最終話 Near Evergreen - 6/6

エピローグとして 新田侑志より

 僕と皓汰が『エヴァーグリーン・プロジェクト』――なんて言ってしまうと仰々しいけれど、つまりこういうことを始めたのは高一のときだ。朔夜さんのいない修学旅行の夜、皓汰と二人で芽吹かせた遊び。
 最初はただ、それまでのたった十五・六年で一番楽しい時間を、少しでもかたちに残したいというだけだった。僕が気まぐれにつけていた日記と、皓汰がパソコンのメモ帳に書き記していた雑感を、時系列順に繋げた。
 そのうちに皓汰が
「つまらないね、これ」
 と僕の気持ちを勝手に物語調に仕立て始めた。僕もその文章を存外に気に入ってしまったものだから、こういう形式になっていったわけだ。
 僕の、新田侑志の視点は概ね僕が綴っている。他の人の視点は、基本的に皓汰が本人に聞き取りをして――場合によっては独断で、執筆した。文体を調整したり、僕の表現の拙いところを直したりと、監修のようなことをしてくれたのも皓汰だ。今は、櫻井(さくらい)(あきら)先生とお呼びした方がいいかな。

 一人目の読者は朔夜さんだった。
 僕と皓汰が自分に隠れて何かをしていると言って怒るから、実はと見せた。
 朔夜さんは活字をあまり読まない。部活と家事中心の生活をしていると本を読む時間が残らなかった、と言うべきか。そんな彼女が面白がってくれたから、僕らは調子に乗ってしまった。話がどんどん詳細になっていったのだ。
 あの日はどんな天気だった? 何を感じていた?
 何か月も前の記憶と気持ちを引っ張り出すのに夢中になった。
 もちろん目の前のきらめきを浴びるのにも忙しくて、高校生活はずっと笑ってばかりだった気がする(そうでもないことは今までの文章が証明しているけれど)。

 やがて別の大学に進んだ僕と皓汰は、顔を合わせる機会がめっきり減った。その間にも作業は続いていたから、効率化を図るためオンライン上に共有フォルダを作った。そのとき皓汰が振った名前が『Evergreen』だ。
 高校生でなくなり、当事者から半ば外れた気楽さから、僕らは同期生にもフォルダのURLを送った。僕ら三人だけの記憶では行き詰っていた部分もあったのが、同期たちとのチャットやメールでどんどん隙間が埋まっていった。
 原稿依頼を出したのもこの頃。『当時の気持ちで』、という無茶振りに、彼らは快く応じてくれた。
 それはいつの間にか先輩方の知るところとなり、僕らはあらためて彼らにも寄稿をお願いした。提出されたファイルがいつの間にか最新版に差し替えられていたり、覚えのないファイルが放り込まれていたりと、当時はとにかくにぎやかだった。

 その原稿を完成と呼べる場所に落ち着けることのできないまま、僕らは大人になってしまった。慌ただしい現実が僕らの首を絞め、とても過去を振り返る余裕などない。
 その苦しみの中で、喘ぐように、挑むように、皓汰はずっと書き続けた。自らの姉の、自らの親のあがきを、低く低く這うように彼の筆は綴り続けた。親友の戻る余地を残しながら着実に先を築いていた。
 己の身体さえ顧みない皓汰の姿に、僕も腹を括った。

 もはや『エヴァーグリーン』は遊びではない。
 僕らの半生を世界に証明するための手段なのだ。
 終わらせなければならない。
 この装置を動かしたのは僕らなのだから。

 繰り返し、書いて読むごとに僕らは事実を忘れていく。
 本当は何があったのか。自分が何を感じていたのか。本人が許可をくれたこの文章は本当に彼らの本音なのか。
 朔夜さんと初めて海を見に行った日、自分が泣いたかどうかだって僕は覚えていないのに。
 現実よりも真実らしい嘘を、僕らは死ぬ気で積み上げ続けた。

 当初取り決めた季節まで作り終えると、皓汰は何十回と直し続けた手をようやく止め、仕事の原稿に戻った。
 僕は未だにこの文章をどうするべきか悩んでいる。
 製本して関係者に配ろうかとも思ったが、量が量だ。
 完成の報告だけで済ませてしまおうか。
 ぐずぐずしている間に、平成だって終わってしまった。

 今これを読んでいる人がいるなら、あなたは僕らの何だろうか。
 同じ時を過ごした同志?
 見守ってくれた先輩や大人?
 図書室の寄贈棚で出逢った後輩?
 僕の教え子や息子?
 それとも、見ず知らずの他人?

 何だとしても言っておきたい。
 この文章で僕らが伝えたいことなんて、何もない。
 僕らはただ楽しかったのだ。
 こう在ることが。書き残すことが。
 時間を無為に過ごさせたとしたら申し訳ない。

 けれど、もしそうでないなら。
 あなたが僕らの楽しさに少しでも共鳴してくれたなら、この企みは成功だ。

 ありがとう。
 僕らを見守ってくれて。
 そばにいてくれて。
 
 あなたの隣にも、
 どうか永遠に近いものがありますように。
 ささやかな祈りを、ここに残します。
                  
    二〇二〇年一月四日 新田侑志