第三章 貴族とラグズ - 3/3

SIDE:Ike

 

自由

 

「私たちの負けだ……」
 虎の男は横たわったまま、整わぬ息で呟いた。他のラグズも襲ってくることはなく、沈痛な面持ちで立ち尽くしている。
「お前が、この一団の首領なんだな?」
 アイクは用心深く問いかけた。男は首肯する。
「これ以上、抵抗はしない。連行するなり、この場で処刑するなり……好きにするがいい。だから他の仲間は、見逃してもらえないだろうか。頼む……」
 力ない声で、それだけが最後の仕事とばかりに、男は言う。
 悲愴。アイクの脳裏に浮かんだのはその一言だった。やはりこのラグズは理性を持っている。これなら話が――。
「そんなの、ダメだ!!」
 強い声が響き渡る。変声前の少年のような、少しざらついた高い声。先程とはトーンが違ったが、アイクたちに宣戦布告したのと同一人物であった。
「ムワリムは渡さないっ!」
 外套の帽子は外れ、朱色の髪が露わになっている。少年は勝気そうな瞳でアイクを睨み、男を背に庇うように両手を広げた。男が狼狽した様子で半身を起こそうとする。
「いけない、坊ちゃん! どうして出てきたりするんです……!」
「ムワリムを連れて行くなら、おいらを殺してからにしろ!!」
 ムワリム。それがあの虎の名前らしい。それを頭に刻みつけながら、アイクは少年を観察する。
 ない。ラグズの特徴は何もない。寧ろこう言った方がいい。アイクたちとの相違点が、ない。
 アイクの驚きを汲んだのか、ムワリムは目を伏せてこう言った。
「そう、この子は『人間』だ。まだ幼い頃に……私がさらってきたのだ。だから私たち『半獣』とは、無関係で……」
「ウソをつくな!」
 叫んだのはアイクではなく、『人間』の少年だった。今にも身を捧げようとするムワリムを押し留めるように、太い首にしがみつく。
「おいらは好きでここにいるんだ! ラグズ奴隷解放軍の首領はおいらなんだからな!! ムワリムの大バカ野郎! みんなをかばって死ぬなんて許さない、からな……!!」
「坊ちゃん……」
 なるほど、これが世に言う『フタリノセカイ』か。アイクは頭をかきながら立ち上がる。
「どっちが首領でも、俺はいっこうに構わんが……」
 少年が思い出したようにアイクを向く。アイクもムワリムと少年を見下ろす。
「ベオクを庇って、自分のことを『半獣』呼ばわりするラグズと、『ラグズ奴隷解放軍』とかいう団体には――興味がある」
「興味? 興味って、どういうことだよ」
 少年は不審の色を濃くした口調で言った。どう答えようかとアイクが沈思していると、レテがやって来て何かを下手で投げた。
「私たちが捕らえに来たのは『盗賊団』であって、『ラグズ奴隷解放軍』ではないということだよ。“坊ちゃん”」
 あの腕輪だった。あれは向こうにとって、切り札とも言える代物のはずだ。返すということは、敵意がないことを示すことになる。
 レテのおかげで少し表情のやわらいだ少年と、アイクはようやく交渉を開始した。
「悪いようにはしないから、俺に詳しく話してみないか?」
 少年――トパックと名乗った――は少し逡巡した後に、事情を説明してくれた。
 このベグニオンには元々ラグズを奴隷とする風習があるのだそうだ。表向きは、二十年前の奴隷解放令によって、ラグズ奴隷は完全に廃止されたことになっている。しかし、貴族の家にはまだたくさんのラグズ奴隷がいる。
 トパックとムワリムは、そのことを元老院に訴えたが、相手にしてもらえなかった。それで同志を集めて組織を作り、奴隷のいる貴族の屋敷に忍び込んではそこから逃げ出す手助けをしてきた。事を公にできない貴族たちが、彼らをただの盗賊団だと偽って、お尋ね者にしたらしい。
「……お前たちの行為についてはよく分かった。だが、このままじゃ根本的な解決にはつながらんな」
 廃墟の地下、快適に冷えた部屋の内で、アイクは腕組みをした。
「それは分かってる。だけど、諦めてほっとくなんてことおいらにはできない……!」
 トパックは親指の爪を噛んだ。苛立ったときの彼の癖なのかもしれない。すっと手で制する。
「この件、俺に預けてみないか?」
「え?」
 トパックが意外そうな目でアイクを見た。アイク自身にとっても意外ではあったが、口にした以上は出来そうな気がした。
「俺もここんところ、ベオクの行為に嫌気がさしてたところだ。何か、出来ることがあるかもしれない」

 

 使い切れないほどの臣下を持つ神使が、わざわざ傭兵団に依頼することが、アイクにはずっと不思議だった。
 最初はまた戯れか、もしかするとアイクたちの無聊を慰めるためかもしれないと、軽く考えていた。だが奴隷商人、奴隷解放軍と接触するうちに、考えが別の方へ転がり出した。
 内部腐敗を摘発するのが目的ではないか、とセネリオは言った。恐らく元老院はこの奴隷問題に関わっており、事を公にしたくないのだろうと。元老院を敵に回せば、いかな神使の立場とて危うくなる。そうしたら、奴隷についての問題は永久に闇に葬られてしまうだろう。だからこそ、元老院の意図とは関係のない第三者が必要だったのでは、とティアマトが言った。
 神使はそれを認めた。そのうえで、新しい――出来れば最後の、任務を任された。
「ムワリム!」
 謁見の間から応接間に戻ると、アイクの双肩にどっと疲れが降りてきた。同行させたトパックは良くも悪くも正直すぎて、神使の不興を買いかけたのだ。
 この間の俺はこんな風だったのだろうかと考えると、本当にエリンシアやティアマトたちに申し訳がなくなる。
「坊ちゃん! ど、どうでしたか? 何か……嫌な目に遭わされませんでしたか?」
 ムワリムの慌てようは、初めて相対したときの態度とは全く違っていた。誰かのああいう姿をいつか見た気がする。
「全っ然、平気だったぜ! 『神使』って、もっと感じの悪い女かと思ってたけどさ。ただのガキだった。おいらよりチビでやんの」
 ああそうかヨファがやんちゃをした後のオスカーに似ている、と思い至ったとき、ムワリムが蒼褪めた顔で叫んだ。
「ぼ、坊ちゃんっ! そんな大きな声で……なんてことを!!」
 ムワリムは、トパックを庇うように片手で抱き寄せ、姿勢を低くして周囲を睥睨した。
「な、なんだよ?」
 トパックはムワリムの行動に戸惑っているようだった。アイクは双方の気持ちが解るだけに、ため息を禁じえない。
「ムワリム、大丈夫だ。この部屋に神使の手下はいない」
 腕を組んで言ってやると、ムワリムは安堵したようにトパックを放した。トパックは不思議そうに、否、心配そうにムワリムを見上げている。
「神使の悪口を言うのは、ここでは『不敬罪』とかなんとかで……下手をすると処刑されるそうだ」
 自分がからくも逃れた罪をアイクが教えてやると、トパックもようやく事の重大さに気付いたようで、目を見開いて、まだ繋がっている首に手をやった。
「坊ちゃん……ここにいる間は、言葉の使い方に、くれぐれも気をつけてください。お願いですから……」
 ムワリムの悲しげに諭す声に、トパックはしゅんとして頷いた。
「うん。わかった。きをつける」
「ベオクのトパックより、ラグズのあんたの方が、ここの作法なんかに詳しそうだな?」
 アイクは何の気なしに問いを発したのだが、トパックは異常な反応を見せた。脂汗を浮かべて、必死に両手を振っている。
「そ、それは! おいらが物知らずなだけで……」
「いいんですよ、坊ちゃん」
 ムワリムがやんわりと、トパックを制した。トパックのもの言いたげな視線を流し、ゆっくりアイクを見つめる。光のない乾いた目をしていた。
「アイク殿。私がベグニオン貴族の慣習に通じているのは……私自身が、奴隷だったからです」
 衝撃を受けるアイクから視線を外し、ムワリムは遠い誰かに聞かせるように語り出した。
「私の家族は代々、とある元老院議員の家の奴隷でした。小さい頃は、自分が奴隷であることに疑問を抱くこともなく育ちました。どんなきつい労働も、生まれた時から、それが当たり前のことだと思っていましたから」
 アイクは口を挟めない。ムワリムは長い髪を揺らして俯くと、自虐的に笑った。
「主人に気に入ってもらえるよう、行儀作法を、必死で身につけました。奴隷である我々が、少しでも長く生き残るためには……主人の機嫌を損ねないことが最も重要でしたから。もし、少しでもしくじれば、よくて鞭打ち……悪ければ……」
「ムワリム! もうやめろ!」
 事情を承知だったらしいトパックが、耐えかねたように怒鳴った。
 すみませんと謝罪しながら、ムワリムの口許には、暗い笑みの残滓が漂っている。
「アイク殿……奴隷だった私といると、貴方たちまで、蔑まれ軽んじられる」
 アイクはそうだとは思わなかった。そう思いたいのは、寧ろムワリムの方ではないかと。
 ムワリムは笑みを完全に消し、アイクを見た。見たのだが、決して視線を合わせようとはしなかった。
「私がここに来たのは……坊ちゃんのことを、どうしても貴方に、貴方にお願いしたいと……」
「なんで!? なんでだよっ!」
 トパックは、真っ直ぐにムワリムを見ていた。その目を捉えようとするように。
「ラグズ奴隷に生まれたら、自由に生きることも許されない……そんなの、おかしいって! だから、それをおいらたちで変えようって約束したじゃないか!! ラグズも、ベオクみたいに家を建てて、畑を作って、家族みんなが自由で平和に暮らせる……そんな世の中にしようって」
「それは、私たちラグズ奴隷であった者たちの、夢です」
 ムワリムはどうしてもトパックの目を見なかった。逃げるように天井を仰ぐ。
「ベオクの貴方まで、それに付き合う必要はない」
 トパックは全身を強張らせた。そしてみるみる溜まっていく涙を振り切るように、部屋を飛び出していく。
「坊ちゃん!」
 ムワリムは一度伸ばしかけた手を、やがてだらりと下ろしてしまった。黙って下を向いている。
「……そんなに、気にすることなのか?」
「え?」
 聞き返すムワリムの声。隠しきれていない不審と苛立ち。アイクは初めて彼自身の中に、『諦め』以外のものを見た気がした。
「ベグニオンに来て、ずっとおかしいと思っていた。貴族の家に生まれたから貴族。奴隷の両親から生まれたから奴隷……人の価値が生まれた瞬間に決められているとでもいう気か? そんな訳の分からん決め事が、まかり通るこの国が……理解出来ん」
「……クリミア王女に仕える方のお言葉とは思えませんね」
 皮肉るような慇懃な微笑。ムワリムの目は暗く淀んでいる。
「王女は、王の血筋に生まれたから王女なんですよ? それすらも否定される気ですか? 先頭で王女を守っている貴方ご自身が?」
「……そう、なんだよな」
 アイクは天井を睨んで、首の後ろをかいた。
「エリンシアは、王女なんだ。団の雇い主に対して、最低限、敬意を払っていたつもりだが……『姫』と呼びながら、それがどういう意味を持つかなんて、ここに来るまで、意識したことがなかった」
 ムワリムは、深く長いため息をついた。独言のようにぽつりと、呟く。
「私の目から見れば、貴方はとても恵まれている。ベオクとして生まれ、緩やかな身分制度の国で育った。それがとても、妬ましい……」
 アイクは眉をひそめた。彼が彼自身のために感情を口にしたのが、正直嬉しかった。だがそれ以上に、『妬ましい』の意味は重かった。
 自分はどんなに努力をしても、彼の痛みをきっと理解できないだろう。それでも。
「貴族階級とかいう制度を知ったからといって、エリンシアに対する態度を変えられなかったように……ラグズと知っていても、レテたちに対する信頼が揺るがないように。あんたが奴隷だったと聞かされても、やっぱり態度を変えられそうにない。あんたは、あんただ。そう考えるのは、俺の自由だろ?」
 ムワリムはよそを向いた。
 アイクは思う。俺はひどく場違いで、見当違いのことを言っているのかもしれない。けれど解る。これだけは解る。
「あんたが過去を引きずるのは仕方ないのかもしれん。だが、どんな事情があるのか知らんが……あんたをあんなに慕ってるトパックを、無理に遠ざけようとするなよ。あんたと共にいることを選ぶのも、やっぱり、あいつの自由なんだ」
 長い、長い逡巡の後。
「坊ちゃんを、捜してきます」
 ムワリムはそう呟いて、背を向けた。神殿の奴らに会うのが辛いなら、自分が行って連れてこようかと提案したが、いえ、とムワリムは肩越しに振り返り、控え目に微笑んだ。
「大丈夫、私は鼻がききますから。ベオクを避けながら坊ちゃんの匂いを追うことは容易い」
「そうか」
 強いて止める理由もない。アイクが引き下がると、ムワリムはこちらに向き直り、アイクの目を見て、
「アイク殿……私を、本当に……」
 そして、逸らした。
「……いえ。これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ。できるだけ長く、団にいてくれ」
 立ち去るムワリムの背を見ながら、レテやモゥディならばもう少し上手く彼の心をほぐせるのかもしれない、とぼんやり思った。
 

 

 神使の憂いは絶った。死んでいたセリノスの森――ベグニオンのラグズ殺しの象徴は、アイク達の尽力と白鷺姫の目覚め、神使の贖罪で浄化され、生命の光を取り戻した。
 神使は、奴隷解放にも継続的に取り組むことを約束してくれた。勿論、そのきっかけを作ってくれたクリミアへの援助も惜しまないと。
 ベグニオン帝国という後ろ盾を得た今、一行はクリミアへの進撃を開始しようとしている。
 その前に、会っておかなければならない人物がいた。
「ここにいたのか」
 ジルは、神殿の屋根の上にいた。騎竜が傍に控えている。あれの助けによって上がったのだろう。アイクは流石に上れないので、下から大声を出すしかない。
「ベグニオンに着いて、ずいぶん日が経つ。なのに、どうしてここに残っている? 俺たちの仲間になった素振りで、何か企んでいるのか?」
 この疑問は半分アイクのものであり、半分はセネリオのものだった。不確定要素を可能な限り排除するべきだというのがセネリオの論で、ジルは悪い子じゃないよというミストの言葉は却下された。
 しかし、アイクはミストの言うことも真実ではないかと思っている。だから敢えて、訊いた。
 ジルは遠い天空を仰いでいる。デインの方角だった。
「……私は、何も知らなかったんだ。デインの片田舎で育ち、軍人の父を見て、いつか私も、父が誇れるような立派な軍人になるのだと……疑うこともなく、生きてきた」
 アイクは黙っていた。デインをクリミアに、軍人を傭兵に換えてしまえば、それはそのままアイクのしてきた生き方だったからだ。ジルは自嘲するように、喉の奥からかすれた音を出した。
「デインの学問所では、最初に何を教えられるか、知っているか? 『半獣は悪だ』『半獣は敵だ』『半獣は抹殺すべし』。デイン軍は、定期的に半獣狩りを行う。ベグニオンからの逃亡者が……山や森に、隠れているから」
 アイクに言葉はなかった。それがどんなに非人道的なことか、怒鳴り散らしたいという気も起きなかった。
 ジルは既に、そのことを肯定的には捉えていないようだったから。胸をかきむしる姿を、見てしまったから。
「でも、それはデインでは、当然のことなんだ。『ラグズ』なんて言葉……誰も、教えてはくれなかった!」
 無知を笑うことは出来なかった。自分がとても無知だったから。
 しかし、アイクとジルでは事情が全く違う。何もないところから『ラグズ』を知り、理解しようと努めてきたアイクと、『半獣』を迫害せよと育てられてきたジルでは。
 ジルは屋根の上で立ち上がった。胸を強く押さえたまま。緋色の髪が風で揺れる。炎がかき消える前の最後の輝きのように。
「海で鳥の半獣を見たとき、私は確信した。何もかも教えられたとおりだ。半獣は悪だ。人間を脅かす者どもだと……。だけど、お前たちを助けるレテたちを見て、分からなくなった。胸が苦しくて、壊れそうだった。私が信じてきたものは、全て偽りだったのではないかと……」
 それで変な理屈をこねて、船に居座っていたのか。神使からの任務を手伝ってくれたのも、ラグズに関する懸案ばかりだったから。真実を知るために、この竜騎士は、過去の自分と戦ってきたのか。 
 アイクは一度深くため息をつき、ジルを見る。
「結論は出たのか? あんたは、これからどうしたい?」
 ここから先、グレイル傭兵団は『クリミア解放軍』の一員として戦場に立つ。デイン兵との交戦は免れない。ジルは真実の代償に、同胞を殺してしまうかもしれない。
 それでも、ジルは言った。 
「私は、ここにいたい。半じゅ……いや、ラグズだな。ラグズとはどういう者たちなのか……自分の目に映るものを信じ、受け止めたいと思う」
「そうか。じゃあ、いたいだけいればいい」
 頷いてみせると、ジルも頷き返してくれた。
「感謝する。お前たちに出会えて、よかった」
 アイクに向けて、ジルは微笑した。
 脆くて触れたらすぐに崩れてしまいそうだったけれど、初めて見せてくれた本物の笑顔だった。
 

 

 ジルと別れて歩いていると、レテがいた。先程のジルとの会話について話そうかと思ったが、やめた。それはジルが自分で解決しなければならない問題であり、アイクが口出しをするべきではない。
 レテはいつもの髪飾りを片方外して、手に持っていた。光にかざされた翡翠からは、透明な碧色が放たれている。覗き込むレテの横顔に注がれている。
「レテ」
 呼びたかった。自分にもそこに行く権利があると、思わせてほしかった。
 彼女はアイクを見た。アイクはその瞳の中に、自分と同じ迷いを見た。
「鍛錬をしないか」
 どちらからともなく呼びかけた。まるで愛の告白のように。
 対デインを想定するなら、ベオクを相手に選んだ方がよかった。それでもアイクがレテを選んだのは、この懊悩をよい方に向かわせてくれるのは、彼女を置いて他にないと思ったからだ。
 具体的な言葉を交わす訳でない。アイクが疲れ果てレテが化身を保っていられなくなるまで、幾度となく切り結んだ。
「は――あ」
 アイクは芝生に、大の字になって倒れ込んだ。息が切れる。脳の酸素が足りない。けれど、複雑なあれこれを考えなくて済んだ。
 レテはアイクのようにはせず、近くに肩膝を立てて腰を下ろす。
「気は済んだか?」
 優しくもなく、冷たくもなく、ただ確認するようにレテは言った。
 ああ、とアイクは整わぬ息で答える。
「まったく――ラグズとベオクというやつは――複雑で、面倒だ」
「そうだな」
 レテも同意してくれた。彼女もジルやムワリムという新しい顔ぶれについて、考えることがあるらしい。
 アイクは寝返りを打ってうつ伏せになると、レテの左手を取った。
「こんなにあたたかいのに。どうしてそれだけじゃ、解り合えないんだろうな」
「そうだな」
 握り返してくる手は細くて、やわらかかった。
 アイクはそれだけで安心するのに、世界はどうして。
 

 

 様々な懸案事項を抱えながらも、アイクはセネリオらの支援を得て、進軍の準備を進めていく。
 進路はある程度かたまった。人員の配分も粗方片付けて、あとは――。
「アイク! おいらたち、どの部隊に入ればいいんだ? まだ指示をもらってないぜ?」
 アイクの元を訪れたのは、トパックとムワリムだった。二人を部隊に組み入れなかったのは、アイクがまだ彼らを連れて行くか否か迷っているからだ。
「何度も言うようだが……本当によかったんだな?」
「そう何度も言われるおいらたちって、もしかしてお荷物なのか? とか、かんぐっちまいそう」
 トパックが笑い半分に肩をすくめる。アイクは首を小さく振る。
「いや、そうじゃないが。……はっきり言って、無謀な戦いを仕掛けようとしている。クリミアに縁のない者はなるべく関わらない方がいい」
「なんだ、そんなことか」
 トパックは、あっけらかんとしていた。
「無謀な戦いなら、おいらたちの奴隷解放運動だってずっとそうだったぜ。な、ムワリム?」
「そうです。ですが……アイク殿たちがベグニオンを訪れたことによって事態は一変しました」
 ムワリムの言っていることは正しいが、さりとて首肯すべきことでもない。傭兵団は神使の筋書き通りに暴れただけだ。
「神使は、ラグズ奴隷の件は徹底的に調べて、奴隷が一人もいなくなるまで責任を持つと確約してくれた。だからお前達は、もう戦わなくていいんだぞ? それをわざわざ……」
 わざわざ、死地に赴くことはない。言いかけて、やめた。それは将が口にしてはいけないことだ。
 トパックとムワリムは笑みを交し合った後、アイクを向いて笑った。
「アイクたちと、一緒に戦いたいんだよ。助けになりたいんだって!」
「この戦いに加わることを希望するのは、坊ちゃんと私の自由です。……それを、はね付けるかどうかは、アイク殿の自由であるように」
 まさかムワリムに、自分の台詞で返されるとは思わなかった。一瞬目を丸くした後、頷く。
「本音を言うと、こちらから頭を下げてでも力を貸して欲しい。2人とも、な」
「へへ、まかせときなって!」
 トパックは得意気にそう言った。
 これで、セリノスの一件で仲間になった鳥翼族を含め、新しい仲間が五人。
 アイクたちはようやく今、祖国に向かおうとしている。

 

 

To SIDE Ike

NEXT Episode

『太陽と手を携えて』インデックスへ