第二章 渡海 - 7/7

SIDE:Ike

 

航路

 

 クリミア騎士や民兵の生き残り、更に鍵開けを手伝ってくれたフォルカ――セネリオ曰く『これからも役立ちそうな』男を引き連れ、アイクたちは海辺の町へとたどり着いた。
 クリミア最西の港町、トハだ。
「どういうことだ? 普通に賑わってるように見えるが……」
 今まで立ち寄ったクリミアの砦、ガリアの町でさえこの非常事態に過敏になっているように思えた。ところがこの街にはそういった緊迫感のようなものが、まるでない。
 まぁな、とライが呆れたように答えた。耳を隠すため、帽子つきの外套を羽織っている。
「ここら辺りにはまだ、デインの手がとどいていないからな。ほとんど影響が出てないんだろう。デインは、まず王宮を陥落させ、王都を掌握し、そこから着々と侵略の輪を広げている……ゆっくり、確実にな」
「無知であるがゆえの余裕、ですね。ここの住民たちは、敗戦国の民がどんな扱いを受けるものなのかを知らない」
 相槌を打った(というかアイクに対して補足しただけなのか)のは、セネリオだった。
「クリミアは平和で恵まれた国です。王家の気質が穏やかなせいか、領地間の争いも少なく、大掛かりな――国全土を巻き込むような――戦はもう何百年も起きていません。デイン王国との確執による戦いは何度となくありましたが……被害を受けるのはいつも、デインと隣接している地域……つまり、王都より東側ばかりでしたから」
 セネリオは小さくため息をつき、活気に溢れる町を睨むように見渡す。
「人間は図太いものです。自分に身近な不幸以外にはとても鈍感にできている……。だから、自分に関わりのない悪事には見て見ぬふりをするということができる。自分や、自分の家族に起こる不幸でなくてよかった、と胸を撫で下ろしながらね。だって、所詮は他人ごとなんですから」
「だが、この国で起きた戦だ。他人じゃなく自分のことだろう?」
 アイクはセネリオに問うた。セネリオは静かに――アイクには初めて向ける冷酷な目で、こう返した。
「デイン軍がここにたどり着いた時……彼らは、思い知ることになるでしょう。平和に慣らされ、他の不幸を省みなかった自分達の末路がどんなものであるかをね。同情の余地はありません」
 言い捨てて、呆気に取られているアイクを置いていってしまった。
「なんとまぁ、真実だからこそ言い辛いことをずけずけと……この傭兵団は、随分面白い参謀をお抱えだ」
 ライが苦笑いで肩をすくめた。アイクはセネリオの背を見送りながら、頭をかく。
「割と、何に対しても手厳しいところはあるんだが……いつもとは、ちょっと様子が違ったな」
「仕方がないでしょ。この町には、私も少し呆れたわ」
 ティアマトがすぐ傍で、眉をひそめて腕組みをしていた。
「セネリオは敏感な子だから。こういう雰囲気、耐えられないんじゃない?」
「知ったところで、どうにもならないから、知らぬふりをする……ってこともある。ま、生まれに恵まれなかった者からすれば、恵まれた者が、そのことに気付くことなく生きていくことこそが妬ましいか……」
 ライがぼそりと呟いたので、どういう意味かと尋ねたが、独り言だとはぐらかされた。
「さて、オレはさっさと船の手配を済ませてくる。支度を整えといてくれ。これからの旅に備えて、色々と入用だろうからな」
「ライ、私もいっしょに行くわ」
 特にライと行動する理由の見当たらないティアマトが、自分から切り出したことがアイクには少し不思議だった。
 だがライには解っているらしく、いいよいいよと首を振ってみせた。
「お姉さんも、みんなと買い物してきなって。下手したらこれから何ヶ月も船の上なんだぜ? ベオクの女性は色々入用だろ」
「だけど……」
 やけに食い下がるティアマトに、いよいよアイクが眉をひそめると、ライはようやくアイクを向いて肩をすくめた。
「心配してくれてんだよ。ベオクの町で、ラグズのオレを一人にすることをな」
「だが、クリミアとガリアは今は同盟関係にあるはずだろ?」
「ん~……それはそうなんだがな」
 ライは答えづらそうに、眉間に人差し指を当てた。その躊躇の内容を、ティアマトが継いで聞かせる。
「カイネギス様もおっしゃってたでしょ? クリミアとガリアの友好関係は、あくまでも国の上の者同士で進められているものでしかない。私たちがガリアで襲われなかったのは、あそこが『ガリア王宮』だったから。……とても民間にまでは根付いていないのよ」
「でもま、クリミアの国王がラモン殿の代になったことをきっかけに、かなりマシになったんだぜ? いきなり襲われるようなこともなくなったし……」
 ライは努めて明るく言ったようだったが、今度こそアイクもライの言葉の裏――というよりも、失言に気がついた。
 『いきなり襲われるようなことも「なくなった」』。つまり、それまでは。
「大丈夫、大丈夫」
 歌うように言って、ライは海の方へと向かって行ってしまった。
 セネリオのことはティアマトが探しに行くと言うので、アイクはいよいよやることがない。他の連中でも捜そうかと思っていたら、何かが腰元に突進してきた。
「アイクさぁん!」
「……ヨファ、お前は俺をギックリ腰にでもする気か」
 アイクが無理な体勢で踏み留まっている間に、ヨファはぱっとアイクから離れている。
 何故か半泣きだ。
「聞いてよ! ここの武器屋のおじさん、ぼくに弓を売ってくれないんだ。『子供がいじるにゃはえーよー』とか言って!」
「それは至極真っ当な反応だと思うんだが……」
 言いながら、アイクはヨファの手を取った。手相でも見るように、掌を上にして眺める。
 小さな手だ。確かに子供としか言えないほどの。しかしアイクにはそこに刻まれた戦士の証が見える。豆を潰し、掌が擦り切れ、自分とも敵とも知れぬ血に染まっても、誇りを失わぬ手。
「おお~い! どうしたんだい、団長さんたち!」
 行商団の金髪の青年(確かジョージの方だ)が、遠くから大きく手を振っている。彼らはヨファが戦士であることを知っている。あっちで見立ててもらえ、と経費の一部を渡すと、ヨファは思い切り頷いて行商団の方に駆けていった。
 アイクは腰をさすりながら、思う。この町のどこの家が、ヨファやミストのような年端もいかぬ子供を戦場に出そうとするだろう。けれどそうまでしなければ生き残れないのが、戦争なのだ。この国に起こってしまったことなのだ。
 強く拳を握り締めた。空は残酷なほど澄んだ色をしていた。
 

 

 
 各々が支度を済ませて、集合したちょうどその頃。俄かに町が騒がしくなった。
 入り口の方に人集りが出来ている。そっと近づいてみると、デイン軍が怒鳴っていた。
 この町にクリミア軍の残党が紛れ込んだので、デイン軍が封鎖する。船も出港させることまかりならんと。
 ティアマトが不安げに問う。
「ライは?」
「まだ……」
 言いかけたところにライが戻ってきて、アイクのすぐ傍に立ち、小声で言った。
「やばいことになったな」
「首尾は?」
「万端。とにかく港へ向かうんだ。ナーシルっていう浅黒い肌の男が船を用意して待っている。信用出来る男だ。お前たちのことも大体のところは話してあるし……」
「船に無事、たどり着きさえすれば」
「そ。黙っててもベグニオンまで連れてってくれる」
「ライ、お前は来ないのか?」
「そのつもりだったが、デインの動向が気になる。残って、王に報告を……」
 そのとき、だった。
 アイクと話していたせいか、ライは獣牙族にしては珍しく、自分に突進してきた大荷物の女性に気付かなかった。二人は衝突し、ライは上体を少し仰け反らせる。
「っと、わり」
「ご、ごめんなさい! あたし、ちょっとよそ見してて……」
「いや、こっちこそ……」
 ライが謝っている途中なのに、女性は急に顔色を変えて悲鳴を上げた。
 一瞬何事かと思ったが、すぐに気付く。今の衝撃でライの耳が露わになってしまったのだ。
「は、半獣っ!」
 女性はその忌むべき名でライを呼んだ。それは波紋となって住民たちを呑み込んでいく。
「なんだって半獣がこんなとこをうろついていやがるんだ!」
「半獣ごときが、人間様の町に足を踏み入れるんじゃねえよ!」
 止める間もなかった。ライは肩を殴られ、背から突き飛ばされ、蹴りつけられて座り込む。
 反撃はしなかった。憎悪を込めた視線すら返さなかった。彼の色違いの双眸には、ただ一つの感情しかない。
 ――諦念。あの地下牢でレテが見せたのと同じ、ベオクそのものに対する諦め。
「くそっ!」
 呆けていた自分のことも含めて毒づきながら、アイクはライに駆け寄ろうとした。しかし右腕が縫い付けられたようにその場から動けない。驚いて顔を上げると、モゥディが二の腕を掴んでいた。
「戻ってはイけない」
 モゥディは厳粛な面持ちで告げた。アイクには、この状況で同胞を助けに行くなと言うモゥディが理解出来ない。
「ライを助けないと……!」
「コの騒ぎだ。スぐにデイン兵が来る」
「だからこそ、早く……」
 モゥディから逃れようと身じろぎしていると、自分の頬が音高く鳴る。レテはアイクの面を張った姿勢のまま、苛立たしげに舌打ちをした。
「あいつなら上手くやる。放っておけ」
「ライは強い。モゥディたちより、ズっと。ダから……」
「だから放っておけって?」
 アイクは二人を睨みつけた。
 ライは化身をしていない。つまり彼には戦う意思がないのだ。王に課された命を、ただ愚直に守り続けているのだ――彼よりなお愚かなベオク達の前で!
「そんなのはおかしい。一方的にやられるのを見てられるか!!」
 アイクはついに、モゥディの指を振り払う。二人が止める声も聞かずに、住民とライの間に割り込んだ。
「やめろ! そいつに手出しするな!!」
「何だ、お前? 人間のくせに半獣を助けようってのか?」
「……その呼び方をやめろ」
 圧倒的な数の住人を前にしても、アイクは怖いとは思わなかった。恐ろしいのは数ではない。その根拠のない悪意の前に、容易く膝を折ってしまうことだ。
 先程ライにぶつかった女性が声を上げる。
「あたし、知ってる。こいつも半獣の仲間よ! さっき話してるのを見たわ!!」
「それがどうした!?」
 アイクは反射的に叫び返した。それがどんな影響を及ぼすかまで、考えが及ばない。立ち込めた不穏な空気はたちまち町を覆っていく。
「おい、クリミアの王族って、ガリアの半獣とつるんでたよな」
「もしかして、こいつらがデインの捜している軍の残党ってやつじゃないのか?」
「おーいっ! デインの兵隊さんよぉ! こっちに、あやしい奴らが紛れ込んでいるぞー!」
 ここへ来てようやく、アイクもその重大さと醜悪さに気がついた。
 自分でもよく分からない感情で両手が震える。
「お前たち、正気か? この国の王は、デインに殺されたんだぞ? そのデインに、お前たちは協力するのか……!?」
 アイクの一言に住民は鼻白んだが、それも一瞬のこと。すぐに、血気盛んな青年が反論する。
「王は、ガリアの半獣共と同盟を結んだりするから死ぬことになったんだ!」
「そうだよ! どうせ手を組むなら、半獣よりデインの方がはるかにマシだね」
「そーだ、そーだ! 少なくとも同じ人間だからなぁ!!」
 愕然とした。これが同じクリミア国民か。こんな汚濁の塊が、エリンシアが取り戻そうとしているもの、カイネギス王が救おうとしているものだというのか。
 こんな――。
「……こいつら!」
 アイクが握り締めた拳を突き出そうとしたとき、後ろから外套を引かれた。ライが片手で腹を押さえながら、もう片方の手でアイクの外套を絞り上げている。
「落ち着け、ばか」
「バカはお前だ。化身もしないで、無抵抗なままやられてるのがバカじゃなくてなんだ」
「……仕方ないだろ」
「同盟関係だから? あんな愛国心の欠片もなさそうな奴らでもか?」
「それでも、ここに住んでるかぎりはクリミア人ってことさ」
「知ったことか」
 アイクはライの手を振りほどこうとするが、喰い込むばかりで動いてくれない。
「ガリア国民じゃない俺は、あいつらに手加減する気は更々ない」
「やめてくれ。オレたちはひとっつるみだと思われてんだぞ?」
 ライは怒っているというより呆れているようだった。アイクは頭を最大限に使い、ライが納得するような答えを探り当てる。
「……つまり。俺たちはデインの追撃をかわし、この町の自警団の奴等とは戦わず、全速力で港に行って、ナーシルって男に会って、みんなで船に乗れって?」
「そう! よくできました」
 ライは笑って手を緩めてくれた。するり、と身体が自由になる。
「努力は、する。だが、向こうから仕掛けてきたら、問答無用で叩きのめすからな」
「っておい、それじゃあんまり意味ないって!」
 ライはぶつくさと文句を言いながら、軍靴に巻いていた布を解いた。
 視線を上げた彼の横顔は、どこか悲しげな決意に満ちている。
「レテ」
 微かな熱を帯びた声で、彼は彼女の名を呼んだ。離れたところでじっと趨勢を見守っていた彼女が、人を押し退けてライに歩み寄る。ライも彼女に手を伸ばし、緑色の細長い布を差し出して、白くて細い指がそれを受け取ろうと――。
(あ)
 ――風が吹いた。
 緑はライの手を離れた瞬間、レテの手に渡る前に空高く舞い上がり、姿を消す。
 レテは泣き出しそうな顔で、空を切った自らの手を抱き寄せ……ライは切なげな微笑みを浮かべて彼女に言った。行け、と。
 それは彼らにしか分からない別れの儀式だったのだと、間近で見ていたアイクは悟ってしまった。
「ティアマト、セネリオ! みんなを集めてくれ。ここを脱出する!!」
 殊更に、殊更に声高に、アイクは叫んだ。
 胸に去来したものをかき消すように。それぞれに誓いを立てるように。

 

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