面目

 最後の夏は、多少なりともドラマチックに終わるものだと思っていた。
 竜光は誰もいなくなった部室で、捕手向けと褒められた大柄な身体を丸めてプラスチックコンテナからキャッチャーマスクを拾い上げる。
 全国高校軟式野球選手権・東京大会。四回戦の相手は全国大会常連の強豪校とあって、自分たちも弱小都立なりに気合が入っていた。せめて一泡吹かせてやろうと配球も精一杯考えたつもりだ。相手投手の研究だっていろいろな角度からした。
 全部無駄だった。
 二回表、バッターボックスに立つや否や内角に危険な球が来た。避けようとして身をひねったが、ボールはバットの根元を直撃。跳ね返った勢いで竜光の鼻っ柱を物理的に折った。
 三年最後、高校最後の試合、覚えているのは冗談みたいに土を汚し続ける血の赤だけ。
 先発投手もろくにリードせず、温存したエースの球も受けられず、打撃で彼らを支えられもせず、何も為さずにマスクを脱いだ。
 このまま二度と防具一式を身につけることはないだろう。二度と。
 涙は出ない。ただ顔の中心がひどく痛む。もう被るものは何もないのに、隠したい傷だけが往生際悪く真ん中に居座っている。
 最後まで底抜けに能天気で前向きなキャプテンとして去るはずが、土壇場でひび割れるなんて間抜けすぎて目も当てられない。
「森貞さん。そろそろ施錠しますよ」
 聞き慣れた声の、聞き慣れないトーンに振り返る。いつも反発ばかりしてきた富島が、神妙な面持ちで立っている。
 この後輩が夏を終わらせてくれた。早々にグラウンドから消えた先輩の代わりに。
 マスクを被り、皆を鼓舞し、五回コールドが宣言された瞬間も誇り高く背筋を伸ばし、決してみじめな敗北にはさせなかった。
 ありがとう、と言おうとして口をつぐむ。このうえ陳腐な台詞で終わらせたらまた叱られてしまう。
 竜光は、三年間捕球してきた左手を動かして後輩を近くまで招いた。富島はいつになく素直に歩いてくる。捕手にしては華奢で、捕手以外は務まらないほど頭が切れ、投手を不安にさせないほど打で稼ぐ、明日からの背番号2。
 右手でマスクをかざし、竜光は格子越しに富島の表情を見つめる。後輩に向けて細める目はあたたかく乾いている。
「これ、やっぱりお前の方が似合ってるよ」
 は、と富島は喉を鳴らす。瞳には侮蔑と同情と、それ以外の光が屈折しながら同時に宿っている。
「三ヶ月、言うのが遅いんですよ」
 この仮面を引き継ぐに足る哀しみが宿っている。