第一章 そして太陽が目覚めるように - 3/6

SIDE Rethe

 

 

戻せない過ち

 

第一章 「そして太陽が目覚めるように」 #3
 確かこの辺と言っていなかっただろうかと、渡されていた文を見返しながら、レテは周囲を視線を巡らせた。
 ガリア王宮の中庭。今日の昼休憩に来てほしいと呼び出され、レテはライともモゥディとも違う男と待ち合わせていた。
 石段に座ったり、立ち上がったり、歩き回ったり、落ち着かない。なかなか姿を現さないのがとても気がかりだ。程なくして、猫の青年が姿を現した。
「レテ隊長! よかった、来てくれたんですね」
 青年は顔を上気させて笑う。モゥディと同じ、レテの直属の部下だった。
 当たり前だろう、とレテは真顔で答える。
「わざわざ手紙で上司を呼び出すなど、何事だ。どうした? 悩みでもあるのか」
「隊長……!」
 青年の瞳が潤んだ。震える手で、後ろ手に隠していた花を突き出す。
「お、オレっ! そういう優しい隊長のコト、ずっと……ずっと好きでしたオレとお付き合いしてくださいッ!!」
 最後の方は一息で言い切った。レテは目を見開いていた。優秀な部下としか思っていなかった青年にそんなことを言われて、動転したのもある。
 だが、一番は。
「それ……」
 レテは擦れた声で呟いた。指差しているのは、彼の持っている色とりどりの花。
「はい、オレっ、摘んできたんですレテさんの為に!」
「私の、為……?」
「はいッ!!」
 レテは両手を伸ばして、花を受け取った。そっと胸元に引き寄せる。青年は陶然と想い人を見つめていた。結ばれたと思ったに違いなかった。
 レテはその花束を左手一本に持ち替えた。右腕が持ち上がる。青年は受け入れるように両手を広げる。
「こ、の……」
 次の瞬間彼女がとった行動は、彼が予想だにしなかったものだったろう。
「痴れ者がァァァアアアアァァァァッッッッ!!」
 青年の身体が思い切り吹き飛ぶ。大きく振りかぶったレテは、その拳に一切の容赦を乗せなかった。青年は真っ赤な左頬を押さえ、上体を跳ね上げる。
「れ、れ、レテ隊長!?」
「私の為……私の為だと!? ふざけるな!! そんなことで、この花達の命を奪ったのか? 生きるのに不必要な殺生はしない、それが我々ラグズの誇りだとそう教えた筈だ。それをお前は、私の為だなどとそんな下らん理由で……。考えろ!! そんなことをしてお前はッ、私が喜ぶとでも……!!」
「レテ隊長……。すみません、オレ……オレ」
「……サルロ」
 レテは青年の名を呼び、その脇に片膝をついた。静かな声で言い含める。
「私はお前に期待しているんだ。つまらん色恋沙汰に迷って、その能力を潰して欲しくはない」
「そんな……」
 不服そうだが、仕方ないことだ。彼の気持ちには応えられない。好ましい青年ではあるけれど。
 この身は誰のものにもならない。忠臣で在ろうとは思うが国に捧げるつもりもない。まして、一人の男に所有されるようなことは、一生ない。
「こんなことは、もう二度とするな。私への想いとやらも忘れろ。……いいな」
 レテは立ち上がり、歩み去っていった。
 青年の元から残り香を消すように、彼女の方へ風が吹いた。

 

 井戸水に花の茎を浸す。
 どうしたものだろうか。このまま釣瓶に入れて、持ち帰る訳にもいかないのだし。
 こんな風に、無残に中途から引き千切られて。どんなにか苦しいことだろう。
 レテは花弁の表面を、指でそっと撫でた。
「可哀想に……」
「オマエのあのフり方も相当可哀想だったと思うぜ?」
 動きを止まる。レテは首を回し、肩越しに声の主を見上げた。
「聞いていたのか、ライ。悪趣味な奴め」
「人聞きの悪いコト言うなよな」
 背後に立っていたライは、大袈裟に腰に手を当てた。
「オレがあの辺で考え事してたら、オマエらが来て勝手にごちゃごちゃ始めたんですぅー。聞きたくて聞いてたんじゃあーりーまーせーんー」
「腹の立つ言い方だな」
 レテは腕に巻いていた布を外し、茎の切り口を包んだ。濡らしておけば、しばらく持つだろうか。
「オマエそれ、どうするの?」
「手に持って帰る」
「手に……って、化身しないで?」
「ああ。この本数では、どう咥えたとしても茎を傷つけてしまう」
「っつったって歩いたら遠いだろうが! 何だってオマエはそう……」
 ライはがしがしと後頭部をかいた。
「乗れよ。オマエの仕事終わったら、オレが化身して送ってってやるから」
「いい」
「意地張んな。どうせ大した距離じゃない、今日は夜勤だからそれまでオレも時間あるし」
「意地など張っていない」
「じゃあ何だよ」
 ライが訝しげに眉根を寄せると、レテは花を見下ろして呟いた。
「……化身して走ったりしたら、花びらが全部散ってしまうだろう」
 その言葉に、ライは更に顔を歪め、目を伏せた。それきり、黙る。何かを考え込んでいるようだった。
 しまいには目を閉じてしまう程、深く。
「ライ?」
「あ? あ、ああッ」
 問いかけると、ライは上擦った声で返事した。
 笑っている。だが彼にしては珍しく、動揺を隠し切れていなかった。重ねて問う。
「どうしたんだ。何を考えて――」
「ああ、えっと……うん。それ、預かるわ。花」
「花?」
「そ。とりあえずオレの部屋に置いとくから、後で花瓶か何か持って取りに来いよ。その方が花にかかる負担も少ないだろ? オマエも変に急がなくていいしさ~」
 そんなこと、今思いついたくせに。別のこと考えてたくせに。
 そう思ったが、言わなかった。
「それなら預けていいか? 明日の午後、取りに行く」
「おうよ。非番だから寝てっかもしんないけど、勝手に入ってくれていいからな」
「ああ。ありがとう」
「どういたしまして」
 ライは花を受け取った。ぽつりと、呟く。
「長持ち、するといいな。……この花」
「そうだな」
 レテは頷いた。じゃあ、とライは踵を返した。レテも身体の向きを変え、化身する。
 近頃ライの態度は少し、おかしくはないだろうか。あんな風に突然、難しい顔で考え込むし。
 気が立っている――というか、些細なことに酷く敏感になっている気がする。
 風は凪いでいた。
 レテの胸の内だけは妙に、ざわついていた。

 

 翌日レテは、ライの部屋に例の花を受け取りに行くつもりでいた。
 ところがその途中、脇目も振らずに駆け抜けていくライを見かけたのだ。
 あんな風に血相を変えて急ぐライは初めて見た。
 嫌な予感がする。あの様子なら、王の許に向かったことは間違いないだろう。ならばその後は外に出るにしろ自室に戻るにしろ、必ずこの道を通る。
 そこでライを待つことにした。しばらくして、慌しい足音が戻ってきた。狙い通りライだ。レテは寄りかかっていた柱から身を起こし、ライの前に立ちふさがった。
「ライ!」
 何かあったのか。そう訊こうとして、訊きそびれた。ライがいきなり両肩を掴んできたからだ。
「レテ! 昼飯食っとけよ!」
「はァ!?」
 レテは思い切り眉をひそめ、叫んだ。
「何を言ってるんだ! まだこんな時か――」
「お偉さん方の話が終わったらすぐオマエらにも招集がかかる、今のうちに食わないと食いっぱぐれるぜ!? ああ、あと風呂入っとけ! いつ入れっか分かんないから!!」
「ちょ、お前、何言っ……」
 ライは説明することなく手を離し、レテの横をすり抜けた。駆け出していく背に、レテは怒鳴る。
「ライ!! 何が起こっているんだ!?」
 無視されるかもしれない、と思っていた。だが彼は肩越しに一瞬だけ振り向き、はっきりと言った。
「――戦争だ!!」
 せんそう。
 ライの姿はもう無い。言葉だけが、そこに漂ったまま。
 戦争。意味は理解しているはずが、いまいちピンと来なかった。
 戦争……多くの人々が、憎み合い傷つけ合うこと。デインとクリミアの? 薄汚いニンゲン共が互いに殺し合う愚かな行為? それにガリアが、巻き込まれる……?
「そんな……馬鹿な、ことが……」
 ――いや。今は余計なことを考えている場合ではない。
 混乱した思考は判断を鈍らせる。とりあえずライの言う通りにしよう。
 入浴して隊長仲間と昼食を取り、そのまま話しながら沙汰を待とう……そう思い王宮の外に向かった。

 

 ライの言った通り、すぐに幹部が招集された。内容も予想通りデイン=クリミアの開戦。
 クリミアとの国境付近には、既にライの直属部隊を含む数隊が配置され、警戒を強めているそうだ。有事のときの為、他の部隊も準備を怠るなとのことだった。
「そういう訳だ。心得ておけ」
 部下にそう伝えるレテの声音はひどく静かだった。強靭な精神力がそうさせていた。
 レテは普段の透明さを失った、擦りガラスのような瞳を上げた。
「質問のある者は?」
 遠慮がちに挙手したのは、モゥディ。
「ドうして、戦いにナった?」
 デインが攻め込んだからだ。その答えでは納得しないだろう。恐らく問題にしているのはそんな表層の理由ではない。
 モゥディの気持ちは悲しくなる程よく解った。
「知らんな」
 それでも、レテに言えるのはこんなことだけ。
「腐敗しきったニンゲン共の思考など、我々の理性が手に負えるものではあるまい」
 モゥディは、ソうか、とだけ呟いた。耳が寝てしまっていた。
「他に質問がある者は?」
 今度は先日レテに交際を断られた青年が手を挙げた。おどおどと問いかける。
「オレたちも、その戦争に駆り出される……なんてコトには、ならないですよね?」
 彼は。いや、彼らは、と言うべきか。戦そのものを恐れているのではない。恐れているのは、ベオク同士の争いに巻き込まれ、あまつさえベオクの為に戦わされること。
 レテも同じだった。だが表出させることなく、答える。
「現時点では軍事的介入は行わないことになっている。ただしデインが国境を侵した場合、戦闘になる可能性は極めて高い。それがガリア=デイン間の戦争となるかは別として、な。いずれにせよ気を抜かんことだ。……他には?」
 もう手は挙がらなかった。
「では、各自配置につけ」
 散っていく部下たちの表情は暗い。隣国の戦争のおかげで厳戒態勢を取ることになったのだ。輝いた顔をする者もそういない筈だけれども。
 それだけではないのだ。それだけでは。