2話 2nd Player - 5/5

エピローグに代えて 富島彩人編

 人間関係は利害で決まる。僕の持論だ。

 僕と慶太郎の付き合いは保育園からになる。その頃はまだ慶太郎の方が身体が大きく中身もしっかりしていて、僕は犬のように慶太郎の後をついて回った。
 鬱陶しいガキだ。
 小学校に上がって慶太郎が野球をやると言い出したときも、何の疑いもなく同じチームに入った。当然野球に興味などなかった。
 岩茂学園中学に行きたい、と先に言い出したのも慶太郎だ。その頃にはようやく僕にも分別のようなものがつき始めていて、僕は区立に行くと告げた。
 慶太郎は悲しそうな顔で言った。
 あっちゃんも一緒に行こうよ、甲子園まで。
 結局僕の方が資料を取り寄せた。ご大層な分別だ。

 そうして入った岩茂学園中学校は、都内でも十指には入るであろう野球の名門。文武両道を掲げる同校の生徒たちは、学力の低い球児を見下す傾向にあった。実際そんなに偏差値は高くない。馬淵学院よりいくらかマシなだけだ。
 ともかく、平凡な努力の人である慶太郎は明らかに浮いていた。どこか侮られながら、それでも持ち前の素直さから周囲に受け入れられてはいたのだが、二年の夏から話が変わってきた。
 三年生が引退し僕らの天下となったとき、僕は正捕手に指名された。
 エース中村と組むということ、つまり今までのように慶太郎とは組めなくなるということだ。僕は請けた。自分のために僕が機会を失うことなど彼は望まないだろうと、彼を言い訳にすれば慶太郎は余計に傷付くだろうと。
 ただ自分が背番号2を欲しがっていただけのくせに。
 なるほど慶太郎は僕を責めなかった。その代わり自分を追い詰めた。周囲に心を許さなくなった。過度の練習は実力となる以上に身体を蝕んだ。
 半年。春の訪れを目前にして彼は壊れた。

 慶太郎が僕を赦してくれたのか、正直今でも分からない。
 僕は時間の許す限り慶太郎のリハビリに付き合った。今度は中村が癇癪を起こしたが、チームメイトに任せて慶太郎を優先した。慶太郎の作り笑いは少しずつ、僕の知っている『慶ちゃん』の笑顔に近づいていった。

 夏。お情けだろうが、慶太郎は最初で最後のベンチ入りを許された。
 僕も正捕手からは外されなかった。中村は、自分の気に入った捕手でないと駄々をこねるから。
 その中村が、地区大会のあと軽トラックに接触されて鎖骨にひびを入れた。やつのワンマンショーで勝ち続けてきた僕らにツケが回ってきた。
 東京準々決勝の馬淵学院戦、岩茂学園の投手は底をついていた。今までとは違い、二番手、三番手、ましてそれ以下の投手で抑えられる相手ではなかった。
 実力そのものが劣っていたわけではない。中村の不在が動揺と野心を呼び、岩茂のなけなしの結束が崩れた。これだからプライドの高い中学生なんてものは脆い。
 酷い塁の埋まり方をした直後、捨て鉢になったのか監督は慶太郎をマウンドに上げた。記念にブルペンでキャッチボールをさせただけだと誰もが思っていたのに。
 中学校、最初で最後の公式戦。復帰後初めての実戦。誰も慶太郎に期待などしていなかった。負けたとしても責めようという奴すらいなかった。
 慶太郎はマウンドに立った。試合の流れも学校の名誉も関係なく、ただ打者を打ち取るためだけに。ただそのイニングを守りきるためだけに。それまでのどんな試合よりも迷いのない目で、そこにいた。
 僕は慶太郎を信じた。
 夏が終わった。背番号18のエースは静かにグラウンドを去った。

 リハビリ中、いつのことだったか、慶太郎が呟いた。
 岩茂学園を出ようと思うんだ。
 遠くを見ながら、今日はいい天気だねと言うような口振りで。
 そうだね、飽きたよ、と僕も慶太郎と同じ方を見遣った。
 今度は、一緒に行こうとは言わなかった。僕は、そして慶太郎もきっと、それを口にすることを恐れていたのだ。
 慶太郎は僕の言葉に頷くだけだった。
 硬式野球部のないところがいい。
 うん。
 大学受験に対応したカリキュラムを組んでるところ。
 うん。
 一度ぐらい公立に行きたいな、大学はまた私立に行くかもしれないから。
 うん。
 高葉ヶ丘なんて落ち着いてるからいいかもね。
 うん。
 学校見学に行こうかなと思うんだけど。
 うん、と慶太郎が俯いた後、沈黙が訪れた。
 幼い頃は簡単に言えた、簡単に答えられた一言を、互いに口に出せなくなっていた。色々な転換期が浮かんでは消えた。どの場面でどの選択をすれば、僕らはこんな風にならずに済んだのだろう。今更考えても仕方ないと解っているから、なお考えずにはいられなかった。
 慶ちゃん、その日空いてる?
 ようやく入れた下らない探りに、慶太郎はゆっくりと頷いた。
 何時頃がいいかな。
 退屈なリズムで僕は続けた。慶太郎はさほど間を空けず答えた。
 決めておいて。いつもみたいに迎えに行くよ。
『いつも』なんて、もう一年以上そんなことはしていなかったのに。
 いつ話したのか覚えていない。どこで話したのかも覚えていない。
 ただこういう会話を交わしたことだけを覚えている。

 引退してからの数ヶ月間は穏やかな日々が続いた。
 当時の高葉ヶ丘の偏差値は六〇と少し程度だ。慶太郎が数学でつまずくことはあったが、見てやれば問題のないレベルだった。野球部のない学校に行くんだから、という慶太郎に、それなら趣味として純粋に楽しめばいい、と強引にリハビリも続けさせた。
 模試の判定が上がり、前より多く投げられるようになるにつれ、慶太郎は心身ともに本来の彼へと戻っていった。
 野球部を見に行こうか。
 入学書類を出しに行った日、僕はセンスのないビラを握り締めて言った。
 硬式野球部のない学校、ただし軟式野球部はある学校。手の中には近所のグラウンドへの地図。僕の思惑にようやく気付いたらしい慶太郎は、おおいに非難がましい目を向けた後、いいよと小さな声で呟いた。

 僕が慶太郎の人生を狂わせたとは思わない。
 彼の精神的な弱さと無謀な練習があの事態を引き起こした。彼自身の責任だ。
 だが僕は、自分がその前に彼を止めてやれなかったことを決して忘れない。
 慶太郎はきっと大学で野球を続けることはないだろう。だが高校三年間は何としてでも続けてほしい。
 無論それは僕が僕のためにしたいことであって、慶太郎のためではない。慶太郎のために何かしてやれるのは結局のところ慶太郎でしかない。
 ただそのときに僕が必要なら、僕はいくらでも彼に利用されよう。良好な人間関係が利害の一致を示すのなら、僕の利害は慶太郎の利害と共に在る。
 公式戦に出られない投手と、打撃力しかない投手、女たらしの一塁手、少しも黙っていられない二塁手、ナルシストな三塁手、電波系の遊撃手、下手な左翼手、頭の弱い中堅手、本職は申し分ないがマウンドは大嫌いな右翼手。おいおい僕がまとめることになる一・二年陣は、これでもかというほどアクが強い。
 この中心に慶太郎を据えて、強豪校をねじ伏せていくのだ。飼い慣らされた選手で構成された、勝って当たり前のチームでやるよりよほど面白い。
 後悔はさせない。全ての部員にこの高校を選んでよかったと言わせてみせる。
 夏を制するのは、高葉ヶ丘のエース・永田慶太郎だ。