ロスト・アクトレス - 11/11

ホントのホントに最後のおまけ

「やっぱりあんた一人で行ってくれ」
「君が呼ばれてるんだろ。俺だけ行ってどうする」
 久野里澪は、秋葉原に向かうことをひどく渋った。『百瀬でない方の保護者』がおかんむりだというので強制召喚を食らったらしいのだが、あんたも復興祭のときあの辺に世話になったろうと、こじつけのように神成を連れて行こうとする。要するに心細いのだなぁと解釈して、捜査一課に戻ってまた忙しい身を、こうして秋葉原の雑居ビル前まで運んだのだが。
「何をそんなにむずかってるんだ? 大の男に刃物で襲われても動じない、天下の久野里大先生が、今更恐がる相手って……」
「恐がってない、苦手なだけだ。行くぞ」
 と言いながら久野里は神成の背を両手でぐいぐい押してきて、完全に引け腰じゃないかという台詞を神成は賢明にも飲み込み、二人で階段をのぼっていった。
「おー、澪たん。待ってたお」
 出迎えてくれたのは、恰幅のいい眼鏡の青年だった。たくわえた口髭のせいで年嵩に見えるが、恐らく楠とそう変わらない。年齢当ては神成の得意なことの一つだ、職業柄。
 人のよさそうなその目が、神成を不思議そうに見上げる。
「で、誰ぞ? その人。澪たんの血の繋がらないお兄様?」
「あ、いえ」
 神成が説明をしようとするのを遮り、久野里がぼそりと言う。
「そうだ。血の繋がらない妹に劣情を抱いてしまう危険なオニイサマだ」
「何を息を吸うようにヤバい嘘をついてる!」
 全く冗談に聞こえないトーンだからこちらが冗談ではない。青年はさぞ冷たい目を神成に――と思いきや、キタコレ! と意味不明なことを叫んでガッツポーズしていた。
「……あの。もしかして『疾風迅雷のナイトハルト』さんのお知り合いですか」
 既視感に思わず問いかけてみれば、んあ? と青年は目を丸くした。
「なんだ、ナイトハルト氏のご同類かぁ」
「いえ同類ではないです全く、知り合いではありますが。同類ではないです」
「例の『クラヴァッテ』だ、橋田さん」
 久野里が相変わらず警戒した様子で補足する。それはそれで心外な理解ではあるのだが、橋田と呼ばれた青年は、得心がいったように手を打った。
「そういやその声、ログで聞いたお。どんな鬼畜眼鏡かと思いきや、意外と普通のお兄さんジャマイカ」
「……神成岳志です。『二〇一五年の件』はどうもお世話をかけまして」
 神成は引きつった笑みで返す。こちらも彼に心当たりがある。『疾風迅雷のナイトハルト』こと西條拓巳の知人でありオタク仲間、ことサイバー攻撃に長けた久野里澪をして、白旗を上げさせる電脳の天才。『DaSH』――『ダル・ザ・スーパー・ハッカー』。神成は声しか発していなかったのに、あのチャットのログを遡ったとは。
「なんのなんのあれぐらい。上がってー。今牧瀬氏いないけど、ちょっと頭冷やしてくるって言ってただけだからすぐ戻るっしょ」
「そんなに悪いのか、紅莉栖の機嫌」
「いや、アレは澪たんじゃなくてオカリンが悪いから。爆発しろ的な」
 あんなに人を盾にしておいて、普通に話しながら上がり込んでいく久野里に、距離感が分からないんだよなぁと首を傾げながら、神成も革靴を脱いだ。
「聖戦手伝えなくて、正直すまんかった。実は僕の嫁が……」
「二次元の? 三次元の?」
 久野里が橋田の話の途中でとんでもない質問をしている。訊かれた側も、三次元の奥さん、と平気で答えている辺り、あれは『オタクあるある』なのだろうか? 西條拓巳が星来オルジェルと咲畑梨深を、別枠で扱っているのと同じように?
「なんかお腹が張るって言って、絶対安静でしばらく入院してて。だがしかし澤田氏がいろいろ気を利かせてくれたおかげで、先月の末に無事産まれましたありがとうございます!」
 橋田が窓に向かって大きく腰を折った。エグゾスケルトン社のある方角だ。
 あの後、神成も名前を頼りにいろいろと探ってみたが、澤田敏行について勤務先以上のネタは掴めなかった。その自信があるから明かしたのかもしれない。しかし、これから需要が高まる一方の業種で責任あるポストに就き、サラリーマンをしながら委員会へのレジスタンス活動を行い、見えないところでは生まれ来る新しい命へのケアも怠らなかったというのか。いよいよもって何者なのか、情報が増えるにつれ余計に分からなくなってくる。
 それはともかく。
「おめでとうございます、そうとは知らず何の準備もなしに来てしまいまして……。これ、出産祝いではありませんが、よろしければここの皆さんで召し上がってください」
 神成は紙袋から菓子の箱を取り出し、両手でゆっくり差し出した。あ、これはこれはご丁寧に、と橋田がひょこひょこ頭を下げながら受け取る。
「澪たーん! 今まで周りにいなかったタイプの常識人の出現に僕困惑!」
「私もしょっちゅう、何でこいつと一緒にいるんだと考える」
 マイノリティの人権というものに対して真剣に思いを巡らす神成である。多数派の優位など、所属する場所によって容易にひっくり返るのだ。
「あ、澪! 来る前に連絡しなさいって言ったのに」
 と、ドアが開くなり、女性の大声が響いた。やはり二十代半ばほどの女性だった。台詞からして、久野里を呼んだのは彼女のようだ。百瀬以上の女傑を想像していたのに、思ったより可愛らしい。女性はショートブーツを脱いで上がってくる。際立って背が低いわけでもないが、華奢なので身の丈より小柄に見えた。久野里は舌打ちをして、やはり神成の陰に隠れようとする。
「あっもう、またそうやって面倒くさがって逃げようとするんだから……! こら!」
「あの」
 神成が遠慮がちに声をかけると、女性ははっとして口を押さえた。明らかに愛想笑いと分かる顔で肩をすくめる。
「ご、ごめんなさい。私は牧瀬紅莉栖といいます、アメリカで澪の面倒を見ていました。あなたが神成さんですか? お話は澪から、ときどき」
「え、久野里さんが俺の話をですか?」
 どうせろくな話ではないのだろうなぁと苦笑しつつ頭をかくと、ええ、と牧瀬は本気で楽しそうに笑い直して、両手を頬に当てた。
「まぁ、全部惚気でしたけどね?」
「紅・莉・栖? 事実を歪曲するな、この恋愛脳!」
 久野里は神成の背から飛び出して怒鳴った。牧瀬はしてやったりという表情だが。
「あんたも真に受けて照れるんじゃない、気持ち悪い!」
 流れ矢を食らった神成は片手で口許を押さえて顔の熱さに耐えるしかない。あと久野里の蹴りにも。
「にぎやかだねぇ~、どうしたの?」
「あ、お客さん……ですか?」
 また別の女性が二人、入ってくる。宮代の周囲といい西條の周りといい、この界隈は女性が多くて肩身が狭いな、と神成は顔から手を外し、新しい二人に注意を向けた。
「あ、澪ちゃん。トゥットゥルー♪」
「椎名さん。何度も言っているがその珍妙な挨拶は絶対にしない」
 椎名と呼ばれた女性は、かわいいのにーと少しばかり落胆した様子を見せた。久野里とは顔見知りのようだ。西條たちよりも若そうだが、雰囲気がやわらかく落ち着いている。
「えと、ボクとは初めまして……ですよね? お二人とも。漆原るかです」
 隣にいた女性――女性? 声が案外低い――が薄い胸元で両手を重ねながら、控えめに微笑んだ。るか――日本人だと考えると女性名らしくもあるのだが、外国語圏では男性名でもあるし――とにかく見目麗しい中性的な若者は、よろしくお願いしますと丁寧に頭を下げてくる。見惚れるほどに美しい礼だった。
「だが男だ」
 橋田の小さな呟きに、神成はびくりと背を跳ねさせる。やはり男だった! 漆原は状況がよく分かっていない様子で、柳眉を軽く寄せて小首を傾げている。その仕種すら久野里の何倍も愛らしいのに。
「時代はジェンダーフリーか……」
「いいから名乗れよ!」
「神成岳志ですよろしくお願いします!」
 背骨のえぐいところに正拳突きが入って、腹だけが前に出た後、痛みで強制的に膝をつく羽目になった。漆原と椎名が、大丈夫ですかと駆け寄ってくる。久野里澪にもこれぐらいの気遣いや慈しみの心があってほしいと神成は願う、それは性差とは関係ないはずだ。あと久野里も結局漆原に名乗っていない。
「ねぇダルくんダルくん、この人、『ブラチュー』のあの人に似てないかなぁ?」
 椎名が、心配そうに顔を覗き込む合間にさらっとおかしなことを言い出している。ブルータスではないがお前もかである。
「んあ? どの人?」
「あの、闇堕ちした人。恋人を殺されちゃって世界を憎むんだけど、最後は星来ちゃんのサムライ☆コンデンサで……」
「あーわかる、名前なんだっけ……」
 橋田が悩み始めている。とてもどうでもいい、のだが、神成はつい答えてしまっていた。
「彩牙院、リュウト……?」
 西條に渡されたライトノベル。入院生活が暇すぎてつい読破してしまったそれこそがちょうど、当該キャラクターが幸せの絶頂から絶望に沈むまでの物語だったのである。楠が挿絵を指差して、ちょっと神成さんに似てますよねと笑っていたので覚えていた。
 椎名の目が異様な輝きを見せる。まずいと神成は後悔した。オタクに半端な知識をちらつかせるのは、最も避けるべきことだったのに!
「神成さん知ってるんだぁ! コスとか興味ないですか?」
 両手をがっと掴まれてしまう。やってしまった。やってしまった。やってしまった。
「こ、こす?」
「彩牙院リュウトのお洋服着ませんか!?」
「はい!?」
「あーっ、ホントに澪ニャン来てるニャ! ダルニャンのメールどおり、クッキー・ニャンニャンのお衣裳持ってきて正解だったニャーン!」
「また増えた!?」
「あ、フェリスちゃん~。そしたら神成さん執事でもいけるよぉ、二人とも背が高いしきっと絵になるよー」
「ニャ? その人……オールバックにモノクル白手袋で覚醒して、クーニャンと敏腕執事&有能メイドコンビが組めると見たニャッ!」
「だからここに来るのは嫌だったんだ!」
 久野里が怒鳴りながら、ちゃっかり牧瀬を盾にしている。牧瀬も頭痛をこらえるように首を振っていた。そこにまた、新しくドアが開き。
「わぁ、いつもと違う声がすると思ったらお客さん。でもうるさいってお父さん怒ってますよぉ」
「にぎやか……」
 お次は久野里と変わらないぐらいの歳の女性と、神成よりは少し若そうな眼鏡の女性。今度はどんな厄介なことを言われるのか。
「やかましいぞ貴様ら! またミスターブラウンに家賃の件で脅されたら、一体どうしてくれ……る?」
 最後に主が入ってきて。ラボの第一期メンバーが、ここに揃う。
「あんたは……?」
 白衣の男が訝し気に問う。白衣の。自分を非常識に引き込んだ女と同じ。
 神成は息を吸い、答える。
「俺は……」
 彼らのオペレーションはまだ、始まったばかりだ。