最終話 Near Evergreen - 3/6

不健全な関係の行方

「また拒否された」
 侑志は床で膝を抱えた。和室も本がたくさん積んであるけれど、皓汰の部屋は生者らしく衣類や文具まで散らかっていて、物理的に肩身が狭い。
 皓汰は学習机の椅子に逆向きに座ってにやにや笑っている。
「押し倒したんじゃないの」
「してねェよ!」
 侑志は自分の頭をかき回す。
 皓汰はすぐこれだ。自分の姉をすぐ下世話なネタにして。もしかして試されているのだろうか? いずれにせよ絶対に乗ってはいけない。
「スラィリーをかわいいって言わなかったからか?」
「それだったら俺もう三万回ぐらい朔夜とケンカしてなきゃいけないよ。どうせ侑志がいつまでも敬語やめないとかそんなんじゃないの」
「それはないと思う」
 侑志は即答で否定した。あくびしかけていた皓汰をまっすぐ見上げて理由を述べる。
「春にはまた新入生も入るし、癖になっちゃって人前でも出たら示しがつかないから。説明してあるし納得してもらってる」
「あの女、口ではすぐものわかりいいフリするじゃんか」
 今度は実の姉を『あの女』ときた。皓汰は背もたれを引っ張りながらロデオよろしく背を反らす。
「俺にも露骨に妬いてくるしさー。絶対内心『なんで私だけ』って呪ってるよ」
「それはお前が当てつけてるからだろうが」
 修学旅行の一件以来、皓汰の距離感はだいぶ変化した。すぐに腕を組んでべたべたしてくるし、これまでは無意識だったろう甘えも今はわざとやっているように思える。逆の立場なら侑志も嫉妬しているはずだ。
「だって侑志、構ってほしかったら駄々こねていいって言ったもん」
「そうだけど」
 言いかけて口を閉ざした。皓汰が真顔になっていたから。
「ホントのとこどうなの、タメ口利かない理由。さっきの優等生が本音じゃないでしょ?」
 本当に桜原皓汰というやつは、全方面に遠慮会釈もない。
 侑志は両膝の間に頭を沈めた。
「利かなくなるのが怖いだけかも」
「何が」
「ブレーキ」
 好きな人の弟相手に何を言っているのだろう。熱い顔を向けられず、埃だらけのフローリングを睨む。
「怖い。なんか、あの人と同じ高さに立っちまったら、見上げるのやめちまったら際限なくワガママになりそうで」
「あのさぁちょっとよろしいですかね」
 椅子のきしむ音。皓汰が立ち上がって目の前に来た。猫を持ち上げるみたいに侑志の襟首を引っ張る。
「そーゆーのー、立ち位置とか変えたいからお付き合いしましょってなったんじゃないんですかー!」
「デケぇ声出すなよ疲れる……」
 侑志はされるがままになっていた。といっても皓汰の腕力はたかが知れているから膝立ちになったぐらいだけれど。
 皓汰の言うことも理解はできる。ただ先輩に憧れる後輩でいたいなら恋人になる必要はなかった。わざわざ別の関係性を求めた理由が、キスをしたい以外にあるとするならきっと。
「奪われたく、なかった」
 無様な呟きを吐くと拘束が緩んだ。跪いて皓汰の不穏に歪んだ顔を見上げる。
「俺が好きなあの人に誰にも手を加えてほしくなくて、あのままで笑っててほしくて、隣で見張ってるのかもしれない。俺自身も手出しできないようにして」
「よくよく不健全だね。侑志は」
 嘲る笑顔を甘んじて受け入れた。
 自分を突き詰めるほど、ルーツを遡るほど、新田も桜原も不健全の濁流だ。いまさら自分たちがそうだとして、絶望する無垢など捨て去った。
 皓汰はため息をついて侑志から視線を外した。器用に物を避けてベッドまでたどり着く。
「朔夜はずっと他人の役割を欲しがってる。母さんを否定して母親の役割を独占したがってるのも、俺に夢を重ねて球児をやりたがってるのも、普通の女子高生からしたらすごく不健全なことなんだと思う」
 マットレスに腰を落とし、皓汰は自分の隣を右手で叩いた。侑志は頷いて立ち上がる。歩み寄る間に皓汰は話を先に進める。さっきまでの侑志のように両膝を抱えて。
「そういう人間と付き合ってるっていうのだけは自覚しといてほしい。俺は」
「解ってる」
 どれだけ空々しい台詞だったかも、皓汰には解っているのだろう。
 どこかで何かをどうにかしなければ、いずれ立ち行かなくなる。だからといって何をどうと知っているなら苦労はない。
 これも例の件を彩るスパイスになれば、少しは慰めになるのだが。