「必要がなくても、して」
ティアマトの口調は珍しく横柄だった。普段はそうする者をたしなめる側なのに、今日はまた随分と。行軍中で気が立っているという風にも見えないが。
セネリオは眉をひそめて問う。
「それは、副長命令ですか?」
「そういう表現をすればあなたが動くのなら、そういうことにするわ」
「……わかりました」
本当にすさまじく必要がないとは思うが、一応のところ指揮系統としてティアマトはセネリオの上官である。理不尽だろうが不必要だろうが、そうと論破出来る有効な手札がない以上は従うしかない。アイクが席を外しているのをいいことに露骨に舌打ちをして、セネリオは副長の前を辞す。
相手は然程探さずとも、少し外れた場所に座っていた。セネリオは何も言わず彼の前に立った。
「なに?」
彼――獣牙族の青年・ライは、今気付いたかのように顔と耳を上げる。どうせ気配で分かっていたくせに。そういうところが気に食わないのだ。セネリオは獣の匂いを極力嗅がないように、顔を背ける。
「あなたと少し話をしてこいと、副長命令で。必要はないそうですが」
「はぁ、そう。話題は?」
「特に指定はありませんでした」
「そうなんだ」
ライはくつくつと喉を鳴らしながら立ち上がった。そうすると見下ろされてしまうので、セネリオは些か以上に面白くない。
「何です?」
「いや。用はないけどお遣いですよ、って言っちゃうところが参謀殿のかわいげなのかなって」
知ったような口を利かれるのは、セネリオにとっては珍しく『平等に』――当然アイクを除けばだが、不愉快なことだった。懐中時計を取り出して蓋を跳ね上げる。針はいくらも進んでいない。
「『少し』というのが具体的にどれほどかまでは聞いていませんが、もう『話す』という目的は達せられたはずですので、戻ります」
「その屁理屈持って帰ったら、多分二度手間だと思うけど? オレの提供する話題でよければひとつ、仕事と割り切って付き合えって」
肩を掴まれたので全力で振り払った。ライは、うわぁと間延びした声で身を引いたものの、怒る素振りは見せない。薄い色の尾を左右に揺らしながら、何事もなかったように問うてくる。
「アイクはどう? ちゃんと寝てそう?」
「そう見えるのなら、その色が違う片方は盲いてるんでしょうね」
「おいおい、会話の端緒だろ……解ってて潰すのやめろって」
ライは嘆息し、首の後ろをかきつつ、件の両目を宙に向けた。
「まぁそうやって、意図もちゃんと通じてるくせに上手く立ち回ろうとはしない生真面目さ、オレは割と嫌いじゃないよ」
「僕は、そこが解せないのですが」
セネリオは、じろりとライを見上げる。あまり真正面から相対したくなかったので、やや横目で。
「半……ラグズは通常、そういった婉曲な物言いをしない。それこそ愚かなまでに率直な言葉しか選べない。あなたはその点においても大分おかしい」
「おいおい、随分だな。おまえさんたち『ベオク』にいろいろいるように、オレたちにもいろいろいるさ」
ライは大袈裟に肩をすくめる。セネリオはぴくと眉を動かした。だから、こういうところが気に入らない。セネリオを含みのある言い方で敢えて『ベオク』と呼んでみせる、そういう外連味が。
ざぁと風が吹き、樹々と水縹の短い髪が揺れる。ライの口調も、その空気の流れに言の葉を乗せるように静かだった。
「――オレは間違いなくラグズだよ。耳も尾もある、化身も出来る、立派な獣牙族。気性のことは多分、正の気が他の連中よりも強いからだろうさ。昔そう言われたことがあるからな。オレは生来、誰かをきつく長く憎むことが出来ない。そういう生き物なんだ」
おまえとはちがうよと、言外に言われたのは、恐らくセネリオの被害妄想ではなくて。けれど確かめてやる義理がなかったので黙っていた。
ライは訳知り顔で微笑して軽く手を振る。
「おわり。行きな。参謀殿は十二分に働きましたと、副長殿にはオレからも後で言い添えておくから」
「あなたの口添えなんて必要ありませんよ」
「あれ、『必要がなくても』って言われてきたんじゃなかったのか?」
「……口の減らない」
毒づいて、セネリオは挨拶もせずに踵を返した。
本当に、アイクがあの男を気に入っているのでなければ、永遠に黙らせてやりたい。
ティアマトのところに戻ると、彼女はいつもの様子で微笑んでいた。
「どうだった?」
「別に何も。生産性のない会話で、時間の無駄でした」
「そう」
ティアマトは子細なことを訊かなかった。セネリオもわざわざ報告するつもりがない。風に揺れる赤毛を片手で押さえると、ティアマトは小さく首を傾げる。
「でも、アイクの気持ちは少し解った?」
「いいえ。抱いた感情は、全面的に僕のものでしかありません」
アイクはいちいち、言葉の裏を読んで腹を探り合ったりはしない。アイクなら。
セネリオは片腕を抱いて目を伏せた。
「……解ったとしたら、あの男がアイクを信用する理由ぐらいです」
「ならいいわ。それだけ解れば、今はきっと充分だから」
少し呆れたように笑われて。それに苛立つ気力が、今はあまり湧かなかった。
ティアマトは、さてと、と物資運搬用の荷台に視線を遣る。
「これから、商会から買った武具の数を確認するけれど、手伝ってくれる?」
「それも命令ですか?」
「いいえ、あなたの自由意思に任せる。一人で出来ない量じゃないし、他の誰かに頼んでも構わないようなことだもの」
「わかりました。では手伝います」
セネリオはそう答えた。
気乗りはしないけれど、どうせやることもない。今から誰か捕まえるのも手間だろうし。
「僕が手伝う必要のないことだとしても、あなた一人にやらせる必要もありませんから」
「ありがとう。そうね、その方が効率がいいわ」
ティアマトは微笑んで、先に歩き出した。
頭の中で訂正。ティアマトに知ったような口を利かれるのは、彼女の本当に知っている範囲でなら、別に不愉快でもない。
セネリオは自分の歩幅で、彼女の後についていった。