青すぎたシトラス - 3/5

★ここは恋愛相談室ではありません

「聞こえていたか?」
 当事者とは思えないふてぶてしさで再び現れた久野里に、拓留は辟易した。最近は少し通じるようになってきたかと思っていたけれど、相変わらず彼女の心の内は読めない。
「ここ、恋愛相談室じゃないんですけどね」
 ちくりと皮肉ってみても、相談に来たわけじゃないと顔色一つ変えずに返された。
「聞こえていたか、と私は訊いたんだ。確認だよ」
「全部は聞こえませんよ。ただ、神成さんの怒鳴り声大きいから」
 拓留は苦々しい思いで答える。真隣りで大声を出されれば、流石に聞こえようというものである。こちらには逃げ場がないというのに、迷惑な話だ。
「まぁ人払いしてたみたいですし、僕しか聞いてないとは思いますけど」
「出歯亀」
「不可抗力です。分かってるくせにそうやって人を悪者にしないでくれませんか」
 拓留が抗議しても、久野里はつまらなそうに鼻を鳴らしただけだった。神成が頭を痛める気持ちもよく分かる。
 これも効果がないのだろうけど、拓留は聞こえよがしに長いため息をついた。
「隙をついて勝手に口唇奪ったの、久野里さんなんでしょう? だったら神成さんが迷惑がるのもしょうがないですよ」
 なんか急にキスされたんだけどどうしよう、とまるで拓留たちティーンエイジャーのような相談を神成から持ち込まれたのは、つい先日のこと。
 神成の言では、事件は――敢えて『事件』と拓留は呼んでいるが、更にその2週間ほど前に起こったらしい。
 神成は昼休憩を返上して、このAH東京総合病院まで来ていた。
 既に『役目』を終え、ここを去る目処も付いた拓留に、彼は可能な限り会いに来てくれるのだ。無理はしなくていいと拓留は言っているのだけれど、沈黙と思考だけで密閉されたこの空間に、彼が度々風を通しに来てくれるのが、内心は嬉しい。だから強くは止めずに、厚意に甘えていた。
 そして彼は病院に来たからには、礼儀として一応久野里のところに顔を出して帰るそうだ。
 証言ではその日も彼女のところに行って、院内で買った軽食を缶コーヒーで流し込みながら、立ったまま5分か10分雑談をした。そのとき彼は、とても眠かったらしい。食後で、知り合いの前で、休憩中で、油断の口実は、まぁ拓留にはどうでもいいけれど。気付けば目の前に彼女の顔があって。どうしたと問おうとした口を塞がれて。それから、何事もなかったかのように話を再開されて。
 どれだけ真意を尋ねても、そのことについてだけは否定も説明もなく『認識出来ていない』かのような態度を取られるだけで。
 神成も結局、いつもの気紛れだろうと自身を納得させようとして、何事もなかったかのように振る舞い続けたらしい。
 でもやっぱなんかモヤモヤするんだよなぁと彼が胃の辺りをかいているのを見て、正直拓留は呆れた。彼にもだが、久野里にもだ。
 恐らく一般女性が相手なら、神成も対処法を自分で用意するか、相応の友人に相談することも出来たのだろう。
 だが彼らの関係は、社会的、客観的に見てひどく不自然で。自己処理の限界を感じても、『子供』であるはずの拓留にしかこぼせなかったのは、そのせいのはずで。
 まして相手はこの、傲岸不遜でクールビューティぶっているがキレやすい、だが並外れて頭も切れる久野里澪。神成がやきもきするのも、恐らく彼の女性経験の多寡とはあまり関係がない。こんな規格外はそうそういないはずだから。
 『隙があったのは俺の落ち度だから同罪』と神成は強がっていたけれど、拓留からすれば彼は完全に被害者だ。
「男はそんなに嫌か? 『好きでもない』女に口唇を奪われるのは」
 久野里が自身の下唇を親指で撫でながら呟く。
 『好きでもない』かもしれない意識は一応あるのか、と内心で思いつつ、拓留はぎこちなく肩をすくめた。
「時と場合によるんじゃないですかね。以前の僕なら多分、相手がかわいければ――ああいえ、僕の主観でですけど、喜んでたでしょうし」
「だろうな」
「だろうなって……」
「『でも今は違う』?」
 久野里が視線だけを拓留に向ける。一般論から自身に話題を移してしまったことを悔やみつつ、拓留は視線を床に落とす。
「……そうですね。今は誰にされてももう、悲しさとか、虚しさしかないと思います」
 それがたとえ『好きな女の子』であっても。以前のあの子でも、現在のあの子でも。
 今の拓留にはきっと喜びもなく、涙しかもたらさない。
 そういう生き方を、否、死に往く為の道を、拓留は選んでしまったから。
 久野里は答えず、ローファーの靴底を鳴らして窓辺に歩いていった。
 もう3月。碧朋学園だって『卒業式』は終わったはずなのに、彼女はいつまであの制服を着ているのだろう。
「そんなに立場を失うのが恐いものかね?」
 それは既に失った拓留への質問ではなかった。だから、拓留も話題を彼に戻す。
「恐いでしょう、そりゃ。――だって今の僕らを守れるの、もう神成さんぐらいしかいませんし」
 佐久間も和久井も、拓留たちを欺き弄んでいただけだったのだから。
 拓留たちと真実向き合ってくれた大人は、神成と彼の後援である百瀬ぐらいだ。そして公に拓留たちの盾となってくれるのは、最早神成だけ。
「刑事って立場を失ったら、いくら神成さんだってどうにも出来ないですから。あまり困らせないであげてください」
「保護者みたいな口振りだな」
「むしろ神成さんが僕の保護者みたいなものですけど」
 拓留は視線を上げて、久野里の方を見遣った。横からだと案外幼い顔は、暗い窓ガラスを見つめている。
 それまでの独り言のようなトーンをやめ、拓留はついに、久野里にとって少しは効果のありそうなカードを切る。
「久野里さんだって、『保護者』の百瀬さんに迷惑かけたくないでしょう?」
 久野里は答えなかった。彼女の無視は『返答に値しない』の他に『正論なので付け加えることはない』の場合もある。今回は両方なのかもしれない。
 拓留の方こそ、苦い思いで付け加える。
「それと。外を見るポーズもしなくていいです。その窓からは、どうせ何も見えないんですから」
 拓留は元ギガロマニアックスだ。何かの拍子に力を取り戻してしまったとき、デッドスポットに反粒子を送り込む対象を視認してしまえば、周囲共通認識が出来上がり妄想が現実化する。だから拓留の部屋の窓からは、決して外の景色を見ることが出来ないようになっている。だというのに久野里は振り返りもせず、何もないはずの『向こう』を見ている。
 拓留は無反応の背中に語りかけ続ける。
「諦めること、出来ませんか。身を引いて幸せを願うことだって――相手を想うことになるって、僕は思います」
 自分への言い訳だとは気付いていた。そうやって己の選択を正当化し、美化し、久野里に押し付けたいのだと。
 聡い久野里も、そのことは解っていたのだろう。やっと拓留を見て、意地悪く笑う。
「私がそんな殊勝に見えるか?」
「……見えません。久野里さんは筋金入りのエゴイストですから」
 拓留も苦笑するしかない。少し誇張したけれど、彼女にはこれぐらいでいい。
 久野里は白衣のポケットに両手を突っ込んで、開かない窓辺に寄りかかる。
「そうだ、よく解ってるな。私は欲しいものは手に入れるし、得たい結果を得る。過程がどうだろうとな。そうさえなれば、私の勝ちだ」
「それもう、ヤンデレじゃないですか……」
「あ?」
「いえ。何でも」
 余計なことは言わないことにしよう。
 『病んで』いるのではなく『ヤンキー』の方だった。あるいはチンピラか、下手すれば地上げ屋。絡まれないに越したことはない。
 ふむ、と久野里は片手をポケットから出して顎に添えた。
「まぁ追い詰めるところまでは追い詰めたし、後は引いて勝手に釣れるのを待てばいい。労力は少ないほどこっちも楽だ」
「神成さんをどうしたいんですか、久野里さんは」
 拓留の問いには答えず、久野里は再び部屋を出ていこうとする。
「邪魔したな」
「ああ、はい……」
 邪魔だった自覚はあるのか。拓留はその言葉を飲み込み、理解出来ない背中を見送った。
 神成さん、頭痛薬じゃなくて胃薬買っといた方がよかったんじゃ、とお節介なことを考える。
 扉が閉まった。錠が下りた。部屋は再び静寂を取り戻し、空気は重く沈んでいく。循環の仕組みを失って、拓留はまた澱の中で息をする。
 一行の台詞が浮かびそうになって、心の中でさえその言葉を殺した。彼らのほろ苦い悩みを羨むことすら、今の拓留には許されていないから。どうにか、双方が落ち着く方に転がってくれればいいと、祈る。
 そして、せめて――せめてあいつだけは、いつかこんな、ありふれた悩みに振り回されるような、穏やかな日常だけを生きていってほしい、と。
 この清潔すぎる独房の中で、拓留は震える自分の肩を抱いた。

■おまわりさん仕事ですよ

 神成岳志は捜査資料を机に広げ、新しく判明した事実も含めて再度事件を見直していた。
 久野里との件ではなく、『その目神の目殺人事件』の方。
 いつだって、職場のドアをくぐった瞬間から、個人としての自分は忘れるようにしている。消すとか殺すとか、そんな物騒で不可能なことは思わない。必要なければ視界には入らない、そういう位置に追いやる。だが思い出した時にはすぐ手が届く。それが業務上一番効率的だと、学んだ。
 今も神成は心というものを忘れて、ただ事実と思考だけに意識を集中させている。

 まずは既出情報の整理。事件発生は2016年3月7日。現場は渋谷区内の路地裏。翌朝、現場近くで犬の散歩をさせていた近隣住民が、飼い犬の様子がおかしいことに気付いて周囲を探索、死体を発見。被害者は宮下公園近くのアパートに一人暮らししていた20歳の女性。身元は近くに捨てられていた鞄の中にあった社員証で確認。地震後、復興プロジェクトに参加するため渋谷に越してきており、確実にカオスチャイルド症候群者ではない。最後に生存が確認されたのは勤務先のエントランスの監視カメラ、以降の足取りは途絶えている。手首に縛られた跡があり、遺体の損傷は激しい。顔と腹部を滅多刺し。遺体傍の壁面に残された『その目神の目』のフレーズは被害者の血を使って書かれたもの。

 新情報。他区に住む両親のDNAと照合、身分証の女性本人の遺体と断定。解剖の結果、刺されていたのは厳密には下腹部――刃物による性的暴行。犯人の体液は検出されず。血文字は死後に刷毛のようなもので書かれた。凶器とその道具は見つかっていない。

 現段階で可能な推察。
 発生日、月違いで『集団ダイブ』『こっちみんな』と同一。犯行現場、『非実在青少女』付近。残された文字列は、かつて渋谷を混乱に陥れた『その目だれの目?』に呼応するように、つい最近ネットを賑わせた『その目神の目』。以上から、犯人が『ニュージェネレーションの狂気』及び『再来』にかなりの執着を示していることは明らか。なお『初代』の犯人との繋がりは不明。『再来の真犯人』とされる宮代拓留は関与せず。
 顔面の著しい損壊。顔見知りによる深い怨恨、もしくは罪悪感からの逃避、もしくは視線の拒絶。
 女性器への執拗な刺突。妊娠・出産に対するコンプレックス、もしくは加虐性嗜好、もしくは母性・女性性そのものに対する激しい憎悪。
 いずれにせよ、シリアルキラーと化す可能性の極めて高い、悪質な精神異常者であるという見解は崩れない。

 フリージアを利用する手は、早々に選択肢から除外した。
 百瀬や久野里と顔を合わせづらいという個人的な理由はこの際どうでもいいが、神成は『再来』の時点でかなり強引な手を使っており、渋谷署での立場が微妙な状態にある。立ち回りには細心の注意が必要だった。現時点での『外部委託』はリスクの方が大きい。
 宮代たちを守る為にも、ここで共倒れになるわけにはいかなかった。
 それでも、彼女たちから学んだ方法なら多少はある。
 神成はズボンのポケットから愛機ガラケーを取り出し、画面を開いた。先日パソコンから取得したツイぽのアカウント。玉石混交だが、なかなかどうして有用な情報が集まる。即時性が高く、また対面ではないためか概ね発信者が油断しており、警察にもこぼさないようなことを平気で垂れ流している場合も多かった。
 神成のガラパゴスケータイではビューアーにしかならないが、たまにパソコンからカモフラージュで呟く程度なので、手元では閲覧さえ出来ればほとんど困りはしない。
 いくつかワードを絞って、何か情報がないか検索してみる。その中で少し気になるものを見つけ、神成は軽く眉を寄せた。
『前言ってた地元の病院から脱走した基地外、まだ見つかってないらしい。やべーよ。早く誰か捕まえろ。もしくは死んでてくれ』
 ほとんど困らない、とは言ったが、こういうとき『お気に入り』(『いいね』だったか? 神成にとって名称はどうでもいい)機能が使えないのはなかなか困る。リプライで詳細を訊くことも出来ない。
 とりあえずスクリーンショットを取り、発信アカウント情報・発言内容・投稿時間・それに反応を示したユーザーなどを、出来る限り詳細に、手元の紙に書き殴っていく。今、個人のパソコンを開いてツイぽをいじるわけにいかないので――職場のパソコンならなおのことだが、空き時間が出来次第確認してみよう。
 神成がちらと時計を見たとき、ちょうど初老の男性が歩いてきた。フルハラと陰で呼ばれている警部だ。ちなみに名前は古原ではない。
「おう神成、携帯眺めてるってことは暇か?」
「あ、いえ。関係者からの電話を待っているところでして」
 神成はぱっと携帯を閉じて愛想笑いを浮かべた。相手は気のいい男だが、怒らせると面倒なのだ。階級が階級であるし。
 フルハラは手に提げていたくしゃくしゃのビニール袋から、黄色い球体を取り出して神成の目の前に置く。
「嫁の実家から送ってきてな。立派な八朔だろ?」
「おいしそう、ですね」
 神成はこの行為に対して、他の返答を出来たためしがなかった。
 果物は嫌いではないが。仕事中に机に置かれるのは、申し訳ないが軽度の公務執行妨害である。しかもこの警部は、その場で食べてやって感想を言わないと、後から嫌味がすごい。フルハラ――フルーツハラスメント。それがあだ名の所以。
 くだらないことだ。だからこそ、ごねずにさっさと済ませてしまうに限る。
「いただきます」
 軽く手を合わせてから、ナイフとか貸してくれないのかな? と思いつつ、素手で八朔を剥きにかかった。分厚い果皮をはがすと、酸味のある香りが弾ける。その匂いに、脇に置いていた個人がぱっと目を覚ます。年甲斐もなく動悸が速くなる。
 内袋の弧は人の笑んだかたちにも似て、開いて現れる果肉の粒は歯列や粘膜を思わせて。その瑞々しさを貪ることが、躊躇われる。
 思い出す。強制的に二度知らされた味と、柑橘の香りのリップクリーム。
「神成さん! いいですか!」
 部屋の入り口から部下の声がして、神成はとっさに八朔の房を内皮ごと口に突っ込んだ。袋の部分が恐ろしく硬いが、奥歯で無理やりすり潰す。
「ごちそうさまです、おいしかったです。ちょっと緊急のようなので失礼しますね」
 フルハラにそう頭を下げると、神成は資料をファイルにまとめてそそくさと立ち去った。首を突っ込まれると面倒なので廊下に出る。
 飲み込みきれない内袋だけがいつまでも口の中に居座っている。
「どうしました?」
 新米に心配そうに聞かれながら、いや、と顔を背け、取り出したティッシュペーパーに袋を吐き出した。今度はこのごみをどうしようという話にはなるが、とりあえずあのまま咀嚼し続けているよりはましだ。
「進展が?」
 眠気覚ましに持ち歩いているミントタブレットを口に放り込みながら問う。刑事を起こす代わりに、個人の方を黙らせる。
 はい、と頷く部下の顔色は蒼白だ。またひどい死体でも出たのだろうか。
「遺体、発見されました」
「やっぱりか。19日までは次の犠牲者が出ないなんて、見通しが甘すぎ――」
「いえ」
 神成が上の無能を愚痴ろうとしたとき、部下ははっきりとそれを遮った。
「まだ正式な検視結果は出てませんが。鑑識によると、死亡したのは恐らく先月下旬……こちらの方が、先です」
「なん、だって?」
 これには神成も虚を衝かれた。
 2月下旬といえば、宮代が『新たな犯行声明』を出してからいくらも経っていないではないか。
 部下が注意深く写真を手渡してくる。受け取りながら神成は歩き出した。当然現場に向かう為だ。横からの解説を受けつつ、神成は写真を一枚一枚めくっていく。
「現場は円山町の廃屋」
「『張り付け』の付近か」
「そうです。死因は失血ではなく恐らく餓死」
「ということは、長期間監禁されていた?」
「可能性が高いです。やはり眼孔と下腹部を滅多刺し、血が足りなかったのか、床の『その目神の目』はかなりかすれていました。刷毛ではなく凶器の刃先で書いたのではないかと」
「ガイシャの身元は」
「確定ではありませんが……制服と学生証から、翠明学園の女子生徒かと」
「翠明学園……」
 翠明学園は、碧朋学園の割合傍にある私立校だった。
 最寄りは神泉駅。『ニュージェネレーションの狂気』の犯人と目されていた『エスパー少年』西條拓巳と、『ファンタズムの予言者・FES』岸本あやせの母校でもある。しかし最終的に、二人にかけられた嫌疑は全く根も葉もないものであったことが証明された。
 今では、翠明が『初代』と関係していることを覚えていない者も多いはずだ。意図してそこの生徒を狙ったのであれば、並大抵の模倣犯ではない。
「身元の裏は取れないのか?」
「被害者と思しき生徒は、震災で両親を亡くしていて一人暮らしだったそうで。三年生はもう授業がなかったので、学校側も登校してこないことを疑問に思わなかったらしく……友人たちも、連絡がないのを受験勉強に集中しているためだと思い込んでいたそうです。卒業式にも現れなかったというので流石に周囲も異変に気付き、生安の方で調べていたようなんですが」
「こっち沙汰だった、と」
 神成は痛む頭を指先でしきりに叩いた。
 何が『再来の再来』だと、マスコミのつくった安易な煽り文句に毒づく。これはそんな生ぬるいものではない。この犯人がやろうとしていることは。
「宮代拓留の、後継。ニュージェネレーションの狂気の『継続』だ……!」
 ぐっと歯噛みする。頭が割れるように軋んだ音を立てていた。
 二度も三度も、同じようなクソッタレ劇場に付き合わされてたまるものか。ましてこんなものは、戯曲ですらない。幼稚に過ぎる学芸会だ。
 低い声で、部下に指示を出す。
「本人確認を急ぎつつ、司法解剖手続きも大至急。他に似たような行方不明者がいないかどうかと、それから――渋谷に限らず近隣地区の『精神科隔離病棟の脱走者』がいなかったかどうかも全部洗うぞ」
「はい、神成さん!」
「俺も荒れないうちに現場を見てくる。ひとまずここは任せた」
「わかりました、気を付けて!」
 足早に歩き出す。神成は楽しくもないのに口唇を歪めた。
 ニュージェネ、ニュージェネか。どうしてこうもその名が俺の前に立ち塞がる。先輩を追えなかった俺を。宮代くんを送り出すしか出来なかった俺を嘲笑うように。
「今度こそ、終わらせてやる」
 なぁ。――『ニュージェネレーションの狂気』。
 その目が誰の目でも、俺の知ったことじゃない。貴様を法の光で灼いて、誰の目にもなれないようにしてやる。
 もしも貴様らの言う神がいるのなら、そいつの見ている前で。あるいはその神の目でさえも。俺がこの手で、引導を渡してやる。
 冷然たる妄念を燃やしながら、神成は確かな足取りで渋谷警察署を出ていく。
 その肌から、甘い香りは既に抜け去っていた。