突き落とされたように、神成岳志は目を覚ました。
看護師が気を利かせて持ってきてくれたパイプ椅子から転げ落ちなかったのは、ほとんど奇跡といってよかった。
宙を蹴りかけた右の脛が鈍く痺れていた。
まだ夕陽の射していたはずの病室が、すっかり暗くなっている。
久野里澪から、例の症候群についての報告を受け取ろうと立ち寄っただけだったのに。
「起きたか」
気付けば久野里が目の前のオフィスチェアに座っている。
いつから見られていたのだろうか。神成は目を逸らして指先で前髪をいじる。
「いつ戻ってたんだ? 久野里さん」
「たった今だ」
「随分長く出かけていたんだな」
「あんたが思っているほど私は自由な立場じゃないんでね」
「俺はあんたを勝手だと思ったことはあっても、自由そうだと思ったことはないよ」
久野里は鼻を鳴らして服の裾を払った。
碧朋の制服に白衣。幾重にも役目に縛られて気の毒だと思う――本人には絶対に告げはしないけれど。
久野里が脚を組みながら口を開く。
「うなされていたな」
心配というにはあまりに乾き、揶揄というにはあまりに硬い口調だった。
神成も薄く笑みを添えただけで淡々と返す。
「らしいな。どんな夢だったかも忘れたっていうのに」
「忘れられる悪夢の方が幸運なぐらいだろう」
「そうかな。……そうかもな」
忘れられたら、もっと早く目覚められたらどんなによかっただろう。
いつからか自分を復讐劇のヒーローだと思い違えていた。思い違えていることすら気付かなかった。
自分が主役であることは、自分の夢の中では当然のことだったから。
「現実世界に主役なんてものはいないのにな。こうまでならないと目覚めないもんだな。俺も、彼も」
久野里は黙っていた。
あるいは彼女自身もそうであったのかもしれない。遂げたいものがあったのは神成も彼女も同じだ。
社会的に、あるいは物理的に殺してやりたいものがあったのも。
「ここが夢でないという前提も怪しいものだがな」
久野里が目を伏せて呟く。ろくに手入れしている様子のない長い前髪が、瞳をほとんど覆い隠す。
「結局は主観だ。とらわれている人数が多い方を現実と呼んでいるだけの話だよ」
彼女自身もその言葉を心から信じているようには見えなかった。
神成たちは多数決で負けたのではない。
信じたかったものが、現実に耐え得る強度を持たなかったというだけだ。結果的に。
だが、瀬戸際で選ぶことはできた。次に信じたいことを決めることは。
神成は立ち上がり、ジャケットの裾を整えた。
寝言はもう終わりだ。続けなければならない。ここが何であっても、どこであっても。
抗わなければならない。意識のある限り、戦わなければならない。
ここがどれだけの悪夢だろうと、今見ている夢からあの子たちを引き戻さなければならない。
「聞かせてくれ。この現実を変えていくための話を」