16話 The Reliever - 3/5

二十歳ぐらいには死んでいたい

「で、どうしたい。部活」
 翌日の昼休み、部室を借り切って一年だけでミーティングをした。自分の裁量で鍵を使うというのはまだ慣れない。
「とにかく、人少ないからあんまり用具たくさん使うのはダメだよ。移動だけで時間取られちゃう」
 琉千花が箸を動かしながら言う。まるで赤と白の市松模様がしゃべっているみたいだ。
「基礎トレなら、場所も器具もそんな関係なくね?」
 井沢(いざわ)は弁当箱一杯に詰め込んだ焼きそばをすすっている。栄養の偏りが気になるのか、富島(とみじま)大先生が横からブロッコリーを植樹している。
「それよりバッティングフォームの改善をしたい。守れれば打てなくてもいいと思ってるポンコツ二人を、春までにどうにかしないと」
 永田(ながた)と皓汰が真顔ですっと手を挙げた。自覚はあるらしい。
「残ってるの内野ばっかなんだし、せっかくだから僕は連携の見直しやりたい」
「俺は休みでいいと思います。めんどい」
 違った。打撃練習から逃れるために代替案を出しただけだった。
 結局、侑志がトレーニング室の使用申請をするということで話は落ち着いた。あそこなら筋トレの環境も整っているし、フォームのチェックができる大きな鏡もある。
「ところで、みんなもう文理選択決めてるの? 僕は数学やりたくないから文系一択」
 永田は紙パックの牛乳をすすって言う。琉千花は頬を赤くして、私も、と小声で申告した。
 富島・井沢のエリートコンビは違うようだ。
「僕は理系。文系だと国立の試験科目カバーしきれん」
「オレも理系かな。実生活で役立ちそうだし」
「二人とも真面目だね」
 食べ終えたらしい皓汰は、だらしなく机に伏せて携帯をいじっている。
「俺は国語ぐらいしか興味ある科目ない。歴史でギリ」
「あ、俺も文系、かな」
 侑志は早口で便乗すると、食べ遅れていた弁当に集中するふりをした。
 昨日の朔夜といい、期限の迫った文理選択といい、急に押し寄せる進路の話で溺れそうだ。胸に抱く夢ぐらいは一応あるけれど、声に出したことは一度もない。
 富島は検察官を目指すと以前言っていた。父が自分と同じ弁護士にさせたがっているので敵方に回ってやるとか。反抗期までハイレベルでついていけない。
 井沢もこの前、身体を動かす公務員ならいいかなと職業ガイドを眺めていた。自衛官か警察官か、適性を見ながら考えてみたいと。
 その二人と盛り上がっている永田や琉千花にも、心中で立派なビジョンがあるのだろうか。あるいは皓汰にも。
「皓汰は、どこの大学行きたいとかあんの」
 尋ねたが答えはなかった。皓汰はわずか耳にかかる髪を左手でのける。
 近頃皓汰は、よく聞こえないふりをする。侑志の言葉だけを狙いすまして。

 その日も皓汰は、ホームルーム終了の鐘が鳴るなり鞄を肩にかけて立ち上がった。落ち着き払った横顔は周囲を窺いもしない。
 侑志は大股に皓汰の席に向かう。早くしないとまた逃げられてしまう。
「皓汰。お前さ、最近俺のこと避けてない?」
 横に立って問いかけると、皓汰は素足でゴキブリでも踏んだような顔をした。
「なにが? 昼もご飯一緒に食べたじゃん。体育でもペア組んでるし、教室移動のときだって並んで行くでしょ?」
「ほら、それ。その義務っぽい感じ。やだ」
 まるでこちらが皓汰みたいな言い方になった。口調が移るまでそばにいたのにいまさら突き放すなんて無責任だ。
 侑志は机に両手を置いて、ぐっと身を乗り出す。
「朝も帰りも道かぶんないようにしてるだろ。なんで。俺と歩くの嫌になった?」
「なにその束縛。DV夫なの? 別に何もないよ」
「じゃあなんで顔背けんだよ」
「圧。自分の身長思い出してからもの言って」
 皓汰は顔をかばうように両腕を上げていた。そのうえ俯いているから何を言っているのか聞こえづらい。強引な自覚は侑志にもあるが、今日ばかりは引き下がれない。昨日尻込みしたせいで、朔夜には無視されっぱなしだから。
「声。小せぇんだけど。聞こえねぇし」
「やめてホント。みんな見るでしょ」
「よくない? 別に悪いことしてねぇよ」
「やだよ。だってこんな、痴話喧嘩みたいじゃん」
「おう痴話喧嘩上等だ買ってやる、表出ろ」
「は? なに、情緒どうなってんの?」
 皓汰の手首を取って歩き出す。正直なところ、侑志もこれ以上注目を浴びるのはごめんだった。クラスメイトの視線が刺さりまくって痛い。
 琉千花が遠くから、『だいじょうぶー?』と口パクする。侑志は『ごめん、へいき』と縦に空を切り、皓汰ごと教室を出た。
 ついてくる皓汰の顔は赤い。いつもの屁理屈も皮肉も鳴りを潜めている。このところ皓汰はずっと様子がおかしい。
「皓汰。真面目な話」
 侑志は階段裏で足を止め、皓汰の両肩を正面からつかんだ。皓汰はやはり侑志の顔を見ない。
「この頃全然一緒に帰らねぇだろ。気ィ遣ってんの? 俺が、朔夜さんと付き合うことになったから」
「そりゃ普通遣うでしょ。どんな顔でそば歩いてろっていうの」
「だから今までどおり普通に三人で帰ればいいじゃん」
「『今まで』を崩した人がそれ言うのは卑怯じゃない?」
「そうかもしんないけど。だって俺、お前を一人で帰すのすげぇヤだもん」
「……どうせ友達いないよ」
 皓汰が両手で顔を覆った。今度は侑志も無理に剥がしはしなかった。
「本気で嫌なら断ってくれよ」
 皓汰は口唇を噛んで下を向いた。
 断られなかったというだけで、今日のところは収穫だろう。皓汰の左肩を二回叩く。
「とりあえず、今日は二人で帰ろうぜ」
「二人? 三人じゃなくて?」
「二人。今俺、朔夜さんにシカトされてんの」
「最低だよお前」
 肩を殴られたのだが笑ってしまった。半年近い付き合いで、皓汰から『お前』呼ばわりされたのは初めてだ。
 随分久しぶりだったから、少し浮かれて寄り道をした。
 コンビニ。公園。十一月の空はせっかちで、大したこともしていないのにすぐ暮れていく。
「昼休み、どこの大学行きたいかって訊いたよね。侑志こそ決まってんの」
 幼い子供たちがそれぞれに帰って、遊具は皓汰と侑志の貸し切りだ。小学生ぶりのブランコは記憶よりずっと低い。地面を蹴ると重い鎖の音が鳴った。
「学部は一応決めてる。どこ受けたいとかは、まだ」
「そう」
 皓汰は止まったブランコで両膝を伸ばしたまま動かない。
「どんな夢かまでは訊かないけど。一個だけ知りたい」
 ――その未来に、朔夜は入ってる?
 ほんの小さな声が、そこだけ切り取ったように鮮明に届いた。侑志は漕ぐ足を止めたけれど、身体は慣性でふわりと動く。
「入れられない。朔夜さんの夢は、朔夜さん自身が決めることだから。もちろん、ずっと一緒にいてくれたら嬉しいけど、俺の予定に勝手に組み込んじゃいけないと思う」
「そう」
 皓汰は同じ相槌を繰り返す。泣こうとしたのだろうか、どうにか笑おうとしたようにも見えた。
 赤から紺に染まろうとしている公園で、人工灯に照らされた表情はいかにも頼りない。繋ぎ留めたくて地続きの話題に巻き込む。
「皓汰は? 夢とか、未来とか、やりたいこと」
「わからない」
 皓汰は両足をブランコの座面に引き上げた。ともすれば後ろに引っくり返りそうな危うい重心で、ぴたりと止まって言う。厳かにさえ聞こえる声で。
「けど、二十歳ぐらいまでには死にたい」
 月並みな否定の言葉は出なかった。侑志はただ黙って皓汰の背に右手を添えた。
 夕闇が斜めに滑り込んでくる。
 密やかに、光を避けながら。