僕らは白い鳥じゃない

 その日。中央種子島高校卒業式の日も、種子島は素晴らしく晴れ渡っていた。
 まさしく、天候にも恵まれだの絶好のお日和だのそんな定型句の似合わしい空。昴は父の仕事柄雨は好まないけれども、そういう意味を持たない美辞麗句も同じぐらいに厭わしい。特に今年度は。
「あれ、昴くん。どうしたのさ、こんなとこで」
「……八汐先輩こそ」
 風の気持ちいい三月の旧空港、昴は苦々しい思いで呟く。
 八汐海翔は、何をするでもなくそのコンクリートの平原に立っていた。いつもポケコンを持っている片手には卒業証書。入部届すら電子化された社会においても、それだけはある種の神聖性でも宿っているかのように、未だアナログな紙によって一人ひとり手渡される。
 この島の学生はそう多くない。都会の学校では在校生の出席は代表のみだというが、中央種子島高校は全生徒と卒業生の保護者をまとめて体育館に迎え入れたところで、手狭になるぐらいで不可能というほどでもなかった。昴も、八汐海翔が校長に名を呼ばれ、はいと体面だけの返事をして、空気を壊さない努力はしていますけれどと言わんばかりの気怠さで壇上にのぼり、今日からはもうここの学生でも何でもないのだという宣告の綴られた紙を受け取るのを、パイプ椅子に座ってじっと見ていた。
 ナンセンスだと思った。全てが茶番すぎる。
「アキちゃん、東京の会社から内定もらったでしょ? おいおいそこの人事正気かって俺は正直思ったけど。ま、入れてくれるっていうなら、それなりにちゃんと見込んでくれたんだろうと思うし」
「八汐先輩」
「お姉ちゃんと一緒に暮らすー! って、それでミサ姉も一度迎えに帰ってくるんだってさ。アキちゃんてば飛んで帰っちゃって、俺もいよいよ保護者卒業だねって――あれ逆か?」
「……八汐先輩!」
 昴はたまらず怒鳴っていた。八汐は台詞を遮られ、きょとんとした顔で首を傾げている。
 嘘だ。彼は驚いてなどいない。昴は俯いて自分の前髪を掴んだ。
「部長――いえ、瀬乃宮先輩の進路ならとっくに聞きましたし、お姉さんの件だって本人が何度も何度も自慢してきましたから知ってます。べらべらと訊いてもいないことを話すなんて、先輩らしくないですよ。そういう、いかにも止めてほしそうな態度で明るく振る舞うの、やめてもらえますか。不愉快なんです」
「あそ。昴くんも随分察しがよくなったね。えらいんじゃない」
 八汐は他人事のように軽い調子で言った。昴が顔を上げれば、彼はいつも通り不遜に微笑んでいる。それでも、複雑なカービングの施されたバッグからポケコンを取り出そうとはしないのだった。昴が今まで特段気にも留めなかったコンチョと羽だけが揺れている。
「ロボ部、どうするの。これから」
 首の後ろをかきながら、八汐は珍しく露骨に目を逸らした。だから昴は彼から目を離すわけにいかなくなる。
「いよいよどうしたんです、八汐先輩はロボットもロボ部もどうでもよかったんじゃないんですか。自分でそう言ったんでしょう」
「根に持つなぁ。とりあえず興味がないってのは、今もそんなに変わらないけど――」
 八汐海翔は、それを掲げる。卒業証書。ただの紙。事実と彼の名前だけ書かれた紙を収めた立派なだけの外装。まるで、勝負しなよとポケコンを取り出したときのような顔と角度で。
「俺とあき穂はもうロボ部でも高校生でもない。ガンつくプロジェクトは一応のところ二度完成を見た。だったらもういいでしょ。君らは」
「……バカ、ですか。先輩は」
 昴の語尾も拳も震えていた。
 こんなことを。こんな馬鹿げたことを言う為に、彼はこんな外れた場所で、足のまだ不自由な、来るかも分からない後輩を、暇潰しさえせずにただ待っていたというのか?
 八汐がへらへらと頬をかいているのが余計癇に障った。
「あのさぁ、これでも先輩に向かってバカはないでしょ。まぁ俺は、昴くんのそういう歯に衣着せないところ、割と嫌いじゃな――」
「バカじゃなかったらナンセンスですよ!」
 大きく腕を薙いだ拍子に、昴の身体が傾ぐ。八汐が顔色を変えて駆け寄ってこようとするのが分かった。そういうところが、と昴は内心で叫びながら『先輩』の腕を振り払う。
「バカにしないでください! 僕らはあなたに庇護されるべき存在じゃない、卒業した自覚があるんだったら保護者面されるのも、もう迷惑だって何で解らないんです!?」
 表情など見なくとも八汐が身を硬くした気配ぐらいは察していた。
 互いに傷つけたことも感じている。だから謝らない。八汐も昴も。
 昴は急に噴き出してきた汗を片手で拭いながら、八汐の目をぎっと睨みつけた。その狡猾な瞳が逃げないように強く。
「今代のロボ部は、僕と古郡が仕切ります」
「そうだね」
 八汐はやわらかく答えた。また昴がぐらついたらすぐに支えられる位置に立ちながら。だからそれが余計なのに。伝わらないもどかしさに息を詰まらせ、昴は声を張り上げる。
「だから、ガンヴァレルをつくるプロジェクトは続けます! 僕たちは元々、そのためにあなたたちに集められたんです!!」
 ――言葉は、なんて不自由なのだろう。
 電気回路のように、もっと明解に繋がればいいのに。考えても、計算しても、この条件下で発するべきものなんて何一つ用意出来ない。
 そんな顔をさせるために、宣言しているのではないのに。
 昴はせめてもの強がりで、眼鏡を押し上げた。
「確かに、等身大ガンヴァレルをつくろうプロジェクトは、高校生に可能なレベルで最大限実現出来たと言っていいと思います。けれど僕はあのロボットたちを自慢げに見せびらかせる出来だとは考えていませんし、古郡はあれをガンヴァレルだとは認めていません」
「3号機?」
「違います。最大限やったと言っているのに、そんな短絡的なことをする理由がないでしょう。……僕を誰だと思っているんです」
 困惑している八汐に、わざと挑発的な言い方をした。かつて彼がしてきたように。
「『ホビーロボ部門における、可能な限り原作に忠実なガンヴァレル』。これで、ROBO-ONEに出ます。古郡のプログラムで、僕が――ミスター・プレアデスではなく日高昴が、オペレータとして。優勝します。『中央種子島高校ロボット研究部部長』である、この僕が!」
「そう」
 こんなに必死に訴えても、八汐は呆気ないほど何も言わなかった。ただ満足そうに微笑んで、種子島の空気を胸いっぱいに吸い込む。
 昴も何も言えなかった。これでよかった。もう告げたいことは全て吐き出してしまったから。この先は昴の嫌いな社交辞令と蛇足になる。
 ひとつだけ、まだ言えていないことがあるとしたら。
「お世話には、そんなになっていませんが。……ありがとうございました、八汐先輩」
「うわ、最後まで口が減らない」
 深く礼をした昴に、八汐はけらけらと笑った。それはお互いでしょうとは言わないでやった。一応先輩だから。
 ひとしきりすると、彼の右手はいつもの場所にのびて。紙ではなく機械を掲げて、その瞳は昴を射抜く。
「そんじゃ、いっちょ揉んでやりましょうかね。後輩いびりはOBの特権だって、ミッチーも言ってたし?」
「やっぱり先輩、クズですよ」
 昴も、もう定型句を捨てて悪態と共に笑う。
 この広い青空の下で座り込んで、偽物の箱庭の中で本音で殴り合って。
 八汐海翔の進路は、瀬乃宮あき穂ですらも知らないという。