花衣を君に - 7/7

エピローグ

 妹姫の輿入れの準備は桜花舞うよき日に着々と進められていた。ようやく戦争が終結したかと思えば、蝶よ花よと育てられた末の王女が異国の王子のもとへ嫁ぐのだという。暗夜王国への嫌悪や畏怖を捨てられない者も当然いたが、多くの民は、これまで人々を癒やし支えた姫の門出が幸福なものであるよう祈った。それほどに王女の顔は晴れやかだった。
「迎えはいいって言ったのに」
 花吹雪が水のように流れるシラサギ城の門前で、馬車から降り立ったレオンが口調ほどは咎める意図を感じさせない声で言った。微笑んで、サクラもレオンの顔を見あげる。婚姻自体は戦が終わる前からの決まり事だが、サクラが正式に暗夜王弟の妃となるのはまだ先の話だ。王族同士の婚礼は大々的な国家行事であるため、煩雑な手続きと準備を必要とする。今日も帰りの馬車に乗るのはレオンひとりだ。目の回るような日々の中で、それぞれの臣下が睡眠時間を削って捻出した貴重な余暇だった。
「……レオンさんとのことを兄様たちに報告したとき、」
 つれだって歩きながら挨拶もそこそこに話しだす。今は頭上で輝く太陽が少しだけ光を弱めるころには、レオンはもう隣にはいない。
「誰にも驚かれなかったんです……」
「こっちは鼓膜が破けるかと思うほどやかましかったよ。エリーゼとオーディンが」
「反対はされませんでしたし、喜んでもくださったのですけど……お、思っていたのと違うというか」
「驚かれたかったの? 変な人だね」
「だ、だってレオンさんですよ! あのレオンさんが相手なのに!」
「褒められてるのかな。貶されてるのかな。まぁ、あなたのことだから賛辞なんだろうね。ありがとう」
 淡々とした声は、聞きようによっては嬉しそうでもあった。いざ彼の妻になるのだと思うと自分では相応しくないのではという不安も大きかった。「誰だって不安なんだよ。だから戦うんでしょ、レオン様といっしょに!」というカザハナの言葉にサクラはずいぶんと救われた。彼女はこれからも大切な親友だ。
「香りの弱い花だって聞いてたけど、さすがにこれだけ咲いてるとよくわかるね」
「シラサギ城に植えられているのは特に香りの強い品種なんです」
「たしかにこれなら春の白夜王国に香水は不要だ。かえって邪魔になる」
「でも、夏になれば消えてしまう香りですから……。桜の香を閉じこめておける香水もやっぱり素敵だと思います」
 いつでも花の香りをそばで感じられるのは素晴らしいことだ。その香りに紐づけられた記憶もまた消えずにあり続けるのだろうから。
「……そうだね。少しだけ、閉じこめて独占したい」
「お花をですか?」
 花びらを手に乗せたまま呟くレオンに問いかける。小さな花弁をそっと風に離したレオンは、立ち止まってサクラを見た。
「うん」
 黒い防具の外された手で、レオンがサクラを抱き寄せる。そのこと自体に抵抗はないが顔が見えない。肩を押して、隙間をつくる。つま先立ちで視線を合わせて、赤い瞳に映りこんだ。
「もうとっくに腕の中です」
 花の香りならいくら重なっても花のままだ。レオンの目は好きだけれど、彼を包む香りは優しいものだけでいい。王女の名前はそのために、この清い桜花の国から与えられた。
 

 

 

氷上涼季:プロローグ・第二章・第四章(レオン視点)担当
白井章子:第一章・第三章・エピローグ(サクラ視点)担当