混沌の先達たちから

「はぁ!? この状況でCLとかハナカツヲマジどんだけ劣悪な環境でインして来てんだよ! エンスーは遊びじゃないんだぞ!?」
 僕が壁ドン――あ、もちろんリア充とかスイーツ(笑)の使う方じゃなくて本来の意味ね。あいつらは死ね、氏ねじゃなくて死ね――すると、後ろから梨深の、遊びじゃないんだ……なんて苦笑が聞こえてくる。
 僕はため息をついて椅子に寄りかかった。
 僕の名前は西條拓巳。職業は自宅警備員。といっても実家はとっくに出てきたけどね。現在僕の住所は定まってなくていつもどこかを転々としてる。流浪の勇者、疾風迅雷のナイトハルトとは僕のことだキリッ。
 高校生の頃、RMTで稼いだお金はすぐに底をつきた。まぁ僕ぐらいの実力者でも一介の高校生が稼げる額なんてたかが知れてるよね。最近じゃRMTへの罰則も厳しくなってきてるし、MMORPGじゃ未だ行われてるとは言っても、そもそもシステム上アイテム交換自体が出来なくなってるゲームも多い。
 今僕はFXで生活費を稼いでる。これなら外に出なくてもいいし、元々僕は細かい数値の変動とかには目敏い方なんだ。だからこそRMTでも、イベント特需を見込んで特定アイテムの乱獲とかして儲けてたわけだしね。先見の明があるんだ。うむ、崇めることを赦す。
 とにかく、コミュ障の僕としては対面の仕事なんてまっぴらだし、第一委員会は僕のことをまだ諦めてないみたいだし、定職についたり人前に出たりなんてのはごめんなわけ。
 委員会どんだけ僕のこと好きなんだよ……『超絶ヤンデレストーカー☆300人委員会ちゃん♪』ですか? 何でも擬人化すりゃ萌えるってもんじゃねーぞ! 擬人化なめんな!!
 まぁ、本当は『僕に』というより『ニシジョウタクミ』の置き土産に興味を持っているだけなんだろうけど。その辺のことは考え始めると鬱になるからこれ以上いけない。
「結局、『宮代拓留』が犯人で決着……か」
 僕はハナカツヲ――香月華とのチャットログを見つめて言った。別に香月から聞かなくてもこの程度のことはニュースを見れば分かるんだろう。まぁ僕が見る番組はアニメだけですが何か問題でも。
「ハナちゃんのお友達の子だよね?」
 梨深がひょことモニタを覗き込んでくる。梨深っていうのは、咲畑梨深。僕のカノジョ。って言わせんな恥ずかしいwww  いうても、『僕』の真実を本気で理解できるのは梨深だけで、『梨深』の真実を本気で理解できるのは僕だけだから、梨深と僕はらぶらぶチュッチュな関係というよりは理解者とか協力者とかいう方が近くて、いわゆる運命共同体とか一心同体的な――うはwww一心同体って漢字エロくねwww
 とりあえず茶化さないとやってられないぐらいには色気のない関係ってことで。ちくしょうもっとえろえろチュッチュさせろぅ。
 梨深のことは、『将軍』が消え際にリアルブートしていった。
 もちろん梨深の身体は既に現実として存在していたけど、『咲畑梨深という人間は日本国民であるという客観的証拠』、要するに戸籍ごと現実にしていったんだ。七海の手首とか『西條拓巳』の差し替えとか、やらなきゃいけないことはいっぱいあったはずなのに、本当にお節介で梨深のこと言えないっていうか、言いたい文句は死ぬほどあるんだけどね。
 その話はやめよう。とにかく『ニュージェネレーションの狂気の再来』の真犯人は宮代拓留だって、社会的にはそういう結論に落ち着いた。
「でも、この子はどの事件にも関わってないんだよね? じゃあ、いくら自供してても物証は何も出ないんじゃ……」
「それぐらいなんとかするでしょ、委員会なら。それこそ現実化も捏造も連中はし放題なわけだし」
 お風呂あがりの梨深たんの安シャンプーの香りくんかくんかスーハースーハー。
 梨深は僕と約束して、物のリアルブートを最低限に抑えるようになった。あんまりディラックの海に干渉しすぎるとよくないってセナもよく言ってたしね。今はあちこちバイトを転々としながら稼いだお金で自分の服や化粧品を買ったりしてる。学校中騙し切った梨深が、履歴書で経歴詐称するぐらいわけない。バカだから正社員採用は難しいみたいだけどね、ふひひwww
 ちなみにその他生活費は大体僕が負担してますが? これ世に言うスパダリじゃね? 梨深はもっと僕に感謝すべき。感謝の証としてイチャイチャすべき。だってほら最終的に梨深に戸籍を用意するのは今生きてる僕の役目っていうか、将来的にはリアルに『僕の嫁』になれば梨深の存在の不確かなところはやっと埋まるわけで。梨深の足りないところを僕が埋めるとかそれなんてエロゲ。
「結婚しよ」
「え、血痕? 宮代くんの持ち物から血痕出たの?」
 くそこの女空気嫁。と思ったけど全部僕の妄想で口には出してませんでしたサーセン。思考盗撮でもされてなきゃ伝わるわけなかった。
「式にはあいつらは呼ばないぞ、三住くんもだ絶対にだ!」
「えー? 何の話かわかんないけど大ちんも呼ぼうよ~」
「だが断る! ステンドグラスから月光降り注ぐ小さな教会で二人きりの誓いを交わし純白の無垢なドレスを着たままの梨深を――」
 リビドーを全開にしようとしたところで、僕は振り上げかけた拳を止めた。
「思考盗撮……?」
「……なにか気付いたの、タク?」
 梨深も僕の口調が変わったことには気付いたみたいだった。
 僕は香月華に、訊かれた範囲の『ギガロマニアックスについての情報』しか流してない。『グリム』の例もあるから、ナイトハルトが本物の僕かどうかを見定めさせないために、敢えてフェイクを入れるときもあるし。まぁナイトハルトのニセモノなんて僕の目の黒いうちは許さないけど、僕自身がニセモノになることだ、みたいなことだったら大丈夫だ、問題ない。香月にも、どうしても必要なとき以外はその話はするなって釘は刺してあるし。よいこのみんな、インターネットはワールドワイドだぞ! 発信した瞬間全世界に広がるんだからな、不用意な発言はするなよお兄さんとの約束だ!!
「いや、やめた。そういうのは優愛に任せればいいよ。探偵ごっこは僕の趣味じゃないしね」
「たはは……」
 梨深は苦笑するけど、僕の結論を咎めるわけじゃない。むしろ梨深は、一件目の段階で真っ先に僕を、少しでも渋谷から離そうとした。香月華との接触だって一度は止められて、最近グラボを新調したばかりのパソコンをディソードで斬ろうとしやがった絶対に許さない絶対にだ! 不本意ながら2に移行したとはいえエンスーは僕の人生の一部なのに! あれ、今のカッコよくない? エンスーは僕の人生の一部だ!!
 冗談抜きで、僕にとってナイトハルトは、『ニシジョウタクミ』以外から生まれた数少ない自分だから。取り上げられると人格に支障をきたすんだけどと説得して、パソコンは壊さずまるっと夜逃げするに留めてもらった。
 梨深はいつも必死だよ。僕は『西條拓巳』だから。『タク』は『タクミ』に託された大切なモノだから。梨深にとっては、自分が傷ついても、壊れても、守り抜きたいものだから。
 ――仕方ないだろ。僕だって死にたくないし。梨深を泣かせたくないから、僕は僕を守りきるしかない。
「僕は、あやせが『邪心王が復活した』って騒ぎ出さなかったことの方が意外だったよ」
 無理やり話題を逸らすと、単純な梨深はそうだねぇとあっさり釣られた。愛いやつめ。
 僕の傍のフローリングにぺたりと座って、ぺたぺたとタオルで挟むように濡れ髪を拭いてる。くそ、誘ってんのか。僕にそんな根性があったら今頃魔法使いの資格を捨て去ってるぞ! 残念だったな!! まさに外道!! いやまさにヘタレ!!
「岸本さんたち、確かツアー中だったしね。一応電話してみたんだけど、『拓巳の邪心に及ぶほどのものではないわ』ってすぐ切られちゃった」
「……確かに、カオスチャイルド症候群者には『超誇大妄想家』の能力を持った人間もいたけど、あやせの考える『黒騎士』に比べたら随分お粗末だったろうからね」
 能力一人一つまでとか、量産化の弊害かよハハッワロスw 今や一般人の僕が言うのもなんだけど、ギガロマニアックスとしてはしょぼすぎる。その中に、『だから自分の能力もこれだけ』と勘違いした本物のギガロマニアックスがいたとしてもおかしくはないけど。
 おかしくはない、どころか、下手したら筋が通ってしまうんだけど。もう妄想が現実になることはないと分かっていても、僕はやっぱりたまに考えるだけでも恐ろしい気がして思考を停止させてしまう。
「タク」
 梨深は座ったまま、僕を見上げて、まだ湯上がりで火照った両手で僕の左手を握ってくれている。
「大丈夫?」
 ――梨深はいつもそうだ。僕が沈んでるとそうやって、いかにも心配そうに顔を覗き込んできてさ。
 人の気も知らないで。
「だいじょうぶだよ」
 くそ、ここキメ顔で言うところだろ常識的に考えて。何で声引っくり返るんだ僕め。あと梨深さんできればその両手をもっと僕の中心の方に持ってきてぎゅっぎゅしてください。
「……セナが、ギガロマニアックスの観測数は年々減ってるみたいだって言ってた。波多野さんが――セナのお父さんが
「んーうん……?」
 梨深は首をひねってる。そこは、ついてこれるか、じゃねえ――!! って返してほしいとこだけど梨深相手にそこまで求めてないよ僕は。てめぇの方こそついてきやがれ。
「つまりさ、委員会は野呂瀬の失敗以降、ギガロマニアックスに対する興味を急激に失ってるんだ。ギガロマニアックスの構成員は気が気じゃなかっただろうね。そして今回、この『碧朋学園』の大失態。……僕もセナも、『委員会はそろそろギガロマニアックスから完全に手を引く』と思ってる」
 梨深はぽかんと口を開けた。やめてください。エロゲみたいなアングルで『ここにちょうだい』みたいな顔をするのはやめてください。どうすればいいですか。ちなみに夫の年収は1000万円です。
 そして急に立ち上がり、いきなり僕に抱きついてきた。おおう何コレついにイベント突入ktkr!? 皆の者ー!! ここで別枠にセーブしてデータをロックしろ!!
「じゃああたしも、毎日見られてないか気にしながら帰って来なくていいってことだね!」
「そ、そうだね」
「笑ってタクに『ただいま』って言って、タクも笑って『おかえり』って言ってくれるんだよね!?」
「お、おう」
 普通逆じゃね? 僕が言うのもなんですが。
「それで――」
 梨深の声は嬉しそうに弾んでいるのに、少し震えていて。
「タクと手を繋いで、何も気にしないで外を歩いていいんだよね? 青い空の下で、あの夏の渋谷みたいに!」
 僕たちに――『西條拓巳』たちと梨深にとって、渋谷の青空は本当に本当に、特別なキーワードで。梨深はそれが大好きで、ずっとずっと、今でも強く望んでて。それは彼女の心象風景そのものだから。
 本当に、頼りなくて、困るよね。僕は梨深を抱きしめ返した。
「違うよ。今度は星来を探さなくていい」
「そっか、そうだね。今度は、星来ちゃんが一番かわいく見えるような棚を買って、仲良く一緒に暮らそうね」
 おいやめろ。僕は結構涙腺が弱いんだぞ。知ってるだろ。だから絶対顔を見るな、絶対だぞ。
 まだ乾いてない梨深の髪に顔をうずめて、僕は続ける。
「だから、梨深。まだいつになるか分からないけど。逃げるためじゃなくて、守るためじゃなくて、何の理由もなくていいから、僕の傍にいてよ」
「うん」
「ちゃんと、僕の、本当のお嫁さんに、なってよ」
「……うん」
「泣くなよぉ」
 僕もこらえきれなくなっちゃうだろぉ。
 僕たちは情けない顔のまま、甘くない、塩っ辛いばかりのキスをした。
 悪いけど、僕は宮代拓留がどうなるのかについて、関心は割とあるけど興味はない。
 彼がその妄想をどこまで貫き通すのか、それは僕が決めることじゃないからね。案外忘れた頃、『エスパー西條』みたいに逆転劇を演じたりするのかもしれないし。ふひひ。
 だけど何にせよ、君が僕たちの守りこぼした『渋谷』を救ってくれたのなら。君はきっと『英雄』と呼ばれたこのキモオタよりも、ずっと尊い『殺人鬼』なんだろう。
 べ、別に何の義理もないけど、感謝ぐらいしてあげたっていいんだからねっ///
 誰も知らない夜が更けて、梨深と両手を繋いで同じベッドに横になり。
 僕はやっぱり、童貞を捨てられなかった。知ってた。