ありふれたメリークリスマス

「あら、神成さん。こんばんは」
 神成岳志が南沢泉理に声をかけられたのは、センター街の本屋だった。目当てもないが仕事帰り、何か役に立ちそうな書籍を探していたのだ。
 南沢の左手には、布製のブックカバーと文庫本。神成は十二月頭の乾燥した空気に苦笑を溶かす。
「こんばんは。変わったところで会ったね」
「ええ、ちょうどご連絡しようと思っていたところだったんです。何となく呼んでしまったのかしら」
 肩をすくめる南沢に気負ったところはない。悪い用事ではなさそうだなと思いつつ、神成は彼女の手からカバーと本を抜き取った。
「今なら落ち着いて話が聞けるよ。他に何か欲しい本は?」
「あ、そんな……自分で出しますから」
 南沢は取り返そうと腕を伸ばしてくる。神成は商品を肩に抱え込むように歩き出す。
「うきくんたちの分はいいのかい、ブックカバー」
「うきには誕生日に買ってあげたんです。結人はあまりそういうのを使うタイプではなくて……」
「じゃあ君の分だけ。たまにはお姉さんにもサンタクロースが来たっていいだろう、せっかく十二月なんだ」
 言いながらレジに向かう途中に『恋人がサンタクロース』がかかって、ばつの悪い思いをした。『背の高い』自覚はあるが、『おねえさん』を『遠い街へと』連れて行く予定はない。
 南沢も神成の間の悪さに気付いたのか、口許を片手で押さえて微笑んでいて、やっと抵抗する気をなくしてくれたようだった。
「ありがとうございます、神成さん。もしご迷惑じゃなければ、弟たちのサンタも少しだけ引き受けてくれませんか? 二十四日」
「イブ? パーティでもするのか」
 神成が問うと、南沢はこくりと頷いた。
「結人もうきも、みんなでやりたがってるんです。有村と香月にも声をかけていて」
「お気遣いはありがたいけど、大人が一人だけまじっても空気を悪くするだけだよ」
「小森さんも出てくださる予定なんですよ。神成さんは内勤だし、カノジョか事件がなければ土日は空いてるはずだから引っ張ってきてって」
「えらい物言いをする人だな……」
 レジカウンターに商品を置く。示された通りの代金を払う。
「結人も、男一人じゃ寂しいって拗ねてるんです。言うことだけはすっかり立派になっちゃって」
 南沢は俯いて声のトーンを下げた。神成は釣りを受け取るふりをして目を逸らす。
 彼女は聡明だ。青葉寮から父と長男が失われたことに、神成が罪悪感を抱いていると気付いている。付け込まれている。
 聡明だからこそ、その姑息さを自ら恥じている。
「南沢さんは本当にきょうだい想いだね」
 神成を呼びつけたいのは全く自分の希望ではないだろうに。
 会計を終えて手にしたビニール袋を、そっと渡してやる。
「遺憾というか幸いというか、今のところどちらも抱えていないよ。お邪魔させていただけるように調整するから、準備するものとか、詳細は追って連絡をくれるかな」
「はい。……ありがとうございます」
 南沢は両手で受け取り、泣きそうにはにかんだ。
 じゃあと別れて、神成は歩きながら空を仰ぐ。時間はそうでもないのに真っ暗だ。ついでに送ってやればよかった。
 クリスマスイブに、二年連続で十も年下の女性からお誘いを受けた――とそれだけ言うとまるでモテ期。実際のところが、去年は焼き肉をたっぷり奢らされ(情報も抜き取られ)、今年はホームパーティの保護監督とは、全く色気のないことだと思う。
 じゃあ色気が欲しいのかと問われれば、まぁ別にしばらくはいいかな、という気もする。
 街は例年通りカップルの天下だ。

 

「あ、いらっしゃい。神成さん」
 当日。玄関ドアを開けた山添うきは、ごく自然に神成を迎え入れた。
「今日はお招きありがとう。これ、ピザ買ってきた」
「わぁ、ありがとうございます!」
 礼の言葉もきちんと嬉しそうだ。いつかは謝罪するように同じ言葉を口にしていた。笑顔も今の方が断然上手い。
 神成は微笑んで、うきに宅配ピザ――自分で持って帰ると割引――の箱を三箱預ける。
「うきくん、また背が伸びた?」
「はい、また二センチ伸びました」
 胸を張らんばかりの自信ありげな返事。そんな仕草さえ同年代の少女たちに比べたら慎ましいものだが、下を向いて泣いていた十四歳の頃からは想像もつかない。
 神成は思わず腰を落として、うきの顔を見上げてしまう。
「俺、警官をやっててよかったよ」
 この少女の未来は、最善でなかったにしろ神成たちが確かに守ったのだ。失くしたものばかりではない。
 うきは目を丸くして神成を見つめ返し、小首を傾げていた。
「あー、ロリコンおじさんがうき口説いてる」
 二階から有村雛絵がどたどたと降りてくる。誰がロリコンかと名誉の為に一応返したが、有村は口が立つのでいずれ事実無根の称号が付けられてしまうかもしれない。
 ついてきた香月華は呆れ顔だった。
「ひな、すぐ神成さんにきつく当たる」
「なによう。だってこの人、私にすごい精神的苦痛を与えてきたんだから。慰謝料取らないだけありがたいもんでしょ」
「でもいっぱいお世話になったじゃん」
「そ、それはそれなの!」
 有村はだだだと駆け寄ってきて、ごちそうさまでーす、とうきの手からピザの箱を奪い取って上の階に逃げた。見え見えとはいえ、社交辞令を言うだけ育ちがいいよなというのは神成も認めるところである。
 香月が眉尻を下げて、両手で眼鏡を直す。
「言うほど嫌いじゃないと思います。たぶん」
「だといいけど」
 神成も苦笑してタイを直そうとして、今日は私服であることを思い出した。ボタンダウンの襟元は緩い分だけかえって頼りない。
 うきはわたわたと、とりあえず上がってくださいと促してくる。
「その前に、ちょっと結人くんを呼んできてもらえないかな。すぐ済むから」
「ユウを、ですか? はい、わかりました……」
 不思議そうにうきが階段をのぼっていき、香月も一緒に二階に戻る。
 ほどなく橘結人が姿を現した。
「あ、あの、何ですか」
 声が上ずっている。まだ人見知りを解除するほど内には入れてもらえていないらしい。
 大した話じゃないよと前置いて、神成は待合スペースのソファに腰を下ろし、結人を隣に座らせた。
「クリスマスプレゼント。俺が君の頃に何が欲しかったか考えてたんだけど、結局一番嬉しかったのって、物より現ナマだったんだよなって思ってさ」
「はぁ」
 話が見えない、という様子で結人は曖昧な返事をした。神成は胸ポケットから小さな封筒を取り出し、結人に手渡す。
「ま、さすがに現金はお年玉みたいだからやめたよ。ちょっと味気ないが、これで好きなものを買うといい。趣味のものでも、姉さんたちのためのものでも、勉強の道具でも。使い道を考えるのも経験だ」
 大手通販サイトのギフトカード。結人は目をしばたかせて、渡されたものと神成の顔を交互に見ていた。
「みんなにですか?」
「いや、結人くんだけ特別」
「どうして?」
「どうしてだろうな」
 神成は息を吐いて天井を見る。
 男同士だからとか。遠く離れた二人の保護者から預かっているとか。責任を感じているとか。理由はこじつければいくらでもあって。
 ただ本当に正直なことを言ってしまえば。
「俺と似てるから、かな」
 笑って、神成は頬をかいた。自分の半分しか生きていない少年にこんなことを言うのも気恥ずかしいが。
「納得出来ないことを許せない。そのままにしておけない。そういう、ある意味での執念深さが俺と同じだって、勝手に思ってる」
「……神成さんも、諦めてないんですか」
 結人は何をと言わなかった。ただ思い詰めた横顔で尋ねた。
 そうだな、と神成は頷き、結人の背を叩く。
「なぁ。大人になるとやれることが増えるよ。やっても許されることが格段に増える」
「はい」
「ただ、解禁になってから動き出したんじゃ遅い。今から出来ることは全部やっておけ。許可された瞬間に飛び出せるよう、絶対に準備を怠るな」
「はい」
 結人の声は静かだが力強い。答えが分かっていて、神成は低く念押しをした。
「生き方を振り切ってまで、信念を貫く覚悟はあるか?」
「あります」
 短く明瞭な答えだった。神成にとってはそれで充分だった。
 立ち上がり、大きく伸びをする。
「分かった。俺も同志を精一杯支援しよう。満足したし、今日のところはこれで帰るよ」
「え、パーティ出て行ってくれないん、ですか?」
 結人が不意に気弱な様子で問う。ああ、と神成は苦笑した。
「こんな殺気立った男が同じ部屋にいたら、女の子たちが楽しめないだろ。お姉さんたちには謝っておいてほしい。あ、これは交換用に持って来いって言われたプレゼント。フィルター気化式の加湿器だって、この時季少しは役に立つだろう? 預けておいてくれないか」
「男、僕一人になっちゃう……」
「その逆境を乗り越えるのも甲斐性。頑張れよ」
 かわいらしいラッピングの袋をソファに置いて、きびすを返す。
 外に出て、駐車場に留めておいた車に乗り込んだ。エンジンをかけて走りゆく渋谷は、いつものありふれた年末。カーラジオからは『戦場のメリークリスマス』。
 口ずさむ思い出のフレーズさえ彼は持たないのに。
 毎年、華やかに賑やかに聖夜は訪れる。同じように。
 気付かない程度の変化しかないのだ。この街から何人、誰がいなくなっても。