同人誌『天空アソート缶』のサンプルページです。
文庫/196P/1000円
あの空、この空、36個。25年の食べごたえ。
氷上涼季の活動25周年記念短編集『天空アソート缶』。
これまでの作品をお菓子に見立て、1冊にぎっしり詰め込みました。収録されているのは以下の6種。
500字以下の作品をちりばめた「雲色こんぺいとう」、
無料配布ペーパーを再録した「夕焼けフロランタン」、
寄稿作品や実験作も含めた短編たち「青天サブレ」、
現行作品とは設定が違う並行世界「水平線シガール」、
最近のものを集めた「月光プレッツェル」、
味変のエッセイ「暁星ハーブティー」。小説の総数は未公開も含め33本。加えて、初挑戦のエッセイを3本収録。
サークル「天空交差点」のルーツと可能性で満たされた特別製のお菓子缶、どうぞご賞味ください!
収録内容
雲色こんぺいとう(五〇〇字以下)
眠罪
運想
黒が劣勢
生き止まり
虹よりも長く
掬われない
お兄ちゃん絶対合挌!
ふきんしんおめでとう
おいしいかもしれないパン
やさしいね
言の葉
夜喋(よしゃべり)
夕焼けフロランタン(ペーパー)
渇仰
写真
ありふれたデジャヴ
この手にないもの
青天サブレ(短編)
この突き刺さる青の小さな破片ひとつでも
白と青
多少なりともましな椅子へ
太陽の在り処
傘は差さない
傘は要らない
豚男
讀み壞すもの
水平線シガール(並行世界)
パンクした重い自転車
理屈屋クッキング
紅茶とキャンディ
ピアノの顔
畢竟
残照
追放
月光プレッツェル(最近のもの)
スノッブの鏡像
鳩ヶ谷さんと青信号ナガクナール
暁星ハーブティー(エッセイ)
「一匹の羊」でいること
エッセイ、書けない
伝えること、伝わること
雲色こんぺいとう(五〇〇字以下)
『お兄ちゃん絶対合挌!』
講堂の床にお守りが落ちていた。俺と同じ受験生のものだろうか、拾ってあげた方がいいよな……。
『お兄ちゃん絶対合挌!』
どこか違和感。
「ありがとう」
知らないお兄さんが俺の手からお守りを抜き取る。やけに落ち着いているけど浪人生かな。
「漢字間違ってただろ。妹のバカが君に移らなきゃいいけど」
あ、『合格』!
俺はポケットから真っ赤な小袋を出してお兄さんに見せた。
「いや、これもなかなかなんで!」
『お只ちゃん ガソバレ!』
「おただっ」
お兄さんはひとしきり肩を震わせ、やがて軽やかに俺の肩を叩いた。
「お兄ちゃんはつらいね」
「そうでもないです」
俺は苦笑してお守りをしまう。
だって、おかげで次の春が待ち遠しくなった。
夕焼けフロランタン(ペーパー)
『写真』
「
君はスマートフォンを私に向けて呟いた。
陽光にきらめく海から視線を外し、私はレンズではなく君の目を見る。
「写真は好きじゃない。嘘つくから」
海風がスカートをはためかせていく。
君が選んでくれた華やかな色のロングスカート、マキシ丈と書いてあったのに、のっぽの私が着るとふくらはぎまで覗いている。
『それも可愛いよ』と笑う君の優しさなら得意げに暴くだろうけれど、写真は基本的に嘘ばかりだ。
「だって海が見えたときのテンション上がって指差しちゃう感じも、いざ近づいていくとわけもなく泣きたくなる気持ちも、写真はなんにも取っておいてくれないじゃん」
「なのに一丁前に本物面するって?」
君は手帳型のカバーを閉じてスマホを鞄にしまった。私は下を向いて笑みを隠す。
例外。君が撮る縦型の写真は、本の挿絵みたいで嫌いじゃない。
君の正面に立って左手を取る。利き手の指先はひんやりと乾いている。
「いつか人間は、写真が取りこぼす感覚も全部小さく閉じ込めて、持ち帰れるようにしちゃうのかな」
「それで好きなときに再現するの?
君が自分で吹き出した冗談の意味を私は知らない。
聞いても分からないだろうし君も逐一説明しない。
いつものことだから。いつもの諦念と気遣いの結果。
「だとしたら、朔夜さんはそれ使いたい?」
「どうかな。出来による。
薬指の銀色をいじる。人類は絶滅するまでの間に自らの脳を解明できるか。
興味はない。どうせ私がいなくなった後の話だ。
それでも君は馬鹿げた仮定に真剣な答えをくれる。
「俺は、毎年こうやって朔夜さんと海に来る方がずっといいな」
私も。やがて最初の感情が薄れていったとしても、ずっとこの場所で君をつくる要素を取り込み直したいよ。
青天サブレ(短編)
『多少なりともましな椅子へ』
財布と携帯電話と煙草にライター。持ち歩くのはこれで充分。
黒いロングカーデのポケットに愛用のセットを突っ込んで、
『今日飲まない? こないだ言ってた店』
すぐに『五時半以降なら』と返信が。よし、降りる駅はOK。携帯をポケットに戻す。
車内は比較的空いていたが、座席は大体埋まっていた。わざわざ詰めてもらって微妙な隙間に身をねじ込むのも好かない。ピアスを着けた男を怖がる人もいるし。
ドアに寄りかかって、見飽きた景色が加速していくのを眺める。耳に残っていた姉の小言も、心地いい揺れで薄まって少しずつ流れ出ていく。
説教の発端は、今までならカフェに出勤していたはずの時間に皓汰が寝ていたこと。姉に問い質され『昨日辞めた』と話した。『店長と上手くいかなかった』とだけ。細かく言うと『流れで寝てしまって以降やたら馴れ馴れしい先輩と、嫉妬した店長の間に挟まれて面倒くさくなったから』というのが本当のところなのだが……みなまで言わずとも姉は解っているはずだ。多くのバイトを似た理由で辞めている。
労働自体は嫌いではない――好きでもないが。シフトを増やした分だけお金がもらえるというのも単純明快で好きだ。
どうしても合わなかったのはシューショクカツドーというやつ。みんなで清潔な見た目を心がけ同じ服を着ておそろいの時期に似たり寄ったりのことを言って内定が取れたとか取れないとかで一喜一憂して決まったら大学の手柄なので逐一報告しなさいとか……リクルートスーツの学友たちを尻目に気の向くまま授業に出まくっていたら、皓汰は特に何にもならないまま卒業してしまった。
受け付けないのは採用に至る道だけではない。集団主義、帰属意識、連帯感ロイヤリティエンゲージメント……言い方は何でも構わないが、ただの一度も共感したことがない。
その点アルバイトはいい。飽きたら外せるし捨てられる、ただのアクセサリーだ。正社員は『人生』という感じがする。長い時間を注ぎ込んだものは、生きる手段というより生きている本体に食い込んできそうでいただけない。両腕が仕事なんぞになってしまったら、もう人間ではなくバケモノだ。今だってまともに人間かどうか自信がないというのに。
だんだんとスピードが緩やかになって、電車は目当ての駅に停まる。かっちりしたスーツの男性や、ジャージ姿の眠そうな学生、おしゃべりに興じる紫の髪のマダムたちとすれ違いながら、皓汰は軽やかにホームに降りる。
携帯電話で時刻を確認。約束までまだ三時間以上ある。本屋だの総合雑貨屋だのをぶらついて、疲れたら漫画喫茶にでも……いや、その前に駅直結百貨店の催事スペースを覗いてみるか。面白いことをやっているかもしれない。
エスカレーターで上昇していく。途中でポスターが目に入る。七階・写真展……やべ、と思ったが駆け下りるわけにもいかない。着いたらすぐに下りのエスカレーターに飛び乗る? それともいっそもっと上まで……。
迷っていたらよりによって七階で足を止めてしまった。パンツスーツ姿の若い女性が、息を弾ませて近寄ってくる。
「
――いやぁ、興味ないです全然。上のフロアに用があるだけ。
そう言えるだけの強メンタルも持たず、皓汰は背を押されるようにパーテーションの迷路に入っていった。
写真を大きく引き伸ばしたパネルが等間隔に飾ってある。ほとんどは知らないものだ。当たり前か。根暗な作品ばかりなのは相変わらず。
森林、海辺、都会、夕陽、蒼穹、星空……月並みなモチーフもたくさんあるのに、どれも世界滅亡の一歩手前みたいな空気だ。もしくは、もう滅んだ後。柏木夢子の心の在り様。
彼女の写真は、世が美しいと讃えるものを、見る者が不快に感じる地平に引きずり下ろす。普遍と思われた概念をいとも容易く否定する。
啓蒙とも違った。彼女は作品を通じていかなる主張もしない。単に心理的色覚異常なのだ。彼女には『美』という色が見えない。だから彼女の作品は必ず
皓汰は、最後から三枚目のパネルの前で立ち止まった。
花弁の千切れたスミレの画。とてもとても分かりやすい、凡俗で、浅薄な哀しみ。
誰にも聞こえないよう、口の中で舌打ちをする。
不純物だ。今皓汰の頭をめぐっている記憶も感情も、多分彼女にとっては。
「気になりますか? ただいま柏木は在廊しておりますので、どうぞご遠慮なく……」
品のよい初老の男性に話しかけられた。大して人の入っていない展示とはいえ、同じところに居続けたら目立つか。
「いえ、どきます。すみません」
顔を伏せて歩み去ろうとしたら、誰かが来て皓汰の前に立った。つま先の丸いやわらかそうなパンプス。皓汰はゆっくりと顔を上げる。ボブヘアの中年女性が見覚えのある笑みを浮かべている。
「久しぶりね。皓汰」
「久しぶり」
皓汰はそこまで答えて、先程声をかけてくれた男性をちらりと見た。呑み込めていない顔だ。皓汰は柏木夢子に視線を戻し、他人に聞かせるための台詞を選んだ。
「元気そうだね。お母さん」
(本編に続く)
水平線シガール(並行世界)
『ピアノの顔』
あった。椅子の座面からお気に入りのペンを拾い上げ、
振り返って授業後の音楽室を見回す。空っぽだ。これから昼休みだが、高葉ヶ丘の軽音部は時間外練習をするほど熱心ではないようだった。
ピアノに歩み寄ってみる。さほど弾けもしないのに、誰もいないとなると触ってみたくなるのは何故だろうか。音楽室には幽霊が出るというお決まりの噂も、肖像画の不気味さだけでなく楽器の放つ妙な気配のせいかもしれない。
白鍵のひとつを人差し指で押した。もっとも調律の精確さを確かめられるほど、琉千花の耳は優秀ではない。大体こうしてみるものだというイメージに従ったまでだ。
「ラの音」
突然飛び込んできた声にはっと顔を上げる。
「るっちピアノ弾けるの?」
井沢は白い歯を見せて無邪気に尋ねてくる。足が向かう先からして、琉千花と同じく忘れ物をしたらしい。
選択授業は二組合同だが、A組の男子とB組の女子では特に関わる機会もない。琉千花は野球部に入るまで、井沢と一緒に受けている授業があることも知らなかった。
「私は弾けるってほどじゃないよ。小さい頃習ってたけどすぐやめちゃった」
「そうなんだ。オレも習ってたよ」
井沢はノートを持ってピアノのそばまで来た。身長の割に大きな手が、音をさせない弱さで鍵盤をそっとなぞる。
なにかひけるの、と琉千花が問うと、すこしだけならと井沢は常に似合わず遠慮がちに呟き、椅子に浅く腰掛けた。
最初はぎこちなく、やがて思い出すように指が運ばれていく。
ショパンの『雨だれ』。目の前には教師が置きっぱなしにした合唱曲の楽譜しかない。暗譜しているのだ。
美しいが泣いてしまいたくなるような旋律だった。とても繊細で、それでいて何かを押し殺しているように激しい弾き方だった。
バカな理由でピアノをやめちゃったのかな、とふと思う。
琉千花は幼い頃から手が小さくて、他の子よりも指が届く範囲が狭かった。それは仕方のないことだったし、あの若い女性講師もただ上手く弾かせてやりたかっただけなのだろう。けれど琉千花は、どうしてここに置けないのと繰り返し自分の指を引っ張った女の顔が、そのとき抱いた気持ちが今でも忘れられない。
もしもっと幸福な出逢い方をしていたら、耐えて教室に通い続けていたら、自分もこんな風に何かを音に託すことができただろうか。そう考えるとひどく損をしたような気もする。
「やっぱ忘れるよな、触ってないと」
井沢がかすかな声で自嘲する。ピアノだけのことだとは到底思えなかった。完璧かどうかはともかく、少なくとも琉千花が聴いていて間違えたとはっきり分かる箇所はひとつもなかった。
忘れられないから触れたのだし弾いたからなおさら思い出す。理解したのはそこだけだ。
優しくてもの悲しいピアノの音に、黙って耳を傾ける。一定のリズムが刻まれている。そして曲を中断させたのも、琉千花にとって心地いい音だった。
「いた、るっち。今弾いてんのもしかして井沢?」
「なに、新田って書道だから本校舎じゃねぇの?」
「昼休み、緊急ミーテってにゃーさん言ってただろうが。音楽組の二人だけ来ねえから呼びにきたんだよ」
(本編に続く)
月光プレッツェル(最近のもの)
『鳩ヶ谷さんと青信号ナガクナール』
鳩ヶ谷さんはいつも信号のボタンを殴るように押す。白杖を持ったピクトグラムの描かれた白い箱。交通弱者用押しボタン。
「いったい何が弱者だよなぁ、おい」
鳩ヶ谷さんは自分の車椅子のハンドリム(手でこぐ部分)を、ごつごつした指でしきりに叩いている。僕は鳩ヶ谷さんの隣にただ突っ立っている。
肌は日に焼け、ポロシャツの胸ポケットにはラークの箱を入れており、汚れひとつないエアジョーダンをはいた車椅子のおじさんについて、僕が知っていることはほとんどない。
この近所に住んでいること。ほぼ同じ時間に同じ横断歩道の前で、信号の変わるのを待っていること。渡り終わったら右に折れて、駅前のバスロータリーから鳩ヶ谷行きのバスに乗ること。
『交通弱者用押しボタン』が嫌いなこと。
向かいのビルに新卒で入社した僕と、同じ信号の前で毎日三〇秒ぐらい話をするのが、どうやら嫌ではないらしいこと。
「じゃあ別の案でも考えません? 暇つぶしに」
(本編に続く)
暁星ハーブティー(エッセイ)
『エッセイ、書けない』
私は普段エッセイを書かない。ブログは基本的に活動報告だけ。SNSも進捗や宣伝をたまに
小説は、入念に作り上げた演劇みたいなものだと思う。脚本を書き、登場人物と価値観をすり合わせ、演出を考え抜き、背景も何もかも整えて、最適な場所に立ってもらって幕が上がる。公演中、私は舞台に上がらない。幕が閉じたらそれで終わり。
対してエッセイは、自分だけで出演する全編アドリブのトークショーみたいだ。まず入っていき方がわからない。手を叩きながら「はいどーもー!」でいいの? それともスッと中央のスタンドマイクまで行って「○○と言えばですね……」って始めたらいいの? わからん! 終わらせ方もよくわからん! こわい!
(本編に続く)
少しでもお気に召しましたら嬉しいです!
