盾を守る乙女たち

 有村雛絵から久野里澪のポケコンに着信があったのは、2016年のある寒い夜のことだった。澪はパンツスーツ姿で信用調査会社フリージアで『情報屋』の方の仕事に忙殺されており、症候群者のキャンキャン声を聞く気分ではなかった。
 だから、少し離れたところに置きっぱなしの端末を取りに行こうともせず、呼び出し音が途切れるのを惰性で待つ。やがて留守電に切り替わる音がして、有村の叫び声が響く。
『もう、こんな時ぐらいちゃんと出てくださいよぉ!! 神成さん――神成さん、撃たれたんですよ!?』
 立ち上がり、澪は音声でポケコンに通話を命じた。遅れて自身も端末のところまで大股で歩んでいく。
「どういうことだ?」
『知りませんよ……! でも事件? で犯人に撃たれて今病院だって……意識なくて、ご家族の誰とも連絡取れないって、私、アドレス帳で「ありむら」だったから一番最初に連絡来て……!!』
「その病院は?」
『い、いつもの……AH総合……』
 あとは泣くばかりで話にならない有村に舌打ちして、澪は通話を切った。視線だけで、聞いていましたよねと百瀬に問い、百瀬も頷く。
「ごめんなさい。今、私も手を離せない状況なの。運転手にはナカムラちゃんを連れてってちょうだい」
「分かりました。すぐに向かいます」
 ナカムラというのはフリージアの社員で――多分。澪もこの会社の内部構造はよく把握していない――仕事熱心だが無口な、『職人気質』という感じの男だった。ナカムラというのが本名なのか、下の名前は何なのかすら澪は知らない。
 だがとりあえず彼の『仕事』に信を置き、着慣れた白衣を引っかけると、ノートPCを抱えてフリージアを出た。

 

 夜の病院には、有村だけでなく香月、南沢や山添、橘も集まっていた。
 無人のロビーで身を寄せ合って、まるで通夜だ。だというのに、別に集中治療室で生死の境を彷徨っているというのでもないらしいので呆れた。出血多量で意識不明だが、弾丸は貫通しており、臓器には奇跡的に損傷はなく、命にも別状はないそうだ。今は輸血を受けながら傷の縫合をしているところだという。
「大騒ぎするから何事かと思えば。まったく大袈裟な連中だ」
 澪が嘆息すると、顔を覆っていた有村がぎっと視線を上げて澪を睨みつけてきた。相変わらず噛みつかんばかりの勢いだ。
「大袈裟!? 人が撃たれて、意識戻ってないんですよ!? それをそんな簡単に、大袈裟だなんて……!!」
「お前はあいつのことを嫌っていたんじゃないのか? どうした、こんなときだけ善人気取りで?」
「何でそんな言い方するんですか!? そりゃ、煩わしかったときもあったけど、神成さんはあんなに一生懸命――!!」
「やめなさい有村さん、ここは病院で……今は、夜なのよ」
 南沢が控えめに有村の肩を抱いた。有村は悔し気に顔を伏せ、拳を握り締めている。慈しむようにその背を撫でると、南沢は立ち上がり澪の顔を見た。来栖よりも背が低いが、演じることをやめた分その瞳には強い本気が宿っている。
「久野里さん。あなたが神成さんのことどう言おうと思おうと勝手ですけど。せめて、私たちに聞かせるのはやめて。ここには、神成さんを心配してる人たちが集まってるんです。あなたの心ない言い方で、不安を煽るようなことは絶対許さない」
「ふん。許さない、か。相変わらず傲慢な言葉を選ぶ女だ。お前に何の権利があって?」
「その台詞、そっくりそのままお返しします」
「何だと?」
 二人はしばし睨み合っていたが、外したのは澪の方が先だった。こんなことに時間を割いている場合ではない。
「ナカムラさん、神成岳志の所持品に、年季の入った革カバーの手帳があるはずだ。そいつをどうにかくすねてきてほしい」
 ナカムラは黙って頷き闇に消える。ぽかんとしている少女たちに、澪は改めて問う。
「神成岳志の容態は、死んでないのなら二の次だ。――撃った奴はもう捕まっているんだろうな?」
 有村たちはさも意外そうに目を丸くした。澪は露骨に舌打ちする。本当に使えない連中だ。一番肝心なのはそっちだろうに。
「え、えっと……」
 おずおずと手を挙げたのは、意外にも山添だった。身体を半分南沢で隠すように、恐る恐る言ってくる。
「まだ、らしいです……」
「隙をつかれて逃走?」
「いえ、そうじゃなくて……神成さんが追いかけてた『カガイショウネン』? って人は捕まってて……」
「あ?」
 要領を得ない説明に澪が語気を荒げると(威嚇の意味はない単なる相槌のつもりだったのだが)、山添は何故か、すみませんと身を縮こまらせてしまった。
「――向かい合ってた、連続傷害事件の被疑者である十代の少年は逮捕したって。でも神成さんは、『後ろから撃たれてる』」
 言葉を継いだのは、更に意外な人物。落ち着いた顔で『姉』たちの傍に座っていた、橘結人だった。澪は、ぱちんと指を鳴らす。以前は姉の金魚のフンに過ぎなかったものが、随分と成長したではないか。
「でかした、私が求めていたのはそういう情報だ。撃った側は捕まってないんだな?」
「う、うん。僕も、警察の人の話に、聞き耳を立ててただけだけど……神成さんは、ナイフを持った人と向き合ってて、説得をしてたって……。それで、『何か』を言おうとした瞬間に、それを邪魔するみたいに銃弾が飛んできて……相手の男の子もパニックになって、一緒にいた警察の人も、応急手当とかしてるうちに撃った人を見つけられなくなってたって」
「橘、お前結構入れ込んでるな。弁護士向きかは置いておいて、面構えもマシになってる」
 澪がにやりと笑うと、うちの結人を変な方にたきつけないでください! と長姉に叱られた。やがてナカムラが目当てのものを持って戻ってくる。澪は白衣を翻して踵を返す。
「じゃあ、私はもう行く。ここで泣いているのは、どう考えても私向きの仕事じゃない」
 また飛びかかってきそうになった有村を、香月が抑えているのが聞こえたが、もうどうでもよかった。歩き出しながら手帳を開こうとすると、あの、と誰かが馳せ寄ってくる。
「僕も、つれていってください!」
「何言ってるの、結人!」
 澪が視認するよりも、『姉』が叫ぶ方が早かった。振り返ると、南沢が転びそうになりながら『弟』の腕を掴んでいる。
「危ないわよ、あなた拓留がどうしてあんなことになったと――!」
「……わかってる」
 橘は、14・5の少年が出すにはあまりに落ち着いた声で、『姉』を見ていた。年齢よりも幼かった言動は見る影もなく、老人のようだった手足もしっかりと伸びている。
「拓留兄ちゃんたちは『間に合わなかった』んでしょ。だから僕は、『間に合わせたい』よ。目の前で、もう一つも『手遅れ』、つくりたくない」
「そんなこと言ったって、あなたが行って何が出来……」
「少なくとも、先刻のようなことがあれば私は実に助かるが?」
 澪がしれっと言ってのければ、また南沢に叱られた。何にしても、澪は事実を言うだけだ。
「邪魔にならないならついてこい。それは、『お前が死ぬ』ということも含めて私の邪魔だという意味でだ」
「は、はい!」
 橘は気丈に頷いた。南沢が力なく指を離そうとするところに、今度は山添が相変わらずの小さな背で割り込んでくる。
「だ、だったら、わたしも行きます! ユウだけ行かせられません!」
「うき姉ちゃん」
 こちらもすっかり『姉』の顔になっている山添を、橘はやんわりと押しのけた。
「泉理姉ちゃんのそばにいてあげて。お願い」
「ユウ……」
 これで二人は諦めたようだが、有村は、私は久野里さんを見張るために行きますからねと強硬に主張し、香月は有村のお守りとしてついてくることに決めたようだった。うるさいのと静かすぎるのは、澪にとってどちらも必要ないのだが。

 

「久野里さん、どこへ行くの?」
「まずは車に戻る。その後、これに従って行動の指針を決める」
 歩きながら、澪は橘に向けてとんとんと手帳の表紙を叩いてみせた。随分使い込んだ感のある、中のリフィルだけを取り換えられる革のカバーだ。
「前に何度も見た。神成さんは大事なことや思いついたこと、疑問に思ったことをこれに書き留める習慣がある。見たところ血痕などによる損傷はごく表面にしかないし、犯人が隠蔽工作する間もなく立ち去ったのであれば――」
「手がかりが、残ってる……!」
「Exactly.」
 車には、運転席にナカムラ、後部座席に澪・橘、有村はうるさいので助手席に隔離して、静かな方はその真後ろに置いておいた。
 澪は他人の手帳で、しかもとてつもなく重大なことが書いてあるだろうというのに、何の躊躇もなくベルトのボタンをパチンと外して中を検める。
「まず神成岳志が追ってたのは、連続傷害事件だって?」
「う、うん。最近ニュースになってる、ナイフの通り魔の……」
「場当たり的で、かつ死者は出ていないものか。神成さんの推察では――『人を殴ったこと・殴られたことのない甘やかされた10代』」
 ぽん、とナカムラが澪のノートPCを寄越した。フリージアの仲間と連絡しろということらしい。早速、車内にあったヘッドセットを接続して起動する。少し機械割れした百瀬の声がする。
『澪ちゃん、どう?』
「橘結人の話だと、最近話題の連続傷害の件を追っていて負傷したそうです。命に別状はないらしいのでそっちの心配はいりませんが、殺人未遂犯が捕まっていません。自棄を起こされたり、殺し損ねた相手の息の根を止めに来ると厄介なので、先手を打ちます」
「ちょっとぉ! ヘッドフォン着けられたら私たちに聞こえないじゃないですかぁ!」
 有村がうるさい。仕方がないのでヘッドセットを外してスピーカーにした。
『それって、まだ犯人分かってないのね?』
「少なくとも発砲したのは、傷害事件の犯人として逮捕された少年ではありません。話によると、対峙して被疑者の少年を説得しようとしていたところを『後ろから』撃たれたと」
『後ろから?』
 百瀬の声に、橘が、自信なさげに頷いた。
「弾道? は誰も見てなくて……ただ、傷の具合から、左の脇腹辺りから前に抜けてったんじゃないかって……」
『防弾チョッキは?』
「相手少年はナイフしか持っていなかったようなので。しかもあのバカは刺激したくなかったようですし、大仰な装備は避けるでしょう。中に仕込んだ防刃ケブラー繊維ぐらいなら、銃弾は簡単に貫通するでしょうしね」
『狙撃?』
「さぁ……まだ圧倒的に情報が。今ネットで騒ぎになってますが、現場はどうやら少年の自宅のようです」
『今確認した。20分以内に向かってちょうだい、10分だけ入れるように手を回してもらうわ』
「感謝します。ナカムラさん目的地入力を、東京都渋谷区――」
 走り出そうとする車の前を、びゅうと年の瀬の風が吹き抜けていった。今日は朝からずっと風が強い。澪は眉をひそめた。
「長距離狙撃の線は薄いな」
「なんでです?」
 有村が顔を出す。巻き込むなと繰り返す割には知りたがりだと嘆息して、澪は動き出した車の外を見遣った。
「この強風じゃ素人に弾道計算は困難だ。そして神成岳志はプロの狙撃手が関わるほどの事件に出張っていたわけじゃない、少なくとも今回は」
「つまり、近くから撃たれた……計算なんか要らないくらい……」
「そういうことだ」
 珍しく澪の前でも口を利いた香月に答え、ネット上の動きを追う。ガセとデマの氾濫をさらい砂金を探す。少年の家の周囲は今大変なことになっているようだった。しかしそれ以上のものは得られず、神成の手帳に目を落とす。
『背格好から犯人は少年』
『証言からも、積極的に傷つける様子はなかった=やらされていた?』
『少年を意のままに出来る可能性を持つ者:クラスメイト、上級生、バイトの先輩、保護者?』
 ページを何枚か繰る。ある程度絞れてきたと見えて、具体的な学校名や生徒の名前がいくつか挙がった。その中に丸で括って、『代理ミュンヒハウゼン症候群』と書き殴ってあった。澪としては頭が痛い。
「ミュンヒ、ハウゼン、症候群……?」
 横から橘が不思議そうに呟く。なんですかそれ、と有村が助手席から聞いてくる。面倒だなと思いながら、澪は左の手首を切る真似をした。
「お前のクラスにはいないか? 自傷行為で気を引こうとする『かわいそう』と言われたがりの奴が」
「ああ、メンヘラちゃん……」
 有村は嫌そうな顔をしたが、私にしてみりゃお前らも充分メンヘラだという言葉を飲み込む程度には澪も大人になっていた。橘はなおも踏み込んでくる。
「『代理』、っていうのは?」
「……そうだな。幼い娘が、原因不明の体調不良で何度も病院を訪れたとする。母親はずっと献身的に付き添っている。どう思う有村?」
 有村は名指しに一瞬面食らったようだったが、すぐに口唇を尖らせて答える。
「いい話じゃないんですか? 子供を見放さずに傍にいてあげるんですから」
「傍目にはな。だがその『不明』とされていた原因が、母親による薬物過剰投与や、異物注入によるものだったとしても同じことが言えるか?」
 それが代理ミュンヒハウゼン症候群だと、車内の空気が凍り付くのにも構わず言い捨て、澪は神成の手帳をめくる。遠慮がちに『演技性パーソナリティ障害?』とも走り書いてある。嫌な予感しかしなかった。
 そこに、百瀬の呆れたような笑い声が混じる。
『澪ちゃん、すっごいニュース。二つね』
「いいニュースと悪いニュースですか?」
『どっちもよ。まず少年の母親、神成ちゃんたちが踏み入ったとき同席していたの』
「確かによくも悪くもない」
『そして今、母親の行方だけ掴めていない』
「……そいつはクソみたいにいいニュースだ」
 澪はごんと窓ガラスを叩いた。着いたぞとナカムラに言われ、とりあえず百瀬との通信を切る。
「私とナカムラさんと、そうだな、橘で行こう」
「えっ、ぼ、僕? 行っても邪魔に……」
「後学のためだ、騒ぐなよ。有村と香月は駐禁対策で待機」
「なんだかなぁ!」
 騒ぐ有村となだめる香月を置き去りに、車を出る。なかなかの高級住宅に、どういう手筈か裏口からはすんなり入れた。
 現場となったという、二階にある少年の部屋に踏み込む。警察が捜査した跡があるが概ね綺麗なままだった。これを綺麗というかどうかは別として、だが。
「血痕からして、やはり神成さんが後ろからやられたというのは間違いないらしいな」
 部屋の中心を起点に、ベッドに向かって放射状に広がっている。酸化しかけて色褪せているのが一層リアルで、橘は吐き気を覚えたようだったが、結局泣き言は言わずに耐えた。
 ナカムラは見えない線をたどっていき、弾丸の入ったとみられる壁を観察。澪は床を探索する。ニトリルの薄い手袋をし、廊下で見つけた金属片をそっと摘まむ。やはりあまり有益なものではなかった。
「9mmパラベラム弾の薬莢……使用銃が多すぎて絞り切れんな」
「弾丸は警察が回収したようだな。恐らく線条痕は……」
「消すほどの知恵はない。やはりどう考えても素人、裏サイトででも入手したんだろう」
 そもそも線条痕を消す方法は『存在しない』ことになっているが、澪たちからすれば何事にも『抜け穴がある』ということだ。
「雷管についた撃針の打撃痕とも照らし合わせればほぼ確定だ。どのみちこれも警察に渡して、鑑識に回してもらう他ないだろうな」
「あ、あの! これは……?」
 橘におずおずと話しかけられて顔を上げる。指差しているのは部屋と廊下を仕切る柱の角だった。
「少しだけど、焦げてるような感じが……」
「ふん。お前、さすがあいつの『弟』だよ」
 褒めてもけなしてもいない台詞を吐きながら、澪は柱に近づいた。
「銃痕。余程変な撃ち方をしたんでなけりゃ、この角度なら、そうだな、私より15cmは背が低いと見るべきだろう」
 ちなみに澪の身長は175cm。日本人男性の平均より高い。となれば。橘がうんうん唸っている。
「小柄な男の人……子供……女の人……?」
「状況から考えれば一番最後しかない」
 澪は手の平で薬莢を弄んだ。
「決まりだ。『神成岳志は屋内から撃たれた』。恐らくは『被疑者の母親の手によって』」
 ――何のために?
 時間切れだ。その疑問はここでは出せそうにない。薬莢を警官に渡すと(ひどく怯えた顔をされた)、澪たちは静かに現場から退去した。

 

「少しですが収穫はありました」
 車に戻ると、澪たちはとりあえず現場周辺から目立たない路地に少し移動した。現場に残っていた警官に、百瀬の息がかかった神成の部下がいたので、状況をもう少し詳しく聞くことが出来たのだ。
 有村たちに聞かせてやる義理はないのだが、騒がれるのではしょうがない。このまま通信して百瀬に現状報告をする。
「被疑者少年は、部屋の隅にあるベッドの上で、ナイフを振り回して抵抗していたそうです。神成岳志は部屋の中央に立ち、丸腰で彼の説得にあたっていました。他に少年の部屋の中にいた人物はなし。ドアは開け放して、廊下で部下の警察官一人と、母親が様子を見守っていたそうです。母親は息子の名前を呼び、『こんなこともうやめて』と泣いていたらしいのですが――」
『でも、撃った』
「……お察しの通りです。二つの銃痕と血痕から射線を計算すると、明らかに廊下から発砲されています。落ちていた薬莢は9mmパラベラム弾のものですから、警官の持っていたリボルバーとは明らかにカートリッジが違うんです。これはオートマの弾でしょう。マズルフラッシュと銃声も、現場にいた警官たちが確認しています」
『出入り口に警官は?』
「正面玄関に二人、裏口に一人。でも『勝手知ったる我が家』ですよ、見つからずに出ていくことなんて簡単だったはずです」
 澪は音声通話なのをいいことに伸びをした。有村が不満そうに助手席から顔を覗かせてくる。
「あのぉ。私たちには、何で神成さんがそのお母さんに撃たれなきゃいけなかったのか全然分からないんですけど!」
 澪は無視しようと思ったのだが、説明してあげなさいなと百瀬が言うのでしぶしぶ従うことにした。舌打ちをして、記憶力のマシそうな香月を見る。
「病院で橘は、神成さんは『何をしたら撃たれた』と言っていた?」
「んっ!? え、と……『何かを言おうとした瞬間』?」
「そう。神成さんは何かを掴んでいた。母親はそれを知られたくないあまり、口にしかけた神成さんを撃った。その正面にいた息子のことすらも殺しかねない位置から。そして、黙って逃げた」
「な、なにそれ」
 有村が顔色を変えて言う。
「子供のこと、見捨てたって、こと……?」
「それは違う」
 澪は静かに、有村の目を見つめた。
「そいつにとって、息子など、他人など最初から道具に過ぎなかった」
 あまりにも感情のない宣言に、さしもの有村も言葉を失っていたようだった。澪は膝の上のノートPCが落ちないように気を付けながら、背もたれに体重を預けた。
「さっきしただろう、『かわいそうだ』と周囲に思ってもらいたいメンヘラの話。そいつをさらにこじらせた連中がこの世の中にはいるんだ。それが」
「代理、ミュンヒハウゼン症候群……」
 かすれた声で橘は言い、服の胸元を握り締めた。あの頃はずっとしていた仕種だったような気もするが、今回は初めて見たかもしれない。
「そう。『かわいそう』な人間を周囲に作り出す。人為的に。そしてそれに苦しみながらも懸命に生きる『かわいそうな人間のために頑張るかわいそうな自分』に酔い痴れる」
「狂ってる……!」
 有村は吐き捨てたが、あの口調では心当たりがあるのだろう。澪の知ったことではないが。澪は神成の手帳をめくる。乾いた血液がぱりぱりと指先を刺激する。
「神成さんは少年の母親がそうである可能性に気付いていた。『母親は過去に自傷癖の重篤化で入院歴あり』『被疑者の少年は異常な数の病院での治療経験があり、診察回数の多さにもかかわらず、持病はなく通院もしていない』……典型的な、ミュンヒハウゼン症候群から代理ミュンヒハウゼン症候群への変移例なんだよ。この手の人間は同情を欲しがる。『息子の奇病』に周囲が興味をなくすと、次第にそれは本来の――自傷またはその代替行為による注意の惹き方に帰っていった。『主人が死んでから息子が暴力をふるうようになった』」
 澪は、この『主人が死んだ』というのもどうだかなと思っているが、今回は別件だ。目をつぶることにする。
「彼女はよく包帯や湿布を身に着けて出かけた。行く先々で息子のことを嘆いた。しかし医者にも行かず傷口は誰にも見せなかった。さぁ、これが虚言だと気づいた周囲の人間が、彼女に蔑みの目を向けるまでどれぐらいかかるかな」
 そこで、神成がためらいがちに書き残した『演技性パーソナリティ障害?』という言葉が出てくるのだ。まさか、と有村が息を呑む。
「子供を『妄想』に合わせた……!?」
「もしくは『子供が』妄想に合わせた。少なくとも神成岳志はこう考えていたに違いない」
 澪は上体を起こし、幾多のブラウザを立ち上げた画面を睨み付ける。
「この女は自分が正しいと強く信じている。そうでなければ神成さんの指摘程度で、発砲するまで激昂はしない――ああ、これだ。怪しいのがあったな。銃を購入したのは恐らく第三者、闇市にアクセスできるほどの重犯罪者とも思えないから、金で代理人を雇ったんだろう」
 時期が合いそうなのが、神成の毛嫌いしているらしいS&Wのオートマチックだというのが皮肉と言えば皮肉だった。理由は教えてくれないが何となく察しはついている。今はどうでもいいことだ。
 香月が無遠慮にモニターを覗き込んでくる。
「IP、割れる?」
「そんなもの割ったところで意味がない。オフラインの現実的な側面から絞り込む。この女は免許を持っておらず車を運転出来ない、とっさに飛び出したのであれば公共交通機関やタクシーを使うとも考えにくい。そして古今東西、頭のおかしい女が匿われている場所と言えば相場が決まっている」
『男の家ね』
 その発想に永遠に至りそうにない子供たちに代わって、百瀬が言った。ぽん、と画面上に地図が表示される。
『彼女の言葉を信用して、同情を寄せていた男がそこに住んでいるそうよ。今いるかは分からないけど、痕跡ぐらいはあるかも』
 『信用して』、という綺麗事がいかにも百瀬だと思った。人は肉体を引き留めるために嘘にだって平気で同調するのに。しかしここであけすけな事実を述べたところでどうなるものでもない。澪はナカムラに、そこへ向かうよう指示を出した。
「何で行くんですか!? そこまで分かったんなら、後はもう警察に任せれば……!!」
 有村が至極当然の問いを発するので、澪は肩をすくめる。
「理由?」
 ああ、何度も聞いた。そのフレーズ。笑ってしまうぐらい時代錯誤で義理堅い。それだって、あんたは本気で、それを信じて貫いたんだろう。あの頭のおかしくなるような日々の中で、真っ直ぐに。
 だから澪も笑って、真っ直ぐに前を見るのだ。
「『弔い合戦だ』!」
「神成さん死んでないんですけど!!」
 有村のものすごく正しい指摘にもかかわらず、車は決戦の場へと向かいつつあった。

 澪たちが渋谷区笹塚――中心地からは外れた区境――に辿り着いた頃、空は白み始めていた。安っぽいがガレージだけはちゃんとあるアパートの前で、男と女がごちゃごちゃやっていて。その二人だと写真で確認すると、澪とナカムラだけで車を降りる。
「静かに。今すぐ出頭しろ。もしそちらが攻撃の意思を見せたら、こちらも防衛の意思を示す」
 低い声で言ったのは澪だった。両手を白衣のポケットに突っ込んで、陰気で痩せぎすな中年の男女を睨み付ける。
「自宅で息子の説得にあたっていた警察官に発砲したのはお前だな、女?」
 女は何事か叫びながら両手を突き出した。銃だということは分かっていた。だから澪もその前に、個人で違法輸入したシグ・ザウエルP226を、一寸のぶれもなく構える。ちなみに一発なら線条痕は残らない細工がしてある。
「私は防衛の意思を示すと宣言した。バカにも分かるように言ってやるが、要するに『お前らが私を殺そうとするなら、私はその前にお前らを害しても正当防衛になる』という意味だ。もっと分かりやすく言ってやる、『その震えた腰で私にトリガーを引けば、死ぬのは貴様だ』」
「クノサト。言い過ぎだ」
 ナカムラがぼそりと言ってくるが知ったことではない。
 確かに誇張して伝えはしたが、こんなのはこっちの意思さえ伝わればいいのだ。男は車のキーだけ放って逃げ出したが、有村たちのいる方とは逆だったので追わなかった。どうせ面も名も割れているし、今指紋も落としていった。
 女の手からも銃が滑り落ち、生活に疲れたような細い身体がガレージのアスファルトに座り込む。
 いつも私ばかりがこんな目に、とさめざめ泣くのを、澪は冷酷に見下ろしていた。彼女は精神疾患を持つ人間に対する情緒というものが、いつからか欠如している。
「おまえなんか……誰も、かわいそうだと思うもんか……」
 はっとして振り向く。橘が車から降りてきていた。昇りかかる朝日を背に、ぐっと両手を握り締め、女を睨み据えている。
「僕は、あんたみたいな人間からすれば、うらやましいぐらい『かわいそうな人間』、なんだろうね……。兄ちゃんは『犯罪者』って呼ばれて、二人の姉ちゃんたちは『病気』で、僕もおんなじ『病気』で……血の繋がったお姉ちゃんは…………『殺された』」
 女は虚ろな目で橘を見上げていた。橘の目は光っていたが、その声は震えることなく、右手は激しく空を薙ぐ。
「だけど僕は、自分のこと『かわいそう』だなんて絶対思わない! 思わせない!! 同情なんかいるもんか、僕は幸せが、家族みんなで一緒にいるっていう幸せだけあればそれでいい!! 自分のために家族を利用するおまえなんか――!!」
「もういい。橘」
 澪は拳銃を右手に持ったまま、橘に歩み寄り、左腕でまだ華奢な身体を後ろから軽く抱いてやった。
「その言葉までお前が言ってやる必要はない。こんな奴のために、お前が堕ちたら、あいつも悲しむ」
「くの、さと、さん」
 橘は歯を食い縛って、最早拭うことすらせず涙を落としていた。この姿を彼に見せてやりたいと思った。
 女が拳銃を拾って自分のこめかみに持っていこうとするのを、ナカムラが止めて。眩しい赤色灯が辺りを照らす。澪はシグ・ザウエルをそっと納める。
「土産話なら充分出来た。戻ってやろう、姉さんたちと、ついでに神成さんのところへな」
 橘は小さく頷く。兄貴は無理だったけれど、弟はいつか私の背を追い越すかもしれないと、澪は本人に気付かれないように小さく笑った。

 

 車に戻ると、神成の意識が回復したことを有村から聞かされた。少し朦朧としているが受け答えも出来ているそうだ。
 女は銃刀法違反の現行犯で逮捕。埃は叩けばいくらでも出るだろうが、そこまでは澪たちフリージア職員の仕事ではない。こっちの銃刀法違反がばれる前に、そそくさと立ち去る。
 それにしても、さすが神成岳志の部下だ。一分と狂わず指定時刻通りに、サイレンなしで駆けつけるとは。おかげでこちらは手ぶらで帰れる。
 病院に戻ってまず待っていたのは、山添うきの泣き顔だった。ゆぅ、と弟を見てぐしゃな顔のまま抱きつくので、最初は気丈に応対していた橘もだんだん緊張の糸が緩んだのか、そのまま抱き合って泣きじゃくり始めてしまった。
 澪は肩をすくめてその横を通り過ぎる。眼前には、仁王立ちした長姉がいた。
「あなたばっかり、いいところ持っていったみたい」
 南沢はいかにも不満そうに口唇を尖らせていた。澪は大袈裟に首を振る。
「橘は役に立った」
「人の弟を道具みたいに言って」
 それでも、彼女は彼女なりに『弟』の成長に気が付いているのだろう。深追いはしてこなかった。そんなことより、と澪は旭光に目を眇める。
「帰らなかったのか」
「結人を置いて?」
「別に連絡さえ寄越せば、こっちは車なんだから送ってやった」
「……それでもここにいるつもりだったわ」
 南沢は、まだ暗い院内に目を遣る。そちらは恐らく神成岳志の病室だった。
「神成さんのご家族がいらっしゃるまでは。もしお一人だったら、その方が大丈夫そうだと分かるまでは」
「そうだな。――目が覚めたとき、誰も無事を喜んでくれないんじゃ、生き返った甲斐もない」
 澪がぽつりと言うと、悪意はなかったのに、南沢はひどく不機嫌そうに返す。
「あなたのそういう卑怯な言い方するとこ、好きじゃありません」
「心外だな?」
「ええ、それが久野里澪って人なんだってことぐらい、私にももう分かってますから」
 ぷいと子供みたいに他所を向いた後、『家族』に向ける表情はいつもの『お姉ちゃん』で。まぁよく化けるもんだと、『ケイさん』を棚に上げて澪は思うわけだが。
「さ、うき、結人、あとは大人に任せて帰るわよ。お祈りをする子供の仕事はおしまい」
「そっすね~……私たちも結局、壮大なノロケに付き合わされただけみたいですし」
 有村が半笑いで言った。隣の香月は眠気が限界なのか、首がぐらんぐらんしている。
「おーじゃましましたー、あとはご・ゆ・っ・く・り。あでぃおすぐらっしゃー」
「んー、おつかれさまでしたー……」
 有村は香月の首根っこを掴んで、香月は覇気のない敬礼をしながら、騒がしく去っていった。
 ロビーにいるのはナカムラと澪だけ。澪はどかりとソファーに腰かけてポケコンなどしばらくいじっていたが、やがて緩慢に立ち上がり、シグ・ザウエルをナカムラに預けた。両手を白衣のポケットに突っ込んで――スーツ姿なのに――ゆらゆらと歩いていく。けれど不自然な白衣のおかげで、病院ではかえって怪しまれなかった。
 病室のベッドに仰向けに寝かされた神成岳志は、死んでいるのかと思うくらい静かな顔をしていた。肌の色も青くて、呼吸もただ静かで。けれど確かに、生きていた。
 傍らの椅子に座って、手の甲でそっと頬に触れてみる。冷たい。といっても、澪は普段の神成の肌の温度を知らないけれど。
「しんじょうさん」
 かすかに呟くと、聞き違いみたいな音量で、なに、と呟いて、神成がうっすら瞼を上げた。
「くのさと、さん」
「喋らなくていい。すぐに出ていく」
 澪が立ち上がろうとすると、神成は力なく首を横に転がした。
「……走馬燈とか、さぁ。もっと見るかと、思ったけど……麻酔のせいか何も覚えて、なくて」
「ああ」
 澪は座り直して、蚊の泣くような彼の声に耳を傾ける。神成の口唇は、わずかな動作さえ気怠そうに、言葉を紡いでいく。
「ただ、わからないけど。どうしてか無性に――無性に君の声が、聞きたいような、気がしていた」
「ああ」
 澪は同じ返事しか返せなくて。気の利いたことが浮かばなくて。『家族』ならこんなときどう言うべきなのだろうかと、こんなことを呟いてみる。
「おかえり」
 神成は瞼を通常ほどまで開いて、すぐにくしゃりと細めた。
「なんだよ。そんな、やさしいこと言われたら……かえって、死にそうだ」
「優しくはないだろう。普通だ」
「君が言うと、やさしくきこえるんだよ」
 それだけの会話だったのに、深く息を吐く。奇跡的に運のいい弾の抜け方をしたといっても、腹に穴が開いて、あれだけの出血をしたのだ。澪が思うよりもずっと、消耗しているのだろう。いたたまれなくて、革の手帳を枕元に置いた。
「返す。悪いが勝手に借りた」
「中……見た?」
「そんなには。犯人探しに必要そうな部分だけ」
 そう……と呟く神成は、もう眠ってしまいそうに見えた。おやすみと口にしようとして逆に、くのさとさん、と名を呼ばれてしまう。
「なんだ。寝ろよ」
 ついつっけんどんな返し方になった。神成はとろんとした目を彷徨わせて、独り言のように呟く。
「おめで、とう――たしか、おたんじょ、び、だって――あれ、もう、今日じゃないのかな――」
「明日だよ」
 澪は本当にたまらない気持ちになって、今すぐこの男の頭を引っ叩きたくなった。視線で手帳を開けたがっているのを察して、彼にも見えるように12月のカレンダーを開いてやる。
「ほら、さっき10日になった。11日は明日……」
 びっしりと書き込まれたそのスケジュール帳には。11日に大きな丸を付けて。都内の沖縄料理屋の名前と、下に時間が書き込まれていて。重要そうに付箋までついていて。
 神成は顔を天井に戻し、目を閉じて穏やかに微笑んでいる。
「ソーキ……うまくってさ……でも、キャンセル、だな……」
「……真冬に沖縄料理って、なんだよ」
「たまには、うまいもんぐらい、って……ああ、来年なら、泡盛、飲めるか……」
「いいから! 寝ろよ」
 澪は少し強く言う。神成はもう一度ゆっくりと目を開け。尊いものでも見るように澪を見上げると、そのまま、すうと眠りに落ちていった。
 澪は彼を起こさないようにそっと、その武骨な右手を握って、額に押し付ける。
「……バカ」
 出てきた声が自分のものとは思えないほど無様に震えていて。掴んだときと同じぐらい慎重に右手を横たえると、澪は静かに病室を出て行った。

 

 翌日も澪はフリージアの仕事で忙しい。これも今日までのことで、明日からはまた病院に多く顔を出すことになりそうだけれど。
 だから別に見舞いになんて来なくてもよかったのに――面会時間ぎりぎりになって、澪は神成の個室に駆け込んだ。
「や。君は来ないかと思った」
 神成はベッドの上部を少しだけ起こして、寄りかかるように寝そべっていた。左腕には点滴。臓器の損傷がないとはいえ、固形物を食べるのはまだ難しいのだろう。それでも、昨日よりは幾分顔色がよくなっているように見え、目の焦点もしっかりと合っていた。
「ご挨拶だな、おい?」
 澪が毒づきながら椅子を引き寄せると、そういう意味じゃないと少し笑った後、傷が痛んだのか神成は眉をひそめた。
「昨日のうちに、全部片付けてってくれたみたい、だから。今日はもう、来ないかと」
「ああ……別に。私はあんたの手帳を見ただけだ」
 ふいと床を向く。神成は、だからだよと老人みたいに穏やかに言う。
「俺の手帳のこと覚えてた。殴り書きの悪癖も乗り越えて、意味を繋いで、真犯人を数時間内に逮捕してくれた。君にしか出来ない」
 澪は答えなかった。提げていた紙袋から小さいが厚めのものを取り出して、神成の胸元に押し付ける。
「血塗れだったろ。趣味かは知らんが」
 カービングも何もない、ただ控えめなコンチョで飾っただけの地味な革のカバー。中のリフィルはまだ真っ白。
「要らなきゃ外は捨てろ」
「いや、嬉しいよ。ありがとう。君の誕生日なのに、俺ばかりいろいろしてもらって、申し訳ないな」
 神成がまるで愛おしそうに革を撫でるので、澪は一緒に買ってきたペーパーバックをベッドサイドに積むぐらいしかやることがなくなった。全部英語かよと抗議されたので、読めるんだから文句を言うなと却下する。
「沖縄料理」
 澪は本のタワーの背表紙を指先で撫でながら呟く。
「快気祝いに連れてけよ。サーターアンダギーが食べたい」
「そうだなぁ。誕生日に、事件解決に、手帳のお礼に、快気祝いに、四回は連れていかないと」
「別の店でもいい」
「ああ、そうしようか。流石に飽きちまうもんな」
 神成は何でもないことのように言う。
 何だかデートの予約みたいだと意識しているのは自分だけみたいで、澪はむっと黙り込んで、いつ書き込まれるともしれない手帳を睨んでいる。
「それで、あーっと、久野里、さん」
 探るような神成の声に顔を上げる。彼は自由にならない身体を、ベッドの上で何か落ち着きなく動かしていて。
「本当は誕生日ってことで、食事が終わったらさりげなく渡すつもりだったんだけど。間が悪いもので。……その気があったら、『五回目の食事』で、受け取ってもらえたりしないだろうか?」
 そっと差し出されたのは、澪でも知っているアクセサリーブランドの、ティアドロップ型のネックレス。澪は一瞬息を止めて、それから、それから。
「来年の誕生日に、『こっち』を用意出来るんなら、考えといてやる」
 自分の左手の薬指をとんとんと叩いて意地悪く笑い、椅子を蹴って立ち去った。聞かせるつもりではなかっただろう、神成の深いため息が聞こえる。勘弁してほしい。こっちだって、どういう反応をしたらいいのか考えるのに必死だったのに。
「何回サプライズ仕込んでるんだ、バカ、バカ、ああもう本当の大バカ者め!」
 自覚出来るほど赤い顔を片腕で隠しながら、どすどすと廊下を行く。あまりの剣幕に看護師にすら注意されずに外に出る。
「あっれー久野里さんたらゆでだこみたーい、告白でもされちゃいましたぁ?」
「あぁ!?」
 駐車場にいたのは有村と香月だった。用を済まして来てみたら面会受付時間を過ぎてしまい、せめて下から見守った気になって帰ろう、と香月発案の何の生産性もない時間を過ごしていたらしい。
「ま、その様子じゃ神成さんも達者に喋れてるみたいなんで。心配するまでもなかったですかね」
 澪は何も言っていないのだが、有村は勝手に納得して伸びをした。香月は何かのポーチを持ってそわそわしている。
「それは?」
 澪が指摘すると、香月はポーチを高く掲げてみせた。
「ゲーム機! 神成さん、ネトゲやってたことあるって言ってたし、一狩りいこ」
「携帯の電波は入るがWi-Fiは無理だぞ、あの部屋」
「あう……」
 がっくりと肩を落とす香月。オフラインのシングルプレイなら大丈夫では、とも思ったが、ああいう凝り性に狩りゲーを与えるとろくなことにならない気がしたので黙っていた。
「動けない、食べれない、ってなると、お土産難しいっすよねー……お花はもう警察の人がたくさん持ってきてるし」
 有村も首を傾げていた。別に、と澪は呟く。
「いいだろ、学生なんだし手ぶらで。物を気にして顔を出してくれないよりは」
「ふぅ~ん……」
「じー」
 有村は呟き、香月もまた便乗したように、澪の顔をじっと見上げてくる。まるであの能力を持っていた頃のように。澪がいらついて、何だと怒鳴ると、べっつにーと今度は有村が言う。
「なんか、今の物言い、すっごく神成さんっぽいなーって。久野里さんも神成さんに感化されてきてんのかな? って思っただけですけど?」
「けど」
「は?」
 澪が笑顔ですごむと、何でもないですっと二人は(というか有村と引きずられた香月は)駆け去っていった。澪は舌打ちして、今度こそ静かな岐路に着く。
 影が長い。天地が赤い。散りたての彼の血もこれほど鮮やかだったのだろうか。
「ちゃんと、連れて、いけよ」
 約束は守れよ。左手を宙に伸ばす。
 そして五回目の夜には、紅ではなく蒼の雫をこの胸に欲しい。
 益体もない乙女の祈りをのせて、陽は今日も静かに沈みゆく。昨日と同じようでまるで違っていて。明日と違うようでまるで同じ陽が。去りゆく。