第四章 雪に紅 - 4/4

 

SIDE Rethe

 

 

『勝利』の本質

 

 デイン王都を一望できる丘の上。もう雪は大方解けて、日陰にうっすらと残るのみだ。
 一人風に吹かれていたレテの元へ、ジルがふわりと舞い降りた。
「……クリミアから施しを受けるなら、餓死する方がましだって」
「誰が?」
 事情がよく飲み込めないレテに、ジルは訥々と話す。
「王都に逃げてきたダルレカの領民に、会ったんだ。私のことも、父上を喪って失意のまま逃げてきたんだと、思ってるみたいだった。クリミア軍が憎い、あいつらさえ来なければと……泣いていた」
「その手の中傷は、ここに残ると決めたときから覚悟していたのだろう?」
 レテは王都から視線を外さない。見えている部分を仔細に観察する。それでも、ジルの様子は気配で把握している。
 そうじゃないんだ、とジルは弱々しく首を振った。
「私が裏切り者とか、そんな風に呼ばれるのはまだいい。でもクリミア軍が悪だなんて……そもそもエリンシア姫から全てを奪い取っていったのは」
「デインなのに?」
 レテは視線だけでジルを振り返る。かわいそうな娘。そんな理屈をこねていられる時期などとうに過ぎている。
「民間人にはそんな判断力はない。材料もな。エリンシア王女が、いつか言っていた。どんなに言い繕っても自分は皆に、人を殺せと命令している侵略者なのだと。そのときの私は、違うとしか言えなかったが――今はもう、完全に異なるとは言えないだろう」
 ジルは黙り込んでしまった。一体どんな答えを望んでいたのかは分からない。
 春風と呼ぶにはまだ早い強風が、二人の髪をあおっていく。無残な夢をさらっていく。
「勝利とは、何かを成すための必要条件だ」
 私の上司の言だがな、とレテは付け足した。続く言葉は、レテ自身の実感だったが。
「ラグズ諸国とは、勝利を掴まなければ存在できなかった国々だ。あれらの場所は本来、我等が女神より賜った土地ではない。幾度もの勝利の果てに辿り着いた、最後の聖域なのだ」
 レテはジルと向き合い、乱れた紅の髪を手ぐしで直してやった。猫ほどではないが癖の強い髪だ。
「だから、お前がアシュナードを非とし、エリンシア王女を是とするならば、勝つしかない。成し、示すためには、それしか方法はないんだ」
 お前はどうする、ジル・フィザット――。
 ジルはレテの手を掴み、攻撃的でない程度に強く握った。
「決まっている。エリンシア王女を助け、狂王を降す。勝つんだ。私は私なりの正義でデインを守る。今は敵対しているとしても、ここは私の故郷だから」
 レテは握られたままの手でジルの頬に触れた。滑らかでやわらかく、透き通るように白い。
 その顔の中に埋め込まれた、一対の深紅の宝石。
「この色が好きだな」
 レテの発言の意味を介せなかったらしく、ジルは不思議そうに瞬きをした。いや、とレテは微笑む。
「決意を込めた深い紅。心洗われるようで、私は好きだ」
「ありがとう」
 ジルはくすぐったそうに笑った。
「レテの紫水晶もとても綺麗だよ」

 

「……ひっでぇな、こりゃ。街まるごと、死んでやがる」
 デイン王都ネヴァサ。シノンが踏み入るなり言った言葉は、あながち大袈裟でもなかった。
 静かすぎる。大方、男は兵役を課され、女子供は田舎に避難したのだろう。
「でも、悪い王様をたおせばこの戦争はおわるんでしょう?」
 ヨファが不安そうにシノンを見上げる。シノンは面倒そうにかぶりを振った。
「違うな。そこから始まるんだ」
「どうして!」
 ヨファの詰問は悲鳴に近い。レテも思わず口を挟んでしまった。
「国が負けるということはな、ヨファ。勝った国が、負けた国を好きに出来るということなんだ」
「なにそれ……」
 なるべく噛み砕いて言ったつもりだが、ヨファには理解できないようだった。いや、したくなかったのかもしれない。
 シノンが遠くを睨みながら続ける。
「やられたらやり返せ、だよ。あるもんは奪え、使えるもんは使え、使えねぇもんは捨てろ。アイク坊ちゃんはオレがそこの猫を『半獣』って呼ぶのに目くじら立てやがるが、敗戦国の人間を見てたら、それがどんなにちっぽけなことか解ると思うぜ」
 手練の傭兵である彼にとって、その理屈は常識だったのかもしれない。まだ幼いヨファは飲み込み切れないのか黙ってしまった。
「で、でもさヨファ」
 キルロイがやんわりと問いかける。
「エリンシア王女が、負けたデインにひどいことをすると思う?」
「おも……わない。ううん」
 ヨファの、最初は消え入るようだった声が、だんだん大きくなっていく。
「しない。エリンシアさまは優しいもん。デインの人にだって、ぜったいにひどいことしない!」
 ヨファは再び『悪い王様をやっつける』闘志を取り戻したようだったが、シノンが微かに呟いた一言をレテは聞き逃さなかった。
 姫さんがどうでも、周りがどうさせるかは保証できねぇだろうが――。
「ガリアがそれを保証する」
 シノンはびくりと肩を震わせた。聞こえていないと思っていたのだろう。レテはお決まりの皮肉で遮られる前に、続ける。
「エリンシア姫が暗君であったのなら、彼女を推した我らにも責がある。文句はあるか?」
「ねーよ」
 シノンは剥き出しのうなじをかきながら吐き捨てた。
「オレぁ元々興味がねぇんだ。デインだ、クリミアだなんてクソくっだらねぇ戦にはな。ただ自分が敗者になるのはごめんだってだけさ」
 ヨファが近くに寄ってきて、レテに耳打ちをした。
 ああやってね、すぐわかるような見栄はるんだ、シノンさんって。
「ヨファ!」
 怒鳴られ、ヨファは舌を出して走り去っていった。
 

 

 いざ王城と息巻いてきてみれば、城門は無防備にも開いていた。
 訝しみながら中に踏み込むクリミア軍だったが、前方の部隊――主にグレイル傭兵団などのクリミア人――が通過した頃、デイン軍はすかさず城門を閉めた。
 分断されたのだ。今となっては、互いに殺し合うしか道がない。あの城門を再び開けられるのは、勝利した方だけ。
 こんな下の下の戦法で、デイン軍が勝ちを取るのは無謀だ。こちらと刺し違える覚悟で挑みかかる外ない。しかしデインの兵たちは皆まだ、生き残る意志を持っているかのような眼差しで戦いに臨んでいた。城の中に両軍を閉じ込めても、デイン兵にそう思わせしめる『切り札』とは何なのか?
 レテの疑問は、玉座の間にて氷解した。
 そこには、数人の兵を従えて、一人の少女が待っていた。
 少女、と言ってもレテより年嵩かもしれない。彼女の褐色の肌には、ラグズを示す模様が刻まれていたから。
「イナ、と申します。まずはあなた方にとって、当然の疑問に答えねばなりません」
 イナは、形のよい小さな口唇を、はっきりと動かした。
「残念ながら、ここに王はいません。王とデイン軍は、クリミア王都を陥落させた後、そのまま、そこに留まられています」
「なんだと……!? 王都を放棄してか?」
 アイクは部屋の入り口から一歩進んだ。レテもそれに続き、空いた分のスペースにボーレが滑り込んでくる。
 イナは動かず、場違いに穏やかな笑みを浮かべた。
「戦いの終結を望む気持ちは、こちらも同じこと……ならば、あなたが王を討つためクリミアへ向かうよりも、私がここであなたを討ち、クリミア軍を撃破する方がずっと早いと思いますが?」
「かといってクリミアを、お前たちの好きにさせてはおけん」
 アイクはきっぱりと答えた。イナは物分りの悪い子を諭すように、殊更ゆっくりと首を振る。
「両方を立てることはできません。互いの利を主張すればこそ戦いが起きる……。どちらも退けないのであれば、強者が生き残るまで。私は私の利を持って、あなたを倒します」
 アイクは更に進んで仲間を玉座に招き入れた。
 イナはそれを辛抱強く待ってから、こちらをを指すように右腕を上げた。
「その短い命を少しでも永らえたいのであれば……あなた方は、私に近づくべきではありませんでした」
 半化身の腕輪。やはり間違いない。彼女は
「ゴルドアの、竜鱗族……」
 呟く間にイナの身体は眩い光に包まれ、元の二倍はあろうかという竜の姿に変化していた。
「これが、デインの切り札……」
 いつも冷静な参謀殿も、これについては驚愕する他なかったようだ。無理もない。レテだとて未だ混乱している。
 ゴルドアにしかいないはずの竜が、何故デインに肩入れしている? いや、そんなことより――レテは奥歯を噛んだ。
 ラグズの中でも随一の力を持つ、竜鱗族。間近で竜のブレスを浴びた同胞は、骨さえも残らなかったという話もある。迂闊に近づくのは自殺行為だ。謎深き神代よりの種族。果たして我々に、あれを撃破することなど可能なのだろうか?
 だが傍らのアイクは臆することなく、剣の柄を握り直した。
「俺があれの相手をする。みんなは他の……」
「馬鹿! 死ぬ気か? 竜相手では、はぐれ者でもラグズ数人がかりでやっとだ。ベオク一人で何とかできると思うな!」
 叱り付けたはいいものの、レテの思考も上手く回らない。
 竜鱗族の肌はただでも硬いのに、そのうえ鱗が全身を覆っている。レテの攻撃など文字通り、歯牙にもかけないだろう。アイクなら言わずもがなだ。
『来ないのであれば、こちらから仕掛けますよ……?』
 少女の声のまま、イナは一同に告げた。優しすぎて逆におぞましいほど、落ち着いた声。
「あの……」
 皆の緊張が高まる中、アイクが精鋭部隊に選出した少女――モゥディがいつか気にしていた。確かイレースと言ったか――が声を上げた。倒れそうな足取りで、ふらふらと後列から前に歩いてくる。
 イレースは、何が問題なのかが分からない、という風に小首を傾げた。
「私、竜倒せますよ……?」
 そうか、とレテは小さく呟いた。
 彼女の得意分野は雷だったはずだ。竜は雷に弱いと聞いたことがある。自分の使えない手なものだから、すっかり忘れていた。
 参謀殿がイレースに詰め寄る。
「本当ですか? 以前にも?」
「はい……野良の竜がいて、危ないからって、頼まれて……」
 嘘でも誇張でもないのは、この場にいた全員が分かっていた。彼女はこの状況下で、大言を吐く人間に見えない。
「竜はイレースとセネリオに任せた! 俺たちは竜の攻撃に注意しながら、二人を援護するぞ!」
 アイクの声が戦闘開始の合図だった。
 竜の少女を守らんと、デインの精鋭たちが一斉にイレースを狙ってくる。アイクが剣を振り、レテが引き裂き、他の仲間達も次々とデイン兵を撃破する。
 この瞬間が本物だ、とレテは悟った。
 策など関係ない。想いと想いが火花を散らすこの瞬間、生き残りを賭けた一戦にこそ、人は本当の力を発揮するのだ。
 目の前で死んでいったデイン兵のように。生きて戦い続けるレテのように。
 イレースは何やら聞き覚えのない言葉を呟きながら、点から点へ線を結び、金色の六茫星を描いていく。光は紋様に変化し、足元の二重の真円が彼女を照らす。
 勝てない、とレテは心底から痛感した。こんな魔法を操れる者がいるなら、歴史の示す通り、ラグズなど相手にはならないだろう。
NieniTanngrisnir,chinikuniTanngnjostrha
 二つに結わいた藤色の髪が大きく動く。逆巻いた電撃が右腕に集まっていく。
 手首に巻いた赤紫のリボンが、黄金に輝いていく。
FukkatsunoInorinitakusuhaRaigekinoKazakiri,izasonoTsuchiwofuruitamae
 深く息を吸い込んで、イレースは呪文の終わりを告げた。
Thoron(トロン).」
 まるでムワリムのときの焼き直しだった。
 相手のラグズが、致命的な一撃――そう、たった一撃だ――を喰らって、悶え苦しんでいる。
 違うとすれば、イレースはとっさの略式ではなく、わざわざ完全な術式を起動させたこと。イナを助けるために駆け寄ったのが、レテでもアイクでもなかったことだ。
 それはデインの兵でもなく。クリミア軍とも、レテたちガリア軍人にも関係ない。
 飛び出していったのは、イナと同じ褐色の肌を持つ男だった。

 

 

To SIDE Ike

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