごめん~と世間一般の若い女性のトーンで返している。
「ごめんねタク。ケータイ、先月分払えなかったから止められちゃってて……」
「だ、だからケータイ代ぐらい出してやるって言ってるだろ! あと相談しないでどっか行くな!」
「ふふっ。西條くんたら、旦那さんみたいですね」
 楠は、あの切なげな様子はどこへやら、楽しそうに二人をからかっていた。咲畑はあっけらかんと言う。
「ていうより、タク最近お父さんみたい」
「誰がパパだ! そう呼ぶんなら相応のご奉仕的な何かを要求……」
「西條くん、その先は一応警官のいないところでやってもらっていいかな?」
 見ていられない。神成は西條と咲畑の間に割って入った。不服そうな西條の顔面を押さえて、にっこりと咲畑に微笑みかける。
「はじめまして、咲畑梨深さん。久野里澪の保護者の、神成岳志と申します」
「えっと……はじめ、まして?」
 おい誰が保護者だと喚いている被保護者は無視。目を丸くしている咲畑に一礼して。
「正式なご挨拶は後日ということで。とりあえず彼女を守ってくださって、ありがとうございました」
「はぁ……」
「今日のところは連れて帰りますので、また――」
「おいお前!」
 怒鳴り声と共に全力で背中を蹴られた。神成は背中をさすりながら振り返る。自分は平均より上背のある方だと思っているのだが、この女は平気で高めのえぐいところを踵で蹴ってくるのだ。デニムのパンツは丈が短すぎて、そんなに脚を上げたら中のアクセントが違う方まで見えそうなのに。
「お前とは何だよ」
「お前はお前だ、何の筋合いがあって私の行動に口出し」
「筋合い、筋合いか!」
 神成は久野里の長い脚を引っ掴んで詰め寄った。尊大な小娘が珍しく固まっている。その隙にまくし立ててやる。
「義理も筋合いも知ったことか、あんたのやることは基本的に俺の迷惑なんだよ! 後先考えずに突っ走って心配かけて、後始末はいつも俺だ! そりゃ世話になった恩はあるけど、それで何年いいように使うつも――り?」
 言いながら、神成は首をひねって脚を放した。自分で口にしたのに、どこかで聞き覚えのある台詞だと思ったから。久野里の蹴りをいなしつつ、なんだっけ、と考える。
「今の、神成さんの言い方」
 控えめに呟いたのは、楠だった。両手の先を合わせながら、神成と逆の方向に首を傾げる。
「何だか、判さんが百瀬さんにもらってたお説教みたいでした……ね?」
「なッ」
 ものすごく否定したかったのだけれど何も言えなかった。まさしく、まさしくその通りだ。細部は違えど、この説教はかつて百瀬が『先輩』にくれてやっていたものとよく似ている。年上が、大切な年下の無茶を叱り飛ばすときのそれ。
 なんだか顔がひどく熱い。
「続きは?」
 にやにやと久野里が言ってくるのを、うるさい、と振り払う。
「とにかく、帰るぞ」
「どこへ」
「どこって」
 問われて初めて神成は、彼女にはもう日本での拠点がないことに気が付いた。今まではどうしてたと訊けば、安い漫画喫茶や二十四時間営業の飲食店を転々と、と久野里は何でもないように言う。
 神成はがしがしと頭をかいた。まさかこのまま本庁に連れて行くわけにもいくまいが。
「だったら、一緒に帰りましょう」
 言い出したのはやはり楠。久野里の左手を勝手に取って、神成に微笑みかける。
「わたしの依頼主は神成さんですし。お帰りになるまで、うちで保護させていただきますから」
「ああ、それなら安心だ。よろしくお願いします」
 神成もにっこりと微笑み返した。久野里がどういうことだとかこいつは誰だとか蹴ってくるのも、全て無視。
「行こうよ。久野里さん」
 咲畑は久野里の右手を取って、快活に笑った。
「楠さんの淹れてくれるお茶、とってもおいしいよ。それにその……タクに、コーヒー代借りられるかもだし」
 ただし最後は申し訳なさそうに。西條はフードを被り直し、早口に言い捨てる。
「ぼ、僕の知らないところで借金するのやめてくれない。コーヒー代は貸すだけ、返してもらうから。でも」
 そしてそこしか見えなくなった口許を、不器用に歪めて。
「……今日は暑いしね。ガルガリ君ぐらいなら、おごってやってもいいよ。僕はコーラ味、そ、そこの女はソーダ味。異論は認めない。ふひひ」
 それは彼らにしか通じない冗談だったらしく、咲畑と楠は顔を見合わせた後、大きな声で笑った。
 有明の空は、雲一つない快晴だった。

「ではそのロボットに、国内製のものは一機もないと?」
 神成は仕事上がり、久野里を迎えに来るという名目で楠探偵事務所を訪れていた。総務課が暇という訳でもないのだが、『招かれざる客』たる神成は定時には蹴り出されてしまうので、実に助かるのが皮肉なところである。『アンツーク』はこれまでと同じ調子で文字を返してくる。
《一体たりとも。東南アジアに流れた型落ち品を改造したもののようだ。しかし、貴方がたが見たという、ディソードらしきものを携えた精巧な二足歩行ロボットについては、残骸すら発見されなかった》
「発見出来なかった、ではなく」
《そうだ。我々の観測範囲内には最早存在していない》
「そうか」
 神成は深く息をついた。あのびしょ濡れの喪服で出庁しただけで頭が痛い事態になったのに、このうえ面倒が重なる。ノートパソコンの両脇に手を置いて、モニターを睨みつける。
「これで終わったと思うか」
《まさか。これは小規模な実験に過ぎない。本格的なプロジェクトは今も進行中だろう。クラヴァッテ、貴方には引き続き協力を仰ぐことになるかもしれないが》
「神成岳志」
 入力途中の『アンツーク』を遮り、神成はきっぱりと名乗った。
「妙な名前で呼ぶのはしまいにしてくれ。それだけの情報収集能力を持ってるんだ、もう俺がどこの誰かなんて、とっくに知っているんだろう?」
《成程》
 二文字呟いたきり、『アンツーク』は黙った。と、思ったのも一瞬のこと。室内に、落ち着いた深い音がゆったりと響き渡る。成人男性の声だった。
『――澤田敏行。改めてよろしく頼む、神成さん』
「ご丁寧にどうも。澤田サン」
 神成は皮肉たっぷりに挨拶を返す。この無駄にいい声の男が、自分より年下だと知って『嘘だろ』と叫ぶのは、これから数分後のことである。

「君が目をつけていた検察官が、昨晩遅く出頭してきた。全てを認め詳細も自供している。捜査情報との大きな食い違いもない。例の事件は彼の犯行と断定してほぼ間違いはない」
「はぁ」
 翌朝、再度刑事部長に呼び出しを食らってしまった神成は、曖昧に答えるしかなかった。意外と言えば意外だが、予想通りと言えば予想通りだ。
 刑事部長は、聞こえよがしに嘆息して頭を押さえた。
「結局、君はどこへ置こうと無茶をするわけだな。神成」
「え? ああ、はは……」
 これは死角からの攻撃だ。得意の方便も舌に乗らず、神成はただ愛想笑いする。詳細までは知られていないだろうが、連日の不審な動きは何となく察しがついていたということだろう。
 神成は、休めの姿勢で口許を引き締めた。
「ですが、おかげでいろいろと勉強になりました。総務課がどんな仕事をし、どんな熱意で現場を支えているのか……頭で知るのではなく空気を吸い体験出来たことは、これからどこの部署へ回されたとしても、必ず役に立つと考えます」
 神成も書類仕事は得意なつもりだった。否、得意でなければここまで上がれなかった。それでも総務の仕事は全く勝手が違った。各所が滞りなく連携出来るようあらかじめ準備をし、捜査員たちが事件に集中出来るよう、些細なことまで気を配る。
「そのつもりはありませんでしたが、やはり私は驕っていました。『巻き込みたくない』などと言う理屈は、格好付けの詭弁です。こんなにも多くの手に支えられておきながら」
 神成はどうしても、真面目な顔のまま言い切ることが出来なかった。こんなもの本当に、自分が久野里澪に対して抱いてきた気持ちと同じなのだから。
「それが解ったのなら、少しは君を動かした甲斐もある。もう『自分がやる』という指示だけで現場を回そうとするのはやめたまえ。下が育たん。判くんはそうやって君を育てはしなかったろう?」
 刑事部長がぎこちなく肩をすくめるので、ついに神成は、はいと笑い声で答えてしまった。
 神成ー、悪いがこれやっといてくれ。またッスか先輩ー、たまには自分でやったらどうスかー。
 それなら、お前がやってくれたっていいんだぞー。ええー無理無理、じゃあ神成くんよろしくー。
 短かったけれど、あたたかな時間だった。彼らは二人共笑顔だった。神成も楽しかった。こんな悲惨な職業にあってさえ。あの時間だけは、本当に尊かったのだ。だからこそ『先輩』はきっと、微笑みながら凶弾を抱いて逝ったのだ。
 神成は笑みをしまい、真っ直ぐに宣言する。
「これからも、私は同志たちと一丸となり市民の安全を守るべく努めます。この、首都東京を任された警察官として」
「よろしい」
 刑事部長は自然な笑顔で、新しい人事を告げた。
「総務課はどうも君を持て余すそうだ。今日付けで捜査一課に戻りたまえ」
「はい。ありがとうございます」
 神成は心からの礼をした。
 自分はどこへ行っても、一人ではない。警察官としても、個人としても。だから振り向かない。欲しい背中はもう追わない。
「失礼します」
 自分の足で、歩き出す。あの日の背中に並ぶ為に、このところ見えていた背中を、これからもずっと守り続ける為に。己が、誰かの見る背中となる為に。